彼がわたしに還る物語を・その2。@夢の浮橋
2008年12月4日 タカラヅカ 愛ゆえに、ひとは汚れる。罪を犯す。
『夢の浮橋』最大の見せ場。傀儡たちの祭り、傀儡として舞う光源氏。
祭りとは、この世とあの世、天と地をつなぐ行為である。
今この瞬間、神は地上に降り、人は神と交わる。
現実と虚構の境目はあやしくなり、実像がにじむように虚像と溶け合う。
禁忌がいざなうトランス。光と闇と、過剰な音楽。
あれは誰。あれは彼。あるいは。
戒められた糸。
あやつり糸なのか、封印なのか。
自由な王子様としての人生から、正式な皇位継承者としての重責を負うことなったわけだから、この傀儡場面を匂宮の人生転機の迷いと見るのもアリだろう。つか、それがスタンダード?
東宮の地位は彼が選んだモノではなく、彼以外のものの利害勘定で押し付けられたものだ。彼は、ただの駒でしかない。あやつり人形でしかない。
抗い難い力の前に、プチ家出をしてみたって、なにが変わるわけじゃない。見知らぬ人々に戯れに上宮太子の剣を奪われたとき、必死になって取り返した。つまりはそういうこと、彼は宮中でしか生きられない。
答えは出ている。
自分で選ぶことの出来なかった人生を、生きるしかない。
傀儡のように。
心を失ったあとの光る君が、それでもその政治的価値を利用され、権力者たちに操られていたように。
……傀儡の光源氏が表すものが政治的な意味だけならば、彼はなにも口にする必要はないんだが。
光る君は「声」を出す。
「紫の上」と。
糸に戒められ、自分から自由を失った男は、愛する女の名を呼ぶ。「何故、私から逃れようとする」……彼が囚われているモノは、愛。己れ自身。
壊れてしまった心。
愛ゆえの過ち、愛ゆえの罪。
罪を重ね、ひとは生きる。
匂宮のプチ家出は終わり、少年はひとつ大人になる(笑)。
もとい、わたしたちの生きる世界から、境目にある「祭り」に参加することで「常世」をのぞいてしまったんだよね。
あれほど「ふつう」の青年だった匂宮は、少し別の因子を魂に宿すことになる。
それは予感。
いずれ彼が向かう先、のぞいてしまった闇への禁忌と恐怖……そして、恍惚に背中を押されるように、焦燥にジリジリ追いつめられるように。
彼は、薫の女である浮舟と恋をする。
匂宮には、浮舟しかいなかった。
薫に愛されたお人形。
匂宮は、ずっと薫を探していた。
正常で健康な匂宮には、狂気の世界にいる薫へ近づくことは出来ない。
少年の日、地上から見上げることしかできなかった。階段を上がっていく、光る君と薫を。
だけど祭りの日、聖と闇が交差する篝火の中で、匂宮はあの日の世界を垣間見た。
光源氏が……そしておそらく、薫がいる(あるいは、薫が行く)世界を。
真っ白な魂に落ちた闇。それは広がり、染み込み、変質していく。
祭りの夜を機に、それまでの健康で真っ白だった匂宮は消失した。魂の染みが広がり、いずれは闇に覆い尽くされる……その予感に、匂宮は焦がされる。
変容している今、匂宮は浮舟を愛する。
この女しかいない。
人形としてしか生きられない、居場所のない女。弾けない琴を鳴らし、泣くしかできない哀れな女。
匂宮は、浮舟を欲する。
正常なままなら気づかなかった、真っ白なままなら知らずにいた、激しい飢えのままに。
行動と、責任と。
プレイボーイで知られる匂宮は、本当の意味での「恋」には手を出さなかった。行動には、責任が生じる。本気の恋には、それだけの責任がある。
なんの障害もない、現代のわたしたちだってそうだ。愛であれ憎であれ、人間が人間に本気で働きかけたとき、放った心の重みは、全部自分に返ってくる。よろこびであれ、かなしみであれ。
「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられないんだ。
この物語では、愛と罪を同義語に使っている。
単純に脚本中の単語を置換することもできるよ。愛と、罪。
匂宮は、変わる。もう少年のままではいられない。きれいなままではいられない。
「私たちも、罪を犯す年頃となりました」
