まっつまっつとうるさいわたしですが、あれほど待ち望んだ『Brilliant Dreams#46「未涼亜希」~personal~』初回放送を捨てて、実は『グイン・サーガ』第1話を取っていました。

 丸かぶりだったんだもんよ、時間帯。
 CSとBSはチューナーがひとつしかないため、W録画も裏録もできない。どちらかをあきらめるしかない。

 ……となれば、リピート放送のあるCSを、まっつをあきらめるしか、なかった。

 おかげで、『ブリドリ』放映当日に感想書けなくて、そーなるともお「いつでもいいか」になって、どんどん感想書くの遅れちゃったさ。

 今のわたしが、再放送があるとはいえ、まっつをあきらめるくらいには、重要だった、『グイン・サーガ』。
 少女のころ、大好きだった作品だから。
 大人になってからは彼女の作品に、そして本人のテンションや考え方について行けなくなり、いつしか無事にクリモト信者から解脱できていたんだが。

 『王家の紋章』や『ガラスの仮面』と同じように、「ああ、子どものころ読んだ……それでアレ、どうなったんだっけ?」「まだ続いてるらしいよ」「作者、終わらせる気ないんでしょ?」という会話につながる同世代の共通言語。
 誰も「終わる」ことはないとあきらめている、「永遠の、未完の大作」。……終わらないことを期待している、終わって欲しくないのではなく、「あきらめている」あたりが、みんなとてもオトナ(笑)。

 そして『グイン・サーガ』は、本当に「未完の大作」として終わった。

 中学生のとき「長く続いている本だから」という興味だけで読みはじめ、20代最初くらいまで、ほんとにむさぼるように読んでいたよ。
 『グイン・サーガ』だけでなく、栗本作品全読破はヲタクのたしなみだった(笑)。
 そーいやサイン会行ったなあ。我が家のどこかに、栗本氏のサイン本が3冊(3冊かよ!)はあるはず……。

 栗本氏がヅカファン……というか、ヅカに興味がないでもなさそうだったころは、わたしがヅカに興味薄かったので、『グイン・サーガ』あとがきに「ナリス様はシメさんで」とかキャスティングされているのを見ても「ふーん」でしかなかった。
 そして、わたしがヅカファンになったころには、栗本氏は自分の劇団(演劇作品)に夢中でヅカへの興味は失っていた模様。

 その、明らかに興味がなくなってから「歌劇」に栗本氏(中島梓名義)のエッセイを載せるあたり、「歌劇団のエライ人ってズレてるなあ」と思った記憶がある。
 宝塚歌劇団オフィシャル誌で、ヅカへの愛も興味も薄いまま、自分の作品や自分の劇団の宣伝と自慢話に満ちた甘酸っぱい(笑)エッセイを書き続ける栗本氏を、友人たちとたのしく眺めたのも、今となってはなつかしい。

 いろんなことについて行けなくなってはいたけれど、それでも、彼女が偉大なクリエイターであったことは、まちがいない。

 出会いには時期、年齢というものがあり、少女だったわたしは栗本薫に出会って夢中になった。
 今は遠ざかっているけれど、いつかまた時期が来れば彼女の作品に夢中になる日が来るかもしれない。
 わたしが50歳とか60歳になり、考え方や感じ方が変わればまた、新鮮な思いで出会えるかもしれない。
 幸い『グイン・サーガ』はそのころも300巻とか400巻とかでふつーに続いていそうだし?
 ……と、思っていたよ。
 作者本人がもう長くないらしい、とも、聞き及んではいたけれど。

 それでも、ふつーに未来を信じていたよ。

「おばーさんになったわたしの横に、おじーさんになったあなたがいるの」
 と、幸福な未来を語るように。

 いろんなことがイタくて今は読めないけれど、いつかまた、出会えることを信じて。
 ふつーに栗本氏は何十年あとでも執筆活動を続けており、(爆)満載のあとがきを書いていたりするんだと。(あとがき数ページ中に何回(爆)が出てくるか、数えていたころがあった・笑)

 また出会えると、ずっとずっと続いていると、信じていたよ。
 なにも変わらずに。
 続いて、いくのだと。

  
 まっつ初回放送をあきらめてまで録画したアニメ『グイン・サーガ』は、トウコちゃん千秋楽で東京行ってるときに録画失敗(だから、CS・BSはチューナーひとつだから切り替え失敗しやすいんだってば)、今は再放送待ちしてまつ……半年後か1年後には地上波で再放送があると信じて……今『タイタニア』の再放送してるし……。

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