はじまりの人を語る・その1。@Fallin’ Love with Yu
2008年11月5日 タカラヅカ 「轟悠」への疑問がある。
彼が専科に行ってから、それはどんどん大きくなっている。
タカラヅカの特殊性は、女性ばかりであるとかトップスターを中心にしたピラミッド社会だとかいうことだけではない。
団員たちは「生徒」と呼ばれ、それぞれ「学年」というものがある。
他の世界での役者さんたちには、関係ないものだろう。
舞台に立ってから何年であるか、いちいち看板ぶら下げているなんて。
ヅカにあるのはふつうの芝居ではなく、男役、娘役という別世界の存在を作った上での芝居なので、演技云々以前の部分が必要だ。
ソレを作るために年数が必要であり、概ね年数によって出来上がりが違っている。
学年によって、芝居がチガウんだな。
芝居のうまいヘタだけじゃなくて。
ヅカを表現する力っていうか。
新公やWSがどんなにへたっぴばかりでも、それでもなんとかなっているのは、全員同じような学年だから。同じカラーの世界だから。
ふつうの芝居ではなく、まず「タカラヅカ」という架空世界を最低限構築するために、カラーは揃える必要がある。
そんななかで。
研20を超えた轟悠の存在は、特異なモノになっている。
学年によって芝居がチガウものであり、今ヅカの中心になっているのは研10~17位までだ。トップスターの定年が研18、延びて19とか言われているなか、研24のトドロキは世代が違いすぎる。
彼と同じ世界観を表現できる生徒がいないんだ。
純粋に、学年がチガウから。
彼の持つ世界観に、誰も太刀打ちできない。
……その「世界」を、現代のタカラヅカのファン層が必要としているかどうかは別問題だから、置くとして。
轟悠ディナーショー『Fallin’ Love with Yu』で、痛切に思った。
轟悠の、「恋愛モノ」が見たい。
「芝居」が見たい。
舞台にトドひとりではなく、「他者」のいる公演が見たい。
いったいいつから、トドロキはこんなことになってしまったんだろう?
たしかにもともと傾向はあった。
基本がひとり芝居っていうか、相手役の必要のない人だった。
だがそれでも、トップスターだったときは相手役もいたし、ちゃんと芝居もしていた。
専科となり各組に出演するようになったあと……彼が「他者」と「芝居」するのが、目に見えて減った。
出演者はもちろん他にたくさんいるのだけど、結局のところ彼はひとりで芝居をしている。
そう思うことが、何度もあった。
それは、彼と他の生徒たちの持つ「世界」がチガウためだ。
トドが勝手な人だから、自分ひとりで芝居をしているのだとは思わない。
他者と芝居したくても、同じ世界にいないから、かみ合いようがないんだ。互いの姿が見えないのだから。
演出家もソレを理解しているのか、トドひとりが浮いていることをうまく利用して作品を成立させた場合もある。
キムシンやフジイくんは最初からトドを「別世界の人」として他の組子たちとは格の違う扱いをした。
谷は格上・年上の主役トドが2番手役を構う、でも役割的に基本ひとり芝居可なモノを書いた。
植爺はナニも考えていない。植爺作品の主役はきれいな衣装で真ん中にいるだけで、ナニもしないし。スポットライト浴びて大仰に台詞言っていればいいだけの話。
中村B、イシダは誰が主役でもどこを吹く風、関係なく我が道を行く。
演出家がナニも考えていなくても、『花供養』は専科公演であり、実力者で周囲を固めたから問題なかったし、『長崎しぐれ坂』も相手役であり、物語を動かすワタさん(なにしろ主役はナニもしないから)がちゃんとトドと同じ世界で芝居をしてくれたから、成り立っていた。
『野風の笛』は英雄モノだから孤立して構わないし、専科に行ったばかりでまだそれほど一般組子たちと乖離しておらず、相手役を務めた寿美礼ちゃんも男役としての実力があった。
が、同じ谷作品でも『Kean』は同じ世界に相手役がおらず、トドひとり芝居状態に……。つっても、もともとひとり芝居上等で書いたのかもしれない、とも思う。
