2番手不在作品への疑問。@グレート・ギャツビー
2008年10月29日 タカラヅカ すみません、『グレート・ギャツビー』を観て、いちばんおどろいたことは、あひくんの扱いです……。
あまりにびっくりして、それまでの感想が吹っ飛んだよ。
冷水を浴びせられた、っていうか。
あたしゃ年寄りなもんで、慣習とかお約束とかにしばられているんだな、無意識に。
自分の知っているモノからはずれているから、という理由で拒絶するほど激しくはないにしろ、とりあえずびっくりする。
予備知識がナニもないまま観て、フィナーレ……というか、最後のご挨拶パレードで仰天した。
ヅカのご挨拶パレードは、ルールが決まっている。
最下級生から登場して一礼し、左右の舞台端からスタンバイして上級生を待つ。
半端に重要な役をやった子だって、下級生だと最初の方に出てきて挨拶するし、最後の立ち位置はすみっこだったり2列目以降だったりする。
主役クラス以外は、「学年>役」なんだ。
どんどん学年が上がって行き、ついにはこの公演の長や、専科さんが登場して一礼、それまでは数名ずつ登場だったのが、次の2番手からはひとり登場、ひとり挨拶。
2番手のあとはヒロイン登場。
そして全員で、主演者の登場を待つ。
最後の登場、そして一礼するのは主演者。
これがふつーだから、『舞姫』でまっつがひとり挨拶させてもらえなかったことで、「あー、単独2番手ぢゃないんだー、それが劇団の意志なんだー」としょんぼりしたりも、した。たかが挨拶、されど挨拶、公演内容の良さでそんなことどーでもよくなっていたんだが、『グレート・ギャツビー』を観て思い出したよ。
形式2番手役のニックを演じもし、組内で3番手ポジションにいて、この公演では2番手であろうあひくんが、ヒロインの前に挨拶しなかった。
ひとり挨拶でもなかった。
カノジョ役のちわわちゃんとふたりで登場、そしてそのあとに専科さん登場……。
この公演、2番手男役不在なんだ。
今までも、2番手不在と言っていいくらい比重の軽い扱いをされる人たちはいたが、それでも挨拶時はヒロインの前に登場して、2番手として拍手を受けていたはず。
今回、意識的に2番手を作らなかったことに、愕然とした。
劇団的にか小池的にか知らないが、あひくんを2番手扱いしてはいけなかったらしい……。
このラストの扱いで、「2番手役は、ウィルソン@ソルーナさんだったんだ」とわかった。
1幕はほぼ初演まんま、2幕モノなのに1幕モノだった初演そのままを1幕でほとんどやっちゃって、あとどうする気だろ、と思っていたら。
2幕にあった新場面は、ほぼウィルソンの場面だった。
初演ではほとんど書き込まれていなかったウィルソン役に筆を割くことで、彼が2番手役になった。
そして実際、最後の挨拶でも「ヒロインの前に登場するのは2番手」という慣習通り、専科のソルーナさんはヒロインの前に挨拶していたからな、もうひとりの専科さん、汝鳥さんと一緒に。
あたしゃ年寄りなもんで、慣習とかお約束とかにしばられているんだな、無意識に。
自分の知っているモノからはずれているから、という理由で拒絶するほど激しくはないにしろ、とりあえずびっくりする。
びっくりして、考えて、慣習通りでなくてもコレはコレでいいか、と思うときもあるし、「やっぱりルールには従おうよ」と思うときがある。
『グレート・ギャツビー』では、後者だ。
タカラヅカには、タカラヅカの慣習、お約束がある。
トップスターを中心としたピラミッドだ。
どんなに馬鹿げていても、トップ、2番手、3番手と順番に芝居で重要な役が振られ、いくら演技巧者でもスターでない人に主役は出来ない。
おかしいけれど、これがタカラヅカ。
実力だけで役付きを決めて欲しいなら、それはどこか別のカンパニーを観るべきだ。
2番手役を専科さんにするなんて、あんまりだ。
ソルーナさんのウィルソン役はうまかった。それは確か。
作品クオリティ的に、彼の演技が必要だったことはわかる。しかし。
そんなこと言ってたら、すべての公演、主要な役は専科さんに演じてもらわなきゃ、ってことになるよ?
