この物語に、必要なモノは。@愛と死のアラビア
2008年6月12日 タカラヅカ 『愛と死のアラビア』を自分なりに再構築してみようと思う。
原作は関係ナシ現在の舞台にあるストーリーだけをすべてとして、前に語った通り、クライマックスの「トマスの牢獄場面」をとことん盛り上げるために、逆から物語に「なにが必要で、なにが不要か」を考える。
とりあえず前日欄からの続き。
オープニングとエンディングはすでに決まった。
トマス@まとぶ投獄以降はラストまでドナルド@みわっち帰還挨拶、イブラヒム@ゆーひ、トゥスン@えりたん兄弟対決、アノウドへのプロポーズと目白押し、たたみかけるように展開する。
そこは盛り上がって良いんだけど、問題はソレまで。
クライマックスまでに山ナシじゃ、ダレるっての。
ふつうは時系列順にストーリーを考えていくもんだけど、今回は「1時間半でやらなければならないこと」をまず考え、ストーリーの流れを逆算して行こうと思う。
だからオープニングで「世界説明、キャラクタ紹介」をし、クライマックスを牢獄場面と決めたあとは、残りの時間の真ん中より後ろに中詰めを作る。
クライマックスではないが、それに近いくらいばーんと盛り上げるところを、作る。
『愛と死のアラビア』が平板なのは、基本が「ストーリー解説の立ち話」でえんえん話が進み、「ショーシーンはストーリーと無関係のお茶濁し」、「立ち話で無意味に舞台全面を使い、歌とダンスのショーシーンはカーテン前でちんまりと」やっているせい。セリや盆などの大がかりな装置もほとんど使わず、セットも簡素。
これで盛り上がれっつー方が難しい。演出ひどすぎ。
物語のあらすじをひとつずつ追うより先に、「山場」をあちこちに配置する必要がある。そのための「逆算」ね。
イギリス兵士トマスがエジプト捕虜となり、エジプト人たちと触れ合い、ついにはエジプトのために死ぬ物語で、その「死ぬ」と決意するところがクライマックスなのだから、必然的に中詰めは「エジプトに心を寄せる」様を描くことになる。
先に述べた通り、「神はひとり」とエジプト太守ムハンマド・アリ@星原先輩たちの前で宣言する以上、トマスは改宗しなければならない。
つまり、トマスの改宗こそが、中詰めとして相応しいとゆーことだ。
それまでエジプトに惹かれながらもぐるぐる悩んでいたトマスが、ついにエジプトを第2の祖国として受け入れる。
それは、国や民族を越えて、人間同士が愛し合い、信頼し合うことができるということだ。
人間の可能性。
ひとは、わかりあうことができる……壮大なテーマ。
トマスは所詮トマスひとりでしかなく、彼ひとりが「ひとはわかりあえる」と開眼したからといって、それは砂漠の一粒の砂レベルの小さな出来事かもしれない。
それでも彼は、「ひとはわかりあえる」ことに望みを託す。自分のように、いつか多くの人々が他者を受け入れ、自分とチガウ世界や文化を許容し、戦いをやめる日が来る……。
「平和のために戦う」大いなる矛盾。本編中でトマスが自嘲するように。
その矛盾を抱えながら、それでもトマスはエジプトと共に生きる決意をする。
ソレを、これでもかっと、大仰に盛り上げるんだ。
登場人物勢揃いの場で、トマスが祖国への愛を民謡に載せて歌い、その歌は展開して、エジプトへの愛の歌になる。
セリだの銀橋だの全部使って、人数山ほど使って、全員の、壮大な愛の合唱へ。
派手なら派手な方がいいから(笑)、この際もお、人間愛まで話を広げちゃってヨシ。
異邦人トマスが、エジプトを受け入れる。エジプトが、異邦人トマスを受け入れる。国や民族を越えて、理解し合うことは、夢幻じゃない、たしかにある……。
それを、空々しいまでの、タカラヅカ的美しさで盛り上げる。
そこまでドーンっ!!とやっておき、客席から拍手をもらえるようたーーっぷり余韻も取ってから(笑)、次の台詞へ。
