かなしいときには、好きなものを数えるの。
2008年8月13日 タカラヅカ 8月12日は、博多へ行く予定の日だった。
nanaタンとふたりして「きりやんビルを見るのー!!」と意気をあげていた。
とりあえず日にちだけ決めて、チケットもナニも持ってない。大丈夫、博多座だもん、行けばどっかで観られるよ。当日券に並べば1階後方の車椅子用予備席の一部は売りに出されるだろーし、最悪立ち見でも観られさえすれば、それでイイ。
なにしろ通い慣れた(笑)博多座だ。勝手はわかっている。
行き当たりばったりなのは、いつものこと。
東京手ぶら観劇とか、名古屋手ぶら観劇とか、しょっちゅーしてるもんな、チケットは現地調達基本ってゆーか。
それでたしか数年前、『マラケシュ』観に博多に通ったよね。なにもかも行き当たりばったりに。
いつものことなんで、すっかりナメてかかっていた。
ところがどっこい。
「ムーンライト九州の予約が取れない……」
思わぬ伏兵。劇場チケットは行きさえすればなんとでもなるが、交通手段はそうはいかない。
へんだな、『マラケシュ』に通ったときは電車けっこー空いてたよな? ひとりでふたり席ぶんどって寝てたり、寒くない席に移動したりできるくらい、空いてたよな?
前日にいきなり「明日博多へ旅立とう!」と決めても列車の予約は出来た。
その刷り込みがあったから、油断していた。
……あのときは、お盆期間じゃなかったってことか……。
世間的にどういう時期か考えず、自分たちの都合だけでしか考えてなかった。
や、この日しか空いてないんだよ。休みとか他組との観劇スケジュールの都合とか、nanaタンとわたしが一緒に行ける日って。
博多行き、どーするべ。
と、思っているところへ、雪組初日。
ゆみこがあまりにかっこよくて、nanaタンが天高く舞い上がって帰ってこない(笑)。
博多へ行くアシがない、のはたしかだが、雪初日で確信した、「12日はこりゃ雪組観劇へ変更だな」。
博多行きをあきらめたからには、わたしも雪組を観るつもりでいた。
オギーファンで水ファンの端くれですから。
でも。
案の定nanaタンは雪を観ると言っていて、先に行って一緒にチケット買っておくよ、と言ってきてくれた(nanaタンの方が家がムラに近いのだ)。
わたしがここで「nanaタンがゆみこに舞い上がったために忘れられた」と全世界に向けて発表してしまった(笑)、「まっつの切り抜き」も持ってきてくれるって。
水しぇんにもまっつ(の、切り抜き)にも後ろ髪を引かれるが、断った。
……猫に残された時間が、もうほとんどないことがわかっていたので。
できるだけ、家にいようと思った。
そして、8月12日。
ほんとーなら、予定通りなら、博多にいた日。
猫が、息を引き取った。
猫は、わたしと弟に看取られて、11年と5ヶ月の生涯を閉じた。
野生の強さか、死期を間近にするまで猫は元気そのもの、いつも通りだった。
あまりに突然、急変した。
列車の予約さえ取れていたら、深刻な事態だと気づかずに(気づきたくなくて、思いたくなくて)、旅立っていたかもしれない。いや、前日になって急遽取りやめにして、ツレのnanaタンに迷惑を掛けることになっていたかもしれない。
博多に行かなくて、よかったのだと思う。
大切な家族の最期に、そばにいることができて。
……博多座『ME AND MY GIRL』と、家族の死が直結で記憶に結びついてしまったことが、悲しいけれど。
これから博多『ミーマイ』観たかったなあ、と思うたびに、猫のことを思い出すんだ、と決定づけられてしまったことが、悲しいけれど。
それと同時に、そんなわたしの事情とは関係なく、博多座『ME AND MY GIRL』が素晴らしいモノであってほしいと思う。
そして、今。
フィラント@キムに会いたいな。と、思う。
彼が歌う「お気楽ソング」を聴きたい。
今ムラで公演しているのが、『君を愛してる−Je t’aime−』『ミロワール』だといいのに。
今やっている公演がどうこう、というわけではなくて。
癒されるために、『君を愛してる』が観たいなあ。
未来が見えないくらい、過去だけに囚われてまるまって泣いているときに、救いになる、救ってくれると思うのは、キムくんの明るさと、強さだった。
べそかきながら、キムに会いたいと思った。
あの太陽の輝きとアツさで、救って欲しいと思った。
フィラントの「お気楽ソング」を聴きたい。
ハマコ神父の「愛について」を聴きたい。
シンプルに、しあわせな物語を観たい。
……いやその、わたしのダーリン(笑)は、まっつさんですが。
地べたにめり込んで立ち上がれないよーなときに、まっつのベドウィン音頭が有効かどうかは……ちょっと……。
相沢くん@『舞姫』なら、救ってくれたかもしんないけど、アブ・サラン氏@ヒゲの17歳『愛と死のアラビア』が、わたしを癒してくれるとは思えない……(笑)。
まっつはまっつなだけで、わたしの支えになっているのだけれど。
nanaタンとふたりして「きりやんビルを見るのー!!」と意気をあげていた。
とりあえず日にちだけ決めて、チケットもナニも持ってない。大丈夫、博多座だもん、行けばどっかで観られるよ。当日券に並べば1階後方の車椅子用予備席の一部は売りに出されるだろーし、最悪立ち見でも観られさえすれば、それでイイ。
なにしろ通い慣れた(笑)博多座だ。勝手はわかっている。
行き当たりばったりなのは、いつものこと。
東京手ぶら観劇とか、名古屋手ぶら観劇とか、しょっちゅーしてるもんな、チケットは現地調達基本ってゆーか。
それでたしか数年前、『マラケシュ』観に博多に通ったよね。なにもかも行き当たりばったりに。
いつものことなんで、すっかりナメてかかっていた。
ところがどっこい。
「ムーンライト九州の予約が取れない……」
思わぬ伏兵。劇場チケットは行きさえすればなんとでもなるが、交通手段はそうはいかない。
へんだな、『マラケシュ』に通ったときは電車けっこー空いてたよな? ひとりでふたり席ぶんどって寝てたり、寒くない席に移動したりできるくらい、空いてたよな?