トドがいたからヅカファンになり、あーだこーだ言いながらここまで来た。
トド個人を好きでも、彼が出演する作品、彼を贔屓にする作家とはことごとく趣味が合わなかった。
おかげで、初心者ファンとか一般人に、「こあらちゃんの好きなトドロキさんの作品で、オススメがあったら教えて」と言われても、返答に窮したもんだ。
ごめん、トドは駄作にしか出演してないから、トドが出てないか、出てても脇役の作品をオススメするわ。
トド主演で唯一名作なのは『凱旋門』。しかしコレも大劇場でやるには重すぎる作品だったから、当時は作品評価だけ高くて客入りは凍り付いていたさ。さらに、ヒロインのグンちゃんの芝居が迷走していて、トドと致命的にかみ合ってなかったんだよなー……博多座版ではよくなっていたけど、映像に残ってないし。
トド贔屓な作家って、植爺を筆頭に、谷、イシダ、酒井だもんよ……。谷せんせのパッション(笑)はわりに好きなんだが、演出レベルは古すぎるし低下しているしなぁ。
植爺はわたしの天敵だし、イシダは作家としての能力は認めているけれどヅカの座付きとしてはやはりわたしの天敵だし(笑)。
わたしが好きになりようのない作品にばかり、主演するの、トドロキは。
という、わたしの好みの話は置くとしても。
タカラジェンヌであり、与えられた場で仕事をしているわけで、トド個人が自分の意志で仕事や芸風を選んでいるとは思っていない。
立場が上がっているので、多少は考慮してもらえていると思うが、公演の企画やプロデュースをトドひとりでやらせてもらえるはずがないのだから、所詮はジェンヌとして劇団の意向に従っているわけだろう。
劇団が、トドをひとりにしている。
もう何年も、まともに「誰か」と正面切って闘うトドロキを見ていない。
トドはいつも別格で、いつもひとりで「すごいですね」と言われて、ソレで終わりだ。
トド様の魅力がソコにあることもわかるが、これだけの能力を持った人なのだから、新しいことにもチャレンジして欲しい。
彼が専科に行ってから、それはどんどん大きくなっている。
タカラヅカの特殊性は、女性ばかりであるとかトップスターを中心にしたピラミッド社会だとかいうことだけではない。
団員たちは「生徒」と呼ばれ、それぞれ「学年」というものがある。
他の世界での役者さんたちには、関係ないものだろう。
舞台に立ってから何年であるか、いちいち看板ぶら下げているなんて。
ヅカにあるのはふつうの芝居ではなく、男役、娘役という別世界の存在を作った上での芝居なので、演技云々以前の部分が必要だ。
ソレを作るために年数が必要であり、概ね年数によって出来上がりが違っている。
学年によって、芝居がチガウんだな。
芝居のうまいヘタだけじゃなくて。
ヅカを表現する力っていうか。
新公やWSがどんなにへたっぴばかりでも、それでもなんとかなっているのは、全員同じような学年だから。同じカラーの世界だから。
ふつうの芝居ではなく、まず「タカラヅカ」という架空世界を最低限構築するために、カラーは揃える必要がある。
そんななかで。
研20を超えた轟悠の存在は、特異なモノになっている。
学年によって芝居がチガウものであり、今ヅカの中心になっているのは研10~17位までだ。トップスターの定年が研18、延びて19とか言われているなか、研24のトドロキは世代が違いすぎる。
彼と同じ世界観を表現できる生徒がいないんだ。
純粋に、学年がチガウから。
彼の持つ世界観に、誰も太刀打ちできない。
……その「世界」を、現代のタカラヅカのファン層が必要としているかどうかは別問題だから、置くとして。
轟悠ディナーショー『Fallin’ Love with Yu』で、痛切に思った。
轟悠の、「恋愛モノ」が見たい。
「芝居」が見たい。
舞台にトドひとりではなく、「他者」のいる公演が見たい。
いったいいつから、トドロキはこんなことになってしまったんだろう?
