世界はスターを待っている・その1。
2008年7月25日 タカラヅカ わたしたちファンは、やはり人の常として「スター」の登場を心待ちにしている。
サクセスもののドラマや映画にあるように、無名の新人がチャンスを掴んで一気にスターダムを掛け上がる……てなストーリーラインの話、大好きだよね。
その無名の若者がずっと下積みを積んできた努力の人だったり、その業界をまったく知らない素人だったりと、ハナシを組み立てる手段はいろいろあるが、よーするに「世間的に知られていない人が、世間を騒がし、評価を得る」とゆー流れが好きなんだ。痛快なんだ。
スター誕生。
みんな大好き。
だからタカラヅカでも、基本的に「抜擢」は好まれている。
無名の下級生が抜擢され、スターになることは大歓迎。
だが、タカラヅカで「スター」になるには、研7までに「新人公演で主演しなければならない」というルールがあるために、まったく無名の若者が一気にトップスターになることはない。
最初の「抜擢」はトップスターではなく、新公主演、ということになる。
学年が上がるごとに新公3番手、2番手と役付きが上がり、最後の研7でめでたく初主演……ではない。成長を見守ることで組ファンが愛着を持つとしても、一般大衆がわくわくすることはない。
世間を騒がせる抜擢ならば、新公2〜3番手すらやったことのない、まったくの脇扱いだった子を主演にするか、あるいは入団したばかりの超下級生をいきなり主演させるか、だ。
これならば組ファンだけでなく、タカラヅカ全体がわくわくする。
ただし。
闇雲な抜擢は未来につながらない。
重要なのは、中身があることだ。
抜擢に相応しい実力があること、納得させるだけの仕事をすること。
抜擢が好きな一般大衆は、「実力ゆえに納得の抜擢」をされてキラ星のごとくデビューする新人が好きなのであって、「なにもできないのにスター扱い」される人間が好きなわけではない。
実力があるのに無名(理不尽。だが、現実によくあること。または自分も世間から正しい評価を得ていないという漠然とした不満)だった若者が、スターになるからカタルシスにつながる(理不尽が正された。現実にそうそうないことだからこそ、痛快。自己投影による達成感)。
能力もないのにスター扱いをされる人(理不尽。だが、現実によくあること。ドラマの中でまで現実通りの理不尽さは見たくない)は、大抵ヒールだ。
一般大衆はダークなものは嫌い。正しいものが報われ、ずるいものには天誅が下ることを望む。
抜擢されてスターになるには、実力が必須。
その実力には、技術のほか、容姿の美しさや華なども含む。
もっとも、外の世界はともかくヅカでは、すべての人を黙らせる天才的技術ではなく、舞台人としてのそこそこの能力があればいいんだけど。
一般大衆、という言い方をしているが、わたしが対象としているのはヅカを見たこともない一般人ではなく、「ヅカファン」という立場の中でのライトな立ち位置の人たちであり、ヅカ自体に寛大で好意的な視点を持った人々だから。
容姿を含めた実力を持った、入団したての超下級生の大抜擢人事、もしくはまったくの脇扱いだった子を突然真ん中へと抜擢人事。みんなが大好きなシンデレラ・ストーリー。
その昔、天海祐希が入団早々新公主演したように。
今回の星組新公で、紅ゆずるが主演に抜擢されたように。
いやあ、ベニー主演つーことで、なんかもー、すごい数の検索来てるんですが。
新公が終ってずいぶん経つのに、まだまだやってくる。(で、みんな2005年3月7日の記事に行きつく)
みんな、こーゆー抜擢を待ってたんだなあ。
今まで組長とか脇上級性の役しかもらってこなかった、まったくの脇扱いの子が、最後の新公で大抜擢。真ん中できちんと仕事を果たし、「こんな子がいたの?」「なんで今まで無名だったの?」と一般大衆をわかせた。
スター誕生。
みんなみんな、わくわくしたかったんだね。