「騙されるな、そいつは所詮イギリス人だ」
それまで「イギリスの脱走兵なんか信じられるか、けっ」と言って優位に立っていたはずのアジズ@王子が、立場をひっくり返され「トマス素晴らしい、トマス英雄!」な流れに逆ギレしてトマスを罵倒する。
だから今、「どこの国の人とか関係ない、人間愛万歳」って感動的に盛り上がってたんじゃん、空気読めよ。
つーことで、トマスの決闘宣言へつなぐ。
えー、コレが「中詰め」ね。
オープニング、中詰め、クライマックスが決まったから、あくまでも「逆算」で考えるので、あと「エンタメとして必要な場面」をこの3つの間に挿入する。さっき書いた「山場」たちね。
画面のメリハリっていうか、流れのお約束っていうか。
オープニングが歌とダンスの「世界とキャラ紹介」ショーで、中詰めが歌中心のありがちテーマでわかりやすく感動的場面、クライマックスが芝居中心のドシリアスで悲劇。
この合間にアクセントとして必要なのは、派手な戦闘シーンと、色恋絡みシーンでしょう。
物語を進めるために立ち話ばかりになるのはわかるけれど、それだけじゃ単調だし、飽きてしまう。
立ち話が続いたら、どーんと戦闘シーンを入れる。色っぽいシーンを入れる。そうやって、メリハリを付ける。そして、これらはカーテン前でちまちまやってはいけない。舞台全面使って派手にやる。でないと、意味がない。
ストーリー展開を「解説」するのは、これら「必要な場面」の合間。解説のためだけに「場面」を浪費しない。
さらに、クライマックスを盛り上げるための仕掛けとして「現在のエジプト情勢・世界設定」「アノウドとの愛」「イブラヒム、トゥスンとの友情」を織り込みながら埋めていく。
と、ここまで逆算して、それぞれのパーツを配置したので、今度は最初から時系列順に物語を追って行こう。
文字数が半端なので、一旦切る。
原作は関係ナシ現在の舞台にあるストーリーだけをすべてとして、前に語った通り、クライマックスの「トマスの牢獄場面」をとことん盛り上げるために、逆から物語に「なにが必要で、なにが不要か」を考える。
とりあえず前日欄からの続き。
オープニングとエンディングはすでに決まった。
トマス@まとぶ投獄以降はラストまでドナルド@みわっち帰還挨拶、イブラヒム@ゆーひ、トゥスン@えりたん兄弟対決、アノウドへのプロポーズと目白押し、たたみかけるように展開する。
そこは盛り上がって良いんだけど、問題はソレまで。
クライマックスまでに山ナシじゃ、ダレるっての。
ふつうは時系列順にストーリーを考えていくもんだけど、今回は「1時間半でやらなければならないこと」をまず考え、ストーリーの流れを逆算して行こうと思う。
だからオープニングで「世界説明、キャラクタ紹介」をし、クライマックスを牢獄場面と決めたあとは、残りの時間の真ん中より後ろに中詰めを作る。
クライマックスではないが、それに近いくらいばーんと盛り上げるところを、作る。
『愛と死のアラビア』が平板なのは、基本が「ストーリー解説の立ち話」でえんえん話が進み、「ショーシーンはストーリーと無関係のお茶濁し」、「立ち話で無意味に舞台全面を使い、歌とダンスのショーシーンはカーテン前でちんまりと」やっているせい。セリや盆などの大がかりな装置もほとんど使わず、セットも簡素。
これで盛り上がれっつー方が難しい。演出ひどすぎ。
物語のあらすじをひとつずつ追うより先に、「山場」をあちこちに配置する必要がある。そのための「逆算」ね。
イギリス兵士トマスがエジプト捕虜となり、エジプト人たちと触れ合い、ついにはエジプトのために死ぬ物語で、その「死ぬ」と決意するところがクライマックスなのだから、必然的に中詰めは「エジプトに心を寄せる」様を描くことになる。
