彼が「主役」の物語・その1。@外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-
2008年5月19日 タカラヅカ「だからそもそも、ジェローデル主役の『ベルばら』なんて無理なんだよ」
……とは、思わない。主要4キャラに一切絡まないパリの一市民主役に『ベルばら』を作るのはさすがに無理だと思うが、あれだけオスカルに絡む場面のあるキャラクタなら、彼を視点に物語を作ることは出来る。
無理なのはジェローデルではなく、植爺です。
はい、全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』のお話です。
初日1回観ただけ、プログラムも買ってねぇ、記憶だけで語ってます。
植爺は、「物語」に必要なモノと不要なモノの区別がつかないのだと思う。
主人公がジェローデルで、オスカルを愛しながらも最終的にはフェルゼンの妹ソフィアと愛し合うようになる。
このプロットがまず決まっている場合、「物語」の主要キャラとして必要な誰だ?
ジェローデルとオスカルとソフィア、そしてもうひとりは、アンドレだ。フェルゼンじゃない。
植爺は「ソフィアはフェルゼンの妹だから」とそれだけの理由でフェルゼンを出したのだと思う。
ソレ意味ないから!! ソフィアがフェルゼンの介添えなしには誰とも会えない話せない女性というなら仕方ないが、ひとりの大人の女性なら誰の親族でも関係ないから。
原作でも、ソフィアとジェローデルの出会いに仲立ちするのはオスカルであって、フェルゼンはなんの関係もない。や、仲立ちにもなってないが、いちおー出会っている場面にいるのはオスカル。フェルゼン関係ない。
「物語」を作るのに、プロットを回すのになにが必要で、なにが不要か。まずこんな基本的なことから植爺はなにもわかっていない。いや、いつものことだが。「主役」の設定を間違えたりあったりまえにしてきた人だから、今さら嘆いてもはじまらないのだが。
「いなくていい」キャラクタを語り部ですらない「準主役」にするから、作品はもちろん壊れるし、フェルゼン様は登場するたび爆笑されるよーなアホな人に成り下がった。
そして、「いなくてはならない」キャラクタがいないことで、他のキャラも壊れるし、物語も壊れる。
こまったもんだ。
さて、次にジェローデル主役の『ベルサイユのばら』を描くにあたって、必要な場面はなんでしょう。
アニメではジェロくんがオスカルと決闘していたりしたけど、あくまでも原作のみをベースに考えて。
ジェローデルがどんな人かを描くために、中心になるのはやはり「オスカル」という女性のことだ。
『ベルばら』の主役であり、激動の人生を送る彼女をきちんと描く、ことによって、そんな女性を愛し、身を引いた男ジェローデルの人間性と人生を描く。
どんな女を愛するか、どんなふうに愛するか、で、男の価値は上がりも下がりもする。どんなに「すばらしいヒーロー」でも、つまんない女に惚れていたら「その程度の男」だ。
正直、なんでジェローデルがナポレオン暗殺なのかさーっぱりわかんないんだけど(アランやベルナールならわかるが、なんでジェロ?)、ソレは絶対にはずせないエピソードで最初と最後の場面は決まっているのだとして。
革命前夜のベルサイユ物語でまず描かなくてはならないのは、「オスカルってどんな人?」「オスカルとジェローデルはそもそもどんな関係?」「ジェローデルとソフィアの出会い」だ。
オスカルが男装の麗人であり、そのへんの男どもよりよっぽど凛々しい人である、ということ。真摯な軍人であること。
ジェローデルは彼女の部下であり、彼女が転属したのちも変わらず敬い続けていること。
だからオスカルの登場は軍服姿でなければならない。
フリルのブラウスで内股で歩く「女の子」として登場してはいけない。
『ベルサイユのばら』ほど有名な原作ならば、観客全員が「オスカルは男装の麗人で、フランス革命で戦死する」と知っているとしても、物語のルールとして崩してはならない。
令嬢たちにコメディやらせて、ジャルジェパパに婚約発表とかやらせてるヒマがあるなら、かっこいい軍人のオスカルと、かっこいい軍人のジェローデルと、知的美女ソフィアの出会いのシーンを作ればいいのに。
衛兵隊を率いるオスカルと、近衛隊を率いるジェローデルのかっこいいダンスシーンからはじまって、ふたりがたまたま一緒にいるときにソフィアの馬車が立ち往生して困っている……でいいじゃん。
部隊がちがってもオスカルはジェローデルを元部下として上から目線で接するし、ジェローデルは紳士としてソフィアに接し、オスカルのそばにはアンドレがいる。相互の会話で世界情勢、フランス情勢も解説できる。
主役のジェロのキャラクタ解説もここで、衛兵隊士や近衛兵たちに語らせてしまえ、クールで女嫌いとかそーゆーことを。
人物関係も立ち位置も、一気に表現できると思うが。
油断すると物語の中心がオスカルになってしまうので、要所要所で「視点はジェローデルですよ、ヒロインはソフィアですよ」と印象づけること。
オスカル、アンドレ、ジェローデル、ソフィアと登場したこの場面で、ジェロにだけピンスポが残り、オスカルへの気持ちを一発歌うくらいに。そんな彼をひとり舞台隅に残ったソフィアが見つめるくらいに。
で、ジャルジェ家の場面に。婚約話に反発するオスカル、でいい。最初にかっこいい軍人姿を披露したのだから、観客も「さっきのかっこいい軍服の隊長さんに、部下だった男と突然『結婚して子供を産め』なんて、すごいことになってるんだな」と理解できる。
ジェロがオスカルを好きで本気でプロポーズしていることも、せっかく出会った美女ソフィアに見向きもせずにオスカルLOVEな歌を歌っていたから、理解できる。
つーことで、「ジェローデルを主役」に、物語を再構築していってみよー。
翌日欄に続く。
……とは、思わない。主要4キャラに一切絡まないパリの一市民主役に『ベルばら』を作るのはさすがに無理だと思うが、あれだけオスカルに絡む場面のあるキャラクタなら、彼を視点に物語を作ることは出来る。
無理なのはジェローデルではなく、植爺です。
はい、全国ツアー『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』のお話です。
初日1回観ただけ、プログラムも買ってねぇ、記憶だけで語ってます。
植爺は、「物語」に必要なモノと不要なモノの区別がつかないのだと思う。
主人公がジェローデルで、オスカルを愛しながらも最終的にはフェルゼンの妹ソフィアと愛し合うようになる。
このプロットがまず決まっている場合、「物語」の主要キャラとして必要な誰だ?
