愛が支配する。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月22日 タカラヅカ たぶん植爺は、ジェローデル役がまっつだって、忘れてると思う。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』では、やたらめったら「ジェローデル」という名前が出てくる。
ええ、なにしろ、主人公であるアラン@まとぶんが、なにもかも投げ出して自殺を決めた理由が、ジェローデルが死んだためですから。
作中に実際登場するジェローデル@まっつと、アランは面識無し。会ったこともないし、そんな人がいることすら、お互い知らないだろう。
だけど名前だけは出まくるのだ。
10年後、隻腕将軍と呼ばれるよーになったアランと、その周辺で。
作中のまっつジェロと、アランが語る「ジェローデル」は別人だと思う。作者自身が、そう思っていると思う。てゆーか、作中にジェローデルと呼ばれている人物を出したこと、じーさん忘れてるって。
アランがやたらめったら語りまくっている「ジェローデル」とは、ナニモノか。
『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』の、ジェローデル@水しぇんです。
電波な会話をしながら修道院でソフィア@とにゃみに抱かれて死んだ、あの色男のことですよ。
植爺は自身初のスピンオフに酔っているようです。
素人がなにか描いたときに陥りがちな、「内輪ウケ」ってやつ。
自分の別作品のネタを引っ張ってきて、「このキャラには、ナニかあるのよ」とチラチラと思わせぶりにする。そりゃ作者の脳内にはなにかしら壮大な設定があるのかもしれないが、客にはそんなもんわかんないから、その話をちゃんとこの物語内で描く気がないなら、思わせぶりに出されてもウザイだけなんですけど?
編集者に見せたら、絶対すぱっとカットされますよ、そんな「作者の自己満足内輪ネタ」なんてもん。
連載決まってて、様子見の読み切りでだったら、やらせてもらえるかもしれないけど。
ふつーは「この作品1本で収束できる話を書け」って言われる。
「外伝3部作」(4部作?)と謳っているのだから、ある程度のリンクは今のご時世必要だと思う。会話の一部分が、他外伝を観ている人にだけ「あれのことね」とわかり、にやりとできるとか、その程度。
主人公の自殺の理由が、「別の物語を観てね!」って、そりゃねーだろ。
てゆーか、その「別の物語」である『ジェローデル編』を観ても、実際のとこわかんないし。『ジェロ編』も植爺作らしくぶっ壊れてるから。
フランス革命から10年後、私欲ゆえに権力を欲するナポレオンと対立しているアラン。
アランの希望はひとつ、革命で散っていった「ただひとりの愛する人」オスカルの志を守り、貫くこと。
自由、平等、博愛……オスカルが目指した世界を作ること。
ナポレオンをのさばらしていたら、オスカルへ顔向けできない。
とゆー趣旨だったはずだ。
それが。
「ジェローデルがナポレオンに殺された。もうダメだ、オレもあきらめて死ぬことにするよ。オスカルの志? 知らね、誰かなんとかしてくれんじゃね? がんばっても無駄だから、全部投げ出すことにするわ」
1時間半かけてだらだら回想シーンやってゆーれいと話して、その結果がコレかよ?!
「誰かがやってくれる」……ほんとにそう言うんだよ、アラン。ついさっきまで「オスカルに顔向けできない」ってわめいてたくせに。誰かって誰だよ?!と、盛大に突っ込んださ。少なくとも、作中にはアランの志を引き継いでなおも戦い続ける闘士は、ひとりも登場していない。
背負ってきた使命をなんのアテもなく投げ出して逃げて終わる主人公、って、はじめて見た……。
で、投げ出す理由が、観客の知らない「ジェローデル」という人物の死。
作中のジェローデルはただの貴族のぼんぼんで、「フランスのために独裁者暗殺に立ち上がった英雄」ではまったくないし。
ジェローデルの死を「理由」にするなら、『アラン編』でその英雄ジェローデルの活躍を描かないと。
それすらないから観客は、
「ジェローデルって……まっつがやってた役? 出番数分のいなくても別に良かったんぢゃ? てな扱いの、ただアンドレに求婚報告だけして去っていったマイペースな人よね? なんでまっつが死んだからって、まとぶんがショック受けて後追い自殺するの? デキてたの?」
て、混乱するんじゃん!! や、話は全部役名で言おうな、それとデキてたまでは考えなくても、「後追い自殺」はふつー変だと思うから!!
