今が、栄光の日々。@スカーレット・ピンパーネル
2008年8月4日 タカラヅカ 金も時間もないから、贔屓組以外は観劇回数を減らそう。分相応の生き方をしよう、と今年も誓ったはずだが、気が付いたら『スカーレット・ピンパーネル』は本公演5回、新公1回観ていた。ほぼ毎週通ってたことになるぢゃないですか……。
『スカーレット・ピンパーネル』は、キモチの良い公演だった。
おもしろい作品であり、実力あるキャストがそれに応え、クオリティ高い舞台に仕上げていた。
単純に「舞台がいいから。作品がおもしろいから」通ってしまったということもある。
でも、それだけじゃなくて。
作品が良いこと。出演者が良いこと。
そして、観客が、純粋にたのしんでいること。
千秋楽をのぞいて、隣席に坐った知らない人たちは初見だったと思う。
その人たちがみな一様に、たのしんでいることがわかった。声を上げて笑い、「なにコレ、おもしろいじゃん!」と幕間に興奮してツレと話している。
どこがどう、と理屈を並べる前にただ純粋に、「おもしろい!」と声を上げる。
……その単純さこそが、心地いい。
充実した舞台、それをたのしむ観客。その熱気に満ちた空間。
そこにいることが、すでにたのしかった。
わくわくした。
……いやその、平日に劇場に行くと人口密度は低かったんだけど。それでも、そこにいる人たちの満足度が高い空間って、雰囲気いいんだよ。
他の公演が空気悪いってわけじゃなくて、それらとは別に、思いがけないプレゼントをもらった子どものわくわく感っていうか、「おっ?」という高いテンションが劇場内に満ちていることがたのしいの。
千秋楽はわたし、当日サバキGETしてすべりこみ観劇したんだけど、隣の人と「この公演イイですよねっ」「どうしても観たくて来たんです!!」と、アツく語りあってしまった(笑)。
そして、噛みしめた。
心から「たのしい」と語れる公演の、たのしさを。
某アラビアな公演は、ほんとにつらかったの。
出演者ファンで、がんばってる彼らを眺めるだけでたのしかったのもしあわせだったのも本当だけど、それでも作品はほんとにつらかったの。
席が隣り合わせただけの人に話しかけられることって、ヅカではままある光景だけど、「きれいですよね」とか、当たり障りのないことしか言えない現実って。
てゆーかそんな公演にムラだけで11回も通ったとか、誰にも言えないって(笑)。
「アレを11回……愛ですね……」と、ヅカ友にも感心(同情?)されるよーな現実って。
しかし、『スカーレット・ピンパーネル』は。
「ほんとにおもしろいですよねっ。わたし、5回目です、今日で!」
胸を張って言える。
安蘭けいがどんだけすごいか、遠野あすかがどんだけすごいか、柚希礼音の成長ぶりやアンサンブルの迫力を、名もなき群衆を演ずる組子たちの血の通った熱情を、手放しで語ることが出来る。
たしかに、役はない。少ない。
ほとんどの子がモブだ、名もなき群衆だ。
でも、目がいくつあっても足りない。群衆であっても、それぞれがドラマを演じている。
厚みのある歌声を支えるひとりひとりに注目するだけで、涙が出る。
あああ、おもしろいなあ。
この舞台の出演者のファンだったら、しあわせだよなあ。
好きな人たちが創り上げた、おもしろい舞台。
誰にでも自信を持って、胸を張って「おもしろい」と言えること。
簡単なことのようで、けっこー難しいんだ。
人の好みは千差万別、すべての人がイイと思うモノなんかこの世に存在しないのはわかっているけれど。
たとえば『タランテラ!』とか、個人的にものすげー作品だと思っているけれど、万人にはお勧めできない。
『タランテラ!』と『スカーレット・ピンパーネル』どっちが好きかっていったら『タランテラ!』の方が絶対好きだけど、すげーと思ってるけど、でも、誰にでも「すごいから!」とは言えない。
わたしは好きだけど、と前置きがつく。
自分が好きだと、心地よいと思い、世間的に見ても汎用的おもしろさがあるか、クオリティがあるか……すべてのバランスが整った作品なんて、ほんとに希有だから。
『スカーレット・ピンパーネル』は、おもしろい。
誰にでもそう言えること、そのこと自体がすでに、わたしにとっては快感だった。
ありがたくてうれしいことだった。
……からこそ、誰にでも言いたい。
『スカピン』、おもしろいぞー!!
