ベルサイユに咲くまっつ・その3。@外伝 ベルサイユのばら-アラン編-
2008年9月26日 タカラヅカ そもそもジェローデルって、どーゆー人だろう。
原作のジェロとヅカのジェロはずいぶんチガウと思うんだが。や、植爺製のキャラクタは全部原作と別物だけど、ジェロもまた別人だ。
最初にヅカのジェロを観て、ナニこのイイ人?!と、びっくりしたよ。
まず、原作のジェローデルの話。
原作を読んだのは子どものころだったけど、ジェローデルってのは「嫌味なキャラ」認定で、『ドラえもん』でいうところのスネオ、『ちびまる子ちゃん』でいうところの花輪くんだった。悪人ではないけれど、キザでお金持ちをハナにかけている嫌なヤツ。
そもそもジェローデルって、脇役だったよね?
アンドレが顔もろくに描かれていなかった脇役だったように。
長い長い連載だと、話が途中で変化することがいくらでもある。
途中からアンドレが主要キャラになったように、ジェローデルもただの「名前があるだけの脇役」から、人格を持ったひとりのキャラクタに格上げされた。
ジェローデルのクラスチェンジが行われたのが、「オスカルへのプロポーズ」だ。
停滞し、ある意味袋小路に入っていたキャラクタの立場を急激に変えるための「事件」が必要だった。
それが、「オスカルの結婚」。
今までオスカルは「男装の麗人」ではあっても、フェルゼンに女として見てもらえなかったように、貴婦人たちがきゃーきゃー騒いでいるように、誰も彼女を「女」として認めていなかった。
キャラクタを表現するには、「第三者の目」が必要だ。Aさんはこんな人、と表現したいとき、Aさん自身やその身内がなにか言うより、まったくの第三者がAさんを語る方が説得力がある。
オスカルはたしかに魅力的な人物だけど、女としてはまったく論外なんじゃないの? 男たちはオスカルみたいな女、大嫌いなんじゃないの? 誰もオスカルを魅力的だと言う男が出てこないじゃん?
そこで、「世間的に見て、最高級の男」の登場ですよ。身分と富があり、高い地位を得ており、美貌と知性を持ち、それでいて長男ではなく婿養子も可(笑)。
そんな最高級の男が、オスカルに求婚する。
その事実で、「オスカル」というキャラクタの格を上げるわけです。女子が大好きなのは、「複数のいい男に愛されるヒロイン」の話です。切ない片恋とか禁じられた恋に一途な純愛ヒロインも、彼女を愛するいい男が複数出てくるのがお約束。カレシひとりにしか愛されないヒロインの話なんて、女子はときめきません。
この条件を満たす男、ということで、作者はまったくの新キャラを作るのではなく、今までただの脇役として、ろくに書き込みもせずに便利使いしていたジェローデルを山の中から掘り起こしてきた。
後付け設定であることは、それまでジェロがオスカルを愛していたなんて表現がまったくない(そもそもジェロに出番も台詞もない)ことでもわかる。
ただの人格もナニもない「脇役」から、「主人公を愛している男(当て馬)」に華麗にクラスチェンジ。
それまで人格がなかったわけだから、クラスチェンジして登場したときには「役割」を持って性格が形成されている。
ジェローデルの役目は、ずばり「当て馬」だ。
オスカルのダーリンはアンドレである。
オスカルはアントワネットや王家を裏切り、フランス革命に参加する。
それらの「オスカル」というキャラクタを形成する事柄を際立たせるために、当て馬はキャラメイキングされる。
だからこそ、ジェローデルは「貴族」だった。
貴族らしい、貴族。
生まれたときから特別扱い、他人の犠牲の上にある享楽を「当たり前」として生きる。
平民のことは人間以下と見下している。自分には血統を含めて、自信と誇りがある。
だからジェローデルは、オスカルに求婚した。
立場的にいって、人間的にいって、自分が選ばれて当然だから、オスカルの父・ジャルジェ将軍へ申し込みに行った。
ラヴ・ストーリーにおいての当て馬は大抵、なにもかも持ち合わせていなければならない(笑)。
大富豪でイケメンで性格も良くてヒロインを尊重しなければならない。
女の子が言われてよろこぶ言葉「本当は寂しがりやさん」とか「がんばりすぎないで、休んでもいいんだよ」とかを言うのがお約束。「ボクだけが知っている」「本当のキミはこんなに」「無理しないでいいんだ」……当て馬美形キャラの台詞はパターンが決まっているので、書きやすいなぁ(笑)。
とにかく女子の目から見て、めちゃくちゃ都合のいい相手。
その都合のいい王子様を振って、欠点や障害のある彼や恋を貫くから「感動物語」になるわけだ。
ジェローデルもオスカルの前ではわっかりやすい王子様ぶりを大発揮!
