声に出して、ファンタスティックなゆうべ・その2。@トークショー『カラマーゾフの兄弟』
2008年11月26日 タカラヅカ さて、「声に出して読む『カラマーゾフの兄弟』」。
『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、において、斎藤孝先生の指揮の下、客席も舞台もみんな原作の台詞を朗読させられるはめになったわけだが。
ものごっつー「イイ声」でフョードル・パパの台詞をハマコ大先生が朗読したあとは、お待ちかね、主役のドミートリー@水先輩の出番です。
「なぜって、おれはカラマーゾフだからね」
孝せんせが言うところの、ドミートリーの「キーワード」を含んだ台詞。
かっ……かっこいい……!!
それまでの、若干オネエ風味(笑)の水しぇんが、一気に「男役トップスター」になる。
「声」が。
舞台で聴く、「水夏希」の声なの。
素顔なのに。
素のままの姿で、一気に舞台上の顔になるの。
うわーうわーうわー。
見たかった。
あたしコレ、見たかったっ。
来て良かった。
なんなのこのトークショー、たのしすぎるっ。
素顔の水しぇんが、素顔のまま「男役」として空気を動かしてくれるの。
一般人が到底見ることの出来ない、稽古場とかでなきゃありえない、ヅカメイクというファンタジーアイテム抜きでの、剥き出しの演技。
そりゃただの「朗読」であって、実際に芝居をしているワケじゃないけれど。
でも、ドミートリーとして語る彼は、「ちかちゃん」ではなく、「男役・水夏希」であり、彼が演じる「ドミートリー」という人物なのよ。
フロックコートを意識したようなラインのジャケットに細身のパンツ、黒尽くめの姿にアクセントとしてでかいコサージュつけて、かっこいけけどとても謎なファッションをした水先輩が、そのうわーな姿ごとその場を別空間にする。
原作の会話文の特徴のひとつに、( )による補足文挿入がある。
「 」で括られた会話本文の中に( )で今語られている内容の補足・蛇足がぐだぐだ加えられているの。
ドミートリーの台詞で言うと、
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
の中の(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)のことね。
わたしは会話文中にそんな補足を入れるのはアンフェアだと思っているし、自分では絶対やりたくない。補足を入れた方がわかりやすくなるのはたしかだけど、人間の会話には実際( )なんてありえないじゃん? 会話のニュアンスを通常のテキストだけで伝えることにこだわりがあるので、こーゆー手法は小説における顔文字や絵文字と同じくらい好きじゃない。ずるい、と思う。
どーしてもここでこのセルフツッコミを入れさせたいというなら、地の文に開いて、フェアなカタチで挿入するね、わたしなら。
でもまあ、ドスエフスキー大先生のやることだから、わたしがどうこういってもはじまらない。
この、現実の会話には存在しない( )を、水しぇんはとてもナチュラルに表現した。
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき……フッ……おれに起こるのはそんなことぐらいさ……、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
この、「フッ」ですよ、「フッ」。
孝先生も絶賛していたけど。
自嘲の溜息を入れることで、補足文で解説されていたドミートリーのセルフツッコミ、このときの心情を表現する( )を本文中に融合させたの!!