や、ほんとーの意味でのわたしの好みど真ん中ではないけれど、そーゆーのとは別のチャンネルでたのしんでる。(なんでわたしがど真ん中な好みのモノって人気出ないんだろ? 変だなー)
ムラの千秋楽は、無礼講だ。
映像にも残らないから、ナニをやってもイイ。
だからある意味期待して、ある意味あきらめていた。
トウコちゃんが、やりすぎてしまうこと。
グラパンにしろパーシーにしろ、コメディやりすぎ、遊びすぎ。
開き直って愉しんで、存分に笑った。だって、ムラ楽だもん。無礼講だもん。ファン以外お断りな特別な日だもん。その是非を問うのではなく、そーゆーもんだと割り切って。
アドリブの日替わりギャグは「ここでのお遊び」と切り離してたのしめるけど、グラパンとしての平常演技がどんどん悪乗りし過ぎているのは気になっていたから、このムラ楽を最後に、東宝ではリセットしてほしいな。
うれしかったお遊びは、グラパン@トウコのメルシェ氏@ゆーほに対する「ポットだからってぽーっとして」と、ゆーほの愛称をネタにしたアドリブ。
ファンだけにわかる、言葉の意味。わきあがる拍手がうれしい。
ゆーほは手堅く演じていました。
公安委員の制服似合うよなあ。黒がかっこいいよなあ。
入りをギャラリーしたときの写真をkineさんに見せてもらったけれど、かわいーんだこれが。ふつーにかわいいんだよ、ゆーほ。
あの高い大きな鼻。特徴ある横顔。
舞台に生きるためにあるよーな顔立ちなのに。
辞めてしまうなんて、思ってなかった。
わたしのなかのベストゆーほは、エドワード@『ヘイズ・コード』なんですが。
美女しずくちゃんを床に転がし、ネクタイを緩める、あのセクスィ〜〜でドSなエリートっぷり!!(注・ラレイン@みなみちゃんの妄想)
どっかに映像残ってないんですか、あのゆーほ。スカステでは映ってませんでした。
あんなにあんなにステキだったのに、組長が読み上げる「退団者からのメッセージ」の中の、本人認定「好きな役」に入ってませんでした……。
本人的にどうでも、わたしはあのゆーほがいちばん好き。ドキドキしたわ〜〜。
袴姿での最後の挨拶も、すげー端的で。
ほんとに必要最低限だけ述べて、完。余計な感想、修飾ナシ、なあたりが潔いなと(笑)。
ゆーほの人となりなんか知りようがないけれど、ああ端正な人だと思った。
袴姿の祐穂さとるは、なんだかとても「タカラヅカ男役」だった。
や、当たり前っちゃー当たり前だが。
「タカラヅカ男役」って、独特の文化じゃないですか。他には存在しない、特殊なモノ。
その特殊さ、世界にひとつだけであることに、きりりと誇りを持って、すごく「タカラヅカ男役」だった。
こんな顔、してたんだ。
と、改めて思った。
こんなにクラシカルに「タカラヅカ男役」なんだね。
カーテンコールは、短かった。
……て、ソレでも某組よりはるかに回数も多いし、1回目からスタオベ基本でアツいんだけど(笑)。
それでも、星組比では短かったし、あっさりしていた。
自負があった。
力強く、「まだ、道の途中」である空気があった。
この公演が持つ力、作品が持つ力。
それらが、過剰なカテコや拍手より雄弁に、空間に満ちていた。
『スカーレット・ピンパーネル』は、キモチの良い公演だった。
出演者もファンも、誇りと自信を持って作品に対峙している。
その満ち足りた空気が、心地よかった。
うわあああん、劇場の空気ごと、この作品、この公演、好きだよおお。
『スカーレット・ピンパーネル』は、キモチの良い公演だった。
おもしろい作品であり、実力あるキャストがそれに応え、クオリティ高い舞台に仕上げていた。
単純に「舞台がいいから。作品がおもしろいから」通ってしまったということもある。