前日にいきなり「明日博多へ旅立とう!」と決めても列車の予約は出来た。
その刷り込みがあったから、油断していた。
……あのときは、お盆期間じゃなかったってことか……。
世間的にどういう時期か考えず、自分たちの都合だけでしか考えてなかった。
や、この日しか空いてないんだよ。休みとか他組との観劇スケジュールの都合とか、nanaタンとわたしが一緒に行ける日って。
博多行き、どーするべ。
と、思っているところへ、雪組初日。
ゆみこがあまりにかっこよくて、nanaタンが天高く舞い上がって帰ってこない(笑)。
博多へ行くアシがない、のはたしかだが、雪初日で確信した、「12日はこりゃ雪組観劇へ変更だな」。
博多行きをあきらめたからには、わたしも雪組を観るつもりでいた。
オギーファンで水ファンの端くれですから。
でも。
案の定nanaタンは雪を観ると言っていて、先に行って一緒にチケット買っておくよ、と言ってきてくれた(nanaタンの方が家がムラに近いのだ)。
わたしがここで「nanaタンがゆみこに舞い上がったために忘れられた」と全世界に向けて発表してしまった(笑)、「まっつの切り抜き」も持ってきてくれるって。
水しぇんにもまっつ(の、切り抜き)にも後ろ髪を引かれるが、断った。
……猫に残された時間が、もうほとんどないことがわかっていたので。
できるだけ、家にいようと思った。
そして、8月12日。
ほんとーなら、予定通りなら、博多にいた日。
猫が、息を引き取った。
猫は、わたしと弟に看取られて、11年と5ヶ月の生涯を閉じた。
野生の強さか、死期を間近にするまで猫は元気そのもの、いつも通りだった。
あまりに突然、急変した。
列車の予約さえ取れていたら、深刻な事態だと気づかずに(気づきたくなくて、思いたくなくて)、旅立っていたかもしれない。いや、前日になって急遽取りやめにして、ツレのnanaタンに迷惑を掛けることになっていたかもしれない。
博多に行かなくて、よかったのだと思う。
大切な家族の最期に、そばにいることができて。
……博多座『ME AND MY GIRL』と、家族の死が直結で記憶に結びついてしまったことが、悲しいけれど。
これから博多『ミーマイ』観たかったなあ、と思うたびに、猫のことを思い出すんだ、と決定づけられてしまったことが、悲しいけれど。
それと同時に、そんなわたしの事情とは関係なく、博多座『ME AND MY GIRL』が素晴らしいモノであってほしいと思う。
そして、今。
フィラント@キムに会いたいな。と、思う。
彼が歌う「お気楽ソング」を聴きたい。
今ムラで公演しているのが、『君を愛してる−Je t’aime−』『ミロワール』だといいのに。
今やっている公演がどうこう、というわけではなくて。
癒されるために、『君を愛してる』が観たいなあ。
未来が見えないくらい、過去だけに囚われてまるまって泣いているときに、救いになる、救ってくれると思うのは、キムくんの明るさと、強さだった。
べそかきながら、キムに会いたいと思った。
あの太陽の輝きとアツさで、救って欲しいと思った。
フィラントの「お気楽ソング」を聴きたい。
ハマコ神父の「愛について」を聴きたい。
シンプルに、しあわせな物語を観たい。
……いやその、わたしのダーリン(笑)は、まっつさんですが。
地べたにめり込んで立ち上がれないよーなときに、まっつのベドウィン音頭が有効かどうかは……ちょっと……。
相沢くん@『舞姫』なら、救ってくれたかもしんないけど、アブ・サラン氏@ヒゲの17歳『愛と死のアラビア』が、わたしを癒してくれるとは思えない……(笑)。
まっつはまっつなだけで、わたしの支えになっているのだけれど。
コメント