アタマの体操、ココロの運動、『愛と死のアラビア』を自分好みに再構築してみようと思う。萌えは明日の活力だ!
 原作は関係ナシ、現在の舞台にあるストーリーだけがすべて。
 
 プログラムも脚本が載ってないらしい「ル・サンク」も買ってないんで、場面名とかさっぱりわからん。あ、新公プログラム見ればいいのか!!(今気づいた)
 昨日欄からの続き、イブラヒムが「ベドウィン騎馬隊の訓練をしろ」っつって退場したあと。

 
 人ひとりの半生を1時間半の舞台にまとめるんだ、ポイントは「余分な場面を作らない」こと。
 場面転換やショーシーンを挿入するにしても、「物語に関係あるモノ」だけでまかなう。無関係なモノを入れて観客を混乱させない、時間を浪費しない。

 「第6場 悠久のナイル」という場面はまるっと削除。
 役がない、見せ場がない、ための救済処置としての場面ならば、「物語に関係あるモノ」にしてくれ。場所の移動、時間の流れを表していることはわかるが、んな悠長なことをやっている時間はないんだ。
 彼らの出番の埋め合わせはあとからするから、今は全カット。女豹ちゃんたち好きだけどさ〜〜。

 前景からトマスとデジュリエ大佐@はっちさんが残り、異を唱えるトマスを大佐が説得する場面、会話はそのまま花道に移動する。
「俺はイギリス人だ、敵兵の訓練なんかできるか、処刑するならしろ、ちくしょー」
「まあまあ(笑)」
 てな会話を、下手花道でする。

 その間にカーテン前に次々にベドウィンたちがスタンバる。ええ、ちゃんと客席に顔を見せてひとりずつ登場、キメポーズで静止。観客にゆっくり顔を眺めさせる。
 この登場シーンが、それぞれキャラクタの性格を表すモノなら、なおヨシ。や、彼らにどんな性格があるかさっぱりわからんが。ザイド@まりんは豪快に、ヤシム@だいもんはかわいらしく、とか。あとの人たちもなんとかがんばって客席アピールしてくれ。もっと自由に、個性的に。
 でもって、トゥスンに、せり上がりさせてやってくれ。
 ベドウィンたちと一緒くたな登場はあんまりだ、彼も特別扱いしてやってくれ。全員がポーズを決めて静止している真ん中に、トゥスンがせり上がって来るの。

 命乞いのために敵に手を貸すのではなく、エジプトの独立を助けるために教育係をやってみれば、と言われて何故か「ハヤブサの目を持つ男……?!」とトマスが言う代わりに(つか、この台詞謎過ぎだから絶対カット)、
「キミがこれから行くベドウィン騎馬隊は、生半可じゃないぞ」
 てなふーに大佐に脅され、
「ベドウィン騎馬隊……砂漠の狼……!」
 とトマスがつぶやくところでトマスたちへのスポットライトが消え、反対に本舞台カーテン前のトゥスンたちにばんっとライトが当たる。この台詞のタイミングに合わせてちょーどトマスのせり上がり完了、ベドウィン音頭がはじまる。

 で、大忙しだトマス、ベドウィン音頭が終わる前にアラビア衣装に着替えて、再登場だ。

 そう、このために、それまではトマスにアラブ衣装を着せないの。
 時の流れとトゥスンへの友情を、衣装を替えることで表現。
「トマスの旦那、アラブ衣装が似合いますね」「生まれたときから着ていたみたいだ」とか、ベドウィンたちに気軽に声をかけさせ、トマスも笑顔で軽口を返す。
 「みんな同じ顔に見える、衣装で主役が誰か覚える」ヅカ初見の人にもやさしい展開(笑)。そうか、あのイギリス人の人が、あのアラブ衣装の人なのね!! アラブ服を着ることにしたのね!

