道しるべは歌う。@My Heart
2008年9月16日 タカラヅカ しあわせな時間だった。
春野寿美礼の歌声に、満たされる。
春野寿美礼ファーストコンサート『My Heart』千秋楽。
わたしはひたすら、リラックスしていた。
そしてそのことに、どれほど2週間前の初日に自分自身が緊張していたかを、思い知る。
ヅカを卒業した寿美礼サマがどんな姿のどんな人になっているのか、また、その姿を見てわたしがどんな風に思うのか、想像もつかない、想像しても仕方がない、百聞は一見にしかず、とにかく自分で体験するしかなくて。
人生なにごとも経験だから、とにかく飛び込んでみる。体験してみる。
新しい、春野寿美礼を。
初日は、受け止めるだけで精一杯だった。
あらゆることにいっぱいいっぱいで、歌を聴くどころぢゃなかった。……今にして思えば。
実際のところ、寿美礼サマは良くも悪くも変わっていなかった。
ヅカメイクではないので、ビジュアル的にはかなり評価の分かれるところだと思うが……あの顔立ちも含めて寿美礼サマ。造作だけでなく、そこに浮かぶ表情の魅力重視でヨロシク。
ただリラックスして、歌を聴く。
それが許される、しあわせ。
いつかこの歌声を失ってしまうのだ、と背中を焦がされるよーな思いで聴いていたんだ……いつも、いつも。
タカラヅカは終わりのある楽園。誰であっても、それは変わらない。退団発表がなくても、無意識に、どこかにその焦りはあった。
そこから、ほんとうに、解き放たれたんだ。
これから、はじまる。
はじまって、くれたんだ。
これからがある、未来があるんだ。時間があるんだ。
そのことの、よろこび。幸福。
ああわたし、ほんとに幸せなんだ、と思う。
至福というほどの強さではなく、もっとゆるい感覚。だからこそなお、ナチュラルに幸せなのかもしれない。
初日はわたしもたしかに歌を堪能するどころの精神状態ではなかったが。
それにしてもこのコンサート期間中で、オサ様の歌声、さらに響きを増してるよね?
回を重ねることで、さらに美しくなってるよね?
歌声の艶だけではなく。
ぐだぐだなトークもまた、のびる一方で(笑)。
あー、オサコンを思い出すな。オサ様ひとりで喋らせると、収拾がつかなくてなって与太りまくって、わけわかんなくなるの。
初日はまだ言葉足らずに「や、言いたいことはわかったから」と観客が察するのに任せたおぼつかない喋りだったのが、千秋楽ではこれまで毎回喋っていたネタに追記していくうちに、さらにぐたぐたに渦巻状になった喋りっぷりで、手に汗握った。
後ろで指揮者の塩田せんせが、すげー温かく見守ってくれているのが、わかる。や、オサ様のトーク終了の合図で演奏はじめなきゃいけないから、背中で空気を計っているわけだが……そーゆー事務的なことだけじゃなく、トークが迷子になると苦笑したりエールを送っているのが感じられるのね。
指揮が塩田せんせで良かった。踊りまくったりあおったりして、「参加」してくれているのがうれしい。
ぐだぐだなトーク、論旨も結論もどっかへ行ってしまって帰ってこない、愉快なことを言っているわけでも洒落ているわけでもない、しかも1文節ずつ区切って溜めて喋る(そのため本人も最初ナニを言うつもりだったか、途中でわからなくなる)どーしよーもなさ(笑)。
そのダメダメっぷりから、歌い出すと一気に変わる。
彼……彼女は、予言者のようだと、思った。
紫色のドレスの場面で、痛切にその思いがわきあがった。
このひとの指し示すところへ、わたしは行くんだ。
春野寿美礼がどんな人か知らないし、知りたいとも思ってないが、ただわたしはこのひとの舞台から発するモノを受け止め、このひとの示す方向へ行くんだ。
現役時代からそうだったように、勝手に盛り上がって崇め奉って、勝手に幻滅したり嫌ったりしながら、「それでも好き」と半ベソかいてついて行くんだろう。
このひとが向かう先を、視たいと思う。
このひとの奏でる歌を、聴きたいと思う。
どこに行くのか、わかんないけど。
「今」の寿美礼サマは、なんかすごーく「過渡期」だ。
良くも悪くも変わっていなくて、なのにもう「男役」ではない。
男役だった過去を否定するのでなく、大切に受け止めながらも、さらにどこかへ向かおうとしている。
