原作関係なし、舞台の上で表現されたものだけを素材に、『愛と死のアラビア』を作り直してみよう!その2。
 イチから作るのではなく、今すでにあるクライマックスを「変えてはならない」として、コレを盛り上げるためにナニが必要かを考える。

 
 クライマックスで「イギリス人なのに、エジプトのために処刑を受け入れるトマス」を「はあ?」「唐突過ぎ」にしないために、前もって仕掛けをしておかないとならない。
 そのためのひとつは、「現在のエジプト情勢」をわかりやすく描くことだった。
 クライマックスでトマス自身が怒濤の説明台詞で解説しているように、エジプトはオスマン帝国の支配下にあり、エジプト太守ムハンマド・アリはエジプトの独立を目指している。
 説明台詞で状況はわかるけれど、そこで一気に「そうだったのか」と思わせるよりも、全体を通して「オスマンに支配されてるエジプト可哀想、ムハンマド・アリって大変」と思わせておいた方が、最後のトマスの決断が映える。
 トマスが味方するモノと、その「敵」との関係を、整理しておく必要があるんだ。

 
 さて、「敵」をわかりやすく配置したことで、その敵と戦うためにトマスが犠牲になるという図式は明解になったと思う。
 次に必要なのは、やっぱ「何故他国のためにそこまでするのか」だよな。

 トゥスンたちへの友情、というだけでは弱い気がするんですが、わたしは。
 トゥスンや騎馬隊の面子を好きだからといって、個人への愛情を彼らの国とイコールにするっつーのは、無理があると思うわたしは薄情ですかね?
 「宗教」という壁もあるしな。習慣や価値観のちがいもあるしな。

 敗者の持ち物を略奪したり、女をモノ扱いしたりと、トマスとエジプト人たちにはずいぶんな隔たりがある。
 それらに疑問や違和感を持つところが描かれ、そのまんまの価値観を受け入れたという記述はないのに、その受け入れがたい価値観の国のために死ぬの?

 これらを解決する方法。

 個人ではなく、「国」への愛情を、トマスに語らせておく。

 きっかけはトゥスンとの友情であってもいい。なんでもかんでも「男女の愛」に無理矢理こじつけた変な歌を歌わせるヒマがあったら、「美しいエジプト」の歌でも歌わせてくれ。

 『愛と死のアラビア』の気持ち悪いところは、テーマソングが無理矢理「男女の愛」を歌ったものになってるのね。
 男女の愛なんか、カケラも描いてないくせに。
 アノウドと出会ったあとのトマスの銀橋ソングは「風俗の違いがふたりを隔てる」みたいなことを歌っているが、ふたりって誰だよ? アノウドは気絶していて会話もしていないから、「隔てる」とは言わない。
 アラブ的な価値観と自分との断絶感を思い悩む場面なんだから、ここで「男女の愛」的な歌詞はおかしい。つか、キモチワルイ。
 また、アノウドが奴隷となってトマスの前に現れたときの、トマスの絶望ソングも、「愛の迷い道」で恋人同士の男女の歌だ。アノウドとはまだ恋愛以前、どう考えても「風俗の差」にショックを受ける前回と同じメンタル位置なのに。ここで「ふたりを隔てる」歌を歌うならわかるんだが。

 トマスの銀橋ソングはふたつとも、芝居の内容と関係さなすぎて無駄なんだよな。
 むしろマイナスだ。物語の進行とチガウことを思い悩まれても、トマスの人格がやばくなるだけ。
 「仕事で会社のやり方、考え方と意見が合わない。俺にとって今の仕事って、会社ってなんだろう?」と悩んでいるときに「愛の迷い道」と歌われてしまったら、変な人でしょ。アタマの中、女のことしかないの? 

 わけのわからん愛の歌はやめて、「エジプトはいい国だー、イギリスも大切だけど、この国のことも愛しはじめちゃってるよ俺」てな歌を歌わせてくれ。

 それから、避けては通れない「宗教」の話。
 わたしは宗教はよくわかんない現代日本人なんで、イメージだけで語ることになるが。

 トマスは「オマエなんか所詮イギリス人じゃないか」と罵られ、「神はひとつなのです」という持論を展開するのだが。
 観ていていつも、「うわー」と思う。
 イスラム教徒の前でんなこと言ったら、殺されちゃうんじゃないの?
 たしかに神はひとつかもしれないし、そーゆー考え方もアリだけど、ものは言いようだ。

 トマスはふたつの宗教と神を「ひとり」だから「同等」として語っているつもりなんだろうけれど、他の神や宗教を認めない人たちの前で「同等」てのは、同等ではなく、「我が神を辱められた」となるんじゃないのか? 自分を人間だと思っているのに、「人間とサルは同じなのです」とサルに言われたら「サルと一緒にするな、バカにしてんのか?」になるだろう。
 トマスがどちらの陣営にも籍を置かないオブザーバーならともかく、片方の立場から言っても、不平等感にあふれている。

 だってトマスは、イスラム教に改宗しない。
 「神はひとり」と言ってキリスト教のままってことは、「キリスト教の神を、イスラム教徒が勝手に別の名前で呼んでるだけだから、俺はキリスト教徒のままでいい」と言っているわけだよね。主体はキリスト教、イスラム教はその下。
 ……ものすげー、宗教否定してますが、いいんですか、トマス。愛するトゥスン他エジプト人たちの根幹を見事に否定してますが。
 
 「神はひとり」と演説するなら、その場で改宗しなきゃダメだよ。
 言動不一致もいいとこ。「神はひとり、自分が信じていた神は、アッラーのことだったんだ!」と改宗するなら、彼らを否定していないことになるが、今のままではトマスはただの空気読めないバカ男だ。

 エジプトを認め、愛するのなら、彼らの宗教をも受け入れなきゃ。
 「女の子と今すぐえっちするために」改宗するのではなく、「どれだけエジプトを愛しているか」を表すエピソードとして、堂々と改宗を宣言してくれ。
 「インシャラー」とのーてんきにそれまでの人格や雰囲気ぶち壊してコメディチックに歌い踊るヒマがあったら、「美しいエジプト」の歌でも歌い、みんなと合唱でもしてくれ。
 谷せんせ的には、トマスがエジプトに馴染み、その風習を受け入れたということを示す場面のつもりなんだろうけれどな、「インシャラー」。
 ……個人的に「インシャラー」場面は好きだけど。この平坦にだらだらしまくった物語で、あそこの3兄弟のかわいさを愛でることが、リピートしまくってる人間には救いになっているのはたしか。でも、リピーター用の癒し場面より、「物語」を破綻なく進める方が大事だから。
 

 エジプトの「敵」を明確にし、トマスが「エジプト」を愛し、そこで生きることを決意する。
 だからこそ、エジプトの未来のために死を選ぶんだ。

 あのクライマックスにたどり着くために、計画的に準備をしておかなければならないってば。


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