「宝塚」というモノ。「宝塚」という場所。
2009年3月26日 タカラヅカ 星組千秋楽の、最後の袴姿のパレードをガードの後ろからギャラリーしていたとき。
きらきら笑顔のしいちゃんが現れたとき、隣でジュンタンがわっと泣き出した。名前を呼びながら泣いて……しかし、しいちゃんが車で行ってしまうと、「まだ東宝もあるしね!」と一気に泣きやみ、スイッチが切り替わった。
しいちゃんのムラ最後のお茶会でも、号泣するわたしやnanaタン、そのテンションにおどろいてるkineさんの光景があった。
「そんなに別れが寂しいなら、東宝のお茶会も参加すればいいんですよ」と。
東の人と、西の人間の、感覚の差はたしかに、ある。改めてそう思った。あ、ジュンタンもkineさんも東在住の人です、何故か毎週ムラにいるけど(笑)。
東の人からすれば、ムラ公演は「一区切り」でしかなく、これから本拠地で最後の祭りがはじまる、という感覚なんだ。むしろムラはプロローグ、これから本番。
いや、住んでいるところに関係なく、実質問題として、ムラ公演のあとに東宝公演があるのだから、東宝こそが最後である。ラストスパートである。間違いなく。
だけど。
実際がどうあれ、他人がどうあれ、生まれたときから「宝塚歌劇」が身近にある地域にいて、なし崩しにヅカを知りヅカにハマり、会にも入らず広く浅くぬるくヅカファンをやってきたわたしにとっては、「宝塚歌劇」は「宝塚大劇場」のことなんだ。
東京宝塚劇場もあることは知ってるけど、知らない土地の知らない劇場なんだ。
ムラ公演を卒業するときこそが、「別れ」なんだ。
「『太王四神記』って、まだやってたんだ」
と、花組にご贔屓のいる西在住の人が、花東宝楽前に会でのイベントで東京に集まったときに、口にしたらしい。
ムラではもう星組公演が終わり、雪組公演がはじまっている。ふたつも前に「終わった」公演が、東京でまだやっているなんて、実感としてわからない。そんなこと、忘れてた。と。
その話を聞いて、「そりゃひどいな、贔屓組のことぐらい、おぼえていてよ」と、花担として言いはしたけれど、気持ちはわかる。
西にいると、実際そんな感じだから。
数年前、ヒト月ほど東京にいたんだが、ムラでとっくに「終わった」公演が今現在上演されていることが、感覚として不思議だった。
田舎に旅行したとき、テレビ番組が周回遅れになっているのを発見したときのような。
えー、今ごろやってるんだ、みたいな。退団公演でもなんでもない、ふつーの公演だっただけに、ムラで存分に見納めたモノを、まだ毎日観られる、てのは、アタマで理解していても、感覚としてついて行かなかった。(で、実際機嫌良く観に通ったけど・笑)
ムラだけを観劇している地元ヅカファンと話すと、ふつーに「え、週末東京行くの? ナニしに?」「花組の東宝楽を観に」「ああ、花組、まだやってたんだ」とゆー流れになる。
すべてのヅカファンが、日本中すべての劇場に同じ頻度で通うのがスタンダードでない以上、自分がいちばん良く通う劇場を中心に公演スケジュールを把握する感覚は、ふつーに存在する……と、思う。
もちろん、すべての人の感覚を調べたわけではないから、わたしだけの特殊な感じ方かもしれない。
わたしにとってのタカラヅカとは、「宝塚大劇場」のことであり、「ムラ」のことである。
東宝のことも知っているし、観に行くけれど、あれは「よその家」。自分ち……「ホーム・グラウンド」ではない。
ジェンヌが「自分ち」からいなくなってしまうときが、いちばん大きな祭りとなる。
通い慣れた劇場。
歌劇を観ることもなかった幼児の頃から、親や祖父母に連れられて通った宝塚の地。泊まった宝塚ホテル。
親に連れられて、あるいは祖母に連れられて、ソレがなんだかもわからないまま観た、大昔の公演。
わたしと母が観劇、父と祖父は大浴場、祖母と弟が動物園。観劇が終われば全員集合して改めて動物園や遊園地で過ごし、そしてレストランで食事して帰宅、あるいは宝塚ホテル宿泊。行き帰りは阪急電車。そんな休日を過ごしていた、想い出の場所。小林一三翁の提唱する行楽スタイルまんまで、ちょっと気恥ずかしいが、マジでそんな感じだったんだ。