ジェローデルとオスカルとソフィア、そしてもうひとりは、アンドレだ。フェルゼンじゃない。
植爺は「ソフィアはフェルゼンの妹だから」とそれだけの理由でフェルゼンを出したのだと思う。
ソレ意味ないから!! ソフィアがフェルゼンの介添えなしには誰とも会えない話せない女性というなら仕方ないが、ひとりの大人の女性なら誰の親族でも関係ないから。
原作でも、ソフィアとジェローデルの出会いに仲立ちするのはオスカルであって、フェルゼンはなんの関係もない。や、仲立ちにもなってないが、いちおー出会っている場面にいるのはオスカル。フェルゼン関係ない。
「物語」を作るのに、プロットを回すのになにが必要で、なにが不要か。まずこんな基本的なことから植爺はなにもわかっていない。いや、いつものことだが。「主役」の設定を間違えたりあったりまえにしてきた人だから、今さら嘆いてもはじまらないのだが。
「いなくていい」キャラクタを語り部ですらない「準主役」にするから、作品はもちろん壊れるし、フェルゼン様は登場するたび爆笑されるよーなアホな人に成り下がった。
そして、「いなくてはならない」キャラクタがいないことで、他のキャラも壊れるし、物語も壊れる。
こまったもんだ。
さて、次にジェローデル主役の『ベルサイユのばら』を描くにあたって、必要な場面はなんでしょう。
アニメではジェロくんがオスカルと決闘していたりしたけど、あくまでも原作のみをベースに考えて。
ジェローデルがどんな人かを描くために、中心になるのはやはり「オスカル」という女性のことだ。
『ベルばら』の主役であり、激動の人生を送る彼女をきちんと描く、ことによって、そんな女性を愛し、身を引いた男ジェローデルの人間性と人生を描く。
どんな女を愛するか、どんなふうに愛するか、で、男の価値は上がりも下がりもする。どんなに「すばらしいヒーロー」でも、つまんない女に惚れていたら「その程度の男」だ。
正直、なんでジェローデルがナポレオン暗殺なのかさーっぱりわかんないんだけど(アランやベルナールならわかるが、なんでジェロ?)、ソレは絶対にはずせないエピソードで最初と最後の場面は決まっているのだとして。
革命前夜のベルサイユ物語でまず描かなくてはならないのは、「オスカルってどんな人?」「オスカルとジェローデルはそもそもどんな関係?」「ジェローデルとソフィアの出会い」だ。
オスカルが男装の麗人であり、そのへんの男どもよりよっぽど凛々しい人である、ということ。真摯な軍人であること。
ジェローデルは彼女の部下であり、彼女が転属したのちも変わらず敬い続けていること。
だからオスカルの登場は軍服姿でなければならない。
フリルのブラウスで内股で歩く「女の子」として登場してはいけない。
『ベルサイユのばら』ほど有名な原作ならば、観客全員が「オスカルは男装の麗人で、フランス革命で戦死する」と知っているとしても、物語のルールとして崩してはならない。
令嬢たちにコメディやらせて、ジャルジェパパに婚約発表とかやらせてるヒマがあるなら、かっこいい軍人のオスカルと、かっこいい軍人のジェローデルと、知的美女ソフィアの出会いのシーンを作ればいいのに。
衛兵隊を率いるオスカルと、近衛隊を率いるジェローデルのかっこいいダンスシーンからはじまって、ふたりがたまたま一緒にいるときにソフィアの馬車が立ち往生して困っている……でいいじゃん。
部隊がちがってもオスカルはジェローデルを元部下として上から目線で接するし、ジェローデルは紳士としてソフィアに接し、オスカルのそばにはアンドレがいる。相互の会話で世界情勢、フランス情勢も解説できる。
主役のジェロのキャラクタ解説もここで、衛兵隊士や近衛兵たちに語らせてしまえ、クールで女嫌いとかそーゆーことを。
人物関係も立ち位置も、一気に表現できると思うが。
油断すると物語の中心がオスカルになってしまうので、要所要所で「視点はジェローデルですよ、ヒロインはソフィアですよ」と印象づけること。
オスカル、アンドレ、ジェローデル、ソフィアと登場したこの場面で、ジェロにだけピンスポが残り、オスカルへの気持ちを一発歌うくらいに。そんな彼をひとり舞台隅に残ったソフィアが見つめるくらいに。
で、ジャルジェ家の場面に。婚約話に反発するオスカル、でいい。最初にかっこいい軍人姿を披露したのだから、観客も「さっきのかっこいい軍服の隊長さんに、部下だった男と突然『結婚して子供を産め』なんて、すごいことになってるんだな」と理解できる。
ジェロがオスカルを好きで本気でプロポーズしていることも、せっかく出会った美女ソフィアに見向きもせずにオスカルLOVEな歌を歌っていたから、理解できる。
つーことで、「ジェローデルを主役」に、物語を再構築していってみよー。
翌日欄に続く。
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