同じ劇場で、激情な彼と出会う。@哀しみのコルドバ
2009年5月11日 タカラヅカ 『哀しみのコルドバ』は、再演初日を2回観た。
1回は、大劇場初日。まだヅカファン初心者で、地道にスキル上げをしているころで、「トップさんの退団公演の初日」をはじめて観る、つーんで興奮していた記憶がある。……思ってたよりぜんぜんふつーの「初日」で、拍子抜けした(笑)。ヤンさんはクールだし。今のようにスカステはないし(WOWOWはあったが、毎日ニュース流しているわけじゃない)ネットは発達していないし、挨拶やカーテンコールもイベント的な意識はなかったと思う。
次に、劇場飛天の初日を観た。
あの年、阪神大震災が起こり、宝塚大劇場は閉鎖された。上演中だったヤンさんの退団公演は途中で打ち切られ、ゆりちゃんの月組公演はまるっと全部なくなった。
新聞に書かれた「関西芸能界、壊滅」の文字は忘れられない。
本当なら、もう一度観る予定だった。はじめて一緒に観に行く友だちと3人で並んで観るはずだったんだ、楽前に。
それが、叶わなくなった。チケットは払い戻し。
そのあと、中断された退団公演を急遽飛天で上演する、つーんで、またあわてて梅田のプレイガイドに発売日に並びに行った。
運良くチケットを取ることが出来、1回だけ、初日に観た。
公演が終わり、主演のヤンさんがマイクの前に立ち、挨拶をはじめた。ムラ初日「こんなもん?」と思った、どーってことのない挨拶をしたあのヤンさんが……「つらかったです」と言葉をしぼりだし、泣き出した。
あのころはまだ、よくわかっていなかった。退団公演の重要さ。トップスターの背負うものの大きさ。
流す涙の重さ。
あれから10年以上。
劇場飛天はころころ名前を変え、設備のみ古くなって現在に至る。
その同じ劇場で、再び『哀しみのコルドバ』を観る。同じ花組公演として。
開演アナウンス前に流れ出した音楽に、あれ? 今から『Red Hot Sea』がはじまるの? と思った(笑)。
なるほど、『Red Hot Sea II』の曲が差し替えになったとか言っていたのはこのためか。同じ曲なんだね。
10年以上前に観たっきりだから、細部まではおぼえていない。ストーリーと主要キャラ、そして有名すぎる主題歌。なにより、ふたつの初日の、異なった緊迫感を強くおぼえている。
兄妹オチと母親のウザさ、三重唱×2のドラマティックさと、突然空気を変えて歌い出すひまわり娘@純名のすばらしい歌唱力とKYさ(笑)、ストーカーみたいにここぞってとこになにかと現れ、見守る系のイイ台詞を言うリカちゃんを見て「嘘くせー」とつっこんだこと……(笑)。いやその、天下のシブキジュン様ですから、んなおとなしいイイ人なわけがないっつーかえーっと……ゲフンゲフン。
そして、衝撃的なラストシーン。
今回の全ツ梅芸初見時、再演の頃ですら幼児以下だよな、という年齢の制服姿の女の子が私の隣の席で母親らしい女性と一緒に観ていたが、芝居が終わって客電が点いたとき、その女の子はひとこと、「びっくりした……」とつぶやき、ハンカチを出して涙をぬぐっていた。
うん。びっくりするよね、あれは。
花形闘牛士エリオ@まとぶんは、8年前突然姿を消した恋人エバ@あやねに再会した。彼女は母親の急な再婚で生まれ故郷コルドバをあとにするしかなかったのだ。なんか無茶な理由だなヲイ……そう、無茶なんだよママンは。なにしろわざとだし……というのはあとでわかること。
ママンの画策はさておき、もともとラヴラヴだったふたりは、再会するなり昔以上にラヴラヴ絶好調になったが、ちょっと待て、エリオにはアンフェリータ@いちかという婚約者が、エバにはロメロ@ゆーひというパトロンがいる身。愛は暴走特急、ふたりはしがらみを清算し、ふたりで生きようとするが……。
主役のカラーは、ここまで物語を変えるのだなと痛感。
ヤンさん主演のときと、なんかぜんぜん違うんですけど、話(笑)。
エリオが、アツい。
なんかもー、クドくてアツくて、かわいい男がいますよ(笑)。
どんだけグランなエリオなのかわかんないけど、とりあえず彼が仲間たちから慕われているのは、闘牛士としての実力の他に、人柄ゆえだということがわかった。
いい奴だ、エリオ。かわいい奴だ、エリオ。
ついでに若いぞエリオ。現代の26歳はまだ若者であって、「大人」ではない。平気でモラトリアムやってられる年齢だ。15年前の26歳は「大人」だったけど。初演の頃はさらに上の感覚だったかもしれないし。時代がチガウんだから、きっとこれでいいんだろう。
まだまだ青い、コドモなエリオ。だからこそ、恋にすべてを懸けられる。
彼の若さがまぶしく、せつない。
わたしが年を取ったせいかもしれないし、今現在ヅカにディープにハマっていて、花組ファンであるからかもしれない。