匂宮が揺れ動いている傍らで。
薫は狂気と正気の境をゆらゆらしている。
宇治での宮中行事に顔を出して、匂宮や女一の宮と思い出話をしたり、正気な部分は十分にある。
社交部分じゃない。彼の狂気の鍵は、「愛」。
少年の日、敬愛する父・光る君は薫を、「罪の子」と呼んだ。
愛の罪に心を壊した母は、人形のようになっていた。
薫にとっての「愛」は、生まれたときから「罪」と同義語だった。
自分自身すら、「罪」の申し子だった。
罪の子と父に烙印を押された少年が、最初に狂気の世界へ足を踏み入れたのは、彼自身の「愛」の目覚めからではないかと思う。
無垢なるものとして象徴的に描かれる子どもたち。
嘘もない、秘密もない、無邪気だったサンクチュアリを最初に壊したのは……「愛」だ。
少年の日、薫は幼なじみの少女・女一の宮を恋するようになった。
「あれが、私のはじめての隠し事でした」
サンクチュアリは失われる。愛ゆえに。
当時のその想いを知っていたかと問われ、沈黙する女一の宮。
たぶん彼女も知っていた。知っていて、口に出さなかった。だから彼女にとっても、サンクチュアリはそのときに失われていた。
愛という名の罪。
無垢なままではいられない。
愛を知り、人間たちは楽園から追放される。
女一の宮を愛し、その想いを封じ込め、また女一の宮もまた胸の内に秘密を抱いているのがわかった……嘘偽りのない世界に生きていた子どもたちが、「秘密」を持った、聖域を汚した……罪の子薫が狂気へ進んでいくきっかけには、あまりある出来事だろう。
だからこそ、ここでこの逸話が挿入されるのだろう。
愛ゆえに、薫は壊れていく。
表向きには正常で、光る君の再来と呼ばれる公達ぶりを発揮しながら、内側でゆっくり壊れ続ける。
彼がひとを愛するとき、彼の中で罪がまたひとつ増えて行くんだ。
大君に対しても、そうだったんだろう。
光る君が紫の上の死に罪の意識を持っているように、薫もまた大君に対し償いきれない罪と悔いを持ち、苛まれている。
愛が、罪だから。
続く。
『夢の浮橋』最大の見せ場。傀儡たちの祭り、傀儡として舞う光源氏。
祭りとは、この世とあの世、天と地をつなぐ行為である。
今この瞬間、神は地上に降り、人は神と交わる。
現実と虚構の境目はあやしくなり、実像がにじむように虚像と溶け合う。
禁忌がいざなうトランス。光と闇と、過剰な音楽。
あれは誰。あれは彼。あるいは。
戒められた糸。
あやつり糸なのか、封印なのか。
自由な王子様としての人生から、正式な皇位継承者としての重責を負うことなったわけだから、この傀儡場面を匂宮の人生転機の迷いと見るのもアリだろう。つか、それがスタンダード?
東宮の地位は彼が選んだモノではなく、彼以外のものの利害勘定で押し付けられたものだ。彼は、ただの駒でしかない。あやつり人形でしかない。
抗い難い力の前に、プチ家出をしてみたって、なにが変わるわけじゃない。見知らぬ人々に戯れに上宮太子の剣を奪われたとき、必死になって取り返した。つまりはそういうこと、彼は宮中でしか生きられない。
答えは出ている。
自分で選ぶことの出来なかった人生を、生きるしかない。
傀儡のように。
心を失ったあとの光る君が、それでもその政治的価値を利用され、権力者たちに操られていたように。
……傀儡の光源氏が表すものが政治的な意味だけならば、彼はなにも口にする必要はないんだが。
光る君は「声」を出す。
「紫の上」と。
糸に戒められ、自分から自由を失った男は、愛する女の名を呼ぶ。「何故、私から逃れようとする」……彼が囚われているモノは、愛。己れ自身。
壊れてしまった心。
愛ゆえの過ち、愛ゆえの罪。
罪を重ね、ひとは生きる。
匂宮のプチ家出は終わり、少年はひとつ大人になる(笑)。
もとい、わたしたちの生きる世界から、境目にある「祭り」に参加することで「常世」をのぞいてしまったんだよね。
あれほど「ふつう」の青年だった匂宮は、少し別の因子を魂に宿すことになる。
それは予感。
いずれ彼が向かう先、のぞいてしまった闇への禁忌と恐怖……そして、恍惚に背中を押されるように、焦燥にジリジリ追いつめられるように。
