すごく、緊張していたんだ。

 前日の夜、ベッドに入って、「かなめくんも今ごろ、緊張してるのかなあ。眠れてるのかなあ」と、思った。……べつに、かなめくんのファンだっつーわけでもないくせに。

 わたしが、緊張していた。

 『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』初日。

 がっつり昼食を取ってから出かけたら、ムラに着いたのはけっこういい時間で。ただ座席へ行くだけなら余裕だけど、今日はどりーずメンバーがいろいろ集まってきていて、ついでに知り合いもあちこちにいて、ちょっと歩くと知り合いに声掛けられ……を繰り返し、着席したのは開演5分前。

 坐ってすぐに、緞帳が上がった。無人の舞台が晒される。『凍てついた明日』の世界が、開演を待っている。
 セットは似ている……けれど、「チガウ」という印象。なんかえらく平面的になっていた。
 流れるBGMがまぎれもなく『凍てついた明日』で……どきどきした。

 すごく、緊張していたんだ。
 再び、『凍てついた明日』に出会うことに。

 どれほど、この作品を愛していたか。

 たぶん、人生変わるくらい、入れ込んだ。
 ジェンヌの好みだとか萌えだとか、いろんなことで「好きな作品」は変わるし「好き」にもいろいろあるけれど、それでもやはり、純粋に「物語」としてもっとも好きな作品なんだ。

 それがWSというカタチで再演される……。
 不安と、期待で、落ち着かなかった。
 うん。
 期待、していたんだ。

 なによりも、クリエイター、荻田浩一に。

 今までオギーは、どんな作品でも「ただの再演」はしなかった。オギー自身の言葉でいうなら、「再現」か。
 ハコや出演者が変われば、それに合わせたアレンジをした。大劇場、東宝、博多座、同じタイトルの作品が、公演が変わるごとに別物になっていた。

 新人のお勉強のためのワークショップであったとしても、荻田浩一ならば10年前の初演そのままを、今の若者たちに演じさせたりはしないだろう。なにかしら、アレンジをしてくるだろう。現に、タイトルが別物になっている。
 オギーが、自分の作品をどうするのか。
 興味があった。

 緊張していた。
 わくわくしていた。
 一抹の不安はあった。

 そして。
 幕が、上がった。

 
 別物、だった。

 
 潔いくらい、初演とは別のモノになっていた。

 ストーリーは変わらない。
 多少の加筆修正はあるものの、基本的に場面や台詞も同じ。
 だけど、別物。

 ……オギーのサヨナラショー(芝居・DS含む)の作り方に近い。
 主役さんのこれまでの出演作を全部抜き出し、一旦解体する。ブロックでできた人形を、一度ただのブロックのパーツにまで分解するの。でもって、要所要所のパーツを使い、もう一度よく似た……でも別の人形を作り上げる。
 『アルバトロス、南へ』とか『Over The Moon』とかと同じ……オギーにとってはお馴染みの作り方なんだろう。

 それを今度は、『凍てついた明日』という作品ひとつの中だけでやってのけた、って感じ。

 
 『凍てついた明日』といえばプロローグが秀逸なんだが、まず、プロローグから、別物だった。

 新聞を手に集まってくる人々。
 口火を切るのは、テッド@ヲヅキ。
 際立つ「男役」としての美しさ。他のオーディエンスたちと一線を引いた、役者としての、佇まいの違い。
 そして。

 ヲヅキ新曲キターーっ!!

 いきなり、新曲。
 いきなり、ヲヅキ。

 てか、名曲「ブルース・レクイエム」がないっ。

 『凍てついた明日』といえば、「ブルース・レクイエム」。シビさんが、トウコが歌った歌。
 プロローグとクライマックスでこれでもかと歌われる歌が、ない。

 ぼーぜん。

 ここでもう、かなり後ろアタマを張り飛ばされた気分。
 覚悟して観ろ、ってことか。

 群衆の中のふたり。
 ボニー@みなこちゃんと、クライド@かなめくん。
 ボニーは去り、クライドとテッドの物語がはじまる。

 なんなの、このテルキタっぷり?!

