『イゾラベッラ サロンコンサート(第8回 未来優希)』怒濤の宝塚メドレー終了後は、ハマコの好きな歌、歌いたい歌。
このバランスがいいよな。
結局、ヅカと、男役とまったく無関係なのは「甘いささやき」くらいで、「ムーンライト・セレナーデ」は有名すぎるからわたしがおぼえてないだけでどこかの公演で使われていそうだし、「One Night Only」も元ネタはともかく、わたしはヅカでしか聴いてない(笑)くらい、馴染みのある曲だし。
歴史を振り返ればヅカの曲だし、歌いたい歌も、ヅカ絡みなの。ハマコの歌唱力なら、それを見せつける意味でのカッコイイ曲とか技巧自慢な曲とか、いくらでもあるだろうに。
ほんとうにタカラヅカを愛しているんだな。
そして、唯一「宝塚男役」では歌うことが出来ない「甘いささやき」。
女性が、男性の甘いささやきにヨロメキつつ歌うわけだから、男役のままでは歌えない。『巴里祭』出演時に歌いたいと言い、演出家に却下された過去があるらしい(笑)。
……却下した演出家は正しい。
えーと、その、やはり。
いろいろと。
すごかった(笑)。
ヅカメイクして男役の格好で……女として歌う。
なまじ表現力のある人なんで、化粧だの衣装だの関係なく、ちゃんと「女」の表情をする。
正直その、キモ……ゲフンゲフン。
でもって、歌の合間に入る、「男性の甘いささやき」。
コレをハマコさんは自分で、めいっぱいの男役声で録音。
ハマコ(男)の甘いささやきに、ヨロメキつつハァハァ歌うハマコ(女・でも姿は男)。
……どうしろと。
コレを、どーしろと言うの~~~~っ?!!(笑)
うまいよ。
ハマコだから、歌はすげーうまいし、その、い、いろっぽいし。
だがしかし。
いろいろと困るってゆーか混乱するってゆーか。
ぶっちゃけ、おもしろい。
「甘いささやき」でおもしろがらせてどーするよハマコ?!(笑)
途中から、「そうだ、このささやき声はハマコではないと思おう。……そう、たとえば水しぇん」と考えてみた。麗しき同期愛。
もったいつけた男声は、がんばって聞けば水くんの声に聞こえなくもない。
が。
さらに、ドツボにハマる。
み、みずしぇんが「君が欲しい……(吐息)」とかゆって、ハマコ(女・でも姿は男)が「ダメよそんな……あン☆」とかゆってる姿に、どーしよーもなくむず痒くなり、ひとり座席で悶える。
ご、ごめんハマコ。ごめん水しぇん。
いやあ、すごかったなあ、「甘いささやき」。これからあの♪パローレパローレを聞くと、そのつどツボりそーだわ……。
たぶんふつーにお着替えタイムがあり、ドレス姿で歌ってくれれば、これほどえらいこっちゃにはならなかったと思う。ハマコ美人さんだしー。ふつーに女性歌手としてなら、なんの遜色なく歌えるのだろーに……スーツ姿で歌うもんだから、もお。
いいもの観ました、はい。こんな経験、きっと二度とナイ。
女性として「甘いささやき」を歌ったあとで。
もう1曲、女声の歌。
本家&東宝版『エリザベート』より、「ゾフィーの死」。
ヅカ『エリザベート』ではカットされていて存在しない、「皇太后ゾフィー」という人物を表す歌。
梅芸に本場ミュージカル『エリザベート』を観には行ったけれど、なにしろドイツ語だし、「言葉」がストレートに胸に響くことはなかった。
東宝エリザは初演時にわざわざ東京まで行ってキャストを替えて2回観た……あと再演を大阪で1回か2回つきあいで観たかな。ソレで納得して、以来一度も観ていない。好みじゃなかったんだなー、いろいろと。……て、初演っていつだよソレ何年前だ、もうおぼえちゃいねえ。
だからそっちはもうどーでもいいとして、ヅカエリザ限定で話す。
ハマコが今ここで「ゾフィー」の真実を歌った……そのことで。
全部、つながった。
雪組再演『エリザベート』の、皇帝一家の物語が。
何故、フランツ@ゆみこはあんな人物だったのか。
何故あのような性格で、あのような生き方しかできなかったのか。愛し方しかできなかったのか。
何故、ゾフィー@ハマコはあんな人物で、あのような言動で、シシィ@となみへあのように接していたのか。