オスカルに対しては「都合のいい王子様」、そして物語全体から見れば「主人公を愛している男(当て馬)」だから、身分や立場などが真のダーリンであるアンドレとは、正反対であること。
それが、ジェローデルというキャラクタの意義。
貴族らしい貴族だから、ジェローデルはアンドレを見下している。アンドレ個人を、ではなく、平民を。
平民であるアンドレが特別扱いされていることが気に入らないし、オスカルに愛されているコトへの嫉妬もある。
でも嫉妬するには、相手が平民なので相応しくない。人間がサルに嫉妬するのはみっともない。同次元で語るべき相手ではない。でも、実際のところオスカルはアンドレを愛してるっぽいし……。いや、そんなことはありえない、人間がサルを愛するなんて、常識としてあり得ない。人間であるワタシがサルと同じ次元に落ちてどうする。
とゆー、ややこしい感情もあり、ジェローデルはアンドレに対し、いぢわるをする。
それが、「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」発言だ。
いや、悪意だけじゃない。「人間とサルは住む世界が違うんだ」という事実を知らしめた上で、「オレっていい人、なんてビッグなんだ」と悦に入っているわけだな。悪意だけでなくほんとうに、「サルに対しての、親切心」だと思って言っている。
悪意だけでなく親切心があったとしても、だ。
「サル」扱いされたら、そりゃ怒るわな。ジェローデルが言うのは、自分とは同じ次元でない下等生物に対する寛大な提案だ。
アンドレは悦に入っているジェローデルへ、ショコラをぶっかける。
原作のジェローデルが素晴らしいのは、現代社会の「人間は平等」という感覚のモノから見て、「悪役」としか思えない言動を取っているにも関わらず、オスカルに拒絶されたあと潔く身を引くことができる、ということだ。
オスカルが自分ではなくサルを……アンドレを取ったことは驚愕だけれど、そこで「サルに負けるなんて!!」と騒ぐことなく、オスカルの意思を尊重する。
自分のことではなく、愛した人のしあわせを選ぶ。
貴族らしい貴族で、人間を差別するのがとーぜんという、現在のわたしたちとはチガウ感覚で生きているとしても。
その感覚の中で、公正さと潔さを持つ。
「サルを選ぶなんて何事? そんな考え方はまちがっている、ワタシに従いなさい」と言い出すこともできた。キャラメイキング時に。
わたしたちの感覚での「完全な悪役」にしてしまうことができたんだ。
だけどそうはせず、「オスカル」という人物を愛したキャラクタとした。
真にオスカルを愛したのなら、自分と意見が違うからといって相手の意見を完全否定し、従わせるようなことは、しないはずだ。
オスカルを理解し、その人格を愛しているなら、たとえ自分の常識とはかけはなれた答えを出されても、尊重するしかない。
そんな人しか、オスカルを愛さないし、理解できない。
ジェローデルというキャラクタが成功しているのは、いかにもお貴族サマな態度や考え方でアンドレとの対比をあざやかに描き出したし、その決着の付け方でオスカルというキャラクタの格も上げたことだ。
どんな相手に愛され、どう応えるか。
それによってキャラクタの格が決まる。
つまらないヤツにしか愛されないのは、その程度のキャラクタだからだ。
ジェローデルは「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれた。
矛盾しがちな設定を、全部プラスへ昇華し、なおかつ、単純に女の子の好きなラヴ・ロマンスとしてドキドキな展開にしているあたりが、当時の作者の非凡なセンスの現れだと思う。
とゆー、原作考察の上で。
タカラヅカのジェローデルは。
続く。
原作のジェロとヅカのジェロはずいぶんチガウと思うんだが。や、植爺製のキャラクタは全部原作と別物だけど、ジェロもまた別人だ。
最初にヅカのジェロを観て、ナニこのイイ人?!と、びっくりしたよ。
まず、原作のジェローデルの話。
原作を読んだのは子どものころだったけど、ジェローデルってのは「嫌味なキャラ」認定で、『ドラえもん』でいうところのスネオ、『ちびまる子ちゃん』でいうところの花輪くんだった。悪人ではないけれど、キザでお金持ちをハナにかけている嫌なヤツ。
そもそもジェローデルって、脇役だったよね?