でも、それだけじゃなくて。
作品が良いこと。出演者が良いこと。
そして、観客が、純粋にたのしんでいること。
千秋楽をのぞいて、隣席に坐った知らない人たちは初見だったと思う。
その人たちがみな一様に、たのしんでいることがわかった。声を上げて笑い、「なにコレ、おもしろいじゃん!」と幕間に興奮してツレと話している。
どこがどう、と理屈を並べる前にただ純粋に、「おもしろい!」と声を上げる。
……その単純さこそが、心地いい。
充実した舞台、それをたのしむ観客。その熱気に満ちた空間。
そこにいることが、すでにたのしかった。
わくわくした。
……いやその、平日に劇場に行くと人口密度は低かったんだけど。それでも、そこにいる人たちの満足度が高い空間って、雰囲気いいんだよ。
他の公演が空気悪いってわけじゃなくて、それらとは別に、思いがけないプレゼントをもらった子どものわくわく感っていうか、「おっ?」という高いテンションが劇場内に満ちていることがたのしいの。
千秋楽はわたし、当日サバキGETしてすべりこみ観劇したんだけど、隣の人と「この公演イイですよねっ」「どうしても観たくて来たんです!!」と、アツく語りあってしまった(笑)。
そして、噛みしめた。
心から「たのしい」と語れる公演の、たのしさを。
某アラビアな公演は、ほんとにつらかったの。
出演者ファンで、がんばってる彼らを眺めるだけでたのしかったのもしあわせだったのも本当だけど、それでも作品はほんとにつらかったの。
席が隣り合わせただけの人に話しかけられることって、ヅカではままある光景だけど、「きれいですよね」とか、当たり障りのないことしか言えない現実って。
てゆーかそんな公演にムラだけで11回も通ったとか、誰にも言えないって(笑)。
「アレを11回……愛ですね……」と、ヅカ友にも感心(同情?)されるよーな現実って。
しかし、『スカーレット・ピンパーネル』は。
「ほんとにおもしろいですよねっ。わたし、5回目です、今日で!」
胸を張って言える。
安蘭けいがどんだけすごいか、遠野あすかがどんだけすごいか、柚希礼音の成長ぶりやアンサンブルの迫力を、名もなき群衆を演ずる組子たちの血の通った熱情を、手放しで語ることが出来る。
たしかに、役はない。少ない。
ほとんどの子がモブだ、名もなき群衆だ。
でも、目がいくつあっても足りない。群衆であっても、それぞれがドラマを演じている。
厚みのある歌声を支えるひとりひとりに注目するだけで、涙が出る。
あああ、おもしろいなあ。
この舞台の出演者のファンだったら、しあわせだよなあ。
好きな人たちが創り上げた、おもしろい舞台。
誰にでも自信を持って、胸を張って「おもしろい」と言えること。
簡単なことのようで、けっこー難しいんだ。
人の好みは千差万別、すべての人がイイと思うモノなんかこの世に存在しないのはわかっているけれど。
たとえば『タランテラ!』とか、個人的にものすげー作品だと思っているけれど、万人にはお勧めできない。
『タランテラ!』と『スカーレット・ピンパーネル』どっちが好きかっていったら『タランテラ!』の方が絶対好きだけど、すげーと思ってるけど、でも、誰にでも「すごいから!」とは言えない。
わたしは好きだけど、と前置きがつく。
自分が好きだと、心地よいと思い、世間的に見ても汎用的おもしろさがあるか、クオリティがあるか……すべてのバランスが整った作品なんて、ほんとに希有だから。
『スカーレット・ピンパーネル』は、おもしろい。
誰にでもそう言えること、そのこと自体がすでに、わたしにとっては快感だった。
ありがたくてうれしいことだった。
……からこそ、誰にでも言いたい。
『スカピン』、おもしろいぞー!!
