薔薇とフリルと金髪な彼。@Paradise Prince/ダンシング・フォー・ユー
2008年10月21日 タカラヅカ 宙組を観るのにちょっとヘタレていたのは、ともちんのことがあったりする。
ずっとゴジラ認定で、「どこがいいの、カラダが大きいだけじゃん」と長い間思っていた悠未ひろ氏の魅力に目覚めたのが、『Le Petit Jardin』。
それ以降、過去映像ですら「ともち、かっこいい」と思えるから不思議。ナマで観ていたときなんとも思わなかったのに!
全組観劇するわたしは、それぞれの組に「お気に入り」の人がいる。好意の濃度はそれぞれチガウし、そのときどきでさらに変わったりもするが、とにかくどの組にも「ファン」と表現するジェンヌさんがいる。(わたしの好意度合いは「贔屓>ファン>好き」、贔屓はただひとり、ファン呼ばわりは10数人くらい? 好きはそのときの気分)
たかちゃんファンで水くんファンであったわたしが、水くん組替え後、たかちゃん退団後、宙組で誰を中心に視界を組み立てるかといえば、ともちんですよ。
たかちゃん時代に新公主演をし、水くんバウで2番手悪役なんぞをやり、それほど好きでなかったときでも、わたし的にとても馴染みのある人だった。
組子全員が「動く背景」と呼ばれていたあの時代に、それでもじわじわと扱いが上がっていき、『ステラマリス』とか『不滅の恋人たち』とかで某上級生より意味のある役だったりで、彼の歩む道に光明を感じていた。
やっぱ公演ごとに扱いが上がっていくとか、実力が上がっていく人を中心に視界を組み立てるのはたのしいじゃん? わくわくするじゃん? わたしはあまり路線スターにハマらないのだけど、路線スターを応援するのもたのしいなあ、って気分だったさ。
そう思っていただけに……彼の扱いが目に見えて落ちていくことが、とてもイタかったのだわ。いやその、だからそもそも路線スターにはハマらないわけで、微妙路線にハマるのがわたしの性癖っちゅーかカルマなんだろうし、ご贔屓も今まさにそんな感じで、一足先にわかりやすく下級生に抜かされ脇のヒゲ中年役を演じているともちの姿はどうにも心がひりひりする状況で、なんか穏やかに眺められなかったのですよ。
脇役スキーだから、彼が悪役専科の渋いおじさまになっていってくれることに、文句があるわけじゃない。真っ白な役しかできない真ん中スター様よりある意味オイシイのだから、嫌なわけじゃない。でも……このまま地味に小さくまとまっていく彼を見るのはなんかつらい。
嫌じゃないけど、つらい。
それが、宙組を観るのが億劫になる、正直なとこだった。や、んなマイナス気分のこと、ここでは書けなかったけどさ。「ともちかっこいい」しか書いていなかったよな? かっこいいのは事実だし! え、今までもけっこう愚痴ってた? 反省、反省☆
でも今回、今までひそかにじれじれしていたコトを払拭する輝きを見たのだわ。
『ダンシング・フォー・ユー』でともちは、「路線スター」としての扱いを受けていた。
銀橋ソロがあったり、大階段群舞で要の位置にいたり。
すげー、スター扱いじゃん?!
と、よろこんだのは事実。好きな人がいい扱いを受けているのは、そりゃ単純にうれしい。
でも別に、残念ながら、これでともちんがトップ路線へ返り咲いたとは、とくに思わない。
だって演出家、中村Bだし。
ジェンヌ個人の特質なんかまったく理解せず、理解する気もなく、上から順番に1、2、3……と立ち位置を決める演出家。どの組でもどの作品でもどの場面でもみんな同じ。
たんにともちんのことを「上から4番目」って数えただけでしょう? 演じているのが悠未ひろだってこと、知らずにやってんぢゃねーの?