主役以外、物語を支える2~3番手は実力が安定している専科さんが演じる。悪役とか複雑な内面を持つ役は専科さんが演じる。
スターは真ん中できれーな衣装を着て、きれーな役をやるだけ。
作品は安定、若手がへたっぴでも所詮軽い役ばかりだから無問題。主役がきれいだからファンもよろこぶ。大団円。
……って、チガウからそれ。
形式上2番手役は、物語の視点となるニック役。
わたしはこの役より、主人公の恋敵であるトム役の方が、2番手役に相応しいと思った。
語り部であるニック役を軽んじているわけではなく、「タカラヅカ」という特殊なカンパニーに置いて、ナレーターは辛抱役であり、技術が必要な割にタカラヅカスターとして報われない。
それよりも、主役と色恋で絡むトム役こそが、「タカラヅカ」では活きる役なので、この役をクローズアップして2番手役とした方が、男役スターの魅力が出ると思っている。
ヅカは男役スターを魅力的に見せてナンボだ。それは、この作品1本限りの話ではなく、1回限りで解散する企画公演でない以上、今後も「このカンパニーのこのスターを見たいわ」と思わせるものでなきゃならない。
タカラヅカとしてスターを大切にするならば、役割を果たすならば、初演通りニックを2番手として大切にするか、ヅカ的にオイシイ色悪のトムを2番手として華々しく盛り上げるか、するべきだったと思う。
物語に必要だからといってウィルソン役の比重を上げることはかまわないが、それならば、ウィルソン役も路線スターにさせるべきだった。
たしかにかっこいい役ではないが、きちんと演じきることができれば役者の評価につながる。ヅカらしくない汚れ役だからこそ、「この役をやった人が、他ではどんな演技をするのか見てみたい」と思わせることで、未来につながる。
……演じきることができれば。できなかったら作品を壊してしまうし、スターらしくない役だからファンもたのしくないしで、あらゆる方向からキツイ評価が返るだろうけど。
たとえば真矢みき主演だった『失われた楽園』はイケコお得意の自作焼き直しで、『華麗なるギャツビー』の焼き直しシリーズのひとつだけど、この作品におけるウィルソン・ポジションの役はちゃんと香寿たつきが、路線スターが演じている。
演じられるだけの実力ある路線スターがいないというなら、ウィルソンの比重は初演まんまにしておくべきだった。初演ではべつに、2番手役ではなかったのだから。
スター不在で重要な役を専科さんに任せてお茶を濁して、今回の公演は乗り切りました。……て、ソレで終わりぢゃないだろう。
作品を守るために、2番手は専科さんにお願いしました。いい作品になって良かったです。……て、ソレはチガウだろう。
専科さんの実力におんぶに抱っこするより、「足りていない」「任せられない」と判断したのかもしれないが、今回出演している路線スターを、あひくんでももりえくんでもいいさ、未来のヅカを背負っていくことになるポジションの子たちを、「2番手スター」らしく見せる役と演出をしてやるのが、座付き作家の仕事ぢゃないのか?
書き下ろし場面は良い場面だったし、やっぱ小池演出うまい、と思うだけに、残念でならない。
あまりにびっくりして、それまでの感想が吹っ飛んだよ。
冷水を浴びせられた、っていうか。
あたしゃ年寄りなもんで、慣習とかお約束とかにしばられているんだな、無意識に。
自分の知っているモノからはずれているから、という理由で拒絶するほど激しくはないにしろ、とりあえずびっくりする。
予備知識がナニもないまま観て、フィナーレ……というか、最後のご挨拶パレードで仰天した。
ヅカのご挨拶パレードは、ルールが決まっている。
最下級生から登場して一礼し、左右の舞台端からスタンバイして上級生を待つ。
半端に重要な役をやった子だって、下級生だと最初の方に出てきて挨拶するし、最後の立ち位置はすみっこだったり2列目以降だったりする。
主役クラス以外は、「学年>役」なんだ。
どんどん学年が上がって行き、ついにはこの公演の長や、専科さんが登場して一礼、それまでは数名ずつ登場だったのが、次の2番手からはひとり登場、ひとり挨拶。
2番手のあとはヒロイン登場。
そして全員で、主演者の登場を待つ。
最後の登場、そして一礼するのは主演者。
これがふつーだから、『舞姫』でまっつがひとり挨拶させてもらえなかったことで、「あー、単独2番手ぢゃないんだー、それが劇団の意志なんだー」としょんぼりしたりも、した。たかが挨拶、されど挨拶、公演内容の良さでそんなことどーでもよくなっていたんだが、『グレート・ギャツビー』を観て思い出したよ。
形式2番手役のニックを演じもし、組内で3番手ポジションにいて、この公演では2番手であろうあひくんが、ヒロインの前に挨拶しなかった。
ひとり挨拶でもなかった。
カノジョ役のちわわちゃんとふたりで登場、そしてそのあとに専科さん登場……。
この公演、2番手男役不在なんだ。
今までも、2番手不在と言っていいくらい比重の軽い扱いをされる人たちはいたが、それでも挨拶時はヒロインの前に登場して、2番手として拍手を受けていたはず。
今回、意識的に2番手を作らなかったことに、愕然とした。