や、ほんとーの意味でのわたしの好みど真ん中ではないけれど、そーゆーのとは別のチャンネルでたのしんでる。(なんでわたしがど真ん中な好みのモノって人気出ないんだろ? 変だなー)
ムラの千秋楽は、無礼講だ。
映像にも残らないから、ナニをやってもイイ。
だからある意味期待して、ある意味あきらめていた。
トウコちゃんが、やりすぎてしまうこと。
グラパンにしろパーシーにしろ、コメディやりすぎ、遊びすぎ。
開き直って愉しんで、存分に笑った。だって、ムラ楽だもん。無礼講だもん。ファン以外お断りな特別な日だもん。その是非を問うのではなく、そーゆーもんだと割り切って。
アドリブの日替わりギャグは「ここでのお遊び」と切り離してたのしめるけど、グラパンとしての平常演技がどんどん悪乗りし過ぎているのは気になっていたから、このムラ楽を最後に、東宝ではリセットしてほしいな。
うれしかったお遊びは、グラパン@トウコのメルシェ氏@ゆーほに対する「ポットだからってぽーっとして」と、ゆーほの愛称をネタにしたアドリブ。
ファンだけにわかる、言葉の意味。わきあがる拍手がうれしい。
ゆーほは手堅く演じていました。
公安委員の制服似合うよなあ。黒がかっこいいよなあ。
入りをギャラリーしたときの写真をkineさんに見せてもらったけれど、かわいーんだこれが。ふつーにかわいいんだよ、ゆーほ。
あの高い大きな鼻。特徴ある横顔。
舞台に生きるためにあるよーな顔立ちなのに。
辞めてしまうなんて、思ってなかった。
わたしのなかのベストゆーほは、エドワード@『ヘイズ・コード』なんですが。
美女しずくちゃんを床に転がし、ネクタイを緩める、あのセクスィ〜〜でドSなエリートっぷり!!(注・ラレイン@みなみちゃんの妄想)
どっかに映像残ってないんですか、あのゆーほ。スカステでは映ってませんでした。
あんなにあんなにステキだったのに、組長が読み上げる「退団者からのメッセージ」の中の、本人認定「好きな役」に入ってませんでした……。
本人的にどうでも、わたしはあのゆーほがいちばん好き。ドキドキしたわ〜〜。
袴姿での最後の挨拶も、すげー端的で。
ほんとに必要最低限だけ述べて、完。余計な感想、修飾ナシ、なあたりが潔いなと(笑)。
ゆーほの人となりなんか知りようがないけれど、ああ端正な人だと思った。
袴姿の祐穂さとるは、なんだかとても「タカラヅカ男役」だった。
や、当たり前っちゃー当たり前だが。
「タカラヅカ男役」って、独特の文化じゃないですか。他には存在しない、特殊なモノ。
その特殊さ、世界にひとつだけであることに、きりりと誇りを持って、すごく「タカラヅカ男役」だった。
こんな顔、してたんだ。
と、改めて思った。
こんなにクラシカルに「タカラヅカ男役」なんだね。
カーテンコールは、短かった。
……て、ソレでも某組よりはるかに回数も多いし、1回目からスタオベ基本でアツいんだけど(笑)。
それでも、星組比では短かったし、あっさりしていた。
自負があった。
力強く、「まだ、道の途中」である空気があった。
この公演が持つ力、作品が持つ力。
それらが、過剰なカテコや拍手より雄弁に、空間に満ちていた。
『スカーレット・ピンパーネル』は、キモチの良い公演だった。
出演者もファンも、誇りと自信を持って作品に対峙している。
その満ち足りた空気が、心地よかった。
うわあああん、劇場の空気ごと、この作品、この公演、好きだよおお。
コメント