今回の世間の動きを見ながら、しみじみ考えたよ。
超下級生時代から抜擢しても、主演でないと意味がないんだ。研2あたりに4番手をやらせたってダメ。やるなら主演でないと。結局のところ3番手2番手と順番に役付きが上がることになり、主演をやるときにはみんなの好きな「抜擢」ではなく、「順当」「日常」「平凡」になってしまう。
それくらいなら、まったくの脇から抜擢したほうが、話題になる。組ファンしか知らない、認知されていない子を順番抜かしで抜擢すると、感動につながるんだ。
そして、若手スターの作り方として重要なのは、「大劇場でないと一般人に認識されない」ということ。
バウ公演や全国ツアーなどで抜擢して重要な役を与えても、もともとのファンしかその公演自体を観ない。売りだしたい若手の認知や評価につながらない。
とくに、若手主演のバウワークショップは、本人の勉強にはなるだろうが、人気にはつながらない。だって一部のコアなヅカファンか、出演者のもともとのファン以外、観に行かないもの。
ファンだけが通い、絶賛するけれど、一般のライトなヅカファンは公演自体スルーする。拙いとわかっている、スターも出ていない、しかし価格だけはスター主演公演と同じものを、観るはずがない。
もちろんいちばんいいのは本公演で「抜擢」して「オイシイ」役を演じさせることだ。それがいちばん認知と人気を上げる早道だろう。しかし短い上演時間で大人数の出演者に役と見せ場を与えなければならない本公演で、新公ですら無名の下級生にオイシイ役をつけることは、現実問題として不可能なのだろう。
次善の策として、新公ならば特定の生徒のファン以外も観るし、ライト層も足を運びやすい(ムラ)。
まったくの無名状態から、一気に主演へ抜擢。……これがいちばんオイシイんだなー……。
……そう、「無名」でなくてはならないんだ。あくまでも。すでに知名度があると、ありがたみに欠けるんだわ。
話途中だが、文字数足りないので続く。
サクセスもののドラマや映画にあるように、無名の新人がチャンスを掴んで一気にスターダムを掛け上がる……てなストーリーラインの話、大好きだよね。
その無名の若者がずっと下積みを積んできた努力の人だったり、その業界をまったく知らない素人だったりと、ハナシを組み立てる手段はいろいろあるが、よーするに「世間的に知られていない人が、世間を騒がし、評価を得る」とゆー流れが好きなんだ。痛快なんだ。
スター誕生。
みんな大好き。
だからタカラヅカでも、基本的に「抜擢」は好まれている。
無名の下級生が抜擢され、スターになることは大歓迎。
だが、タカラヅカで「スター」になるには、研7までに「新人公演で主演しなければならない」というルールがあるために、まったく無名の若者が一気にトップスターになることはない。
最初の「抜擢」はトップスターではなく、新公主演、ということになる。
学年が上がるごとに新公3番手、2番手と役付きが上がり、最後の研7でめでたく初主演……ではない。成長を見守ることで組ファンが愛着を持つとしても、一般大衆がわくわくすることはない。
世間を騒がせる抜擢ならば、新公2〜3番手すらやったことのない、まったくの脇扱いだった子を主演にするか、あるいは入団したばかりの超下級生をいきなり主演させるか、だ。
これならば組ファンだけでなく、タカラヅカ全体がわくわくする。
ただし。
闇雲な抜擢は未来につながらない。
重要なのは、中身があることだ。
抜擢に相応しい実力があること、納得させるだけの仕事をすること。
抜擢が好きな一般大衆は、「実力ゆえに納得の抜擢」をされてキラ星のごとくデビューする新人が好きなのであって、「なにもできないのにスター扱い」される人間が好きなわけではない。
実力があるのに無名(理不尽。だが、現実によくあること。または自分も世間から正しい評価を得ていないという漠然とした不満)だった若者が、スターになるからカタルシスにつながる(理不尽が正された。現実にそうそうないことだからこそ、痛快。自己投影による達成感)。