 で、トマスとトゥスンに「キミは素晴らしい」「キミこそステキだ」といちゃいちゃさせておいて、ザイド登場、マムルークたちの顔見せ、ときて、盗賊団襲撃。
 えー、ここで疑問が。
 トマスは射撃を教えるために騎馬隊にいるんだよね?
 でも騎馬隊のみんな、銃使って戦ってないやん。
 唯一銃を使うトゥスンはまったく役に立ってないやん。
 これじゃトマスはなにしに行ったのやら、「無能」というレッテルを貼られてしまいますよ?
 トゥスンを「司令官としての才能がある」と誉めるわりに、部隊の指揮をトゥスンには取らせず、全部自分が仕切る。トゥスンを「無能」だと言ってるのと同じでは……?

 弟を殺された男@まっつの件もいらないから(ごめん、まっつ……)、ここは、ベドウィン騎馬隊の勇姿を見せよう。
 トマスは指揮を執らない。「教えた通りにやって見せろ」とトゥスンに発破を掛けるだけでイイ。
 トゥスンがえらそーにイキイキと指揮を執り、そのあとでトマスを振り返る。お目々キラキラさせて、飼い主を見るワンコの顔で。そしてトマスが「ああ、いいぞ」と頷く。トゥスンを肯定してやる。
 それで、「司令官として成長しているトゥスン」「トゥスンを導くトマス」として、それぞれ「かっこいい」ことになるだろうに。
 植爺と谷のよくやる失敗に「否定することで、主役を上に見せる」とゆーのがある。誰かを持ち上げたいとき、誰かを貶めるの。そーすることでしか持ち上げられないの。
 意気揚々と戦闘指揮を執るトゥスンをわざわざトマスが完全否定して自分が全部仕切り直す。それでトマスが「かっこいい」ことにしてるの。
 チガウから。否定するのではなく、肯定するの。かっこいいトマスを描くためには、まず、かっこいいトゥスンを描き、それを肯定してやるトマスを描くことで、彼がさらに上の存在だと表すのよ。

 それからふたりは、花道に移動。
 本舞台は、ベドウィン騎馬隊と盗賊団の戦闘シーンになる。

 もちろんダンスだ。
 銃を持ってベドウィンたちが踊るんだ。ちゃんと銃の訓練をトマスから受け、無敵になったことを表す。
 まりんとまっつと主要な男役たちは、ここでダンスの傍ら「戦闘の歌」でも歌っててくれ。

 トマスとトゥスンはライフルを手に花道からソレを見守る。彼らもパートを分けて戦闘の歌を歌う。
 反対側の花道には、悪者のマムルークたちが、いかにもわるそーに佇み、様子を伺っている。

 セリを上下させ、盆を回し、とにかく派手にやってくれ。
 地味なんだよ今のままでは。突っ立って会話ばっかしてるイメージなんだよ。
 『愛と死のアラビア−高潔なアラブの戦士となったイギリス人−』というタイトルなのに、今のままだとトマスはまったく戦ってないし、アラブの戦士にもなってない。
 戦争物なんだから、戦闘シーンは必須。や、血なまぐさいものが見たいわけではないから、表現はあくまでもタカラヅカらしく、ダンスとして。
 女の子たちの出番が少ないので、「戦いの女神」と称して抽象的に登場。戦う男たちの後ろで、同じ振りで明らかにチガウ存在として踊らせる。コロスであるとわかるよーに、衣装は女豹ちゃんたちくらいアラブとは無関係にな。
 「悠久のナイル」で出番カットされたみなさんは、男女共にここで取り返してくれ。

 そして、戦いの女神に翻弄されながら、アノウド登場。彼女も踊らせるんだ。ときおり舞台を暗くしアノウドひとりを浮かび上がらせたりして、印象づける。あのひとりだけアラビア衣装を着た女の子も、イメージだけの存在なのかしら、と思わせておいて、物語を進める。
 盗賊たちが敗北し、ベドウィンたちはお宝にむさぼりつく。それを見ているトマスはとまどいを顕わにする。花道から本舞台へ移動しながら、宝を差し出されても受け取らない。
 「女がいるぞぉ」と、さきほどコロスたちに翻弄され、舞台隅に倒れ伏していたアノウドをベドウィンのみつるが引きずり出す。侍女のれみちゃんが「お嬢様になにをするの!」と登場し、ふたりで逃げまどい……あとは一緒。
 トマスとベドウィンたちのやりとりの間、セリを利用して、ベドウィンのテントを出しておく。

 つーことで、続く。


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