植爺はまっつのことなんかすっかり忘れていて、アタマの中には『ジェローデル編』の水しぇんのことしかないのよ。
で、自分のアタマの中にあるもんだから、自分=世界のすべてだと思っているから、なんの説明もなくて平気なの。自分だけわかっていて、それを他人に説明することは考えてないの。知らないの。
おかげでアランは、オスカルの志よりジェローデルの死にショック受けて自殺する軟弱なホモ男になってしまった。
いや、水×まとぶでも、まっつ×まとぶでも、わたしはオイシクいただきますから、ソレについてはぜんぜんかまわないんだけど、世の中的にソレはまずいだろう、植爺よ。
てゆーか、理由がどうあれ、「なにもかも投げ出して逃げる主人公」ってのは、どうなのよ。
周囲の人間が「もう無理だ」と言っているのに「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」とがんばり続ける主人公が、志半ばで倒れるならともかく。
周囲の人間(ゆーれいだけど)が「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」と言っているのに、肝心の主人公は「もう無理だ」と言って自殺。
……えーと。
ある意味、「新しい」のか?
「嫌なことがあったらさっさとあきらめて自殺しよーぜぃ! 逃げた方が楽だからなっ」という、イマドキなメッセージ?
ただわたしは、「タカラヅカ」でそーゆーものは見たくないな。
キレイゴトでいいから、最後までがんばる主人公をヅカ的に「正しい」と思うし、最後まであきらめない人間が志半ばで倒れることを悲劇だと思う。逃げる人はべつに悲劇じゃない……逃げることしかできなかった心の弱さは悲劇だと思うけれど。
まあ、いちばんこわいのは、植爺がナニもわからずに書いていることだと思うが。
この人がこんな作品を垂れ流し続けていることが、すでにホラーだわ……。
わたしは「タカラヅカ」というジャンルが好きで、「タカラヅカ」的なモノを好きなので、アランの自殺の理由は「挫折して逃避、責任転嫁して自殺」なんて考えたくないので、ヅカらしく愛ゆえに死んだんだと思うことにします。
つまり。
「ああ愛しいジェローデル、あなたの死を知ってなお生き続けることなどワタシにはできません! あなたのあとを追って死にます!! ラブイズフォエバー!!」
……とゆー、正統派な理由だと、思っておきます(笑)。
愛ですよ、愛!!
すべては愛ゆえにです。
『外伝 ベルサイユのばら-アラン編-』では、やたらめったら「ジェローデル」という名前が出てくる。
ええ、なにしろ、主人公であるアラン@まとぶんが、なにもかも投げ出して自殺を決めた理由が、ジェローデルが死んだためですから。
作中に実際登場するジェローデル@まっつと、アランは面識無し。会ったこともないし、そんな人がいることすら、お互い知らないだろう。
だけど名前だけは出まくるのだ。
10年後、隻腕将軍と呼ばれるよーになったアランと、その周辺で。
作中のまっつジェロと、アランが語る「ジェローデル」は別人だと思う。作者自身が、そう思っていると思う。てゆーか、作中にジェローデルと呼ばれている人物を出したこと、じーさん忘れてるって。
アランがやたらめったら語りまくっている「ジェローデル」とは、ナニモノか。
『外伝 ベルサイユのばら-ジェローデル編-』の、ジェローデル@水しぇんです。
電波な会話をしながら修道院でソフィア@とにゃみに抱かれて死んだ、あの色男のことですよ。
植爺は自身初のスピンオフに酔っているようです。
素人がなにか描いたときに陥りがちな、「内輪ウケ」ってやつ。
自分の別作品のネタを引っ張ってきて、「このキャラには、ナニかあるのよ」とチラチラと思わせぶりにする。そりゃ作者の脳内にはなにかしら壮大な設定があるのかもしれないが、客にはそんなもんわかんないから、その話をちゃんとこの物語内で描く気がないなら、思わせぶりに出されてもウザイだけなんですけど?