アンドレが顔もろくに描かれていなかった脇役だったように。
長い長い連載だと、話が途中で変化することがいくらでもある。
途中からアンドレが主要キャラになったように、ジェローデルもただの「名前があるだけの脇役」から、人格を持ったひとりのキャラクタに格上げされた。
ジェローデルのクラスチェンジが行われたのが、「オスカルへのプロポーズ」だ。
停滞し、ある意味袋小路に入っていたキャラクタの立場を急激に変えるための「事件」が必要だった。
それが、「オスカルの結婚」。
今までオスカルは「男装の麗人」ではあっても、フェルゼンに女として見てもらえなかったように、貴婦人たちがきゃーきゃー騒いでいるように、誰も彼女を「女」として認めていなかった。
キャラクタを表現するには、「第三者の目」が必要だ。Aさんはこんな人、と表現したいとき、Aさん自身やその身内がなにか言うより、まったくの第三者がAさんを語る方が説得力がある。
オスカルはたしかに魅力的な人物だけど、女としてはまったく論外なんじゃないの? 男たちはオスカルみたいな女、大嫌いなんじゃないの? 誰もオスカルを魅力的だと言う男が出てこないじゃん?
そこで、「世間的に見て、最高級の男」の登場ですよ。身分と富があり、高い地位を得ており、美貌と知性を持ち、それでいて長男ではなく婿養子も可(笑)。
そんな最高級の男が、オスカルに求婚する。
その事実で、「オスカル」というキャラクタの格を上げるわけです。女子が大好きなのは、「複数のいい男に愛されるヒロイン」の話です。切ない片恋とか禁じられた恋に一途な純愛ヒロインも、彼女を愛するいい男が複数出てくるのがお約束。カレシひとりにしか愛されないヒロインの話なんて、女子はときめきません。
この条件を満たす男、ということで、作者はまったくの新キャラを作るのではなく、今までただの脇役として、ろくに書き込みもせずに便利使いしていたジェローデルを山の中から掘り起こしてきた。
後付け設定であることは、それまでジェロがオスカルを愛していたなんて表現がまったくない(そもそもジェロに出番も台詞もない)ことでもわかる。
ただの人格もナニもない「脇役」から、「主人公を愛している男(当て馬)」に華麗にクラスチェンジ。
それまで人格がなかったわけだから、クラスチェンジして登場したときには「役割」を持って性格が形成されている。
ジェローデルの役目は、ずばり「当て馬」だ。
オスカルのダーリンはアンドレである。
オスカルはアントワネットや王家を裏切り、フランス革命に参加する。
それらの「オスカル」というキャラクタを形成する事柄を際立たせるために、当て馬はキャラメイキングされる。
だからこそ、ジェローデルは「貴族」だった。
貴族らしい、貴族。
生まれたときから特別扱い、他人の犠牲の上にある享楽を「当たり前」として生きる。
平民のことは人間以下と見下している。自分には血統を含めて、自信と誇りがある。
だからジェローデルは、オスカルに求婚した。
立場的にいって、人間的にいって、自分が選ばれて当然だから、オスカルの父・ジャルジェ将軍へ申し込みに行った。
ラヴ・ストーリーにおいての当て馬は大抵、なにもかも持ち合わせていなければならない(笑)。
大富豪でイケメンで性格も良くてヒロインを尊重しなければならない。
女の子が言われてよろこぶ言葉「本当は寂しがりやさん」とか「がんばりすぎないで、休んでもいいんだよ」とかを言うのがお約束。「ボクだけが知っている」「本当のキミはこんなに」「無理しないでいいんだ」……当て馬美形キャラの台詞はパターンが決まっているので、書きやすいなぁ(笑)。
とにかく女子の目から見て、めちゃくちゃ都合のいい相手。
その都合のいい王子様を振って、欠点や障害のある彼や恋を貫くから「感動物語」になるわけだ。
ジェローデルもオスカルの前ではわっかりやすい王子様ぶりを大発揮!
