ヒロインが、替わっていました。
雪組WS『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』。主役のクライド@かなめがAチームBチーム通して替わらず、ヒロインのボニー役がAチームみなこちゃん、Bチームがさゆちゃん、とWキャストであることは、最初からわかっていた。
だからBチームを観劇して、Aチームとヒロインが役替わりしていてもあたりまえ、今さらナニ言ってんの? と、思われるかもしれません。
しかし、わたしが言ってるのは、役替わりのことぢゃないの。
ヒロインが、ボニーぢゃなくなってた。
「ボニー&クライド」なのに。タイトルなのに。ヒロインがボニーぢゃない。
ヒロインは、アニスでした。
や、わたしの目にはそう映った、というだけですが。
主役がクライドで、彼と共に物語を回していく根幹にある存在は、アニス。ボニーは仲間たちのひとりで、テッドやジェレミー以下の存在になってました。
いやあ、びっくりした。
もちろんなんの予備知識もなく、役替わりの細かい知識もなく(ジェレミー役、名前見てもわかんなーい、とか、その程度)、チケットもなかったからサバキで観劇して。
……舞台ってやっぱ、おもしろいよなあ。
テレビや映画では、ありえないことがふつーに起こっているんだもの。
テレビなどでは、脇役がどんなにいい演技をしていたって、カメラが映しているのは主演女優の大根演技だったりして、製作意図通りにしか物語は進まない。
北島マヤ@『ガラスの仮面』がテレビ女優でも映画スターでもなく、舞台女優であるわけだよなあ。カメラを通す芝居じゃ無理だもんよー。
『La Esperanza』新人公演を観たとき、「主役はミルバ@あすかだ」と痛感した。ミルバの感情のゆれ、表情のひとつひとつにドラマが集約されていると感じ、彼女を中心とした視界で物語をたのしんだ。本来の主役、カルロス@まっつは脇役、ミルバの恋人役でしかなかった。
ところが、テレビで放映された『La Esperanza』では、カルロスが主役に見えた。だって、カメラがカルロスを映してるんだもの。場の空気の中心がミルバだったとしても、そんなこと関係なくカルロスを「脚本上の主役だから」という理由でアップで映し続ける。
自分が客席から実際に観たナマの舞台と、カメラで切りぬかれ、他者の目と手によって編集されたテレビ番組との「差」に愕然とした。
また、ムラで観たときはオリガ@ふーちゃんがヒロインだったのに、東宝ではイヴェット@あすかがヒロインだった『マラケシュ』を思いだした。
脚本は同じだし、演出も大して変わったわけじゃないのに、ヒロインが別の人になっていた。
そしてコレもまた、テレビで見るとヒロインは一応ふーちゃんのまま。なにしろ彼女ばかりをアップで映すからな。
役者の力量によって、役の比重が変わることは、ある。
テレビや映画ではあり得ない、舞台のおもしろさ。舞台のこわさ。
アニスがヒロイン、というのは、初演を含めて一度も観たことのない、新しい『凍てついた明日』だったので、とても興味深かった。
なんつっても、クライドが、イイ男だ。
やっぱタカラヅカに必要なのは愛だねっ。
愛を心に抱いている男は、かっこよく見えるよ。
主人公とヒロインの「愛」の場面が物語の中心にどーんと深く重く根を下ろしているから、そのあとなにがどーしよーとちゃんと「愛の記憶」があり、主人公がかっこよく見える。
1幕のクライドとアニスの場面の、痛さときたら。
切り裂く、という言葉が相応しい。アニスの嘆きが、叫びが、世界を切り裂く。
アニスは、自分自身を切り裂き、自分の最も愛する人をも切り裂く。
愛しているのに、共に生きることはできない。彼が彼だから、彼女が彼女だから、愛し、愛された、宿命のふたりなのに、ふたりは彼らだからこそ、共に生きることができない。
あなたナシでは生きられない。あなたとは、生きていけない。……その矛盾にすべてが切り裂かれ、血を流す。