再演を大劇場で観たときより、今回のエリオに感情移入した。
冷静沈着な大人なエリオより、若くて一途で激情なエリオに。
ああ、このエリオならあの決断もわかるよ、と。なんかすごくすとんと納得した。
エバを苦しめないために、なにもかもひとりで背負って死ぬしかないと、「いや、ちょっと待て早まるな、他に方法はあるだろう、あるはずだ、考えようじゃないか……ってヲイ、人の話を聞け!」な暴走エリオなら納得ですよ。
若さゆえのアツさ、無謀さがもお、キラキラして切なくて。
……15年前はわたしも若かったので。ヤンさんはひたすら大人に見えたし、エリオとエバは十分「大人の恋」に見えたのですよ。
それが今や、正反対。
エリオの恋は、無謀な若者の恋。若いからこそありえる、若さゆえの特権である、その暴走っぷりを若くないモノが愛でる物語として受け取った。ああ、時の流れって容赦ないわね。
失われた時は、みな愛しい。当時は石ころでも、15年後に眺めりゃ宝石、ソレが青春。
エリオの若さが愛しい。
エバを抱きしめて「家を建てよう」とか、ありえない未来を語るエリオにダダ泣きっす。
♪もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう。大きな窓と小さなドアと、部屋には古い暖炉があるのよ。真赤なバラと白いパンジー、子犬の横にはあなた♪
なんて夢見るヲトメなんだ、エリオ。
すべての想いを飲み込んで、ラストシーンになる。
大劇場で観たラスト、盆は回るわセリは上がるわで大スベクタルだった記憶があるし、飛天で観たときも違和感ない演出だった気がしたんだが。
全ツで毎回会場チガウから、盆もセリも使わない方針なんだよな。
セリの上で絶命するはずのエリオは、床で終了。
それでも、そのラストが衝撃的なのはまちがいなく。
はじめて観た高校生の女の子が、「びっくりした」とつぶやくのは当然だ。
エリオが正しいかどうかではなく、彼がそうまでして守ろうとした真実が、そしてその行為が、エバを傷つけないことを、追いつめないことを、祈るばかり。
震災の年、たくさんの人の願いゆえに、劇場を移して上演された、ヤンさんの『哀しみのコルドバ』。
今このトシになって改めて、もう一度、あのままの舞台を、ナマで観てみたいと思う。
若くない今のわたしには、どんな風に映るのだろう。
この作品を、好きだと思うからこそ。
1回は、大劇場初日。まだヅカファン初心者で、地道にスキル上げをしているころで、「トップさんの退団公演の初日」をはじめて観る、つーんで興奮していた記憶がある。……思ってたよりぜんぜんふつーの「初日」で、拍子抜けした(笑)。ヤンさんはクールだし。今のようにスカステはないし(WOWOWはあったが、毎日ニュース流しているわけじゃない)ネットは発達していないし、挨拶やカーテンコールもイベント的な意識はなかったと思う。
次に、劇場飛天の初日を観た。
あの年、阪神大震災が起こり、宝塚大劇場は閉鎖された。上演中だったヤンさんの退団公演は途中で打ち切られ、ゆりちゃんの月組公演はまるっと全部なくなった。
新聞に書かれた「関西芸能界、壊滅」の文字は忘れられない。
本当なら、もう一度観る予定だった。はじめて一緒に観に行く友だちと3人で並んで観るはずだったんだ、楽前に。
それが、叶わなくなった。チケットは払い戻し。
そのあと、中断された退団公演を急遽飛天で上演する、つーんで、またあわてて梅田のプレイガイドに発売日に並びに行った。
運良くチケットを取ることが出来、1回だけ、初日に観た。
公演が終わり、主演のヤンさんがマイクの前に立ち、挨拶をはじめた。ムラ初日「こんなもん?」と思った、どーってことのない挨拶をしたあのヤンさんが……「つらかったです」と言葉をしぼりだし、泣き出した。
あのころはまだ、よくわかっていなかった。退団公演の重要さ。トップスターの背負うものの大きさ。
流す涙の重さ。
あれから10年以上。
劇場飛天はころころ名前を変え、設備のみ古くなって現在に至る。
その同じ劇場で、再び『哀しみのコルドバ』を観る。同じ花組公演として。
開演アナウンス前に流れ出した音楽に、あれ? 今から『Red Hot Sea』がはじまるの? と思った(笑)。
なるほど、『Red Hot Sea II』の曲が差し替えになったとか言っていたのはこのためか。同じ曲なんだね。
10年以上前に観たっきりだから、細部まではおぼえていない。ストーリーと主要キャラ、そして有名すぎる主題歌。なにより、ふたつの初日の、異なった緊迫感を強くおぼえている。