オスカルに対しては「都合のいい王子様」、そして物語全体から見れば「主人公を愛している男(当て馬)」だから、身分や立場などが真のダーリンであるアンドレとは、正反対であること。
それが、ジェローデルというキャラクタの意義。
貴族らしい貴族だから、ジェローデルはアンドレを見下している。アンドレ個人を、ではなく、平民を。
平民であるアンドレが特別扱いされていることが気に入らないし、オスカルに愛されているコトへの嫉妬もある。
でも嫉妬するには、相手が平民なので相応しくない。人間がサルに嫉妬するのはみっともない。同次元で語るべき相手ではない。でも、実際のところオスカルはアンドレを愛してるっぽいし……。いや、そんなことはありえない、人間がサルを愛するなんて、常識としてあり得ない。人間であるワタシがサルと同じ次元に落ちてどうする。
とゆー、ややこしい感情もあり、ジェローデルはアンドレに対し、いぢわるをする。
それが、「妻を慕う召使いを側に置いてやってもいいよ、ワタシは心が広いから」発言だ。
いや、悪意だけじゃない。「人間とサルは住む世界が違うんだ」という事実を知らしめた上で、「オレっていい人、なんてビッグなんだ」と悦に入っているわけだな。悪意だけでなくほんとうに、「サルに対しての、親切心」だと思って言っている。
悪意だけでなく親切心があったとしても、だ。
「サル」扱いされたら、そりゃ怒るわな。ジェローデルが言うのは、自分とは同じ次元でない下等生物に対する寛大な提案だ。
アンドレは悦に入っているジェローデルへ、ショコラをぶっかける。
原作のジェローデルが素晴らしいのは、現代社会の「人間は平等」という感覚のモノから見て、「悪役」としか思えない言動を取っているにも関わらず、オスカルに拒絶されたあと潔く身を引くことができる、ということだ。
オスカルが自分ではなくサルを……アンドレを取ったことは驚愕だけれど、そこで「サルに負けるなんて!!」と騒ぐことなく、オスカルの意思を尊重する。
自分のことではなく、愛した人のしあわせを選ぶ。
貴族らしい貴族で、人間を差別するのがとーぜんという、現在のわたしたちとはチガウ感覚で生きているとしても。
その感覚の中で、公正さと潔さを持つ。
「サルを選ぶなんて何事? そんな考え方はまちがっている、ワタシに従いなさい」と言い出すこともできた。キャラメイキング時に。
わたしたちの感覚での「完全な悪役」にしてしまうことができたんだ。
だけどそうはせず、「オスカル」という人物を愛したキャラクタとした。
真にオスカルを愛したのなら、自分と意見が違うからといって相手の意見を完全否定し、従わせるようなことは、しないはずだ。
オスカルを理解し、その人格を愛しているなら、たとえ自分の常識とはかけはなれた答えを出されても、尊重するしかない。
そんな人しか、オスカルを愛さないし、理解できない。
ジェローデルというキャラクタが成功しているのは、いかにもお貴族サマな態度や考え方でアンドレとの対比をあざやかに描き出したし、その決着の付け方でオスカルというキャラクタの格も上げたことだ。
どんな相手に愛され、どう応えるか。
それによってキャラクタの格が決まる。
つまらないヤツにしか愛されないのは、その程度のキャラクタだからだ。
ジェローデルは「悪」として描かれがちな貴族社会を代表する貴族的な青年であり、かつ、「正しい」魅力的な人物として描かれた。
矛盾しがちな設定を、全部プラスへ昇華し、なおかつ、単純に女の子の好きなラヴ・ロマンスとしてドキドキな展開にしているあたりが、当時の作者の非凡なセンスの現れだと思う。
とゆー、原作考察の上で。
タカラヅカのジェローデルは。
続く。
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