小学2年生のときに、今の家に住むようになった。
祖父と祖母とわたしの3人。
途中から、猫1匹が加わった。
3人と1匹の生活。
少女だったわたしは、毎晩眠る前に、誰にともなく祈っていた。
「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」
それまで眠っていたはずの猫が突然、大きな声で鳴き出した夜、そのすぐあとに電話が鳴った。
祖母の訃報の電話だった。
そして、家に残ったのは、祖父とわたしと猫。
ふたりと1匹の生活。
おばーちゃんになついていた、おばーちゃんが逝く瞬間に突然鳴き出した猫は、それからすぐにおばーちゃんのあとを追っていった。
おばーちゃん、ひとりだと寂しかったんだと思う。
猫はおばーちゃんを守りに行ったんだ。
そして、家に残ったのは、祖父とわたし。
ふたりだけ。
祖母の納骨式の日、行方不明だった従兄弟がひょっこり現れた。一時期はこの家に預けられていたこともある、縁薄めの兄弟みたいな相手だ。
彼は、1匹の子猫を連れてきた。
久しぶりに会った従兄弟は「どこのヤクザ?!」な風体だったけど、顔と調子の良さだけで生きてきた身軽さで、わたしたちに子猫を託してまたいなくなった。以来、生死を含めて行方不明のまま。
わたしたちのもとには、猫1匹が残った。
そしてはじまった、祖父とわたしと猫1匹の生活。
加齢によるおぼつかない足取りで、それでもおじーちゃんは猫を抱いてよちよち歩いた。
毎日毎日、よちよち歩いた。
猫を抱いて歩く祖父の隣を、わたしも歩いた。彼らが転ばないよう、見守りながら。
21世紀を間近に控えた頃、祖父もこの家を去った。
入院先の病院で、猫に会いたがっていた。家族は見舞いに行けるけれど、猫は行けない。
元気になって家に帰り、また猫を抱くのだと、最後まで言っていた。
そして、家に残ったのは、わたしと猫。
ひとりと1匹の生活。
3人と1匹だったのに。
気がつけば半分だ。
猫を膝に抱いて、わたしはブログなんぞをはじめる。
大好きなタカラヅカのことを書く。
ブログのプロフィールに載せるのは、とーぜん猫の写真。
ひとりと1匹の生活。
寂しいね、人口半減だよ。でも、ひとりぢゃないから、いいか。
そして。
いつからわたし、お祈りしなくなっていたのかな。
「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」
祈っても、なにひとつ叶わないし。
わたしはもうとっくに少女ではなく、漠然とした祈りより、明日の予定とか心配事とか、目の前の現実に振り回されていて。
2008年8月12日、夜。
猫が逝った。
最初は、3人と1匹だったのに。
今はこの家に、わたしひとり。
小学2年生でこの家に来た。自分の部屋をもらい、暮らしはじめた。
それ以来、はじめて、ひとりになった。
変だな。
夢の中ではしょちゅう、当たり前におじーちゃんは居間でテレビ見てて、おばーちゃんは編み物してるんだけどなあ?
猫だって、丸まってたり伸びてたり、エサくれって鳴いてたり、してるのになあ?
わたし、いつからお祈り、しなくなっていたのかな。
わたしの祈りなんか、なんの意味もないけれど。
ありがとう。
今、こんなにさみしいのもかなしいのも、今までひとりじゃなかったからだ。
祖父と祖母とわたしの3人。
途中から、猫1匹が加わった。
3人と1匹の生活。
少女だったわたしは、毎晩眠る前に、誰にともなく祈っていた。
「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」
それまで眠っていたはずの猫が突然、大きな声で鳴き出した夜、そのすぐあとに電話が鳴った。
祖母の訃報の電話だった。
そして、家に残ったのは、祖父とわたしと猫。
ふたりと1匹の生活。
おばーちゃんになついていた、おばーちゃんが逝く瞬間に突然鳴き出した猫は、それからすぐにおばーちゃんのあとを追っていった。
おばーちゃん、ひとりだと寂しかったんだと思う。
猫はおばーちゃんを守りに行ったんだ。
そして、家に残ったのは、祖父とわたし。
ふたりだけ。
祖母の納骨式の日、行方不明だった従兄弟がひょっこり現れた。一時期はこの家に預けられていたこともある、縁薄めの兄弟みたいな相手だ。
彼は、1匹の子猫を連れてきた。
久しぶりに会った従兄弟は「どこのヤクザ?!」な風体だったけど、顔と調子の良さだけで生きてきた身軽さで、わたしたちに子猫を託してまたいなくなった。以来、生死を含めて行方不明のまま。
わたしたちのもとには、猫1匹が残った。
そしてはじまった、祖父とわたしと猫1匹の生活。
加齢によるおぼつかない足取りで、それでもおじーちゃんは猫を抱いてよちよち歩いた。
毎日毎日、よちよち歩いた。
猫を抱いて歩く祖父の隣を、わたしも歩いた。彼らが転ばないよう、見守りながら。
21世紀を間近に控えた頃、祖父もこの家を去った。
入院先の病院で、猫に会いたがっていた。家族は見舞いに行けるけれど、猫は行けない。
元気になって家に帰り、また猫を抱くのだと、最後まで言っていた。
そして、家に残ったのは、わたしと猫。
ひとりと1匹の生活。
3人と1匹だったのに。
気がつけば半分だ。
猫を膝に抱いて、わたしはブログなんぞをはじめる。
大好きなタカラヅカのことを書く。
ブログのプロフィールに載せるのは、とーぜん猫の写真。
ひとりと1匹の生活。
寂しいね、人口半減だよ。でも、ひとりぢゃないから、いいか。
そして。
いつからわたし、お祈りしなくなっていたのかな。
「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」
祈っても、なにひとつ叶わないし。
わたしはもうとっくに少女ではなく、漠然とした祈りより、明日の予定とか心配事とか、目の前の現実に振り回されていて。
2008年8月12日、夜。
猫が逝った。
最初は、3人と1匹だったのに。
今はこの家に、わたしひとり。
小学2年生でこの家に来た。自分の部屋をもらい、暮らしはじめた。
それ以来、はじめて、ひとりになった。
変だな。
夢の中ではしょちゅう、当たり前におじーちゃんは居間でテレビ見てて、おばーちゃんは編み物してるんだけどなあ?
猫だって、丸まってたり伸びてたり、エサくれって鳴いてたり、してるのになあ?
わたし、いつからお祈り、しなくなっていたのかな。
わたしの祈りなんか、なんの意味もないけれど。
ありがとう。
今、こんなにさみしいのもかなしいのも、今までひとりじゃなかったからだ。
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