先に述べた通り、「神はひとり」とエジプト太守ムハンマド・アリ@星原先輩たちの前で宣言する以上、トマスは改宗しなければならない。
つまり、トマスの改宗こそが、中詰めとして相応しいとゆーことだ。
それまでエジプトに惹かれながらもぐるぐる悩んでいたトマスが、ついにエジプトを第2の祖国として受け入れる。
それは、国や民族を越えて、人間同士が愛し合い、信頼し合うことができるということだ。
人間の可能性。
ひとは、わかりあうことができる……壮大なテーマ。
トマスは所詮トマスひとりでしかなく、彼ひとりが「ひとはわかりあえる」と開眼したからといって、それは砂漠の一粒の砂レベルの小さな出来事かもしれない。
それでも彼は、「ひとはわかりあえる」ことに望みを託す。自分のように、いつか多くの人々が他者を受け入れ、自分とチガウ世界や文化を許容し、戦いをやめる日が来る……。
「平和のために戦う」大いなる矛盾。本編中でトマスが自嘲するように。
その矛盾を抱えながら、それでもトマスはエジプトと共に生きる決意をする。
ソレを、これでもかっと、大仰に盛り上げるんだ。
登場人物勢揃いの場で、トマスが祖国への愛を民謡に載せて歌い、その歌は展開して、エジプトへの愛の歌になる。
セリだの銀橋だの全部使って、人数山ほど使って、全員の、壮大な愛の合唱へ。
派手なら派手な方がいいから(笑)、この際もお、人間愛まで話を広げちゃってヨシ。
異邦人トマスが、エジプトを受け入れる。エジプトが、異邦人トマスを受け入れる。国や民族を越えて、理解し合うことは、夢幻じゃない、たしかにある……。
それを、空々しいまでの、タカラヅカ的美しさで盛り上げる。
そこまでドーンっ!!とやっておき、客席から拍手をもらえるようたーーっぷり余韻も取ってから(笑)、次の台詞へ。
「騙されるな、そいつは所詮イギリス人だ」
それまで「イギリスの脱走兵なんか信じられるか、けっ」と言って優位に立っていたはずのアジズ@王子が、立場をひっくり返され「トマス素晴らしい、トマス英雄!」な流れに逆ギレしてトマスを罵倒する。
だから今、「どこの国の人とか関係ない、人間愛万歳」って感動的に盛り上がってたんじゃん、空気読めよ。
つーことで、トマスの決闘宣言へつなぐ。
えー、コレが「中詰め」ね。
オープニング、中詰め、クライマックスが決まったから、あくまでも「逆算」で考えるので、あと「エンタメとして必要な場面」をこの3つの間に挿入する。さっき書いた「山場」たちね。
画面のメリハリっていうか、流れのお約束っていうか。
オープニングが歌とダンスの「世界とキャラ紹介」ショーで、中詰めが歌中心のありがちテーマでわかりやすく感動的場面、クライマックスが芝居中心のドシリアスで悲劇。
この合間にアクセントとして必要なのは、派手な戦闘シーンと、色恋絡みシーンでしょう。
物語を進めるために立ち話ばかりになるのはわかるけれど、それだけじゃ単調だし、飽きてしまう。
立ち話が続いたら、どーんと戦闘シーンを入れる。色っぽいシーンを入れる。そうやって、メリハリを付ける。そして、これらはカーテン前でちまちまやってはいけない。舞台全面使って派手にやる。でないと、意味がない。
ストーリー展開を「解説」するのは、これら「必要な場面」の合間。解説のためだけに「場面」を浪費しない。
さらに、クライマックスを盛り上げるための仕掛けとして「現在のエジプト情勢・世界設定」「アノウドとの愛」「イブラヒム、トゥスンとの友情」を織り込みながら埋めていく。
と、ここまで逆算して、それぞれのパーツを配置したので、今度は最初から時系列順に物語を追って行こう。
文字数が半端なので、一旦切る。
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