劇団的にか小池的にか知らないが、あひくんを2番手扱いしてはいけなかったらしい……。
このラストの扱いで、「2番手役は、ウィルソン@ソルーナさんだったんだ」とわかった。
1幕はほぼ初演まんま、2幕モノなのに1幕モノだった初演そのままを1幕でほとんどやっちゃって、あとどうする気だろ、と思っていたら。
2幕にあった新場面は、ほぼウィルソンの場面だった。
初演ではほとんど書き込まれていなかったウィルソン役に筆を割くことで、彼が2番手役になった。
そして実際、最後の挨拶でも「ヒロインの前に登場するのは2番手」という慣習通り、専科のソルーナさんはヒロインの前に挨拶していたからな、もうひとりの専科さん、汝鳥さんと一緒に。
あたしゃ年寄りなもんで、慣習とかお約束とかにしばられているんだな、無意識に。
自分の知っているモノからはずれているから、という理由で拒絶するほど激しくはないにしろ、とりあえずびっくりする。
びっくりして、考えて、慣習通りでなくてもコレはコレでいいか、と思うときもあるし、「やっぱりルールには従おうよ」と思うときがある。
『グレート・ギャツビー』では、後者だ。
タカラヅカには、タカラヅカの慣習、お約束がある。
トップスターを中心としたピラミッドだ。
どんなに馬鹿げていても、トップ、2番手、3番手と順番に芝居で重要な役が振られ、いくら演技巧者でもスターでない人に主役は出来ない。
おかしいけれど、これがタカラヅカ。
実力だけで役付きを決めて欲しいなら、それはどこか別のカンパニーを観るべきだ。
2番手役を専科さんにするなんて、あんまりだ。
ソルーナさんのウィルソン役はうまかった。それは確か。
作品クオリティ的に、彼の演技が必要だったことはわかる。しかし。
そんなこと言ってたら、すべての公演、主要な役は専科さんに演じてもらわなきゃ、ってことになるよ?
主役以外、物語を支える2~3番手は実力が安定している専科さんが演じる。悪役とか複雑な内面を持つ役は専科さんが演じる。
スターは真ん中できれーな衣装を着て、きれーな役をやるだけ。
作品は安定、若手がへたっぴでも所詮軽い役ばかりだから無問題。主役がきれいだからファンもよろこぶ。大団円。
……って、チガウからそれ。
形式上2番手役は、物語の視点となるニック役。
わたしはこの役より、主人公の恋敵であるトム役の方が、2番手役に相応しいと思った。
語り部であるニック役を軽んじているわけではなく、「タカラヅカ」という特殊なカンパニーに置いて、ナレーターは辛抱役であり、技術が必要な割にタカラヅカスターとして報われない。
それよりも、主役と色恋で絡むトム役こそが、「タカラヅカ」では活きる役なので、この役をクローズアップして2番手役とした方が、男役スターの魅力が出ると思っている。
ヅカは男役スターを魅力的に見せてナンボだ。それは、この作品1本限りの話ではなく、1回限りで解散する企画公演でない以上、今後も「このカンパニーのこのスターを見たいわ」と思わせるものでなきゃならない。
タカラヅカとしてスターを大切にするならば、役割を果たすならば、初演通りニックを2番手として大切にするか、ヅカ的にオイシイ色悪のトムを2番手として華々しく盛り上げるか、するべきだったと思う。
物語に必要だからといってウィルソン役の比重を上げることはかまわないが、それならば、ウィルソン役も路線スターにさせるべきだった。
たしかにかっこいい役ではないが、きちんと演じきることができれば役者の評価につながる。ヅカらしくない汚れ役だからこそ、「この役をやった人が、他ではどんな演技をするのか見てみたい」と思わせることで、未来につながる。
……演じきることができれば。できなかったら作品を壊してしまうし、スターらしくない役だからファンもたのしくないしで、あらゆる方向からキツイ評価が返るだろうけど。
たとえば真矢みき主演だった『失われた楽園』はイケコお得意の自作焼き直しで、『華麗なるギャツビー』の焼き直しシリーズのひとつだけど、この作品におけるウィルソン・ポジションの役はちゃんと香寿たつきが、路線スターが演じている。
演じられるだけの実力ある路線スターがいないというなら、ウィルソンの比重は初演まんまにしておくべきだった。初演ではべつに、2番手役ではなかったのだから。
スター不在で重要な役を専科さんに任せてお茶を濁して、今回の公演は乗り切りました。……て、ソレで終わりぢゃないだろう。
作品を守るために、2番手は専科さんにお願いしました。いい作品になって良かったです。……て、ソレはチガウだろう。
専科さんの実力におんぶに抱っこするより、「足りていない」「任せられない」と判断したのかもしれないが、今回出演している路線スターを、あひくんでももりえくんでもいいさ、未来のヅカを背負っていくことになるポジションの子たちを、「2番手スター」らしく見せる役と演出をしてやるのが、座付き作家の仕事ぢゃないのか?
書き下ろし場面は良い場面だったし、やっぱ小池演出うまい、と思うだけに、残念でならない。
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