ムラは特別なんだ。どうしても。
「コレが最後」と思うのがムラ楽だからこそ、ムラ公演に全力投球するし、千秋楽を観られるかどうかに賭けて、奔走する。
気持ちの上で、ムラが最後。
……もちろん、東宝公演があること知っているから、遠征もするけれど。
ほんとうの最後が東宝の楽だと知っているから、その日こそを特別だとわかっているけれど……。
それでも、ムラを特別と思う、最後と思う気持ちとは、まったく別だ。
しいちゃんの東宝お茶会に行く、という選択肢はあっても、素直にうなずけなかった。
今まで東のお茶会に参加したことがあるのはケロの最後のお茶会のみだけれど、なんというか、「ちがった」んだよな。
他の人は知らない、ただ、わたしの中だけで。
そのちがいがこわいのかもしれない。
わたしがこの「ムラ意識」を乗り越えて、東宝公演にムラと似た頻度で通うことが出来たのは、ケロ卒業祭りのときだけだ。
たったひとりの「ご贔屓」退団でもない限り、何十年掛けて培ったムラ意識を破ることは出来ないのかもしれない。
ケロもそうだし、たかちゃんやオサ様を見送るために東宝へ行き、もちろん心から最後の祭りを堪能したけれど、「ムラは特別」という意識はずっとあった。
ハンパに見送り、もやもやを残すより、わたしのホームである宝塚大劇場で、魂込めて見送る方がいい。
トウコちゃんを、しいちゃんを、あすかちゃんたち星組退団者のみんなを、見送るのは大劇場でと腹を決めて臨んだ。
だからムラ茶会がしいちゃんに会える最後と号泣し、ムラ最終3日間はチケットなくてもムラにいた。
これが、ナマで彼らを見られる最後、と、覚悟して。
不思議な感覚だし、他の人がどうなのかは知らない。
ただわたしには、「ムラ」は、「宝塚大劇場」はどこまでも「特別」なところだ。
他のなににも、代えられない。
変わらない。
きらきら笑顔のしいちゃんが現れたとき、隣でジュンタンがわっと泣き出した。名前を呼びながら泣いて……しかし、しいちゃんが車で行ってしまうと、「まだ東宝もあるしね!」と一気に泣きやみ、スイッチが切り替わった。
しいちゃんのムラ最後のお茶会でも、号泣するわたしやnanaタン、そのテンションにおどろいてるkineさんの光景があった。
「そんなに別れが寂しいなら、東宝のお茶会も参加すればいいんですよ」と。
東の人と、西の人間の、感覚の差はたしかに、ある。改めてそう思った。あ、ジュンタンもkineさんも東在住の人です、何故か毎週ムラにいるけど(笑)。
東の人からすれば、ムラ公演は「一区切り」でしかなく、これから本拠地で最後の祭りがはじまる、という感覚なんだ。むしろムラはプロローグ、これから本番。
いや、住んでいるところに関係なく、実質問題として、ムラ公演のあとに東宝公演があるのだから、東宝こそが最後である。ラストスパートである。間違いなく。
だけど。
実際がどうあれ、他人がどうあれ、生まれたときから「宝塚歌劇」が身近にある地域にいて、なし崩しにヅカを知りヅカにハマり、会にも入らず広く浅くぬるくヅカファンをやってきたわたしにとっては、「宝塚歌劇」は「宝塚大劇場」のことなんだ。
東京宝塚劇場もあることは知ってるけど、知らない土地の知らない劇場なんだ。
ムラ公演を卒業するときこそが、「別れ」なんだ。
「『太王四神記』って、まだやってたんだ」
と、花組にご贔屓のいる西在住の人が、花東宝楽前に会でのイベントで東京に集まったときに、口にしたらしい。
ムラではもう星組公演が終わり、雪組公演がはじまっている。ふたつも前に「終わった」公演が、東京でまだやっているなんて、実感としてわからない。そんなこと、忘れてた。と。
その話を聞いて、「そりゃひどいな、贔屓組のことぐらい、おぼえていてよ」と、花担として言いはしたけれど、気持ちはわかる。
