まとぶんのお被露目、新生花組スタート。
 『愛と死のアラビア』というタイトルなのに、幕が上がれば金ぴかの古代エジプト・ショー。

 オープニングを派手にしたかったキモチはわかる。派手な方がうれしいのも事実。
 しかし。

 古代エジプトで、ホルス神はイカンやろ。

 舞台が古代エジプトや、あるいは現代のエジプトならべつに、まとぶがホルス神をやってもかまわない。
 古代なら、オープニングがそのまま、これからはじまる物語の時代と世界観の説明になるし、現代ならべつに取り立てて説明しなくてもいいから「エジプトって言えばピラミッドでスフィンクスだよねー」という「記号」としてのイメージを利用するのもアリだ。
 されど。
 19世紀初頭のエジプトという、現代日本人に馴染みのない時代が舞台なんだ、観客を混乱させてどうするよ?
 オープニングで別時代を長々とやって、肝心の時代説明を本編内でまた1からやり直し……って、コレいったい何十時間ある芝居? そんな無駄はマイナスでしかない。

 江戸時代舞台の下町人情モノなのに、「派手な方がイイよね!」てな理由だけでオープニングが突然豪華絢爛「平安王朝絵巻」、本編と関係まったくナシ! 無理矢理関係をこじつけると「主人公ってまるで光源氏みたいだよね」という台詞がひとつ本編内にある、つーだけ!! 本編はじまってから怒涛の説明台詞、立て板に水、時間足りなくてストーリー尻切れトンボ。
 ……華やかな十二単と狩衣の平安絵巻をやりたいなら、最初からソレをやってろよ、青天の江戸モノなんかやらないで。
 無理矢理別物のオープニングでっちあげられても、作品を壊すだけだっつの。

 金ぴか衣装で、スフィンクスの目ぴかー、ピラミッドぱかー、がやりたいなら、最初から古代エジプトモノをやってろっつの。
 て、話ですな。

 この古代エジプトのオープニングはNG。
 「派手なのはいい」けど、本編を損なうよーなもんはやめとけ。
 本編の世界観と同じで、時代背景の説明……にならなくても、最低限客を混乱させないモノにするべきだ。

 19世紀初頭の風俗で派手にすることはできるだろうに。
 本編の色合いが濃く暗くなりがちだから、オープニングでギャップを狙ったのかもしれない、とは思う。わざと「本編とは関係ない風俗」でインパクトを作りたかった、とか?
 それにしても、「本編と関係ない」モノにする必然性がない。んじゃこれからのヅカ舞台は日本物でも中国モノでもすべて「ごらんなさい、ごらんなさい♪」で小公子と小公女の踊る『ベルばら』オープニングにしてもイイってことになる。
 「派手にしたかった」「インパクトが欲しかった」のだとしても、「本編と関連性の深い」オープニングは作れる。

 タイトルが『愛と死のアラビア』で、あちこちに貼ってあるポスターが生首風船みたいなアラブ衣装の登場人物たち。
 アラブだと思うじゃん? ポスター衣装の人たちが出てくると思うじゃん?

 なのに、幕が上がるなり、そこは。

 軍服+ドレスで豪華絢爛オープニング!!

 はい、舞台は19世紀初頭。ロンドンではガス灯が点っている時代です、ふつーに近世ヨーロッパ世界ですから。
 イギリス19世紀舞台の『Ernest in Love』とかの衣装感覚で行きましょう。タカラヅカ・ファンがいちばん大好きな西洋コスチュームモノ、男は燕尾かフロックコート、はたまたキラキラの軍服、女性は後ろのふくらんだロングドレス。
 「派手」「本編とはまったくチガウ見た目」「インパクト」という意味でなら、これ以上のモノはないでしょー。

 そして、キラキラの白軍服で登場するのがトマス@まとぶんだ。

 物語ではトマスはただの一兵卒だけど、オープニングではお約束の王子様的衣装ヨロシク。ドナルド@みわっちもイギリス軍の中に、ひとりだけチガウ衣装(お約束)でまざっていること。

