私が部屋に戻ると、先客があった。
 いつものことだ。彼には、この部屋に自由に入っていいと言ってある。気配を察し、クラウディアが隣の部屋に消えていく。

 案の定、モーリスがいた。

 ……いるのは、いい。繰り返すが、モーリスには自由に私の部屋に出入りしていいと言ってある。
 しかし。
 私が言葉を失ったのは、彼の格好にだった。

 モーリスは顔が埋まりそうなほどの、フリルまみれのブラウスを着ていた。
 腰にはこれまた大仰なサッシュベルトを巻き、何故か内股に足を流して乙女のようにベッドに坐っていた。

「……どうした?」
 私はなんとか動揺を眉を動かしただけに留め、鷹揚に歩み寄った。

「ボクとあの男と、どっちが大事なの?!」
「その話か」
「あの男はなにかとマリアンヌに色目を使っている。マリアンヌの石鹸工場を利用するのはボクだ。それを、あとから現れて……」
 あの男……我々「裏マルセイユ浄化委員会(仮名)」が新たに仲間に迎えたルイ・マレーという密輸業者のことだ。
 モーリスと同年代の頭の良さそうな色男で、互いにライバル心を燃やしているらしい。

「ジオラモは、ボクの味方だよね……?」
 モーリスは上目遣いに私を見る。瞬きの数が異様に多い。
 唇が妙に紅いと思ったら、どうやら手にしていた薔薇の花びらを一枚、ついばんだらしい。唇でくわえて、ふふふと笑う。
 薔薇なんぞ持っていたのか。フリルとレースで埋まりきっているので、どこが袖だか手だかわからなくなっていた。

 ……じつに、愉快なイキモノだ。

 自分を絶世の美青年で、魔性のファム・ファタルだと信じ込んでいる。己れの美貌で国を傾けるのも可能だと、無邪気に思い込んでいるようだ。
 たしかに美しい青年ではあるが、彼の美貌はそういった負の力は持たない。選挙ポスターの中で白い歯を輝かせ、中年女性の支持を集めるに適した健康的な美貌だと思う。

 彼は、自分の才能がわかっていない。

 父の遺志を継いで市長を目指す……そのためには手段を選ばない。父を無惨に失い、辛酸な少年期を送った彼は、客観的な感覚を失ってしまったようだ。故郷マルセイユを出てパリで育ったらしいが、そのあたりですっかりその美貌と肉体でのしあがる、しか方法がないと思い込んだらしい。
 どんな三流映画を見たのか知らないが、「ボクは野良犬のように、パリの片隅に落ちているシアワセを探した」とか、「貧しい故郷は捨てた、惨めな自分は捨ててきた」とか誰かの書いた脚本のようなことをぶつぶつ言っては、角度を考慮した憂い顔で髪をかき上げていた。

 父の遺志を継ぐのは立派だが、何故そこで迷わず手を汚すのか。
 モーリスには、肉体や金の力を使わなくてもいずれ欲しいモノを手に入れることができるだけの、能力は備わっている。
 明るくさわやかな美貌も、目標のために努力を惜しまない生真面目さも、如才なく立ち回っていながらもどこか抜けたところのある……かわいらしさも、彼本来の才能だ。
 生来の豊かな知性に、生い立ちの暗さを跳ね返すだけの教養を身につけ、一般大衆が好む清潔さを武器に、いくらでも陽のあたる道を歩けたはずだ。

 なのにモーリスは、「こちら側」にいる。
 日陰の世界、我々が生きる側に。

「ねえ、ジオラモ……」
 精一杯の流し目をし、フリルとレースに埋まった手を差しのばしてくる。
 自分を絶世の美青年だと、女はもちろんのこと男でも自分を欲さずにはいられないと、信じ込んでいる。

 自惚れ?
 いや、ちがう。

 もっとも自分の価値を信じていないのは、モーリス自身だろう。
 自分に自信がないのは、モーリス自身だろう。

 だから、身を汚す。
 金だとか色欲だとか、簡単で、目に見える、安いものしか、信じない。
 美貌だとか躯だとか、そんなものにしか、自分の価値はないと思っている。

 可哀想に。
 そこまで歪んでしまった、追いつめられてしまった彼の生い立ちを思う。
 
 お前の周りの大人たちは、お前を追いつめるだけで、罵るだけで、誰もお前の才能や魅力については教えてくれなかったのだな。
 誰もお前のためを思って、叱ってくれたり道を示してくれたりはしなかったのだな。

 哀れだと思う。
 思う……が。

 私はモーリスの父親でも師でもない。
 彼の哀れさは、愚かさは、愉快だ。

 モーリスの期待する通り、私は彼の差し出した手を取った。甲に口付け、そのまま指を絡める。

 モーリスは「ふふふ」と少女のように笑い、自分でブラウスの胸をはだけるようにもう片方の手を差し入れた。
 誰に習ったんだか、独学なんだか、はじめから彼はこうだった。出会ってすぐに、彼は私を誘惑しはじめた。
 あまりにわかりやすく「小悪魔なボク」を演出して迫ってくるので、最初はとまどった。
 目を伏せ小首を傾げてキスをねだる仕草も、いちいち小指を立てていやいやをするのも、かなりキツいのだが……おもしろいから注意はしないでいる。
 いやしかし、いい加減教えてやるべきかもしれないが……「小悪魔美少年系は似合わないからよせ」と。少なくとも、自分の年齢を考えろ、と。
 最初に彼が権力者にすり寄っていった頃には、それで良かったのかもしれないが……少なくとも10年前と同じセンスで生きるのはよせ。

 スーツだけは四角四面に着こなしているが、モーリスの私服のセンスは最悪だ。秘書のロベールにフリル付きアームカバーやエプロンを使わせていることでもわかるだろうが、とにかく感覚が個性的すぎる。
 そのままのノリで「美少年系」で迫ってくるので、ときどき笑いツボに入って困る。
 いつだったか、全裸にピンクのフリル付きエプロンで「お帰りなさい(はぁと)」をやられたときには、しばらく二の句がつなげなかったが……。(一緒にいたクラウディアも放心したのち、私の肩をぽんぽんと叩き、一言も発さず部屋を出て行った)

 モーリスは、必死なのだ。
 愚かな彼は、自分の武器でけなげに闘おうとしている。
 それしか価値がないと思っているから、なりふり構わず持てる力のすべてですがりつこうとしている。

 ベソをかきながら泥玉を投げている愚かな子ども。泥玉の横に、立派なピストルが置いてあるのに、気付いていない。
 欲しいものを得られる力は、そこにあるのに。愚かさゆえに、それが武器だと気付かない。

 自分の価値を認められないモーリス。
 自分を愛せないモーリス。

 そんな愚かさごと、彼を愛しいと思う。

 モーリスが望む通りに、フリルとレースに埋まった彼の白い躯を組み敷く。薔薇の花びらがシーツに散る。
 求められることで、彼は束の間の安堵を手に入れる。

 私の背中に両腕を回しながら、彼は一瞬、子どものように笑った。
 計算した美少年顔ではなく、父親の胸でくつろぐ幼子のように。無邪気な、委ねきった顔で。

 
 お前を哀れとも愛しいとも思うけれど、お前を救いたいとは思わない。
 それは、私の仕事ではない。

 お前を救うのは、別の誰かだろう。


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