能力もないのにスター扱いをされる人(理不尽。だが、現実によくあること。ドラマの中でまで現実通りの理不尽さは見たくない)は、大抵ヒールだ。
一般大衆はダークなものは嫌い。正しいものが報われ、ずるいものには天誅が下ることを望む。
抜擢されてスターになるには、実力が必須。
その実力には、技術のほか、容姿の美しさや華なども含む。
もっとも、外の世界はともかくヅカでは、すべての人を黙らせる天才的技術ではなく、舞台人としてのそこそこの能力があればいいんだけど。
一般大衆、という言い方をしているが、わたしが対象としているのはヅカを見たこともない一般人ではなく、「ヅカファン」という立場の中でのライトな立ち位置の人たちであり、ヅカ自体に寛大で好意的な視点を持った人々だから。
容姿を含めた実力を持った、入団したての超下級生の大抜擢人事、もしくはまったくの脇扱いだった子を突然真ん中へと抜擢人事。みんなが大好きなシンデレラ・ストーリー。
その昔、天海祐希が入団早々新公主演したように。
今回の星組新公で、紅ゆずるが主演に抜擢されたように。
いやあ、ベニー主演つーことで、なんかもー、すごい数の検索来てるんですが。
新公が終ってずいぶん経つのに、まだまだやってくる。(で、みんな2005年3月7日の記事に行きつく)
みんな、こーゆー抜擢を待ってたんだなあ。
今まで組長とか脇上級性の役しかもらってこなかった、まったくの脇扱いの子が、最後の新公で大抜擢。真ん中できちんと仕事を果たし、「こんな子がいたの?」「なんで今まで無名だったの?」と一般大衆をわかせた。
スター誕生。
みんなみんな、わくわくしたかったんだね。
今回の世間の動きを見ながら、しみじみ考えたよ。
超下級生時代から抜擢しても、主演でないと意味がないんだ。研2あたりに4番手をやらせたってダメ。やるなら主演でないと。結局のところ3番手2番手と順番に役付きが上がることになり、主演をやるときにはみんなの好きな「抜擢」ではなく、「順当」「日常」「平凡」になってしまう。
それくらいなら、まったくの脇から抜擢したほうが、話題になる。組ファンしか知らない、認知されていない子を順番抜かしで抜擢すると、感動につながるんだ。
そして、若手スターの作り方として重要なのは、「大劇場でないと一般人に認識されない」ということ。
バウ公演や全国ツアーなどで抜擢して重要な役を与えても、もともとのファンしかその公演自体を観ない。売りだしたい若手の認知や評価につながらない。
とくに、若手主演のバウワークショップは、本人の勉強にはなるだろうが、人気にはつながらない。だって一部のコアなヅカファンか、出演者のもともとのファン以外、観に行かないもの。
ファンだけが通い、絶賛するけれど、一般のライトなヅカファンは公演自体スルーする。拙いとわかっている、スターも出ていない、しかし価格だけはスター主演公演と同じものを、観るはずがない。
もちろんいちばんいいのは本公演で「抜擢」して「オイシイ」役を演じさせることだ。それがいちばん認知と人気を上げる早道だろう。しかし短い上演時間で大人数の出演者に役と見せ場を与えなければならない本公演で、新公ですら無名の下級生にオイシイ役をつけることは、現実問題として不可能なのだろう。
次善の策として、新公ならば特定の生徒のファン以外も観るし、ライト層も足を運びやすい(ムラ)。
まったくの無名状態から、一気に主演へ抜擢。……これがいちばんオイシイんだなー……。
……そう、「無名」でなくてはならないんだ。あくまでも。すでに知名度があると、ありがたみに欠けるんだわ。
話途中だが、文字数足りないので続く。
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