お祈り。

2008年8月12日
 小学2年生のときに、今の家に住むようになった。
 祖父と祖母とわたしの3人。
 途中から、猫1匹が加わった。

 3人と1匹の生活。

 少女だったわたしは、毎晩眠る前に、誰にともなく祈っていた。

「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」

 
 それまで眠っていたはずの猫が突然、大きな声で鳴き出した夜、そのすぐあとに電話が鳴った。
 祖母の訃報の電話だった。

 そして、家に残ったのは、祖父とわたしと猫。
 ふたりと1匹の生活。

 おばーちゃんになついていた、おばーちゃんが逝く瞬間に突然鳴き出した猫は、それからすぐにおばーちゃんのあとを追っていった。
 おばーちゃん、ひとりだと寂しかったんだと思う。
 猫はおばーちゃんを守りに行ったんだ。

 そして、家に残ったのは、祖父とわたし。
 ふたりだけ。

 祖母の納骨式の日、行方不明だった従兄弟がひょっこり現れた。一時期はこの家に預けられていたこともある、縁薄めの兄弟みたいな相手だ。
 彼は、1匹の子猫を連れてきた。

 久しぶりに会った従兄弟は「どこのヤクザ?!」な風体だったけど、顔と調子の良さだけで生きてきた身軽さで、わたしたちに子猫を託してまたいなくなった。以来、生死を含めて行方不明のまま。

 わたしたちのもとには、猫1匹が残った。

 そしてはじまった、祖父とわたしと猫1匹の生活。

 加齢によるおぼつかない足取りで、それでもおじーちゃんは猫を抱いてよちよち歩いた。
 毎日毎日、よちよち歩いた。
 猫を抱いて歩く祖父の隣を、わたしも歩いた。彼らが転ばないよう、見守りながら。

 21世紀を間近に控えた頃、祖父もこの家を去った。
 入院先の病院で、猫に会いたがっていた。家族は見舞いに行けるけれど、猫は行けない。
 元気になって家に帰り、また猫を抱くのだと、最後まで言っていた。

 そして、家に残ったのは、わたしと猫。
 ひとりと1匹の生活。

 3人と1匹だったのに。
 気がつけば半分だ。

 猫を膝に抱いて、わたしはブログなんぞをはじめる。
 大好きなタカラヅカのことを書く。
 ブログのプロフィールに載せるのは、とーぜん猫の写真。

 ひとりと1匹の生活。
 寂しいね、人口半減だよ。でも、ひとりぢゃないから、いいか。

 そして。

 いつからわたし、お祈りしなくなっていたのかな。

「世界が平和でありますように。おじーちゃんとおばーちゃんと猫が、元気で長生きしますように」

 祈っても、なにひとつ叶わないし。
 わたしはもうとっくに少女ではなく、漠然とした祈りより、明日の予定とか心配事とか、目の前の現実に振り回されていて。

 
 2008年8月12日、夜。
 猫が逝った。
 

 最初は、3人と1匹だったのに。
 今はこの家に、わたしひとり。

 小学2年生でこの家に来た。自分の部屋をもらい、暮らしはじめた。
 それ以来、はじめて、ひとりになった。

 変だな。
 夢の中ではしょちゅう、当たり前におじーちゃんは居間でテレビ見てて、おばーちゃんは編み物してるんだけどなあ?
 猫だって、丸まってたり伸びてたり、エサくれって鳴いてたり、してるのになあ?

 
 わたし、いつからお祈り、しなくなっていたのかな。
 わたしの祈りなんか、なんの意味もないけれど。

 
 ありがとう。
 今、こんなにさみしいのもかなしいのも、今までひとりじゃなかったからだ。


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