闇へ沈み、光を乞う。@凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅
2008年5月26日 タカラヅカ 『凍てついた明日』は、タータンの代表作だとは思っていない。
ボニーを演じたぐんちゃんの代表作であり、「ブルース・レクイエム」を歌ったトウコの代表作だと思っている。
タータンの代表作は、他にあると思うよ。『花の業平』とか。
それくらい、月影瞳のボニーは、すごかった。
ボニーという役は、タカラヅカの枠を超え、「女優」としての力量を計られる役だと思う。てゆーかぶっちゃけ、ボニーを高品質で演じられたとしても、「タカラヅカの娘役」としては、得るものは少ないと思うし。純ヒロイン路線のお嬢様が得なくていいスキルばっか身に付くぞ。
ボニーが演じられなくても、「タカラヅカ」である以上はべつにかまわない。
……そんな役だ、ボニーって。
ただ、決まったからにはとことん演じて欲しい。
内側にあるものを、骨惜しみせずさらけ出して欲しい。
人間の弱さ、汚さ、愚かさ、そーゆー、ヅカ的ではないものを全部見せてほしい。
そう思っているから。
『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』、Aチームのボニーは、みなこちゃん。
初演とは違い、テッド@ヲヅキが2番手として派手に場を牽引する中でよーやく登場した彼女は、なんか、地味だった。
比重が下がった? ジェレミー@きらくんが「ブルース・レクイエム」を歌わせてもらえず、2番手から「仲間たちの筆頭」にまで比重を下げられていたように、ボニーもヘタしたら「主役」の位置からクライドの相手役その1、にまで下がった? 相手役その2がテッドだから、テッドよりもちろん大きな役だけど、カテゴリは一緒にされちゃった?
そう思えるくらい登場時のテッドはばーんと派手だったし、ボニーは精彩に欠けていた。
が。
物語が進むにつれ、どんどん彼女が大きくなる。
ボニーの孤独が、大きくなる。
彼女が抱える閉塞感、絶望感が、胸に痛い。
「触れ合った指先が、冷たく凍りつく」……触れ合えばふつー、あたたまるはずなのに。
もう誰も、彼女の孤独を癒すことはできない、溶かすことはできない。
別の人間、別の孤独。
だけどクライド@かなめくんとボニーは同じ心の深淵を見つめながら、出会ってしまう。
かなめくんとみなこちゃんの、演技力にはかなり差がある。や、残念ながら。
みなこちゃんが実力で「ボニー」という役を引き寄せているのに、かなめくんは演技しているというよりは、役のイメージに合っているから演じられている、という方が近い。
ふたりは明らかに「チガウ」ものなのに、惹かれ合う。
ふたりの異質さがまた、孤独感をかきたてる。
絶望すら、誰かと分かち合うことはできないんだ。心に開いた穴は同じなのに、別々の傷、別々の飢え。
抱き合ったところで、満たされることはない。
1幕でボニーの孤独が浮き彫りにされ、その孤独感ゆえに彼女が道を踏み外す過程が描かれる。
「ここではないどこか」へ連れて行ってくれるなら、誰でもよかった。彼女が欲しいのはロイ@ガオリくんただひとりだから。ロイでなければ、男は誰でも同じ。ロイを忘れることが出来るなら、誰でもいい、なんでもいい。
もともとチンピラのクライドとはちがい、ボニーはふつーに働き、ふつーにママを愛している女の子だったのにね。
心を蝕む飢えに背中を押されて、彼女は戻れない旅に出る。
命を懸けた、犯罪の旅が、ボニーとクライドには必要だった。
「共犯者」にならなければ、ならない。
互いを縛るモノが必要。
退路を断つ。……そのために、罪を犯す。
もう戻れない。もう出来ない。ふつうの生活をすることも、ふつうの相手と恋をすることも。
そうすることで、彼らは互い以外を選べなくした。
だからボニーとクライドは依存し続ける。
ほんとうに欲しいモノは別にあるのに、見ないふりをして走り続ける。逃げ続ける。
クライドと過ごしはじめたボニーは、孤独感が薄まったかわりに、ひどく不安定になっていた。
迷いと安定と諦観がちらちら回る。
「言葉だけならいくらでもあげる。愛してる、愛してる、愛してる……」
ヒステリックに吐き出す言葉は、彼女の悲鳴だ。
この物語は、「愛してる」という言葉が、さまざまな意味を持って使われる。