アニスとの愛と別れが激しいだけに、クライドの破滅への道が鮮烈になる。
切り裂かれ、なお笑いつづけた男。笑うことしか、できなかった男。
愛する人に「あなただから」と否定されたクライドは、憑かれたように破滅へと突き進む。
アニスに説得力があると、彼女がヒロインだと、こんなに激しいラヴストーリーになるのか、コレ。
クライドが、すげーかなしくて、いい男だ……。
アニスへの愛が激しいと、彼の「世界」の関わり方にブレがなくなるの。
アニスを愛し、彼女のことだけは大切にする。ボニーはまさしく「ただの、道連れ」。ボニー自身にはなんの興味もないし傷つけてもイイと思っている。
拘置所でボニーにピストルをねだるクライドの鬼畜ぶりに、心が奮えた(笑)。
「それっていけないことよね?」
「俺と一緒に行くってのは、そういうことだろ」
アニスには、言わなかったくせに! アニスのことは大切に守っているくせに。ボニーはどーなってもいいのね。汚して、泣かせていいのね。
愛を理由に、他人を利用する。傷つける。
とことん利己的。
ひどい男。
……クライドのコワレっぷりが、好みです。
アニス以外の他人に興味なくて、自分の行方さえ考えることがめんどくせーって感じで。
彼の幼さ、閉じきった世界が、愛しい。
かなめがかっこいい。ほんとに、かっこいい。
美しいってのはいいなあ。しみじみ。
芝居ができる人だとは依然思えないんだけど(ごめん)、アニスと対峙していたときの激しさ、狂おしさだけで、あとのぼーっとした投げやりっぷりも、全部一貫した姿に見えます。
たぶんアニスの出番が多いとクライドが喰われちゃって主客転倒しちゃうんだろう。Aチームでみなこ演じるボニーが主役になって、クライドがその相手役になってしまったように。
でもこれくらいの出番だと、バランスがいい。ちゃんとクライドが主役だ。かっこいい。
つーことで、「ボニーがボニーぢゃない」と愕然としたことはたしかだが、それでもたのしかったんだ、Bチーム。
雪組WS『凍てついた明日−ボニー&クライドとの邂逅』。主役のクライド@かなめがAチームBチーム通して替わらず、ヒロインのボニー役がAチームみなこちゃん、Bチームがさゆちゃん、とWキャストであることは、最初からわかっていた。
だからBチームを観劇して、Aチームとヒロインが役替わりしていてもあたりまえ、今さらナニ言ってんの? と、思われるかもしれません。
しかし、わたしが言ってるのは、役替わりのことぢゃないの。
ヒロインが、ボニーぢゃなくなってた。
「ボニー&クライド」なのに。タイトルなのに。ヒロインがボニーぢゃない。
ヒロインは、アニスでした。
や、わたしの目にはそう映った、というだけですが。
主役がクライドで、彼と共に物語を回していく根幹にある存在は、アニス。ボニーは仲間たちのひとりで、テッドやジェレミー以下の存在になってました。
いやあ、びっくりした。
もちろんなんの予備知識もなく、役替わりの細かい知識もなく(ジェレミー役、名前見てもわかんなーい、とか、その程度)、チケットもなかったからサバキで観劇して。
……舞台ってやっぱ、おもしろいよなあ。
テレビや映画では、ありえないことがふつーに起こっているんだもの。
テレビなどでは、脇役がどんなにいい演技をしていたって、カメラが映しているのは主演女優の大根演技だったりして、製作意図通りにしか物語は進まない。
北島マヤ@『ガラスの仮面』がテレビ女優でも映画スターでもなく、舞台女優であるわけだよなあ。カメラを通す芝居じゃ無理だもんよー。
『La Esperanza』新人公演を観たとき、「主役はミルバ@あすかだ」と痛感した。ミルバの感情のゆれ、表情のひとつひとつにドラマが集約されていると感じ、彼女を中心とした視界で物語をたのしんだ。本来の主役、カルロス@まっつは脇役、ミルバの恋人役でしかなかった。