編集者に見せたら、絶対すぱっとカットされますよ、そんな「作者の自己満足内輪ネタ」なんてもん。
連載決まってて、様子見の読み切りでだったら、やらせてもらえるかもしれないけど。
ふつーは「この作品1本で収束できる話を書け」って言われる。
「外伝3部作」(4部作?)と謳っているのだから、ある程度のリンクは今のご時世必要だと思う。会話の一部分が、他外伝を観ている人にだけ「あれのことね」とわかり、にやりとできるとか、その程度。
主人公の自殺の理由が、「別の物語を観てね!」って、そりゃねーだろ。
てゆーか、その「別の物語」である『ジェローデル編』を観ても、実際のとこわかんないし。『ジェロ編』も植爺作らしくぶっ壊れてるから。
フランス革命から10年後、私欲ゆえに権力を欲するナポレオンと対立しているアラン。
アランの希望はひとつ、革命で散っていった「ただひとりの愛する人」オスカルの志を守り、貫くこと。
自由、平等、博愛……オスカルが目指した世界を作ること。
ナポレオンをのさばらしていたら、オスカルへ顔向けできない。
とゆー趣旨だったはずだ。
それが。
「ジェローデルがナポレオンに殺された。もうダメだ、オレもあきらめて死ぬことにするよ。オスカルの志? 知らね、誰かなんとかしてくれんじゃね? がんばっても無駄だから、全部投げ出すことにするわ」
1時間半かけてだらだら回想シーンやってゆーれいと話して、その結果がコレかよ?!
「誰かがやってくれる」……ほんとにそう言うんだよ、アラン。ついさっきまで「オスカルに顔向けできない」ってわめいてたくせに。誰かって誰だよ?!と、盛大に突っ込んださ。少なくとも、作中にはアランの志を引き継いでなおも戦い続ける闘士は、ひとりも登場していない。
背負ってきた使命をなんのアテもなく投げ出して逃げて終わる主人公、って、はじめて見た……。
で、投げ出す理由が、観客の知らない「ジェローデル」という人物の死。
作中のジェローデルはただの貴族のぼんぼんで、「フランスのために独裁者暗殺に立ち上がった英雄」ではまったくないし。
ジェローデルの死を「理由」にするなら、『アラン編』でその英雄ジェローデルの活躍を描かないと。
それすらないから観客は、
「ジェローデルって……まっつがやってた役? 出番数分のいなくても別に良かったんぢゃ? てな扱いの、ただアンドレに求婚報告だけして去っていったマイペースな人よね? なんでまっつが死んだからって、まとぶんがショック受けて後追い自殺するの? デキてたの?」
て、混乱するんじゃん!! や、話は全部役名で言おうな、それとデキてたまでは考えなくても、「後追い自殺」はふつー変だと思うから!!
植爺はまっつのことなんかすっかり忘れていて、アタマの中には『ジェローデル編』の水しぇんのことしかないのよ。
で、自分のアタマの中にあるもんだから、自分=世界のすべてだと思っているから、なんの説明もなくて平気なの。自分だけわかっていて、それを他人に説明することは考えてないの。知らないの。
おかげでアランは、オスカルの志よりジェローデルの死にショック受けて自殺する軟弱な
いや、水×まとぶでも、まっつ×まとぶでも、わたしはオイシクいただきますから、ソレについてはぜんぜんかまわないんだけど、世の中的にソレはまずいだろう、植爺よ。
てゆーか、理由がどうあれ、「なにもかも投げ出して逃げる主人公」ってのは、どうなのよ。
周囲の人間が「もう無理だ」と言っているのに「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」とがんばり続ける主人公が、志半ばで倒れるならともかく。
周囲の人間(ゆーれいだけど)が「最後まであきらめるな。希望を捨てるな」と言っているのに、肝心の主人公は「もう無理だ」と言って自殺。
……えーと。
ある意味、「新しい」のか?
「嫌なことがあったらさっさとあきらめて自殺しよーぜぃ! 逃げた方が楽だからなっ」という、イマドキなメッセージ?
ただわたしは、「タカラヅカ」でそーゆーものは見たくないな。
キレイゴトでいいから、最後までがんばる主人公をヅカ的に「正しい」と思うし、最後まであきらめない人間が志半ばで倒れることを悲劇だと思う。逃げる人はべつに悲劇じゃない……逃げることしかできなかった心の弱さは悲劇だと思うけれど。
まあ、いちばんこわいのは、植爺がナニもわからずに書いていることだと思うが。
この人がこんな作品を垂れ流し続けていることが、すでにホラーだわ……。
わたしは「タカラヅカ」というジャンルが好きで、「タカラヅカ」的なモノを好きなので、アランの自殺の理由は「挫折して逃避、責任転嫁して自殺」なんて考えたくないので、ヅカらしく愛ゆえに死んだんだと思うことにします。
つまり。
「ああ愛しいジェローデル、あなたの死を知ってなお生き続けることなどワタシにはできません! あなたのあとを追って死にます!! ラブイズフォエバー!!」
……とゆー、正統派な理由だと、思っておきます(笑)。
愛ですよ、愛!!
すべては愛ゆえにです。
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