全部全部、わかった。
つながった。
まっすぐな道が、できた。見えた。
ゾフィーがどんな人物で、なにを考え、なにを愛しなにを憎みなにを得てなにを犠牲にしてきたか。
それがわかることで、彼女の息子フランツがわかる。
たしかにふたりは、親子だ。
ゾフィーとフランツは、泣けるほどに親子だ。
真面目で、不器用で、誠実で。
義務のために、守るべきモノのために犠牲を払い、耐えて歩き続ける。
自分を殺し、誰かのために生きる。そんな生き方しかできない人。
強い意志、強すぎるからこそ、凡人に理解されることなく哀しい、損な生き方。
ハマコが演じたリアルな「人間」としてのゾフィー像に、明らかな「答え」を、「言葉(歌詞)」でもって教えられた。
……や、泣くでしょう、コレは。
短い歌なんだけどね。
ヅカの『エリザベート』では、ゾフィーはわかりやすい「姑」であり、「敵役」だ。だからこの歌をカットしたイケコは正しい。ゾフィーまで掘り下げるより、ヅカらしいときめきを優先させた方がいいもの。
でも今こうして、ハマコ自身にこの歌を歌ってもらえて、よかった。
このカタルシス。
あっという間に、ここまで持っていくのか。
歌い終わったハマコは、「歌いながら、フランツの背中が見えるようだった」と話していた。
……ええ。
反応してましたよ、わたしの隣の席の人が。
その「フランツの背中」と言ったあたりがまた、ちょうどわたしたちの坐っているあたりに向かってハマコ氏が視線を泳がせていたもんでね。え、ここ? ここにフランツ@ゆみこいるの? みたいな。
ディナーショー以来「アタシのことはくりすてぃーぬとお呼び!」と言ってはばからなかった人が、「やっぱり、(呼び名は)えりざべーとでもいいかも……」と、早々に前言撤回してましたわ。
ダーリンの恋人の名前を名乗るのがnanaタンのデフォですから。
隣の席の人がくりすてぃーぬになったりえりざべーとになったり忙しかったが(笑)、それはさておきやっぱ、すごいコンサートなんだよ、ハマコンは。
このバランスがいいよな。
結局、ヅカと、男役とまったく無関係なのは「甘いささやき」くらいで、「ムーンライト・セレナーデ」は有名すぎるからわたしがおぼえてないだけでどこかの公演で使われていそうだし、「One Night Only」も元ネタはともかく、わたしはヅカでしか聴いてない(笑)くらい、馴染みのある曲だし。
歴史を振り返ればヅカの曲だし、歌いたい歌も、ヅカ絡みなの。ハマコの歌唱力なら、それを見せつける意味でのカッコイイ曲とか技巧自慢な曲とか、いくらでもあるだろうに。
ほんとうにタカラヅカを愛しているんだな。
そして、唯一「宝塚男役」では歌うことが出来ない「甘いささやき」。
女性が、男性の甘いささやきにヨロメキつつ歌うわけだから、男役のままでは歌えない。『巴里祭』出演時に歌いたいと言い、演出家に却下された過去があるらしい(笑)。
……却下した演出家は正しい。
えーと、その、やはり。
いろいろと。
すごかった(笑)。
ヅカメイクして男役の格好で……女として歌う。
なまじ表現力のある人なんで、化粧だの衣装だの関係なく、ちゃんと「女」の表情をする。
正直その、キモ……ゲフンゲフン。
でもって、歌の合間に入る、「男性の甘いささやき」。
コレをハマコさんは自分で、めいっぱいの男役声で録音。
ハマコ(男)の甘いささやきに、ヨロメキつつハァハァ歌うハマコ(女・でも姿は男)。
……どうしろと。
コレを、どーしろと言うの~~~~っ?!!(笑)
うまいよ。
ハマコだから、歌はすげーうまいし、その、い、いろっぽいし。
だがしかし。
いろいろと困るってゆーか混乱するってゆーか。
ぶっちゃけ、おもしろい。
「甘いささやき」でおもしろがらせてどーするよハマコ?!(笑)
途中から、「そうだ、このささやき声はハマコではないと思おう。……そう、たとえば水しぇん」と考えてみた。麗しき同期愛。
もったいつけた男声は、がんばって聞けば水くんの声に聞こえなくもない。
が。
さらに、ドツボにハマる。