この自嘲の「フッ」によって、ドミートリーの人となりがさらに明確に浮かび上がってきたわけよ。
うわああん、水しぇんかっこいー。
わくわくわくっ、このドミートリーに会いたい、早く会いたいっ。
あー、ドミートリー@水しぇんでテンション上がりまくったわ。
次は次男のイワン@ゆみこ。
「この生きたいっていう願望を……」
前もって配られていた“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”に目を通して、自分でも実際に朗読してみて、途中だけどまあ、原作も読んでいるところで、ゆみこの朗読する「イワン」は、少しイメージがちがった。
わりとふつー、だな。
と、思った。
芝居の中でこの台詞を言うならこのテンションでいいんだろうけれど、今ここで、「そのキャラクタを代表する台詞」としてチョイスされたらしいキーワード的な原作台詞を朗読する場合、ちょっとぐらい大袈裟に表現してもいいんじゃないかな、と。
2時間の芝居を通して表現するのではなく、今、この10行程度の台詞で「イワンってこんな人」ということをアピールするのに……なんかゆみこ、地味だ、と、思った。
ゆみこはふつうに「長い作品の中の台詞のひとつ」として読んだんだろうなあ。
「この台詞だけで、客席の人間すべてにオレを見せつけてやる!」ではなく。
他の人たちがどこまでの意識で朗読をしていたかはわからないが、他のキャラたちの台詞はどれも強烈だったので(笑)、そこだけ抜き出されていても、キャラ紹介としてわかりやすいのね。イワンはその点割を食っているので……て、コレはのちの歌部分でも感じたんだが……「ふつう」っぽくまとまっちゃったのが、残念だなあ、と。
や、ゆみこにはつい「もっと!」を求めてしまう(笑)。できる人だと思っているから。
別の台詞ならよかったのに……って、イワン、喋り出すととにかく長いからなー、長い分、短くぴりっとコレ!という抜粋がしにくいのかなー。や、不勉強なわたしが言ってもとんちんかんなだけだと思いますが。
で、ここまではとても孝せんせーのペースで進んでいたんだけど、時間がなくなっちゃって。
なにしろわたしたち観客も、いちいち立ったり坐ったり、体操させられたりしてたので、時間が押してしまったのな。
ひとりずつのキャラをいろいろ語ったり、ジェンヌの朗読に感想を述べたりはもう、できなくなってしまった。
つーことで、あとはもう、巻きに巻いて。
水しぇんよりさらにフロックコートまんまなスーツ姿で、三男アリョーシャ@コマは、
「ぼくはこの二、三日のうちに……」
と、彼もまたキーワードである「ぼくだってカラマーゾフなんですからね!」という言葉を含んだ台詞を朗読。
アリョーシャは清涼剤。濃ぃい人たちの中、ほっとするかわいらしさ。
孝せんせー曰く、「カラマーゾフ家のペット」。
あー、わかるわかる、それぞれひどい言葉で罵り合っている家族でも、ペットのわんちゃんには目尻下げて赤ちゃん言葉で話しかけちゃったりしてね。
みんな大好きなんだよね。
コマがうまかったかどうかはよくわからないが、「タカラヅカの男役」として真っ当に表現していいのが、アリョーシャというキャラの持ち味であり、抜粋されていた部分の台詞だったので、問題なく耳に入ってきた。
文字数ないんで、続く。
『ファンタスティック・トークショー「カラマーゾフの兄弟」』、において、斎藤孝先生の指揮の下、客席も舞台もみんな原作の台詞を朗読させられるはめになったわけだが。
ものごっつー「イイ声」でフョードル・パパの台詞をハマコ大先生が朗読したあとは、お待ちかね、主役のドミートリー@水先輩の出番です。
「なぜって、おれはカラマーゾフだからね」
孝せんせが言うところの、ドミートリーの「キーワード」を含んだ台詞。
かっ……かっこいい……!!
それまでの、若干オネエ風味(笑)の水しぇんが、一気に「男役トップスター」になる。
「声」が。
舞台で聴く、「水夏希」の声なの。
素顔なのに。
素のままの姿で、一気に舞台上の顔になるの。
うわーうわーうわー。
見たかった。
あたしコレ、見たかったっ。
来て良かった。
なんなのこのトークショー、たのしすぎるっ。
素顔の水しぇんが、素顔のまま「男役」として空気を動かしてくれるの。
一般人が到底見ることの出来ない、稽古場とかでなきゃありえない、ヅカメイクというファンタジーアイテム抜きでの、剥き出しの演技。
そりゃただの「朗読」であって、実際に芝居をしているワケじゃないけれど。
でも、ドミートリーとして語る彼は、「ちかちゃん」ではなく、「男役・水夏希」であり、彼が演じる「ドミートリー」という人物なのよ。
フロックコートを意識したようなラインのジャケットに細身のパンツ、黒尽くめの姿にアクセントとしてでかいコサージュつけて、かっこいけけどとても謎なファッションをした水先輩が、そのうわーな姿ごとその場を別空間にする。
原作の会話文の特徴のひとつに、( )による補足文挿入がある。
「 」で括られた会話本文の中に( )で今語られている内容の補足・蛇足がぐだぐだ加えられているの。
ドミートリーの台詞で言うと、
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
の中の(おれに起こるのはそんなことぐらいさ)のことね。
わたしは会話文中にそんな補足を入れるのはアンフェアだと思っているし、自分では絶対やりたくない。補足を入れた方がわかりやすくなるのはたしかだけど、人間の会話には実際( )なんてありえないじゃん? 会話のニュアンスを通常のテキストだけで伝えることにこだわりがあるので、こーゆー手法は小説における顔文字や絵文字と同じくらい好きじゃない。ずるい、と思う。
どーしてもここでこのセルフツッコミを入れさせたいというなら、地の文に開いて、フェアなカタチで挿入するね、わたしなら。
でもまあ、ドスエフスキー大先生のやることだから、わたしがどうこういってもはじまらない。
この、現実の会話には存在しない( )を、水しぇんはとてもナチュラルに表現した。
「昔、放蕩三昧の暮らしをして、どうしようもなく深い恥辱にまみれていたとき……フッ……おれに起こるのはそんなことぐらいさ……、おれはいつもケレースと人間をうたったこの詩を読んでいたんだ」
この、「フッ」ですよ、「フッ」。
孝先生も絶賛していたけど。
自嘲の溜息を入れることで、補足文で解説されていたドミートリーのセルフツッコミ、このときの心情を表現する( )を本文中に融合させたの!!