初日にあった気負いというか、張りつめきったナニかは消え、別のモノがにじみ出てきている。
借りてきた猫が、ベッドの下で毛を逆立てていたんだけど、おそるおそる出てきましたっていうか。
置いてあったエサを食べたら、またベッドの下に逃げ込むんだけど、そっから先は出てくる頻度が上がって、ついにはベッドの上でおなかを上にして寝てしまったというか。
カーテンコールは、けっこー早めにオサ様がステージに戻ってきたのに、そっから先がなかなかはじまらず。
「なんかみんな準備してるみたいで……」
て、なんの準備かと思ったら、出演者みんなオサ様写真入りうちわで顔を隠して登場。
それだけに留まらず、舞台上のオケの人たちまでみんなみんな、同じうちわ。
ただし塩田せんせだけ自分の顔写真うちわ(笑)。
そーやってひとしきり盛り上がったあと、アンコール曲の「My Heart」へ。
スタンディングの客が一斉に坐り出す、お行儀の良さ(笑)。
歌い終わったオサ様の背後にカラーテープが滝のようにばさーっと落ちて、金色の紙吹雪が舞って……しかし、自らの余韻に浸りきっているオサ様はなにも気づかず。
何拍も遅れて後ろを振り返り、マジでびびっている姿がステキ。
追い出しアナウンスが流れても、拍手はやまなくて。
目を線にしたオサ様が袖から登場して、「*階のお客さんイェ~~ッ!!」をやり、「先に進むよ~~ッ!!」をやり。
ついには、「オレについてこいよ~~!」と叫ぶ始末。
デジャヴ。
この劇場で、同じように拳を振り上げていた、あのころ。
今はもうあのころではないはずなのに。
オサ様自身が、繰り返されるカーテンコールのなか、もーわけわかんなくなってるっぽいのが、すごくイイ。
今「オレ」って言ったよあのひと。
今でも「オレ」なんだ。ついぽろっと出ちゃうくらいには、あのひとの過ごした花園での時間は、あのひとの血肉になっているんだ。
すげー堂々と「オレ」なまま袖に入り。
次に出てきたときはすげーテレテレに、「もう男役じゃなかった」と我に返ったそうで、「私についていらして(はぁと)」とやってくれた。
その揺らぎをそのままに。
どんな姿を見せてくれるのか、たのしみにしていたい。
このひとが指し示す、その先を。
春野寿美礼の歌声に、満たされる。
春野寿美礼ファーストコンサート『My Heart』千秋楽。
わたしはひたすら、リラックスしていた。
そしてそのことに、どれほど2週間前の初日に自分自身が緊張していたかを、思い知る。
ヅカを卒業した寿美礼サマがどんな姿のどんな人になっているのか、また、その姿を見てわたしがどんな風に思うのか、想像もつかない、想像しても仕方がない、百聞は一見にしかず、とにかく自分で体験するしかなくて。
人生なにごとも経験だから、とにかく飛び込んでみる。体験してみる。
新しい、春野寿美礼を。
初日は、受け止めるだけで精一杯だった。
あらゆることにいっぱいいっぱいで、歌を聴くどころぢゃなかった。……今にして思えば。
実際のところ、寿美礼サマは良くも悪くも変わっていなかった。
ヅカメイクではないので、ビジュアル的にはかなり評価の分かれるところだと思うが……あの顔立ちも含めて寿美礼サマ。造作だけでなく、そこに浮かぶ表情の魅力重視でヨロシク。
ただリラックスして、歌を聴く。
それが許される、しあわせ。
いつかこの歌声を失ってしまうのだ、と背中を焦がされるよーな思いで聴いていたんだ……いつも、いつも。
タカラヅカは終わりのある楽園。誰であっても、それは変わらない。退団発表がなくても、無意識に、どこかにその焦りはあった。
そこから、ほんとうに、解き放たれたんだ。
これから、はじまる。
はじまって、くれたんだ。
これからがある、未来があるんだ。時間があるんだ。
そのことの、よろこび。幸福。
ああわたし、ほんとに幸せなんだ、と思う。
至福というほどの強さではなく、もっとゆるい感覚。だからこそなお、ナチュラルに幸せなのかもしれない。
初日はわたしもたしかに歌を堪能するどころの精神状態ではなかったが。
それにしてもこのコンサート期間中で、オサ様の歌声、さらに響きを増してるよね?
回を重ねることで、さらに美しくなってるよね?