み、みずしぇんが「君が欲しい……(吐息)」とかゆって、ハマコ(女・でも姿は男)が「ダメよそんな……あン☆」とかゆってる姿に、どーしよーもなくむず痒くなり、ひとり座席で悶える。
ご、ごめんハマコ。ごめん水しぇん。
いやあ、すごかったなあ、「甘いささやき」。これからあの♪パローレパローレを聞くと、そのつどツボりそーだわ……。
たぶんふつーにお着替えタイムがあり、ドレス姿で歌ってくれれば、これほどえらいこっちゃにはならなかったと思う。ハマコ美人さんだしー。ふつーに女性歌手としてなら、なんの遜色なく歌えるのだろーに……スーツ姿で歌うもんだから、もお。
いいもの観ました、はい。こんな経験、きっと二度とナイ。
女性として「甘いささやき」を歌ったあとで。
もう1曲、女声の歌。
本家&東宝版『エリザベート』より、「ゾフィーの死」。
ヅカ『エリザベート』ではカットされていて存在しない、「皇太后ゾフィー」という人物を表す歌。
梅芸に本場ミュージカル『エリザベート』を観には行ったけれど、なにしろドイツ語だし、「言葉」がストレートに胸に響くことはなかった。
東宝エリザは初演時にわざわざ東京まで行ってキャストを替えて2回観た……あと再演を大阪で1回か2回つきあいで観たかな。ソレで納得して、以来一度も観ていない。好みじゃなかったんだなー、いろいろと。……て、初演っていつだよソレ何年前だ、もうおぼえちゃいねえ。
だからそっちはもうどーでもいいとして、ヅカエリザ限定で話す。
ハマコが今ここで「ゾフィー」の真実を歌った……そのことで。
全部、つながった。
雪組再演『エリザベート』の、皇帝一家の物語が。
何故、フランツ@ゆみこはあんな人物だったのか。
何故あのような性格で、あのような生き方しかできなかったのか。愛し方しかできなかったのか。
何故、ゾフィー@ハマコはあんな人物で、あのような言動で、シシィ@となみへあのように接していたのか。
全部全部、わかった。
つながった。
まっすぐな道が、できた。見えた。
ゾフィーがどんな人物で、なにを考え、なにを愛しなにを憎みなにを得てなにを犠牲にしてきたか。
それがわかることで、彼女の息子フランツがわかる。
たしかにふたりは、親子だ。
ゾフィーとフランツは、泣けるほどに親子だ。
真面目で、不器用で、誠実で。
義務のために、守るべきモノのために犠牲を払い、耐えて歩き続ける。
自分を殺し、誰かのために生きる。そんな生き方しかできない人。
強い意志、強すぎるからこそ、凡人に理解されることなく哀しい、損な生き方。
ハマコが演じたリアルな「人間」としてのゾフィー像に、明らかな「答え」を、「言葉(歌詞)」でもって教えられた。
……や、泣くでしょう、コレは。
短い歌なんだけどね。
ヅカの『エリザベート』では、ゾフィーはわかりやすい「姑」であり、「敵役」だ。だからこの歌をカットしたイケコは正しい。ゾフィーまで掘り下げるより、ヅカらしいときめきを優先させた方がいいもの。
でも今こうして、ハマコ自身にこの歌を歌ってもらえて、よかった。
このカタルシス。
あっという間に、ここまで持っていくのか。
歌い終わったハマコは、「歌いながら、フランツの背中が見えるようだった」と話していた。
……ええ。
反応してましたよ、わたしの隣の席の人が。
その「フランツの背中」と言ったあたりがまた、ちょうどわたしたちの坐っているあたりに向かってハマコ氏が視線を泳がせていたもんでね。え、ここ? ここにフランツ@ゆみこいるの? みたいな。
ディナーショー以来「アタシのことはくりすてぃーぬとお呼び!」と言ってはばからなかった人が、「やっぱり、(呼び名は)えりざべーとでもいいかも……」と、早々に前言撤回してましたわ。
ダーリンの恋人の名前を名乗るのがnanaタンのデフォですから。
隣の席の人がくりすてぃーぬになったりえりざべーとになったり忙しかったが(笑)、それはさておきやっぱ、すごいコンサートなんだよ、ハマコンは。
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