ところが、テレビで放映された『La Esperanza』では、カルロスが主役に見えた。だって、カメラがカルロスを映してるんだもの。場の空気の中心がミルバだったとしても、そんなこと関係なくカルロスを「脚本上の主役だから」という理由でアップで映し続ける。
自分が客席から実際に観たナマの舞台と、カメラで切りぬかれ、他者の目と手によって編集されたテレビ番組との「差」に愕然とした。
また、ムラで観たときはオリガ@ふーちゃんがヒロインだったのに、東宝ではイヴェット@あすかがヒロインだった『マラケシュ』を思いだした。
脚本は同じだし、演出も大して変わったわけじゃないのに、ヒロインが別の人になっていた。
そしてコレもまた、テレビで見るとヒロインは一応ふーちゃんのまま。なにしろ彼女ばかりをアップで映すからな。
役者の力量によって、役の比重が変わることは、ある。
テレビや映画ではあり得ない、舞台のおもしろさ。舞台のこわさ。
アニスがヒロイン、というのは、初演を含めて一度も観たことのない、新しい『凍てついた明日』だったので、とても興味深かった。
なんつっても、クライドが、イイ男だ。
やっぱタカラヅカに必要なのは愛だねっ。
愛を心に抱いている男は、かっこよく見えるよ。
主人公とヒロインの「愛」の場面が物語の中心にどーんと深く重く根を下ろしているから、そのあとなにがどーしよーとちゃんと「愛の記憶」があり、主人公がかっこよく見える。
1幕のクライドとアニスの場面の、痛さときたら。
切り裂く、という言葉が相応しい。アニスの嘆きが、叫びが、世界を切り裂く。
アニスは、自分自身を切り裂き、自分の最も愛する人をも切り裂く。
愛しているのに、共に生きることはできない。彼が彼だから、彼女が彼女だから、愛し、愛された、宿命のふたりなのに、ふたりは彼らだからこそ、共に生きることができない。
あなたナシでは生きられない。あなたとは、生きていけない。……その矛盾にすべてが切り裂かれ、血を流す。
アニスとの愛と別れが激しいだけに、クライドの破滅への道が鮮烈になる。
切り裂かれ、なお笑いつづけた男。笑うことしか、できなかった男。
愛する人に「あなただから」と否定されたクライドは、憑かれたように破滅へと突き進む。
アニスに説得力があると、彼女がヒロインだと、こんなに激しいラヴストーリーになるのか、コレ。
クライドが、すげーかなしくて、いい男だ……。
アニスへの愛が激しいと、彼の「世界」の関わり方にブレがなくなるの。
アニスを愛し、彼女のことだけは大切にする。ボニーはまさしく「ただの、道連れ」。ボニー自身にはなんの興味もないし傷つけてもイイと思っている。
拘置所でボニーにピストルをねだるクライドの鬼畜ぶりに、心が奮えた(笑)。
「それっていけないことよね?」
「俺と一緒に行くってのは、そういうことだろ」
アニスには、言わなかったくせに! アニスのことは大切に守っているくせに。ボニーはどーなってもいいのね。汚して、泣かせていいのね。
愛を理由に、他人を利用する。傷つける。
とことん利己的。
ひどい男。
……クライドのコワレっぷりが、好みです。
アニス以外の他人に興味なくて、自分の行方さえ考えることがめんどくせーって感じで。
彼の幼さ、閉じきった世界が、愛しい。
かなめがかっこいい。ほんとに、かっこいい。
美しいってのはいいなあ。しみじみ。
芝居ができる人だとは依然思えないんだけど(ごめん)、アニスと対峙していたときの激しさ、狂おしさだけで、あとのぼーっとした投げやりっぷりも、全部一貫した姿に見えます。
たぶんアニスの出番が多いとクライドが喰われちゃって主客転倒しちゃうんだろう。Aチームでみなこ演じるボニーが主役になって、クライドがその相手役になってしまったように。
でもこれくらいの出番だと、バランスがいい。ちゃんとクライドが主役だ。かっこいい。
つーことで、「ボニーがボニーぢゃない」と愕然としたことはたしかだが、それでもたのしかったんだ、Bチーム。
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