「愛は大事なモノじゃない」
と、否定されていたりもするが、それ以上にボニーもクライドも、「愛したい」と切望している人たちだ。
「愛してる?」
という問いの答えが、「愛したい」であること。
愛したい……つまり、「愛していない」んだ。
キライとか興味ないとかじゃなく、共に地獄に堕ちる運命の相手で、道連れで、世界にただふたりきりの相手で、気持ちは相手に向かっているのに。
それでも、「愛していない」んだ。
愛することが出来れば救われる、楽になれるとわかっているのに。
それでも、愛せない。
愛したい。
救われたい。
救いたい。
それでも、心は止められなくて。
クライドに抱かれながら、ボニーが呼ぶのはロイの名前。
ふたりは抱き合っても、あたためあうことができない。触れあっても、凍り付くだけ。
ボニーの不安定さが、折れてしまいそうな危なさが、愛しい。
そして、運命の夜、銃弾に倒れたあとのボニーは、すべてを突き抜けて、答えを得る。
や、このあたりからのボニーが、凄くてね。
心のどこかが砕けてしまった感じ。
まっすぐに立っているはずなのに、どこか傾いているような、平行でない場所に立っているような、気持ち悪さ。
狂ってる。
この女、向こう側へいってしまった。
たしかにここにいるけれど。まだ、いるけれど。
でも心の何割かは、もう戻ってきていない。
こわい。
狂ってしまったボニーが、ただ、こわくて。本能的に禁忌を感じて、ぞくぞくして。
で、こんなこわい女を前にしてクライドはどうするんだろう、と思ったら……。
クライドも、壊れていた。
ボニーとはチガウ。みなこちゃんの凄味のある演技とはちがって。
かなめくんは……なんつーんだろ、浮いて、いた。
みなこちゃんのボニーは、沈み込んでいるの。彼女の狂気は、重い。息苦しい。
対するかなめくんの壊れ方は、軽く、薄い。外側からぱりぱりと壊れている感じ。
……悪い意味ではなくて。
同じように「こちら側」をあとにしてしまったふたりが、ボニーは闇へ沈み込み、クライドは白く透き通って浮かんでいく……その違いこそに、心が震えた。
こんな、絶望って。
ここまでチガウふたりが、同じ絶望を見ている。同じ闇を見ている。
そしてふたりで、あちら側へいってしまうんだ。
「俺を置いていく気か?!」……すがるジェレミーを一顧だにせず。
そして、己れの片翼を見出したあとのボニーの聖母のような微笑みが、かなしくてせつなくて、やさしくて、泣けた。
壮絶、だなあ。
みなこちゃんのボニーは、壮絶、だった。
冒頭の影の薄さから、ここへたどり着くとは思わなかった。
最初が弱かったのは、初日だからかな。次に観に行くときは、ちがっているかな。
彼女が役者としてどこまで見せてくれるのか、成長するのかが、たのしみだ。
ボニーを演じたぐんちゃんの代表作であり、「ブルース・レクイエム」を歌ったトウコの代表作だと思っている。
タータンの代表作は、他にあると思うよ。『花の業平』とか。
それくらい、月影瞳のボニーは、すごかった。
ボニーという役は、タカラヅカの枠を超え、「女優」としての力量を計られる役だと思う。てゆーかぶっちゃけ、ボニーを高品質で演じられたとしても、「タカラヅカの娘役」としては、得るものは少ないと思うし。純ヒロイン路線のお嬢様が得なくていいスキルばっか身に付くぞ。
ボニーが演じられなくても、「タカラヅカ」である以上はべつにかまわない。
……そんな役だ、ボニーって。
ただ、決まったからにはとことん演じて欲しい。
内側にあるものを、骨惜しみせずさらけ出して欲しい。
人間の弱さ、汚さ、愚かさ、そーゆー、ヅカ的ではないものを全部見せてほしい。
そう思っているから。
『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』、Aチームのボニーは、みなこちゃん。
初演とは違い、テッド@ヲヅキが2番手として派手に場を牽引する中でよーやく登場した彼女は、なんか、地味だった。
比重が下がった? ジェレミー@きらくんが「ブルース・レクイエム」を歌わせてもらえず、2番手から「仲間たちの筆頭」にまで比重を下げられていたように、ボニーもヘタしたら「主役」の位置からクライドの相手役その1、にまで下がった? 相手役その2がテッドだから、テッドよりもちろん大きな役だけど、カテゴリは一緒にされちゃった?