たしかにもともと傾向はあった。
基本がひとり芝居っていうか、相手役の必要のない人だった。
だがそれでも、トップスターだったときは相手役もいたし、ちゃんと芝居もしていた。
専科となり各組に出演するようになったあと……彼が「他者」と「芝居」するのが、目に見えて減った。
出演者はもちろん他にたくさんいるのだけど、結局のところ彼はひとりで芝居をしている。
そう思うことが、何度もあった。
それは、彼と他の生徒たちの持つ「世界」がチガウためだ。
トドが勝手な人だから、自分ひとりで芝居をしているのだとは思わない。
他者と芝居したくても、同じ世界にいないから、かみ合いようがないんだ。互いの姿が見えないのだから。
演出家もソレを理解しているのか、トドひとりが浮いていることをうまく利用して作品を成立させた場合もある。
キムシンやフジイくんは最初からトドを「別世界の人」として他の組子たちとは格の違う扱いをした。
谷は格上・年上の主役トドが2番手役を構う、でも役割的に基本ひとり芝居可なモノを書いた。
植爺はナニも考えていない。植爺作品の主役はきれいな衣装で真ん中にいるだけで、ナニもしないし。スポットライト浴びて大仰に台詞言っていればいいだけの話。
中村B、イシダは誰が主役でもどこを吹く風、関係なく我が道を行く。
演出家がナニも考えていなくても、『花供養』は専科公演であり、実力者で周囲を固めたから問題なかったし、『長崎しぐれ坂』も相手役であり、物語を動かすワタさん(なにしろ主役はナニもしないから)がちゃんとトドと同じ世界で芝居をしてくれたから、成り立っていた。
『野風の笛』は英雄モノだから孤立して構わないし、専科に行ったばかりでまだそれほど一般組子たちと乖離しておらず、相手役を務めた寿美礼ちゃんも男役としての実力があった。
が、同じ谷作品でも『Kean』は同じ世界に相手役がおらず、トドひとり芝居状態に……。つっても、もともとひとり芝居上等で書いたのかもしれない、とも思う。
トドがいたからヅカファンになり、あーだこーだ言いながらここまで来た。
トド個人を好きでも、彼が出演する作品、彼を贔屓にする作家とはことごとく趣味が合わなかった。
おかげで、初心者ファンとか一般人に、「こあらちゃんの好きなトドロキさんの作品で、オススメがあったら教えて」と言われても、返答に窮したもんだ。
ごめん、トドは駄作にしか出演してないから、トドが出てないか、出てても脇役の作品をオススメするわ。
トド主演で唯一名作なのは『凱旋門』。しかしコレも大劇場でやるには重すぎる作品だったから、当時は作品評価だけ高くて客入りは凍り付いていたさ。さらに、ヒロインのグンちゃんの芝居が迷走していて、トドと致命的にかみ合ってなかったんだよなー……博多座版ではよくなっていたけど、映像に残ってないし。
トド贔屓な作家って、植爺を筆頭に、谷、イシダ、酒井だもんよ……。谷せんせのパッション(笑)はわりに好きなんだが、演出レベルは古すぎるし低下しているしなぁ。
植爺はわたしの天敵だし、イシダは作家としての能力は認めているけれどヅカの座付きとしてはやはりわたしの天敵だし(笑)。
わたしが好きになりようのない作品にばかり、主演するの、トドロキは。
という、わたしの好みの話は置くとしても。
タカラジェンヌであり、与えられた場で仕事をしているわけで、トド個人が自分の意志で仕事や芸風を選んでいるとは思っていない。
立場が上がっているので、多少は考慮してもらえていると思うが、公演の企画やプロデュースをトドひとりでやらせてもらえるはずがないのだから、所詮はジェンヌとして劇団の意向に従っているわけだろう。
劇団が、トドをひとりにしている。
もう何年も、まともに「誰か」と正面切って闘うトドロキを見ていない。
トドはいつも別格で、いつもひとりで「すごいですね」と言われて、ソレで終わりだ。
トド様の魅力がソコにあることもわかるが、これだけの能力を持った人なのだから、新しいことにもチャレンジして欲しい。
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