Let’sアタマの体操。『愛と死のアラビア』を自分なりに再構築してみようと思う。
 原作は関係ナシ現在の舞台にあるストーリーだけをすべてとして、できるだけ現在の舞台の場面を使いつつ、切り貼りしてみる。原作知らないからこそできる(笑)。きっと原作を知っていたら、いろいろ足を取られて思考停止すると思うんで、ほんと、舞台だけを材料に考えるぞっと。

 んで、考えれば考えるほど、主要キャラクタを、好きだと思う。
 トマス@まとぶ、イブラヒム@ゆーひ、トゥスン@壮、ドナルド@みわっち、ムハンマド・アリ@星原先輩、ナイリ@一花、みんなすげーいいキャラだ。それぞれハマってる。(アノウドだけは今のままでは主要キャラに入らないっす)

 わたし、なんだかんだいったところで谷正純作品は概ね好きなんだ(植爺作の演出作品除く)。谷せんせが描くところのキャラクタにはツボがある場合が多いし、少年ジャンプ的英雄主義も好きだ。その手段としての皆殺しは到底好きになれないが、幼いほどの単純さで男子的正義に美学を感じるのは、アリだと思っている。

 『愛と死のアラビア』のキャラクタたち、彼らを好きだと思い、彼らにわくわくする。
 だからこそ、彼らの「物語」を追っていきたいと思う。わたし自身がキモチいいように(笑)。

 『愛と死のアラビア』で気になるのは、ぶった切り感。やりっぱなしの投げっぱなし。いかにも「時間足りませんでした」「てきとーにカットしました」という制作側の事情が見える。
 ストーリーを進めるための「立ち話」の連続、地味でダラダラとした話運び。
 せっかく主要キャラには萌えがあるんだから、どーんと盛り上げたい。どーんと。
 

 人ひとりの半生を1時間半の舞台にまとめるんだ、ポイントは「余分な場面を作らない」こと。
 場面転換やショーシーンを挿入するにしても、「物語に関係あるモノ」だけでまかなう。無関係なモノを入れて観客を混乱させない、時間を浪費しない。

 従って、オープニング直後の、黒装束の女が歌い、奴隷女が嘆きのダンスを踊るカーテン前場面はいらない。
 物語に無関係な「雰囲気を出すためだけ」の人たちは使わない。雰囲気を出したければ、「物語の中で、登場人物を使って」やれ。

 いかにもアラブなあの場面は、オープニングで本編の内容と無関係な「古代エジプト」をやってしまったせいでしょ? 「さっきのはナンチャッテでしかなく、ほんとはこーゆー世界だよ」と言うためでしょ?

 先日欄で語った、歌とダンスの「世界とキャラ紹介」ショーであり、ラストシーンとリンクする、白い衣装で寄り添い合うトマスとアノウド、で幕を閉じたオープニングなので。

 その直後、カーテン前に現れるのは悪役オスマン帝国権力者と、その取り巻きマムルークたちだ。
 いかにもアラビア〜〜ンな人々が、周囲で踊るなりして「権力とカネまみれ」を印象付け、ちあきねーさんはここで美しいソロを披露し、奴隷の踊り子@みほちゃんは見事なダンスを披露する。
 カーテン前なんで立ち話になってしまうが、悪役たちは「イギリスとの戦争が長引いて、エジプトが独立を考えないよーになればいいんだ、くくく」とか、現在のエジプトの状態を丁寧に教えてくれる、と。
「そういえば、噂を耳にしました。『ハヤブサの目を持つ男』がいるとか……」
「ハヤブサの目を持つ男?」
 前振り完璧、ジャジャーンと音楽付きで幕が開き、主役登場(植爺・谷お約束の主要人物登場シーン)!!

 はい、トマスさん出番です、スコットランド民謡「ロッホ・ローモンド」を歌いながら出て来て下さい。ただし、軍服のままで。

 このエジプトで、彼が異邦人であること、祖国に愛があることを、服装でも表して下さい。戦闘の末捕虜になったわけだからあちこち汚れているけれど、あくまでもイギリス人だと一目でわかる姿でいること。
 で、遅れて登場する軍医ドナルド氏も、多少アラブ的変化はあるにしろ、基本軍服のままでヨロシク。そして、「なつかしいな、祖国の歌か」と、トマスが歌っている歌の解説して下さい。
 そっから、エジプトで捕虜生活しているんだと会話を続けて下さい。

 オープニングにイギリス兵としての、彼らの戦闘シーンがあったわけだから、「説明台詞の羅列」にはならない。ああ、そういやイギリスとアラブな人たちが戦ってたわね、と観客に思い出してもらう。

 そして、ここが大きなポイント(笑)なんだが、トマスの腕の治療場面は、観客から隠す。

 や、どう考えても変だから。服の上から治療するのは。
 ドナルド先生が藪医者にしか見えません。
 彼を医者として優秀だとするなら、服の上からてきとーなことをさせちゃいけない。
 長椅子の側に衝立を置いておくとかして、治療をしているところは見せない。
 衝立からはトマスの顔があざとくチラチラ見えて、苦しむとこは適度に見せてやってください(笑)。Mな表情のまとぶさんを見せることは、サービスなんでしょう?(あれ、チガウのか?)
 で、治療が終わったら出てくる。それまで血が滲んでいた包帯が、新しいものに変わっていれば、「治療した」とわかるだろう。

 ドナルド先生の「兵士をひとり死なせた」話は衝立を出てからだから、ちょっと間をおいて。
 敵国の兵士も差別なく助けようとし、救えなかったことに心から傷つく……ドナルドの高潔さ、優しさを表すエピソードではあるが、それだけではまだ足りない。
 ガス灯もない後進国だから昼間にトマスを治療しに帰ってきた……のではなく、心の疲労を友人に癒して欲しくて戻って来たことを、トマスとドナルドの友情関係を明確にする。その方がクライマックスのふたりの別れが盛り上がるからな。
 愚痴をこぼしたドナルドに、一言「キミの顔を見たら元気になった」とかなんとか言わせるだけでいい。
 あとは照れ隠しでドナルドが「兵士たちの噂話」をトマスに教える。「ハヤブサの目を持つ男」と呼ばれていることを。

 で、イブラヒム登場。

 ここでのポイントは、もったいつけるだけつけて、射撃の腕を披露する。

 イブラヒムの肩を借りて的を撃ち落とすトマス。
 ここで、もったいつける。
 狙ってからすぐに撃つのは腕の良さを表すために必要かもしれないが、あっけなさすぎると、凄いことが伝わりにくい。
 狙いに入るまでに視線をぐるりとさせて周囲を威嚇したり、イブラヒムの様子を伺ったりし、その間緊迫した音楽を流す。
 そして、撃ち落とすなり、派手に効果音をつけ、兵士たちにマイクに入る声で、ちゃんと台詞として「撃ち落としたぞ」「信じられない」と騒がせる。今はモブとしてマイク関係無しで騒いでるだけだよね。

 イブラヒムが「ハヤブサの目を持つ男……!」と感嘆するところも音楽で盛り上げ、どれだけすごいことか、ありえないことをやってのけたのかを、印象づける。

 それだけ感服ムードになっているのに、トマス自身が軽く笑って「銃の性能だよ」といなしてしまうから、かっこいいんだ。

 腕を披露するところが大仰であった分、イブラヒムもトマスの言葉を謙遜だとわかっている……と、観客にも伝わる。
 だからこそトマスは精鋭部隊の教育係として派遣されることになる。

 はい、続く。


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