そう思えるくらい登場時のテッドはばーんと派手だったし、ボニーは精彩に欠けていた。
が。
物語が進むにつれ、どんどん彼女が大きくなる。
ボニーの孤独が、大きくなる。
彼女が抱える閉塞感、絶望感が、胸に痛い。
「触れ合った指先が、冷たく凍りつく」……触れ合えばふつー、あたたまるはずなのに。
もう誰も、彼女の孤独を癒すことはできない、溶かすことはできない。
別の人間、別の孤独。
だけどクライド@かなめくんとボニーは同じ心の深淵を見つめながら、出会ってしまう。
かなめくんとみなこちゃんの、演技力にはかなり差がある。や、残念ながら。
みなこちゃんが実力で「ボニー」という役を引き寄せているのに、かなめくんは演技しているというよりは、役のイメージに合っているから演じられている、という方が近い。
ふたりは明らかに「チガウ」ものなのに、惹かれ合う。
ふたりの異質さがまた、孤独感をかきたてる。
絶望すら、誰かと分かち合うことはできないんだ。心に開いた穴は同じなのに、別々の傷、別々の飢え。
抱き合ったところで、満たされることはない。
1幕でボニーの孤独が浮き彫りにされ、その孤独感ゆえに彼女が道を踏み外す過程が描かれる。
「ここではないどこか」へ連れて行ってくれるなら、誰でもよかった。彼女が欲しいのはロイ@ガオリくんただひとりだから。ロイでなければ、男は誰でも同じ。ロイを忘れることが出来るなら、誰でもいい、なんでもいい。
もともとチンピラのクライドとはちがい、ボニーはふつーに働き、ふつーにママを愛している女の子だったのにね。
心を蝕む飢えに背中を押されて、彼女は戻れない旅に出る。
命を懸けた、犯罪の旅が、ボニーとクライドには必要だった。
「共犯者」にならなければ、ならない。
互いを縛るモノが必要。
退路を断つ。……そのために、罪を犯す。
もう戻れない。もう出来ない。ふつうの生活をすることも、ふつうの相手と恋をすることも。
そうすることで、彼らは互い以外を選べなくした。
だからボニーとクライドは依存し続ける。
ほんとうに欲しいモノは別にあるのに、見ないふりをして走り続ける。逃げ続ける。
クライドと過ごしはじめたボニーは、孤独感が薄まったかわりに、ひどく不安定になっていた。
迷いと安定と諦観がちらちら回る。
「言葉だけならいくらでもあげる。愛してる、愛してる、愛してる……」
ヒステリックに吐き出す言葉は、彼女の悲鳴だ。
この物語は、「愛してる」という言葉が、さまざまな意味を持って使われる。
「愛は大事なモノじゃない」
と、否定されていたりもするが、それ以上にボニーもクライドも、「愛したい」と切望している人たちだ。
「愛してる?」
という問いの答えが、「愛したい」であること。
愛したい……つまり、「愛していない」んだ。
キライとか興味ないとかじゃなく、共に地獄に堕ちる運命の相手で、道連れで、世界にただふたりきりの相手で、気持ちは相手に向かっているのに。
それでも、「愛していない」んだ。
愛することが出来れば救われる、楽になれるとわかっているのに。
それでも、愛せない。
愛したい。
救われたい。
救いたい。
それでも、心は止められなくて。
クライドに抱かれながら、ボニーが呼ぶのはロイの名前。
ふたりは抱き合っても、あたためあうことができない。触れあっても、凍り付くだけ。
ボニーの不安定さが、折れてしまいそうな危なさが、愛しい。
そして、運命の夜、銃弾に倒れたあとのボニーは、すべてを突き抜けて、答えを得る。
や、このあたりからのボニーが、凄くてね。
心のどこかが砕けてしまった感じ。
まっすぐに立っているはずなのに、どこか傾いているような、平行でない場所に立っているような、気持ち悪さ。
狂ってる。
この女、向こう側へいってしまった。
たしかにここにいるけれど。まだ、いるけれど。
でも心の何割かは、もう戻ってきていない。
こわい。
狂ってしまったボニーが、ただ、こわくて。本能的に禁忌を感じて、ぞくぞくして。
で、こんなこわい女を前にしてクライドはどうするんだろう、と思ったら……。
クライドも、壊れていた。
ボニーとはチガウ。みなこちゃんの凄味のある演技とはちがって。
かなめくんは……なんつーんだろ、浮いて、いた。
みなこちゃんのボニーは、沈み込んでいるの。彼女の狂気は、重い。息苦しい。
対するかなめくんの壊れ方は、軽く、薄い。外側からぱりぱりと壊れている感じ。
……悪い意味ではなくて。
同じように「こちら側」をあとにしてしまったふたりが、ボニーは闇へ沈み込み、クライドは白く透き通って浮かんでいく……その違いこそに、心が震えた。
こんな、絶望って。
ここまでチガウふたりが、同じ絶望を見ている。同じ闇を見ている。
そしてふたりで、あちら側へいってしまうんだ。
「俺を置いていく気か?!」……すがるジェレミーを一顧だにせず。
そして、己れの片翼を見出したあとのボニーの聖母のような微笑みが、かなしくてせつなくて、やさしくて、泣けた。
壮絶、だなあ。
みなこちゃんのボニーは、壮絶、だった。
冒頭の影の薄さから、ここへたどり着くとは思わなかった。
最初が弱かったのは、初日だからかな。次に観に行くときは、ちがっているかな。
彼女が役者としてどこまで見せてくれるのか、成長するのかが、たのしみだ。
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