愛ゆえに、ひとは汚れる。罪を犯す。

 『夢の浮橋』最大の見せ場。傀儡たちの祭り、傀儡として舞う光源氏。

 祭りとは、この世とあの世、天と地をつなぐ行為である。
 今この瞬間、神は地上に降り、人は神と交わる。
 現実と虚構の境目はあやしくなり、実像がにじむように虚像と溶け合う。
 禁忌がいざなうトランス。光と闇と、過剰な音楽。

 あれは誰。あれは彼。あるいは。

 戒められた糸。
 あやつり糸なのか、封印なのか。

 自由な王子様としての人生から、正式な皇位継承者としての重責を負うことなったわけだから、この傀儡場面を匂宮の人生転機の迷いと見るのもアリだろう。つか、それがスタンダード?
 東宮の地位は彼が選んだモノではなく、彼以外のものの利害勘定で押し付けられたものだ。彼は、ただの駒でしかない。あやつり人形でしかない。
 抗い難い力の前に、プチ家出をしてみたって、なにが変わるわけじゃない。見知らぬ人々に戯れに上宮太子の剣を奪われたとき、必死になって取り返した。つまりはそういうこと、彼は宮中でしか生きられない。

 答えは出ている。
 自分で選ぶことの出来なかった人生を、生きるしかない。
 傀儡のように。

 心を失ったあとの光る君が、それでもその政治的価値を利用され、権力者たちに操られていたように。

 ……傀儡の光源氏が表すものが政治的な意味だけならば、彼はなにも口にする必要はないんだが。
 光る君は「声」を出す。

「紫の上」と。

 糸に戒められ、自分から自由を失った男は、愛する女の名を呼ぶ。「何故、私から逃れようとする」……彼が囚われているモノは、愛。己れ自身。

 壊れてしまった心。
 愛ゆえの過ち、愛ゆえの罪。

 罪を重ね、ひとは生きる。

 
 匂宮のプチ家出は終わり、少年はひとつ大人になる(笑)。
 もとい、わたしたちの生きる世界から、境目にある「祭り」に参加することで「常世」をのぞいてしまったんだよね。
 あれほど「ふつう」の青年だった匂宮は、少し別の因子を魂に宿すことになる。

 それは予感。
 いずれ彼が向かう先、のぞいてしまった闇への禁忌と恐怖……そして、恍惚に背中を押されるように、焦燥にジリジリ追いつめられるように。

 彼は、薫の女である浮舟と恋をする。

 匂宮には、浮舟しかいなかった。
 薫に愛されたお人形。

 匂宮は、ずっと薫を探していた。
 正常で健康な匂宮には、狂気の世界にいる薫へ近づくことは出来ない。

 少年の日、地上から見上げることしかできなかった。階段を上がっていく、光る君と薫を。

 だけど祭りの日、聖と闇が交差する篝火の中で、匂宮はあの日の世界を垣間見た。
 光源氏が……そしておそらく、薫がいる(あるいは、薫が行く)世界を。

 真っ白な魂に落ちた闇。それは広がり、染み込み、変質していく。

 祭りの夜を機に、それまでの健康で真っ白だった匂宮は消失した。魂の染みが広がり、いずれは闇に覆い尽くされる……その予感に、匂宮は焦がされる。

 変容している今、匂宮は浮舟を愛する。

 この女しかいない。
 人形としてしか生きられない、居場所のない女。弾けない琴を鳴らし、泣くしかできない哀れな女。

 匂宮は、浮舟を欲する。
 正常なままなら気づかなかった、真っ白なままなら知らずにいた、激しい飢えのままに。

 行動と、責任と。

 プレイボーイで知られる匂宮は、本当の意味での「恋」には手を出さなかった。行動には、責任が生じる。本気の恋には、それだけの責任がある。
 なんの障害もない、現代のわたしたちだってそうだ。愛であれ憎であれ、人間が人間に本気で働きかけたとき、放った心の重みは、全部自分に返ってくる。よろこびであれ、かなしみであれ。
 「心」を素直に表現することが許されない貴族社会で、「心」でひとを恋う、「恋」はそれだけで罪になる。誰にも迷惑を掛けない祝福された間柄だとしても、「心」を発するからには、きれいなままではいられないんだ。

 この物語では、愛と罪を同義語に使っている。
 単純に脚本中の単語を置換することもできるよ。愛と、罪。

 匂宮は、変わる。もう少年のままではいられない。きれいなままではいられない。

「私たちも、罪を犯す年頃となりました」

  
 匂宮が揺れ動いている傍らで。
 薫は狂気と正気の境をゆらゆらしている。

 宇治での宮中行事に顔を出して、匂宮や女一の宮と思い出話をしたり、正気な部分は十分にある。
 社交部分じゃない。彼の狂気の鍵は、「愛」。

 少年の日、敬愛する父・光る君は薫を、「罪の子」と呼んだ。
 愛の罪に心を壊した母は、人形のようになっていた。

 薫にとっての「愛」は、生まれたときから「罪」と同義語だった。
 自分自身すら、「罪」の申し子だった。

 罪の子と父に烙印を押された少年が、最初に狂気の世界へ足を踏み入れたのは、彼自身の「愛」の目覚めからではないかと思う。

 無垢なるものとして象徴的に描かれる子どもたち。
 嘘もない、秘密もない、無邪気だったサンクチュアリを最初に壊したのは……「愛」だ。

 少年の日、薫は幼なじみの少女・女一の宮を恋するようになった。
「あれが、私のはじめての隠し事でした」
 サンクチュアリは失われる。愛ゆえに。

 当時のその想いを知っていたかと問われ、沈黙する女一の宮。
 たぶん彼女も知っていた。知っていて、口に出さなかった。だから彼女にとっても、サンクチュアリはそのときに失われていた。

 愛という名の罪。
 無垢なままではいられない。
 愛を知り、人間たちは楽園から追放される。

 女一の宮を愛し、その想いを封じ込め、また女一の宮もまた胸の内に秘密を抱いているのがわかった……嘘偽りのない世界に生きていた子どもたちが、「秘密」を持った、聖域を汚した……罪の子薫が狂気へ進んでいくきっかけには、あまりある出来事だろう。
 だからこそ、ここでこの逸話が挿入されるのだろう。

 愛ゆえに、薫は壊れていく。

 表向きには正常で、光る君の再来と呼ばれる公達ぶりを発揮しながら、内側でゆっくり壊れ続ける。

 彼がひとを愛するとき、彼の中で罪がまたひとつ増えて行くんだ。

 大君に対しても、そうだったんだろう。
 光る君が紫の上の死に罪の意識を持っているように、薫もまた大君に対し償いきれない罪と悔いを持ち、苛まれている。

 愛が、罪だから。

 
 続く。

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