歌声の艶だけではなく。
ぐだぐだなトークもまた、のびる一方で(笑)。
あー、オサコンを思い出すな。オサ様ひとりで喋らせると、収拾がつかなくてなって与太りまくって、わけわかんなくなるの。
初日はまだ言葉足らずに「や、言いたいことはわかったから」と観客が察するのに任せたおぼつかない喋りだったのが、千秋楽ではこれまで毎回喋っていたネタに追記していくうちに、さらにぐたぐたに渦巻状になった喋りっぷりで、手に汗握った。
後ろで指揮者の塩田せんせが、すげー温かく見守ってくれているのが、わかる。や、オサ様のトーク終了の合図で演奏はじめなきゃいけないから、背中で空気を計っているわけだが……そーゆー事務的なことだけじゃなく、トークが迷子になると苦笑したりエールを送っているのが感じられるのね。
指揮が塩田せんせで良かった。踊りまくったりあおったりして、「参加」してくれているのがうれしい。
ぐだぐだなトーク、論旨も結論もどっかへ行ってしまって帰ってこない、愉快なことを言っているわけでも洒落ているわけでもない、しかも1文節ずつ区切って溜めて喋る(そのため本人も最初ナニを言うつもりだったか、途中でわからなくなる)どーしよーもなさ(笑)。
そのダメダメっぷりから、歌い出すと一気に変わる。
彼……彼女は、予言者のようだと、思った。
紫色のドレスの場面で、痛切にその思いがわきあがった。
このひとの指し示すところへ、わたしは行くんだ。
春野寿美礼がどんな人か知らないし、知りたいとも思ってないが、ただわたしはこのひとの舞台から発するモノを受け止め、このひとの示す方向へ行くんだ。
現役時代からそうだったように、勝手に盛り上がって崇め奉って、勝手に幻滅したり嫌ったりしながら、「それでも好き」と半ベソかいてついて行くんだろう。
このひとが向かう先を、視たいと思う。
このひとの奏でる歌を、聴きたいと思う。
どこに行くのか、わかんないけど。
「今」の寿美礼サマは、なんかすごーく「過渡期」だ。
良くも悪くも変わっていなくて、なのにもう「男役」ではない。
男役だった過去を否定するのでなく、大切に受け止めながらも、さらにどこかへ向かおうとしている。
初日にあった気負いというか、張りつめきったナニかは消え、別のモノがにじみ出てきている。
借りてきた猫が、ベッドの下で毛を逆立てていたんだけど、おそるおそる出てきましたっていうか。
置いてあったエサを食べたら、またベッドの下に逃げ込むんだけど、そっから先は出てくる頻度が上がって、ついにはベッドの上でおなかを上にして寝てしまったというか。
カーテンコールは、けっこー早めにオサ様がステージに戻ってきたのに、そっから先がなかなかはじまらず。
「なんかみんな準備してるみたいで……」
て、なんの準備かと思ったら、出演者みんなオサ様写真入りうちわで顔を隠して登場。
それだけに留まらず、舞台上のオケの人たちまでみんなみんな、同じうちわ。
ただし塩田せんせだけ自分の顔写真うちわ(笑)。
そーやってひとしきり盛り上がったあと、アンコール曲の「My Heart」へ。
スタンディングの客が一斉に坐り出す、お行儀の良さ(笑)。
歌い終わったオサ様の背後にカラーテープが滝のようにばさーっと落ちて、金色の紙吹雪が舞って……しかし、自らの余韻に浸りきっているオサ様はなにも気づかず。
何拍も遅れて後ろを振り返り、マジでびびっている姿がステキ。
追い出しアナウンスが流れても、拍手はやまなくて。
目を線にしたオサ様が袖から登場して、「*階のお客さんイェ~~ッ!!」をやり、「先に進むよ~~ッ!!」をやり。
ついには、「オレについてこいよ~~!」と叫ぶ始末。
デジャヴ。
この劇場で、同じように拳を振り上げていた、あのころ。
今はもうあのころではないはずなのに。
オサ様自身が、繰り返されるカーテンコールのなか、もーわけわかんなくなってるっぽいのが、すごくイイ。
今「オレ」って言ったよあのひと。
今でも「オレ」なんだ。ついぽろっと出ちゃうくらいには、あのひとの過ごした花園での時間は、あのひとの血肉になっているんだ。
すげー堂々と「オレ」なまま袖に入り。
次に出てきたときはすげーテレテレに、「もう男役じゃなかった」と我に返ったそうで、「私についていらして(はぁと)」とやってくれた。
その揺らぎをそのままに。
どんな姿を見せてくれるのか、たのしみにしていたい。
このひとが指し示す、その先を。
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