 テッドが最初からクライドLOVE全開です。最初からナニあんたソレ?!

 初演から、テッドはオイシイ役だと思っていた。芝居が出来る人が演じれば、ずっとクローズアップ可能な役だと。
 ヲヅキがテッド役だというので、多少は変更があるだろうとは思っていた。
 思っていたが。
 予想以上だ。

 テッドが、2番手です。

 初演2番手役だったジェレミーは、ひどく比重が下がっていた。
 同じストーリーなのに。台詞も演出も、登場場面ではほとんど変更してないのに。
 一旦バラして再構成された『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』では、テッドが準主役になっていた。

 物語は、ある記者@ハマコの取材、というカタチで進んでいく。
 その記者がずっと、ボニー&クライドの関係者に話を聞く……そんな演出になっていた。
 彼が最初にインタビューした相手が、テッドだったのだろう。最初にクライドを語り出したテッドが……たぶん、物語のひとつの、視点。

 哀切に満ちた世界……そこには、テッドの想いがある。

 「ブルース・レクイエム」は作中で歌われた。
 だが、歌うのはジェレミー@きらくんではない。
 オーディエンスだ。
 この「物語」を外側から見守る……包む者たちが歌う。「物語」の中の人ではない。
 複数の役を演じるハマコも歌いはするが、彼もまた「物語」の外側で「総括」として歌っているにすぎない。

 「物語」の中で「ブルース・レクイエム」を歌うのは、他の誰よりも、テッドだ。

 もっともクライドを愛し、共に生きられないことを慟哭する者……初演では、ジェレミー@トウコだった。
 それが、再演WSでは、テッド@ヲヅキだ。

 この視点変更が、この「物語」を如実に表していると思う。

 下の立場、年少者から見上げてクライドを慕うのではなく……同等の位置、もうひとりのクライドの目線から、「ボニー&クライド」を見つめる。

 際立つ、クライドの若さ。
 その、美しさ。
 危うさ。

 これほどまでに魅力的な凰稀かなめを、見たことがない。

 追いつめられていく青年クライドが、愛しい。

 彼の人間としての未熟さ、いびつさが、悲劇へつながっていく。
 彼はまちがっている。
 だけど、彼はたまらなく魅力的だ。
 その傷ついた瞳を、孤独にとがった背中を、抱きしめたい。

 テッドの存在感があまりに大きく、最初印象が小さくて危惧したボニーは、物語が進むにつれどんどん花を開いてゆく。

 ボニーの持つ、狂気が痛い。
 ひび割れた心が見える。壊れる。彼女は、壊れる。彼女のきらめきは、砕け散る間際の硝子。
 その繊細さ、弱さ。
 クライドと同じ魂が、たしかに見える。

 いやあ、ほんとにえらいこっちゃな別物ぶりで。

 新曲もがんがんあるわ、ミュージカル場面が増えているわで。時間どーすんだ? と思っていたら、フィナーレがなくなっていた。
 なるほど、そこで辻褄合わせしているのか。

 全体的に説明台詞が増えていた。
 初演で「わけがわからない」と言われ続けたからかなあ。すげー説明台詞が耳に付いた。……この程度の話が「わからない」人のことなんて放っておけばいいのに、とつい思ってしまう(笑)。
 あ、説明台詞ってのは、状況についてじゃないよ、植爺じゃないんだから。増えているのは、心理状態についての解説……うわあ。
 仕方ないのかなあ。あたしゃ「そんなもん、いらんのに」って思っちゃったよ。
 なんかすげー「わかりやすい」話になっているのでは?

 ラストシーンの変更も、興味深い。
 このクライドとボニーには、あのラストが相応しいのだろう。

 てゆーかコレ、再演WSじゃない。出演者アテ書きの新作バウじゃん。

 やっぱすげえわ。


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