ともちんをどうこう、ではなく、中村Bという演出家に懐疑心しか持っていないのですよ、わたしは。
ともちの銀橋ソロ場面で、「ああ、ともちが歌える人で良かった」と、心から思いましたもの。
歌えるともちだから歌うわけではなく、単に「上から4番目の人がここでソロを歌う」と中村Bのノートに書いてあるだけだろうから。もしともちが超ダンサーで超ド音痴だとしても、銀橋でソロもらうより無言で踊った方がイイって人だったとしても、中村Bは「上から4番目の人がここでソロを歌う」って歌わせただろうから。
いやその、これで彼が真ん中へ復帰してくれてももちろんぜんぜんいいんだけど、その布石と取ってもそりゃいいけど、中村Bだから信じられない(笑)。
人事的なことは、わたしが考えることでもないし、ここでどうこう言っても仕方ないし。いやそのグチは言うけど、それでどーなるもんでもないのはわかっているし。
次回公演でもともちの扱いがいいといいな、と、心から思っているが。
ともあれ、やりがいのある役割をもらい、意欲的に踊り、歌っているともちを見るのがたのしい。
やっぱ舞台人だもの、センターでスポットあびるとすげーイキイキするよなー。
精彩に欠けるよーに見えてヘコんだ全ツ『宙 FANTASISTA!』とか、さらに脇役感が上がっていて言及することができなかった『Passion』とかを経て、今ココで充実していることがわかる姿を見せてくれるのが、とにかくうれしい。
……という話では、なくて。
『ダンシング…』でいい扱いだからたのしいのもうれしいのも本当だが、今回うれしかったのは、目の覚める思いだったのは、そのことではないの。
『Paradise Prince』の、シャルル役なの。
ええ、あのオカマ役。
予備知識ナシで観るのが常なので、どんだけ驚いたか。
オカマであることに、じゃない。
悠未ひろが、美しいことに。
彼がかっこいいことや、男として美しいことはわかっていたけれど、それはなんつーんだ、鋼の美しさや大地の大らかさ樹木の力強さだったりしたわけだ。
男らしいから、美しい。男として、美しい。
それはわたしの求めるものであったので、それだけでともちを「かっこいい」ときゃあきゃあ言っていた。
わたしは中性的な、少女マンガ的な麗人ってモノに、本質的にはときめかないんだ。彼らの魅力を認め、きれいとか素敵とか思うのも事実だが、ダーリンとしては響かない。体格の問題ではなく、フリルのブラウスより装飾無しのスーツ姿が美しい人が好き。
薔薇の花より、銃が似合う人が好き。
ケロやまっつに「フリルのブラウスと薔薇の花」を求めていなかったよーに、ともちにもそんなもんを求めてなかった。
それでいいと思っていた。
でも今、ともちはまたチガウ美しさを放っている。
や、別に彼に「フリルと薔薇」が似合うとも、中性的なフェアリーが似合うとも思っていない。
だがオカマ役を演じることで、「女性」としての美しさを意識する役を演じることで、なんか今までとはチガウ「美」を、彼が表現していることが、わかるんだ。
漢らしさを追求するために大きくなっていた動きが、女性的な繊細さを意識することで、変わる。
大きさや漢らしさはそのままに、いや、いったん漢を極めたからこそ、そこに「女性」を意識することで「美」と「華やぎ」が生まれる。
どうすれば「美しい」か。
今までとチガウ方向の「美しさ」を表現する悠未ひろは、今までよりさらに「美しく」なっている。
なんだよ、こんなにきれいな人だったんじゃん!!
正統派の美形だったんじゃん!!
今までは美より漢の方が勝っていたから、わかんなかったよ。
このまま脇の渋いおじさんになっていくのかとしょんぼりしていたわたしは、まさかの逆転パンチにKNOCK OUT気分っす。
なんだよ、まだここで、「美しく」なるなんて。まだ「変わる」ことができるなんて。
ジェンヌってすごい、舞台人ってすごい。ともちってすごい。
わくわくした。
どきどきした。
……初見ではともちしか見ていなくて、薔薇をくわえて踊るアンソニー様@らんとむを見逃した。
観劇後に「らんとむが赤い薔薇をくわえて踊ってるんだよね?」と言われ、「へ? そんなシーンあったっけ?」と首を傾げたよ……アンソニー様が薔薇を持ってるのはわかってたけどさ……2回目でよーやく捕獲したよ、薔薇らんとむ。いや、やっぱりついともち見てて、どこでやっているかをチラ見して確認した程度だが……(笑)。
ずっとゴジラ認定で、「どこがいいの、カラダが大きいだけじゃん」と長い間思っていた悠未ひろ氏の魅力に目覚めたのが、『Le Petit Jardin』。
それ以降、過去映像ですら「ともち、かっこいい」と思えるから不思議。ナマで観ていたときなんとも思わなかったのに!