 トマスは、軍服姿も華やかなイギリス軍を率いて踊る。銀橋で歌う。

 これだけどーんっと「西洋世界」をやった上で。

 重々しくも煌びやかなアラブ衣装を身につけたエジプト軍が登場する。音楽も西洋モノからアラビアへ。
 エジプト軍を率いるのはイブラヒム@ゆーひ。
 さらにベドウィン音頭のアレンジバージョン引っ提げて、トゥスン@壮と砂漠の狼ベドウィンたち登場。

 視覚、音楽でこれでもかと派手に……そして、ふたつの、異なる文化を印象づける。

 トマスはあのわたしたちに馴染み深い西洋モノの世界から、アラブ世界へ飛び込むことになるんだ。
 長台詞でうだうだ解説する前に、オープニングの派手派手キラキラのなかで、思い知らせてくれ。トマスがどれほどの波乱の運命に身を投じることになるのかを。

 イギリス兵のダンスとエジプト兵、ベドウィンたちのダンスが交互に入るうちに、いつの間にかイギリスな人々は出なくなる。
 たったひとり、軍服姿のトマスが自然と浮き上がるさ。

 金ぴかお姫様衣装で登場したアノウド@彩音と1曲踊ったあとに、アラブな人々総踊り、トマスを中心にイブラヒム、トゥスン、ドナルドを両側に従わせ、これからのトマスの人生を表すように。
 トマスとドナルドだけがイギリス人、異邦人。それを際立たせて。

 イギリスの歴史もややこしいし、エジプトだのアラビアだのの歴史もややこしい。それらを神経質に考えるのはよそに任せておいて、ここではフィクションとしての、「見せるための嘘」を存分に使い、「いかにも19世紀ヨーロッパ」と「いかにも近世アラブ」な風俗を表現する。

 とにかく派手に景気よく。

 そして。
 総踊りの中、ひとり早めに退場したアノウドは、白い衣装に着替えて再登場する。
 ラストシーンで着ている、あの衣装だ。
 トマスもまた、イギリス白軍服の上から、ラストシーンの白い上着を羽織る。イブラヒム、トゥスンが着替えを手伝うこと! 大仰に、意味深げに。

 舞台には、トマスとアノウドの、ふたりだけ。
 イギリスからはじまり、アラブの中のイギリス人だったトマスは、最後にはアラブ衣装を身にまとい、アラブの女性と踊る。
 あんなに派手派手で目に痛いくらいだったオープニングは、白いふたりのデュエット・ダンスで美しく幕を閉じる。
 寄り添い合うふたりで、終わる。

 ……2回目に観たときに「このオープニングって、ラストシーンとリンクしてたのか!」と、わかるよーに。

 
 お化粧の都合で白人を出しにくいのはわかるが、女の子たちを完全な白人にして派手なドレスで着飾らせ、男たちの一部を黒塗りでも薄目の色合いにして西洋衣装でまぜておく分には、誤魔化せると思う。
 女の子たちは大変だろうけれど、なにしろ出番がないので白から黒へのお化粧替えは可能だろう。

 物語とまったく関係ない古代エジプトをえんえんやるより、物語の「プロローグ」として世界説明やキャラクタ紹介を兼ねている方がずっと効率的だろう。

 人ひとりの半生を1時間半の舞台にまとめるんだ、ポイントは「余分な場面を作らない」こと。
 場面転換やショーシーンを挿入するにしても、「物語に関係あるモノ」だけでまかなう。無関係なモノを入れて観客を混乱させない、時間を浪費しない。

 
 とまあ、『愛と死のアラビア』を自分なりに再構築してみようと思う。
 前に語った通り、クライマックスの、トマスの牢獄場面をとことん盛り上げるために、逆から物語に「なにが必要で、なにが不要か」を考える。

 そーするとまず絶対、今のオープニングは、「不要」なんだよな。


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