子どもの頃わたしは、クリスマスのショーウィンドウにディスプレイされている、プレゼントの箱が大好きだった。
 カラフルな包装紙と、きらきらのリボンに包まれた、いろんな大きさの箱たち。
 ただのディスプレイで、中身は空だと教えられても、それでも好きだった。
 欲しいモノを聞かれて、「空でもイイから、アレが欲しい」と、ウィンドウの中のリボン箱を指さすくらい、好きだった。
 ツリーのオーナメントでも、いちばんのお気に入りは、リボンのついたプレゼント箱だった。
 サンタさんはすでに信じていなかったけれど、サンタクロースの絵が好きだったのは、彼がリボンのついたプレゼント箱をいっぱい持っていたからだ。

 わたしがあんまり欲しがるので、父はわたしへのクリスマス・プレゼントを、派手なプレゼント包装をしてもらうよう、毎年有料でどこかへ頼んでいたらしい。髪に飾ることが出来そうな手触りのいい厚めのリボンを、素人ではできないような複雑なカタチにして、あざやかな包装紙を包んで。

 中身よりナニより、わたしはソレをよろこんだ。
 リボンをこわさないようにはずし、丁寧に包装紙の一部だけを開き、中身を取り出したらまた包装をすべて開封前に戻す。
 中は空っぽの「ブレゼント」を、そのまま部屋に飾っていた。

 リボンのついたプレゼント箱は、それだけで夢だった。
 わたしにとって。

 ナニかステキなモノが入っている。
 誰かが誰かのために、心を込めた……中身だけ剥き出しで贈ったって価値が変わるわけではないのに、わざわざ手間暇かけて包んだ、飾った……そこにある、想いを感じて。

 中身はほら、開けてがっかり、てこともあるわけで。(父が選ぶ「幼い娘へのプレゼント」は、ピントがずれていることも多かった。今さら人形ハウスはないだろ、とか。くまちゃんのデカぬいぐるみはないだろ抱いて寝ろってのか?とか。や、それでもよろこんでたけど)

 愛情を受け取り、感謝と期待に満ちる。
 
 
 春野寿美礼というひとに会いたくて、ひとりで行ってきました、春野寿美礼ファーストコンサート『My Heart』初日。

 コンサート会場で販売しているプログラムは、水色の包装紙に白いリボンがかけられている、プレゼント箱を模していた。
 表紙のリボンが十字の真ん中で蝶々結び、裏表紙は十字のみ。
 シンプルだけど美しい、プレゼント箱。

 そして。
 この箱は、コンサートで登場する。

 舞台にぽつんと置いてある、プログラムと同じプレゼント箱。
 現れるのは、ひとりのアルルカンと、ひとりの少女。
 少女はそのリボンのついた箱を受け取る。

 箱の中には……。

 ひとりの少女の物語になぞって、春野寿美礼が登場する。歌う。

 
 去年のクリスマスイヴから、8ヶ月と少しぶりの、再会。
 ただ、このひとに会いたかった。
 この歌声に会いたかった。

 当然だが、ヅカ化粧じゃない。
 当然だが、男役じゃない。

 それでも、話す声も歌う声も、なにも変わりはなく。

 性別不詳のデコラティヴな衣装から、セクシーな「女性」としての燕尾姿、シックなドレス、キュートなドレス姿を披露しながらも、中盤のヅカメドレーではスーツ姿で男役っぽくも見せて。
 鎖骨は見せても脚は見せないらしく、足首の見える黄色いドレスの下に、同色のレギンス穿いているのには、かえってびびった。や、ソレは脚をチラ見せするためのデザインでしょ?と(笑)。
 最後はトート閣下かオスカル様か、あるいはゼウス様(笑)なロン毛+男役スター風衣装。(でも素化粧)

 薄い顔立ちと圧倒的な歌声、かっこいいおねーさん系で決めてみせ、さらに、満面の笑みで歌い出すときのかわいらしさとのコントラスト。

 歌いたい歌を選んだ、という選曲は英語の歌が多く、世界の狭いわたしには耳馴染みのないものが多かった。
 また、自ら作詞作曲した曲と、作詞した曲があり、それらはファンへ向けての感謝の想いがこもっている、そうだ。

 ダンサーが男4人、女4人、コーラスが女性3人。オーケストラの指揮はオサコンの塩田せんせ。演出は酒井せんせ。
 MCはほとんどなく、ほぼ全編、歌とダンス。

 最初に登場したアルルカンと少女は、コンサートが進むなか、幾たびか登場する。
 少女が手にしたリボンの箱から、出てきたものは。

 アルルカンが、箱の中身をひとつずつ少女に手渡す。

 あざやかな色の燕尾ジャケット、シルクハットにステッキ。

 少女は燕尾姿でうれしそうに踊る。

 だがやがて、少女は受け取ったひとつずつを、アルルカンに、箱の中へ返していく。
 箱のフタが、閉まる。少女はもう、燕尾服で踊ることはないのだろう。
 夢の花園を、自らあとにしたのだから、
 

 そして、次に箱が開くとき。

 リボンのついたプレゼント箱が開くとき。

 「音楽」そのものである春野寿美礼が、光の中に立つ。

 少女とアルルカンは姿を消し、春野寿美礼だけが存在する。歌う。

 リボンのついたプレゼント箱。子どもの頃を、思い出した。
 そうだわたし、あの箱が好きで、欲しくて、たまらなかったんだ。
 中身を取り出したあとも、色が変わるまでしつこく部屋に飾っていた。
 大人になって、今また、リボン箱をもらった。

 歌手・春野寿美礼という、新しい贈り物。
 愛情を受け取り、感謝と期待に満ちる。

 ヅカメドレーの最初が『アデュー・マルセイユ』だったんだけどね。
 「アデュー」の方じゃないの。「ボンソワール」なの。

 帰って、来たんだよ。
 帰ってきたの、あのひと。

 これからも、何度もこうやってリボンのついたプレゼント箱を、受け取ることが出来るんだ。
 開ける楽しみを、味わうことが出来るんだ。

 今はただ、それだけがうれしい。
 また、この歌声に会うことが出来た。
 それだけを消化しきれなくて、コンサート中最初から最後まで泣き通した。
 あー、泣きすぎてアタマ痛い……。

 カーテンコールでくにゃくにゃになっているオサ様も、相変わらずのぐだぐだ振りで(笑)、客席と声出し合ってて、デジャヴにとらわれる。

「これからも、歌を奏でていきたい」

 という言葉を何度も何度も反芻して。
 青山ではオペラグラスなくてもいいかな、て席だったからいいけど、すみっこ席の梅芸でははたして素顔メイクでオサ様の目鼻口判別つくだろうかとか、不遜な不安もおぼえつつ(笑)、このひとが持つ「うつくしさ」に酔う。
 や、顔立ち云々じゃなく、歌声を含めた存在自体が持つ美しさに。

 
 会いたかったの。


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