全組観劇するわたしは、それぞれの組に「お気に入り」の人がいる。好意の濃度はそれぞれチガウし、そのときどきでさらに変わったりもするが、とにかくどの組にも「ファン」と表現するジェンヌさんがいる。(わたしの好意度合いは「贔屓>ファン>好き」、贔屓はただひとり、ファン呼ばわりは10数人くらい? 好きはそのときの気分)
たかちゃんファンで水くんファンであったわたしが、水くん組替え後、たかちゃん退団後、宙組で誰を中心に視界を組み立てるかといえば、ともちんですよ。
たかちゃん時代に新公主演をし、水くんバウで2番手悪役なんぞをやり、それほど好きでなかったときでも、わたし的にとても馴染みのある人だった。
組子全員が「動く背景」と呼ばれていたあの時代に、それでもじわじわと扱いが上がっていき、『ステラマリス』とか『不滅の恋人たち』とかで某上級生より意味のある役だったりで、彼の歩む道に光明を感じていた。
やっぱ公演ごとに扱いが上がっていくとか、実力が上がっていく人を中心に視界を組み立てるのはたのしいじゃん? わくわくするじゃん? わたしはあまり路線スターにハマらないのだけど、路線スターを応援するのもたのしいなあ、って気分だったさ。
そう思っていただけに……彼の扱いが目に見えて落ちていくことが、とてもイタかったのだわ。いやその、だからそもそも路線スターにはハマらないわけで、微妙路線にハマるのがわたしの性癖っちゅーかカルマなんだろうし、ご贔屓も今まさにそんな感じで、一足先にわかりやすく下級生に抜かされ脇のヒゲ中年役を演じているともちの姿はどうにも心がひりひりする状況で、なんか穏やかに眺められなかったのですよ。
脇役スキーだから、彼が悪役専科の渋いおじさまになっていってくれることに、文句があるわけじゃない。真っ白な役しかできない真ん中スター様よりある意味オイシイのだから、嫌なわけじゃない。でも……このまま地味に小さくまとまっていく彼を見るのはなんかつらい。
嫌じゃないけど、つらい。
それが、宙組を観るのが億劫になる、正直なとこだった。や、んなマイナス気分のこと、ここでは書けなかったけどさ。「ともちかっこいい」しか書いていなかったよな? かっこいいのは事実だし! え、今までもけっこう愚痴ってた? 反省、反省☆
でも今回、今までひそかにじれじれしていたコトを払拭する輝きを見たのだわ。
『ダンシング・フォー・ユー』でともちは、「路線スター」としての扱いを受けていた。
銀橋ソロがあったり、大階段群舞で要の位置にいたり。
すげー、スター扱いじゃん?!
と、よろこんだのは事実。好きな人がいい扱いを受けているのは、そりゃ単純にうれしい。
でも別に、残念ながら、これでともちんがトップ路線へ返り咲いたとは、とくに思わない。
だって演出家、中村Bだし。
ジェンヌ個人の特質なんかまったく理解せず、理解する気もなく、上から順番に1、2、3……と立ち位置を決める演出家。どの組でもどの作品でもどの場面でもみんな同じ。
たんにともちんのことを「上から4番目」って数えただけでしょう? 演じているのが悠未ひろだってこと、知らずにやってんぢゃねーの?
