最初に言っておく。

 わたしは、このショーが好きだ。
 オギー新作『ソロモンの指輪』

 オギーファンとして、とても興味深く、たのしめる。

 そのうえで。

 ちょっと感情的に、叫んでみる。

 オギーは、二度と水夏希に近づくな。

 初見では違和感程度で済んだ……というか、考えたくなかったんだけど、2回目で血の気が引いた。

 「水夏希」の扱いについて。
 その、冷酷さ、残酷さについて。

 いや、その。
 あくまでも、わたしひとりが勝手に思ったことで、わたしひとりの感想に過ぎないんだが。
 他の人はこんなふーに、カケラも思うことはないのかもしれないが。

 わたしには、きつかった。

 解説を見ると、水くんは「指輪の精」ということになっている。
 タイトルは『ソロモンの指輪』で、「指輪の精」だ、最初わたしはそのまんまに受け止めて観劇し……首を傾げた。
 なんだろう、この違和感。
 水くんは指輪の精で、ジンガイの存在だよね? この物語世界の中心、統べる者だよね? 統べる、つーのは支配ではなく、牽引というか要というか、まあそーゆー意味で。
 美しく派手な衣装、派手な登場。たしかに彼は、カオスの中心にいる。
 いる……けれど。

 こみあげる違和感。

 さまざまな登場人物、人間、天使、動物、鳥、王、乞食、美女、美女らしきもの、海、水、誘惑者、囚われ人、……数えていくときりがないほどのパーツ、断片。

 そして。

 混沌のなか、ひとりだけが、浮かび上がってくる。

 どこにも、居場所のない者として。

 主役であるはずの、タイトルロールであるはずの「指輪の精」……水夏希が。

 なんなの、この疎外感。なんなの、この孤独。
 なんなの……この、場違い感。

 ここは、彼のいるべき場所ではない。

 寄せては返す波のように、たたみかけられる。追い討ちをかけられる。
 退路を経ち、絶望の淵へと、ゆっくりと誘導していく。
 一撃で突き落とさない、じわじわと、彼自身が自分で、追い詰められていく。

 誰も、手を汚さない。

 だからこわい。
 だから痛い。

 誰も、直接には彼を傷つけない、殺さない。彼が自分で破滅するよう見守って……ただ、見守って。
 彼は気づいていない。
 崖っぷちに追い詰められていること。あとはもう、飛ぶことしかできないこと。

 飛んでも、どこへも行けない。
 だって彼には、翼がない。

 ただ、おちるだけ。

 ラストの場面。
 黄金と白金に満ちた世界、人々に見守られて。
 血糊の花を全身に咲かせて、彼は踊る。

 豪華な衣装の、美しい人々の中。
 彼ひとりだけがシンプルな……装飾の少ないあるがままの姿で、血まみれで。

 彼の髪を飾る王冠は、追いつめられ自害したかの王を彷彿とさせ。

 ただ、見守る人々。
 手は汚さず、とどめもささず。

 彼自身が「終る」のを、ただ見ている。

 
 ザーっと血の気が引いて、心臓がばくばくして、も、どーしよーかと。
 どんな物語がそこにあるのか、他人がどう見るのか知らないが、わたしは水しぇん中心に俯瞰して眺めてて、苦しくなって、つらくて哀しくて、ちくしょー、オギーめ、水しぇんになんてことすんのよおーっ、と、憤った(笑)。

 最後の血糊衣装と髪型と髪飾り、アレはやりすぎだろヲイ。同時上演の芝居の主人公の名を、オギーが知らなかったとは言わせない。
 うきーっ。

 でもべつに、水くん自身が貶められているわけじゃない。すばらしい作品の、主役であることには、間違いないのだから。
 「正視できないほど痛々しい役」を演じているだけのこと。
 反射的に「オギーのバカっ!」と思っただけで、役者と役は切り離して考えるべきよね。

 そうよ、水しぇんのMプレイを愉しむ作品だと思えばいいんだ。

 ははは、そーだよな、水くんってSとMなら絶対Mキャラだもんな。
 そこを堪能すればいいんだよな。
 痛々しさにハァハァすればいいんだよな。
 ……うわーん、今はまだつらいよお、見ていて胸がハクハクするよお。
 もっと主演ファンにやさしいもの作ってくれよ……。

 『ソロモンの指輪』には、ちと感情的になっているので、まだ整理がついてません。

 主役として、作品世界の中心ですべてを掌握している……と見せかけて、彼はなにも得ておらず、翻弄され、欺かれている、とゆーのがね……。
 はじめから世界に拒否られ、孤独な存在として浮いているならともかく。
 見ているうちに真実に気づき、立場が、信じていたモノが、逆転するのがすげーこわい。ぞっとする。
 ラストシーン、キラキラ衣装のみんなに凝視される血糊姿が、ブラック過ぎて。

 あー……。
 痛いなぁ……。

 好きだけど。
 それでも、無視できない吸引力を持った作品だと思っているけれど。
 それだからこそ。


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