愉快なのは、明らかに、匂宮の片想いだということ。

 浮舟に対してじゃないよ? 浮舟は、匂宮を好きだったと思う。
 匂宮が一方的な想いを寄せていたのは、薫に対して。
 腐った意味ではなく(笑)。や、腐ってても別にいいけど。なにしろ、大野くん作『宇治十帖』の二次創作『夢の浮橋』だから。

 原作を下敷きにしているけれど、原作とは無関係っていうか。
 史実のボニー&クライドと、オギーの『凍てついた明日』が無関係なのと同じっていうか。
 「創作」てのは、これくらい自由であっていいと思っている。

 原作はさておき、あくまでも、『夢の浮橋』の中での話。

 匂宮は一途に薫にこだわり続けているけれど、薫の方は匂宮には大した興味はない。
 匂宮が浮舟に手を出しているとわかったとき、匂宮には直接ナニも言わず、周囲の大人たち……権力者たちに密告して引き離そうとするあたり、愛情がない(笑)。

「女房が友人に寝取られた! くそー、友人の会社と取引先に『この男、不倫してますよ』って怪文書送ってやる!」
 ……とは、しないだろ、ふつー。
 ふつーならまず、友人と話すだろ。……友人なら。

 そんな手間を掛けるより、夕霧たちを動かす方が簡単だったんだね、薫の気持ち的に。また、その決断・行動の速さは、薫の正気の部分であり、優れた知性の持ち主である証拠なんだろう。実に的確で、無駄のない行動だ(笑)。
 友人に対してそんな非道な手段を平気で執るあたり、薫の「心」の部分が蝕まれている証拠なんだろう。まるでなにかに操られるように、無表情に、他人の罪を責める。

 「愛」と「罪」が同義語である薫にとっての、最後の砦が浮舟だった。

 初恋の女一の宮にはその想いを過去形で、すでに失われたものとして話し、幼なじみの匂宮を平気で陥れる。
 母は人形、自分は不義の子。
 心から愛した大君は彼のものにはならず、失われた。

 薫が浮舟を愛していたかどうかは、知らない。
 浮舟はあまりに都合の良すぎる存在だ。
 愛する大君に似ていて、愛する母のように人形めいた女。

 浮舟を匂宮に盗られてはじめて、愛したんじゃないかとも思える。

 浮舟は匂宮を愛することでさらに、「想い出の中の母」と符合したんだよね、
 夫以外の男の子を産み、その夫ではない男のことでしか、感情を表さなかった母に。

 盗られて惜しくなったとかではなく、はじめて「気づいた」んじゃないか。
 自分が浮舟にナニを求めていたか。

 罪しか知らない薫は、愛し方を知らない。
 浮舟という理想の恋人を囲いながら、彼女になにを求めていいか、自分がなにを欲しているか、気づいてなかった。

 匂宮に対して生身の女の感情を浮かべる浮舟を見て、はじめて、気づいた。
 あれが、自分の欲しかったものだと。

 だから薫は、浮舟をかき口説く。
 もう一度自分とやり直してくれと。
 欲しかったものはわかった。どうしたいのかわかった。

 愛したいんだ。
 生きている、女を。

 人形ではなく、人間を。

 薫の中の、正常な部分。半分闇に沈んでいた彼が、必死になって這い上がり、光射す方へと進み出した。
 彼の出生、半生を思えば、どれほどのものを超えて、浮舟をかき口説いているか。
 すがって、いるか。

 ただの色恋の次元を超えて、魂を、現世を懸けて。

 浮舟は肯いた。
 薫とやり直すと、薫ものでいると応えた。

 薫はよろこんで、浮舟を抱きしめる。
 けれど。

 薫は、気づいていない。
 腕の中の浮舟が、すでに「ひと」ではないことを。

 薫と、匂宮。選べなかった彼女は、心を失った。
 彼女が愛していたのは、匂宮だと思う。だけど、薫の懇願をうち捨てられなかった。

 薫が欲したのは、生身の女。
 人形ではない、生きた人間。

 なのに。

 彼がすべてを懸けて欲した女は、彼の腕に落ちた瞬間、人形となった。

 糸の切れたあやつり人形のような女を抱きしめ、薫は愛を歌う。

「罪も懼れない」と。

 「愛」と「罪」が同義語であった薫が。
 それらすべてを超えて。

 超えて……、愛したのに。

 薫が、哀れでならない。

 結局薫には、人形しか残らない。

 罪の子よ。
 愛という罪を背負って生まれた子よ。

 なにもかもが、彼の前を過ぎ去っていく。指の間をすり抜けていく。

 最後の砦である浮舟を守ろうと、自分から「愛」を奪ってゆく匂宮に敵対する姿は、薫が「こちら側」で生きようとした証。
 狂気の世界から、わたしたちのいる世界へ戻り、なんとか暮らしていこうとしていた。浮舟とふたりで、こちら側で生きようとしたんだ。

 でもそれも、裏切られる。
 浮舟の自殺によって。
 未遂であったとこは、関係ない。死んでまで、薫から逃れようとした、その事実だけで。

 薫がこの世界で、正気で、生きる理由が浮舟だったのに。
 浮舟は、薫を全否定した。

 浮舟が現世で生きる理由のすべてだったのだから、彼女からの否定は、世界からの否定だ。

 薫は拒絶された。
 「世界」に。

 物語の中でただ一度、取り乱す薫。

 浮舟の自殺を「お前のせいだ!」と匂宮に掴みかかる。
 ただ、このときだけ。

 「お前」……それまで、頑なに身分を全面に出した話し方しかしなかった薫が、なにもかもかなぐり捨てる。
 たぶん、子どものころは「お前」呼びしていたのだろう。

 そう、子どもの頃のように。

 少年に返る薫とは対照的に、匂宮は大人の顔を見せる。
 大人……自分の歩む道の先まで見据えた、哀れな大人の、顔を。

 続く。

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