この物語の中で、もっとも「ハリウッド」を愛しているのは、ヘッダだと思う。

 ゴシップ記者ヘッダ・ホッパー@憧花ゆりの。
 あちこちに現れては解説をし、「それがハリウッド!」と叫ぶ、わかりやすい「嫌な女」。

 ただひたすら美しい物語、『HOLLYWOOD LOVER』
 そのなかで、ただひとりの「悪役」。

 悪徳の都で、ことさら人間たちの悪だの醜さだのに食いつき、あさる、ハイエナ人生。いろんな人にわかりやすく嫌われながらも、他人の話に聞き耳立てたり強引に割って入ったり、ろくなことをしない。

 だってそれが彼女の仕事で、彼女の選んだ生き方だから。

 誰もがあこがれる映画界、スポットライトの中の夢舞台。
 まぶしすぎるライトの影のドロドロすら、夢舞台を彩る「艶やかな出来事」。
 人々は知りたがる。光の世界にあこがれながら、その光ゆえの濃い影の葛藤を。

 ことさら露悪的にふるまうヘッダはハリウッドを知り尽くしている。
 その光のまばゆさ、美しさ。
 同時に存在する影の醜さ、惨たらしさ。

 美しいモノだけを愛していられるなら、しあわせだと思う。
 でも、一度好きになったらもっともっと知りたくなるじゃん? その世界にのめりこんで、美しいだけではない裏側を知ってしまう。
 汚いモノは見ずに、「なかったこと」にして見たいモノだけ見て、愛していられるならそれでいい。
 だけど。
 醜さを、悲惨さを知ってなお、醜さや悲惨さに憤り、傷つき、いっそ憎みたいと思い……それでも、その負の感情を超えて「愛しい」と思ったのなら。

 想いが深いほど、傷は大きくなる。
 愛が深いほど、憎しみは強くなる。
 知らない人に裏切られるより、魂懸けて愛した人に裏切られた方が傷つく。

 大してハリウッドを愛していないなら、ただのメシのタネだと思っているなら、憎みもしないだろう。

 息子を亡くしたばかりの父親の前で、事故ではなく自殺ではないのかと根拠を羅列し、追いつめるヘッダ。被害者の悲鳴のような嘆き、誹りを切り捨て、彼女は叫ぶ……「それがハリウッド!!」

 そう。

 憎むほど、愛してしまった。

 どれほど彼女がハリウッドを愛しているか。
 それが、伝わる。

 醜さも惨さも、「在る」。
 きれいごとではなく、良いも悪いもなく、ただ「在る」んだ。

 その醜さごと、ハリウッドを愛して。

 絢爛ゆえに円熟ゆえに腐臭を放つハリウッドの、そのずぶずぶに腐った甘さに魅せられて。
 ゴシップをあさるハイエナ、そんなカタチでしか愛を示せない女。

 汚れていることを知りながら、それでもそこに美しいものを探し当てようとするコラムニスト、シーラ@五峰亜季とは、正反対に。

 どちらが正しいとかゆーわけではなく。
 より「人間」への愛が深いのがシーラで、「ハリウッド」への愛が深いのがヘッダかなと思う。

 「人間」が生きるのが「ハリウッド」で、「ハリウッド」には「人間」が生きているのだけど。
 ふたりの女の目線は、こんなにもチガウ。

 
 わたしの2番目の泣きポイントは、リチャードとローズの死の原因を究明するヘッダの、絶唱のような叫び、「それがハリウッド!」だったりする。(いちばんは、ビリー@そのかとマギー@あーちゃんのラヴソングだ)

 欺瞞を、偽善を許さない彼女の非情さが、痛すぎる。
 鋭角な言葉。
 研ぎ澄まされ、追いつめられ、むき出しになる真実。
 それは美しいだけのはずがなくて。
 それがわかっているからこそ、華美な包装をむしり取らずにはいられなくて。

 正しいもの、美しいものだけでは、わたしは生きられない。
 闇や毒に惹かれる。惹かれてしまう。
 愛を理由に聖域を作れない。そこにヘビを送り込まずにはいられない。

 
 だから。

 愛しながらも憎み、憎みながらも愛さずにいられない、彼女の悲鳴が胸に突き刺さる。

 泣きポイントだわ。
 景子せんせ作品は、わたしにはきれい過ぎて軽すぎることがよくある。
 ひたすら美しい世界のなかにある、小さな濁と汚の部分に、過剰に反応してしまうのは、「好み」とか「性格」とか、そーゆー部分の話だと思う。
 主役サイドの話には、あまり感銘できないからなあ。や、泣けるけど。
 ヘッダとマギーにいちばん感情移入できた、つーのがもう……(笑)。

 
 ハイエナ記者ヘッダ。
 もっと楽な生き方が、いくらでもあるだろうに。
 彼女はこれからも、誹り罵られながら、胸を張って汚濁の中を生きていくのだろう。

 愛ゆえに。


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