彼は、薫の女である浮舟と恋をする。
匂宮には、浮舟しかいなかった。
薫に愛されたお人形。
匂宮は、ずっと薫を探していた。
正常で健康な匂宮には、狂気の世界にいる薫へ近づくことは出来ない。
少年の日、地上から見上げることしかできなかった。階段を上がっていく、光る君と薫を。
だけど祭りの日、聖と闇が交差する篝火の中で、匂宮はあの日の世界を垣間見た。
光源氏が……そしておそらく、薫がいる(あるいは、薫が行く)世界を。
真っ白な魂に落ちた闇。それは広がり、染み込み、変質していく。
祭りの夜を機に、それまでの健康で真っ白だった匂宮は消失した。魂の染みが広がり、いずれは闇に覆い尽くされる……その予感に、匂宮は焦がされる。
変容している今、匂宮は浮舟を愛する。
この女しかいない。
人形としてしか生きられない、居場所のない女。弾けない琴を鳴らし、泣くしかできない哀れな女。
匂宮は、浮舟を欲する。
正常なままなら気づかなかった、真っ白なままなら知らずにいた、激しい飢えのままに。
行動と、責任と。
プレイボーイで知られる匂宮は、本当の意味での「恋」には手を出さなかった。行動には、責任が生じる。本気の恋には、それだけの責任がある。
なんの障害もない、現代のわたしたちだってそうだ。愛であれ憎であれ、人間が人間に本気で働きかけたとき、放った心の重みは、全部自分に返ってくる。よろこびであれ、かなしみであれ。
「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられないんだ。
この物語では、愛と罪を同義語に使っている。
単純に脚本中の単語を置換することもできるよ。愛と、罪。
匂宮は、変わる。もう少年のままではいられない。きれいなままではいられない。
「私たちも、罪を犯す年頃となりました」
匂宮が揺れ動いている傍らで。
薫は狂気と正気の境をゆらゆらしている。
宇治での宮中行事に顔を出して、匂宮や女一の宮と思い出話をしたり、正気な部分は十分にある。
社交部分じゃない。彼の狂気の鍵は、「愛」。
少年の日、敬愛する父・光る君は薫を、「罪の子」と呼んだ。
愛の罪に心を壊した母は、人形のようになっていた。
薫にとっての「愛」は、生まれたときから「罪」と同義語だった。
自分自身すら、「罪」の申し子だった。
罪の子と父に烙印を押された少年が、最初に狂気の世界へ足を踏み入れたのは、彼自身の「愛」の目覚めからではないかと思う。
無垢なるものとして象徴的に描かれる子どもたち。
嘘もない、秘密もない、無邪気だったサンクチュアリを最初に壊したのは……「愛」だ。
少年の日、薫は幼なじみの少女・女一の宮を恋するようになった。
「あれが、私のはじめての隠し事でした」
サンクチュアリは失われる。愛ゆえに。
当時のその想いを知っていたかと問われ、沈黙する女一の宮。
たぶん彼女も知っていた。知っていて、口に出さなかった。だから彼女にとっても、サンクチュアリはそのときに失われていた。
愛という名の罪。
無垢なままではいられない。
愛を知り、人間たちは楽園から追放される。
女一の宮を愛し、その想いを封じ込め、また女一の宮もまた胸の内に秘密を抱いているのがわかった……嘘偽りのない世界に生きていた子どもたちが、「秘密」を持った、聖域を汚した……罪の子薫が狂気へ進んでいくきっかけには、あまりある出来事だろう。
だからこそ、ここでこの逸話が挿入されるのだろう。
愛ゆえに、薫は壊れていく。
表向きには正常で、光る君の再来と呼ばれる公達ぶりを発揮しながら、内側でゆっくり壊れ続ける。
彼がひとを愛するとき、彼の中で罪がまたひとつ増えて行くんだ。
大君に対しても、そうだったんだろう。
光る君が紫の上の死に罪の意識を持っているように、薫もまた大君に対し償いきれない罪と悔いを持ち、苛まれている。
愛が、罪だから。
続く。
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