西にいると、実際そんな感じだから。
数年前、ヒト月ほど東京にいたんだが、ムラでとっくに「終わった」公演が今現在上演されていることが、感覚として不思議だった。
田舎に旅行したとき、テレビ番組が周回遅れになっているのを発見したときのような。
えー、今ごろやってるんだ、みたいな。退団公演でもなんでもない、ふつーの公演だっただけに、ムラで存分に見納めたモノを、まだ毎日観られる、てのは、アタマで理解していても、感覚としてついて行かなかった。(で、実際機嫌良く観に通ったけど・笑)
ムラだけを観劇している地元ヅカファンと話すと、ふつーに「え、週末東京行くの? ナニしに?」「花組の東宝楽を観に」「ああ、花組、まだやってたんだ」とゆー流れになる。
すべてのヅカファンが、日本中すべての劇場に同じ頻度で通うのがスタンダードでない以上、自分がいちばん良く通う劇場を中心に公演スケジュールを把握する感覚は、ふつーに存在する……と、思う。
もちろん、すべての人の感覚を調べたわけではないから、わたしだけの特殊な感じ方かもしれない。
わたしにとってのタカラヅカとは、「宝塚大劇場」のことであり、「ムラ」のことである。
東宝のことも知っているし、観に行くけれど、あれは「よその家」。自分ち……「ホーム・グラウンド」ではない。
ジェンヌが「自分ち」からいなくなってしまうときが、いちばん大きな祭りとなる。
通い慣れた劇場。
歌劇を観ることもなかった幼児の頃から、親や祖父母に連れられて通った宝塚の地。泊まった宝塚ホテル。
親に連れられて、あるいは祖母に連れられて、ソレがなんだかもわからないまま観た、大昔の公演。
わたしと母が観劇、父と祖父は大浴場、祖母と弟が動物園。観劇が終われば全員集合して改めて動物園や遊園地で過ごし、そしてレストランで食事して帰宅、あるいは宝塚ホテル宿泊。行き帰りは阪急電車。そんな休日を過ごしていた、想い出の場所。小林一三翁の提唱する行楽スタイルまんまで、ちょっと気恥ずかしいが、マジでそんな感じだったんだ。
ムラは特別なんだ。どうしても。
「コレが最後」と思うのがムラ楽だからこそ、ムラ公演に全力投球するし、千秋楽を観られるかどうかに賭けて、奔走する。
気持ちの上で、ムラが最後。
……もちろん、東宝公演があること知っているから、遠征もするけれど。
ほんとうの最後が東宝の楽だと知っているから、その日こそを特別だとわかっているけれど……。
それでも、ムラを特別と思う、最後と思う気持ちとは、まったく別だ。
しいちゃんの東宝お茶会に行く、という選択肢はあっても、素直にうなずけなかった。
今まで東のお茶会に参加したことがあるのはケロの最後のお茶会のみだけれど、なんというか、「ちがった」んだよな。
他の人は知らない、ただ、わたしの中だけで。
そのちがいがこわいのかもしれない。
わたしがこの「ムラ意識」を乗り越えて、東宝公演にムラと似た頻度で通うことが出来たのは、ケロ卒業祭りのときだけだ。
たったひとりの「ご贔屓」退団でもない限り、何十年掛けて培ったムラ意識を破ることは出来ないのかもしれない。
ケロもそうだし、たかちゃんやオサ様を見送るために東宝へ行き、もちろん心から最後の祭りを堪能したけれど、「ムラは特別」という意識はずっとあった。
ハンパに見送り、もやもやを残すより、わたしのホームである宝塚大劇場で、魂込めて見送る方がいい。
トウコちゃんを、しいちゃんを、あすかちゃんたち星組退団者のみんなを、見送るのは大劇場でと腹を決めて臨んだ。
だからムラ茶会がしいちゃんに会える最後と号泣し、ムラ最終3日間はチケットなくてもムラにいた。
これが、ナマで彼らを見られる最後、と、覚悟して。
不思議な感覚だし、他の人がどうなのかは知らない。
ただわたしには、「ムラ」は、「宝塚大劇場」はどこまでも「特別」なところだ。
他のなににも、代えられない。
変わらない。
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