兄妹オチと母親のウザさ、三重唱×2のドラマティックさと、突然空気を変えて歌い出すひまわり娘@純名のすばらしい歌唱力とKYさ(笑)、ストーカーみたいにここぞってとこになにかと現れ、見守る系のイイ台詞を言うリカちゃんを見て「嘘くせー」とつっこんだこと……(笑)。いやその、天下のシブキジュン様ですから、んなおとなしいイイ人なわけがないっつーかえーっと……ゲフンゲフン。
そして、衝撃的なラストシーン。
今回の全ツ梅芸初見時、再演の頃ですら幼児以下だよな、という年齢の制服姿の女の子が私の隣の席で母親らしい女性と一緒に観ていたが、芝居が終わって客電が点いたとき、その女の子はひとこと、「びっくりした……」とつぶやき、ハンカチを出して涙をぬぐっていた。
うん。びっくりするよね、あれは。
花形闘牛士エリオ@まとぶんは、8年前突然姿を消した恋人エバ@あやねに再会した。彼女は母親の急な再婚で生まれ故郷コルドバをあとにするしかなかったのだ。なんか無茶な理由だなヲイ……そう、無茶なんだよママンは。なにしろわざとだし……というのはあとでわかること。
ママンの画策はさておき、もともとラヴラヴだったふたりは、再会するなり昔以上にラヴラヴ絶好調になったが、ちょっと待て、エリオにはアンフェリータ@いちかという婚約者が、エバにはロメロ@ゆーひというパトロンがいる身。愛は暴走特急、ふたりはしがらみを清算し、ふたりで生きようとするが……。
主役のカラーは、ここまで物語を変えるのだなと痛感。
ヤンさん主演のときと、なんかぜんぜん違うんですけど、話(笑)。
エリオが、アツい。
なんかもー、クドくてアツくて、かわいい男がいますよ(笑)。
どんだけグランなエリオなのかわかんないけど、とりあえず彼が仲間たちから慕われているのは、闘牛士としての実力の他に、人柄ゆえだということがわかった。
いい奴だ、エリオ。かわいい奴だ、エリオ。
ついでに若いぞエリオ。現代の26歳はまだ若者であって、「大人」ではない。平気でモラトリアムやってられる年齢だ。15年前の26歳は「大人」だったけど。初演の頃はさらに上の感覚だったかもしれないし。時代がチガウんだから、きっとこれでいいんだろう。
まだまだ青い、コドモなエリオ。だからこそ、恋にすべてを懸けられる。
彼の若さがまぶしく、せつない。
わたしが年を取ったせいかもしれないし、今現在ヅカにディープにハマっていて、花組ファンであるからかもしれない。
再演を大劇場で観たときより、今回のエリオに感情移入した。
冷静沈着な大人なエリオより、若くて一途で激情なエリオに。
ああ、このエリオならあの決断もわかるよ、と。なんかすごくすとんと納得した。
エバを苦しめないために、なにもかもひとりで背負って死ぬしかないと、「いや、ちょっと待て早まるな、他に方法はあるだろう、あるはずだ、考えようじゃないか……ってヲイ、人の話を聞け!」な暴走エリオなら納得ですよ。
若さゆえのアツさ、無謀さがもお、キラキラして切なくて。
……15年前はわたしも若かったので。ヤンさんはひたすら大人に見えたし、エリオとエバは十分「大人の恋」に見えたのですよ。
それが今や、正反対。
エリオの恋は、無謀な若者の恋。若いからこそありえる、若さゆえの特権である、その暴走っぷりを若くないモノが愛でる物語として受け取った。ああ、時の流れって容赦ないわね。
失われた時は、みな愛しい。当時は石ころでも、15年後に眺めりゃ宝石、ソレが青春。
エリオの若さが愛しい。
エバを抱きしめて「家を建てよう」とか、ありえない未来を語るエリオにダダ泣きっす。
♪もしも私が家を建てたなら、小さな家を建てたでしょう。大きな窓と小さなドアと、部屋には古い暖炉があるのよ。真赤なバラと白いパンジー、子犬の横にはあなた♪
なんて夢見るヲトメなんだ、エリオ。
すべての想いを飲み込んで、ラストシーンになる。
大劇場で観たラスト、盆は回るわセリは上がるわで大スベクタルだった記憶があるし、飛天で観たときも違和感ない演出だった気がしたんだが。
全ツで毎回会場チガウから、盆もセリも使わない方針なんだよな。
セリの上で絶命するはずのエリオは、床で終了。
それでも、そのラストが衝撃的なのはまちがいなく。
はじめて観た高校生の女の子が、「びっくりした」とつぶやくのは当然だ。
エリオが正しいかどうかではなく、彼がそうまでして守ろうとした真実が、そしてその行為が、エバを傷つけないことを、追いつめないことを、祈るばかり。
震災の年、たくさんの人の願いゆえに、劇場を移して上演された、ヤンさんの『哀しみのコルドバ』。
今このトシになって改めて、もう一度、あのままの舞台を、ナマで観てみたいと思う。
若くない今のわたしには、どんな風に映るのだろう。
この作品を、好きだと思うからこそ。
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