この自嘲の「フッ」によって、ドミートリーの人となりがさらに明確に浮かび上がってきたわけよ。
うわああん、水しぇんかっこいー。
わくわくわくっ、このドミートリーに会いたい、早く会いたいっ。
あー、ドミートリー@水しぇんでテンション上がりまくったわ。
次は次男のイワン@ゆみこ。
「この生きたいっていう願望を……」
前もって配られていた“声に出して読む「カラマーゾフの兄弟」登場人物台詞集”に目を通して、自分でも実際に朗読してみて、途中だけどまあ、原作も読んでいるところで、ゆみこの朗読する「イワン」は、少しイメージがちがった。
わりとふつー、だな。
と、思った。
芝居の中でこの台詞を言うならこのテンションでいいんだろうけれど、今ここで、「そのキャラクタを代表する台詞」としてチョイスされたらしいキーワード的な原作台詞を朗読する場合、ちょっとぐらい大袈裟に表現してもいいんじゃないかな、と。
2時間の芝居を通して表現するのではなく、今、この10行程度の台詞で「イワンってこんな人」ということをアピールするのに……なんかゆみこ、地味だ、と、思った。
ゆみこはふつうに「長い作品の中の台詞のひとつ」として読んだんだろうなあ。
「この台詞だけで、客席の人間すべてにオレを見せつけてやる!」ではなく。
他の人たちがどこまでの意識で朗読をしていたかはわからないが、他のキャラたちの台詞はどれも強烈だったので(笑)、そこだけ抜き出されていても、キャラ紹介としてわかりやすいのね。イワンはその点割を食っているので……て、コレはのちの歌部分でも感じたんだが……「ふつう」っぽくまとまっちゃったのが、残念だなあ、と。
や、ゆみこにはつい「もっと!」を求めてしまう(笑)。できる人だと思っているから。
別の台詞ならよかったのに……って、イワン、喋り出すととにかく長いからなー、長い分、短くぴりっとコレ!という抜粋がしにくいのかなー。や、不勉強なわたしが言ってもとんちんかんなだけだと思いますが。
で、ここまではとても孝せんせーのペースで進んでいたんだけど、時間がなくなっちゃって。
なにしろわたしたち観客も、いちいち立ったり坐ったり、体操させられたりしてたので、時間が押してしまったのな。
ひとりずつのキャラをいろいろ語ったり、ジェンヌの朗読に感想を述べたりはもう、できなくなってしまった。
つーことで、あとはもう、巻きに巻いて。
水しぇんよりさらにフロックコートまんまなスーツ姿で、三男アリョーシャ@コマは、
「ぼくはこの二、三日のうちに……」
と、彼もまたキーワードである「ぼくだってカラマーゾフなんですからね!」という言葉を含んだ台詞を朗読。
アリョーシャは清涼剤。濃ぃい人たちの中、ほっとするかわいらしさ。
孝せんせー曰く、「カラマーゾフ家のペット」。
あー、わかるわかる、それぞれひどい言葉で罵り合っている家族でも、ペットのわんちゃんには目尻下げて赤ちゃん言葉で話しかけちゃったりしてね。
みんな大好きなんだよね。
コマがうまかったかどうかはよくわからないが、「タカラヅカの男役」として真っ当に表現していいのが、アリョーシャというキャラの持ち味であり、抜粋されていた部分の台詞だったので、問題なく耳に入ってきた。
文字数ないんで、続く。
コメント