ともちんをどうこう、ではなく、中村Bという演出家に懐疑心しか持っていないのですよ、わたしは。
ともちの銀橋ソロ場面で、「ああ、ともちが歌える人で良かった」と、心から思いましたもの。
歌えるともちだから歌うわけではなく、単に「上から4番目の人がここでソロを歌う」と中村Bのノートに書いてあるだけだろうから。もしともちが超ダンサーで超ド音痴だとしても、銀橋でソロもらうより無言で踊った方がイイって人だったとしても、中村Bは「上から4番目の人がここでソロを歌う」って歌わせただろうから。
いやその、これで彼が真ん中へ復帰してくれてももちろんぜんぜんいいんだけど、その布石と取ってもそりゃいいけど、中村Bだから信じられない(笑)。
人事的なことは、わたしが考えることでもないし、ここでどうこう言っても仕方ないし。いやそのグチは言うけど、それでどーなるもんでもないのはわかっているし。
次回公演でもともちの扱いがいいといいな、と、心から思っているが。
ともあれ、やりがいのある役割をもらい、意欲的に踊り、歌っているともちを見るのがたのしい。
やっぱ舞台人だもの、センターでスポットあびるとすげーイキイキするよなー。
精彩に欠けるよーに見えてヘコんだ全ツ『宙 FANTASISTA!』とか、さらに脇役感が上がっていて言及することができなかった『Passion』とかを経て、今ココで充実していることがわかる姿を見せてくれるのが、とにかくうれしい。
……という話では、なくて。
『ダンシング…』でいい扱いだからたのしいのもうれしいのも本当だが、今回うれしかったのは、目の覚める思いだったのは、そのことではないの。
『Paradise Prince』の、シャルル役なの。
ええ、あのオカマ役。
予備知識ナシで観るのが常なので、どんだけ驚いたか。
オカマであることに、じゃない。
悠未ひろが、美しいことに。
彼がかっこいいことや、男として美しいことはわかっていたけれど、それはなんつーんだ、鋼の美しさや大地の大らかさ樹木の力強さだったりしたわけだ。
男らしいから、美しい。男として、美しい。
それはわたしの求めるものであったので、それだけでともちを「かっこいい」ときゃあきゃあ言っていた。
わたしは中性的な、少女マンガ的な麗人ってモノに、本質的にはときめかないんだ。彼らの魅力を認め、きれいとか素敵とか思うのも事実だが、ダーリンとしては響かない。体格の問題ではなく、フリルのブラウスより装飾無しのスーツ姿が美しい人が好き。
薔薇の花より、銃が似合う人が好き。
ケロやまっつに「フリルのブラウスと薔薇の花」を求めていなかったよーに、ともちにもそんなもんを求めてなかった。
それでいいと思っていた。
でも今、ともちはまたチガウ美しさを放っている。
や、別に彼に「フリルと薔薇」が似合うとも、中性的なフェアリーが似合うとも思っていない。
だがオカマ役を演じることで、「女性」としての美しさを意識する役を演じることで、なんか今までとはチガウ「美」を、彼が表現していることが、わかるんだ。
漢らしさを追求するために大きくなっていた動きが、女性的な繊細さを意識することで、変わる。
大きさや漢らしさはそのままに、いや、いったん漢を極めたからこそ、そこに「女性」を意識することで「美」と「華やぎ」が生まれる。
どうすれば「美しい」か。
今までとチガウ方向の「美しさ」を表現する悠未ひろは、今までよりさらに「美しく」なっている。
なんだよ、こんなにきれいな人だったんじゃん!!
正統派の美形だったんじゃん!!
今までは美より漢の方が勝っていたから、わかんなかったよ。
このまま脇の渋いおじさんになっていくのかとしょんぼりしていたわたしは、まさかの逆転パンチにKNOCK OUT気分っす。
なんだよ、まだここで、「美しく」なるなんて。まだ「変わる」ことができるなんて。
ジェンヌってすごい、舞台人ってすごい。ともちってすごい。
わくわくした。
どきどきした。
……初見ではともちしか見ていなくて、薔薇をくわえて踊るアンソニー様@らんとむを見逃した。
観劇後に「らんとむが赤い薔薇をくわえて踊ってるんだよね?」と言われ、「へ? そんなシーンあったっけ?」と首を傾げたよ……アンソニー様が薔薇を持ってるのはわかってたけどさ……2回目でよーやく捕獲したよ、薔薇らんとむ。いや、やっぱりついともち見てて、どこでやっているかをチラ見して確認した程度だが……(笑)。
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