孤高のトドはもうたくさん!なキモチだったので。

 今回のディナーショー『Fallin’ Love with Yu』の出演者の顔ぶれを見て、期待したことはたしかだ。

 今までのトドのように、完全な脇扱いのその他大勢を求めているなら、もっと下級生でなんの色も持っていない子たちを侍らせばいい。完全にトドが王様でいられる、まだ形ができあがっていないひよっこたちを4~5人ほどバック・コーラス要員として使えばいい。
 だが、今回のバック要員は、まっつといちかだ。
 ふたりともすでにタカラジェンヌとしての形を作りあげており、それぞれ独自のカラーも持っている。トド様に匹敵できる力はもちろんないが、助演として盛り上げる程度の技術とキャリアがある。

 ひよっこたちたくさん、ではなく、能力を持った中堅2名限定、という形に、「新しい轟悠」を期待した。今までもこれくらいの学年の生徒が出演したこともあったかもしれないが、記憶にある限り2名というのはない。何故ふたりだけなのか。そこに、意味があるのではないかと思ったわけだ。
 わたしは現まっつファンなので、まっつ単体にもそりゃ期待していたが、あくまでも主役は「轟悠」だ。まっつが出演することで、トド様の新しい顔が見られればいいなと、勝手にわくわくした。

 しかし現実は、いつもの酒井演出トドロキ主演作品(笑)。トド様ひとりが真ん中にどーん、あとは顔のナイその他大勢。
 トドと彼らの絡みはなく、べつにまっつでなくてもいちかでなくてもいい演出だった。
 こんな演出ならべつに、中堅を出す必要はなかったと思うが……それでもまついちコンビがいい仕事をしていたことはまた、別の話。それは置いておいて、今はトド様。

 いつものトドロキ……といっても、厳密に同じというわけじゃない。
 大劇場などの「男役」の枠にとらわれることなく、もっと自由な姿を見せていた。

 ファルセットの歌声、薄い化粧、全体を通してやわらかな姿と演出。

 いつもの「漢(オトコ)轟」という感じではなく、フェミニンさがあった。
 男役としての素地ができていないひよっこたちがやると学芸会になるが、トド様くらい極めた人がやると新しい魅力になる、ナチュラルさ。
 男装の麗人、という存在。

 極めたからこそ、まとっていた枷を脱ぎ捨てた軽やかさっていうか。
 大リーガー養成ギブスをはずした星飛雄馬はすげえぞっていうか。(ナニその喩え)
 今ここで、これだけやわらかなトドロキを見られるとは思っていなかった。

 最初に書いたように、男役は学年によってまとう世界がチガウ。
 トドの作りこんだ男役姿は、今のタカラヅカの主流になっている学年の男たちとはカラーがチガウ。だから彼はどこにいっても浮いてしまう。
 トドロキはよく、「男役ではなく、男そのもの」と言われてきた。(それゆえに人気がナイとも・笑)
 その作りこんだ男っぷりを、あえて意識せずにステージに立つ。
 女性が演じる男役であることがわかる姿で。

 たしかにソレは「新しい轟悠」であり、彼の新しい魅力だった。

 トドのナチュラルさ、今までとチガウやわらかさは、とくにまっつと対比することでも感じられた。
 まっつ、未涼亜希。研11にもなる中堅男役。
 彼がまたすげー真面目に、四角四面に「男役」をやっていた。

 まっつがクラシカルな「男役らしい、男役」である分、「男役」という制約を超えたトド様のやわらかさ、自由さが目立った。

 演出として、まっつがトド様に絡むことはないので、まっつである必要はなかったかもしれない。
 だが、まっつが代表する、「タカラヅカの男役」というものが、このディナーショーには必要だったのだと、思った。

 まっつは小柄な男役だ。
 体格のハンデを補う分、男役としての所作を作りこんでいる。それはトド様にも通じる姿だ。まっつの気負い、模索の在り方は、たぶん、小柄な男役としてトド様自身も通って来た道だろう。
 クラシカルに「男役」であるまっつを背景に使うことで、まっつの学年をはるかに超えてきたトド様の存在が、あざやかに浮かび上がった。

 これで燕尾もまともに着こなせない若手のひよっこたちが背景だったとしたら、トド様のナチュラルさは際立たなかったと思う。足りてナイからナチュラルな者たちと、超越したからこそナチュラルな者を一緒にするのは良くない。ぐだぐだに見えるだけ。

 「他者」と関わりあい、「芝居」をするトドロキを見たい……。
 それを痛切に願う。
 せっかく実力のある中堅ふたりを出演させておきながら、彼らを「背景」としか使わない演出に、「どんだけトドをひとりぼっちにするんだ」と絶望もする。

 ソレとは別に。

 まついちを「背景」とするこのディナーショーのゼイタクさを、たのしいとも思う。

 ディナーショーが終ったあとの化粧室にて、列に並んでいるわたしは、見知らぬ老婦人に笑われた。「まあ、まだ夢心地って感じねえ(笑)」……ツレの老婦人に対し、わたしを見ておほほと笑っているのだった……え、わたしですか、そんなに浮かれて見えましたか、てへっと会釈して反省、反省☆

 いや、その。
 まっつのあまりに融通のきかない「男役」ぶりと、ラフにくずしたトド様のフェミニンぶりが、個人的にツボに入ってねー(笑)。
 すげえたのしかったんですが。

 て、ゆーかさ。

 奇跡を見ている思いだった。

 トドとまっつが、ふたりでステージに立っている、ということ。

 トド様は、わたしのルーツだ。
 はじまりのひとだ。
 彼がいなかったら、今のわたしはない。
 20年前、トド様の美貌に一目惚れして、わたしのヅカファン人生ははじまった。

 「これほど美しい人はいない」と信じ、下級生にポジションを抜かれたときは「どーして? トドの方が美しいのに!」と憤慨していた(笑)が、今になって当時のビデオを見れば、「顔はキレイでも、男役としての技術が足りてナイから、それほど美しくない……」とわかる。
 最初から美しかったわけじゃない。そりゃカオはいつだって彫刻のように整っていたけれど、そーゆー問題じゃない。持って生まれたってだけの、努力とは関係ナイところでの美しさではなくて。

 技術を磨き、経験を重ね、トドは美しくなったんだ。
 
 その、長い過程を思う。
 ジェンヌとして今なお成長期にあるまっつと同じ舞台に立つことで、今のトド様を「見る」。より、あざやかに。

 トド単体として、その魅力を伝えてくれるDSだったと思う。
 「男役」という型にとらわれず、自在に歌うトド様は、素晴らしかった。たのしかった。
 今までの「漢・轟」だけがこの人のすべてじゃない。まだもっともっと、可能性のある人だ。

 そう思うからこそ。
 このDSは、これはコレとしてたのしかったけれど、それでもなお、だからこそ、思うんだよ。

 「他者」と関わりあう轟悠が見たかった。

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