だらだらとまとまりなく書く、『エリザベート』感想。

 
 拒絶されてしょんぼり退場していくフランツ@きりやんをぼーっと見ていたら……ああああぶないあぶない、トート様@あさこちゃんのフィンガーアクション見逃すところだったっ。

 シシィ@カチャの部屋のクローゼット?から登場するトート様。
 ……あまりにホラーな水トートの印象が強すぎて、あさこトートはふつーにきれいでびびる。そっか、別にここホラーにしなくても良かったのか……。

 
 それからミルクの場面になるわけだが。

 まさか、マギーたちいないよね? 重臣ズが「政府を倒せ!」系の群衆にまざってたらイカンやろ。まさかいないよね……?
 と思ったら。

 います。
 マギーをはじめ、みなさんノリノリで「怒れる民衆」を演じてらっしゃいます。

 月組って人数少ないんだっけ? 重臣ズがアルバイトしなきゃいけないくらい、人がいないのか?
 そりゃ、マギーたち組の中堅どころの出番が多いのは、ファンとしてはうれしいけれど、彼らが出ている分、市民たちという「若手枠」が削られているわけで、将来的にそれっていいことなんだろうか、と老婆心。繰り返し。

 ただ野次馬根性で群れているカフェの人々なら、ただのアルバイトで済んだけれど。
 さすがに、ミルク場面にまで出るとなると、演出家の意図を考えてしまいます。
 なにかしら深い意味があるのかしら。正反対な役をあえて同じ役者に演じさせることに。

 重臣ズに「怒れる市民たち」をわざわざ演じさせるのに、どんな意味がこめられているのだろう。なにを表現しようとしているんだろう。
 「ゾフィーにおべんちゃらしている人たちが、実はハプスブルクの滅亡を望んでいた」ってこと? ゾフィーの孤独感を表現している? ……タイトルは「エリザベート」で、「ゾフィー」ちゃうし。
 ゾフィー云々の狭い話ではなく、現政府で利権を得ているハプスブルク重臣たちすら本当は信用できない、それくらい人間は愚かだとか卑劣だとか表したい?

 ただ単に「出番の少ないスターに、少しでも出番を」というだけのこと?
 しかしそれって、びんぼーな友人フーケ役だけじゃ2番手様には役不足だっつーんで、きれいな衣装も着られるコラゾフ公爵役もさせました@『赤と黒』とか、今回アンドレ出番少ないから後半はアラン役もやってね@『外伝 ベルサイユのばら-ベルナール編-』とかと同じじゃん? 観客が混乱するから変な2役はやめろ系の。
 このスターに対し、これだけの出番ではまずい、だってここはスターシステムのタカラヅカだもん、というなら、そもそもそんな役しか回せないような作品を上演するなということになっちゃうよ?

 歴代ルドルフの何人かは、モブにまざってアルバイトしていたのだから、2役自体はどーってことない。
 ただ、重臣たち全員がわざわざそろって同じ役で使われているのは、アルバイトではなく彼らの役割に関係していると考えても、変じゃない。
 アルバイトでモブにまざるなら、完全にばらばらに使うべきだろう。なにがしたかったのかな、イケコ。

 とゆー演出に対する疑問で足を引っ張られつつも、彼らの登場場面が多いことは、純粋にうれしい。
 ……ヅカファンってのはどーしよーもねーなー。演出に疑問あっても、作品レベルを下げることになっても、スターの場面が多い方がいいっていう感覚、なんとかしろよ>自分

 ミルクはテンションの上がる名場面。
 そこでシャウトする人々の基礎舞台人力は、あるにこしたことはない。キャリアが少ないためにスキルの低い下級生たちに任せるより、実力の安定した中堅に任せた方が厚みが出るに決まっている。……という意図もあるのかな、でもそれじゃ若手の成長が……としつこく老婆心。
 なんにせよ、無駄に濃く、そして若く!シャウトするマギーにツボっております。トート閣下もたのしそうだしな、ココ(笑)。

 
 そしてカーテン前で腰を振るリヒテンシュタイン@憧花さんのソロと、メイドコスもかわいらしい女官たちを愛でたあと、おたのしみのフランツ@きりやさんの壮大なラヴソングだー!!

 前回の雪組と比べて悪いが、雪のフランツ@ゆみこは、母ゾフィー@ハマコの存在なくては語れないフランツだった。
 この母と息子はまちがいなく同じ血が流れており、同じ意識のもと責任を持って戦っている人たちだと思った。
 ゾフィーがどれほどの信念でどれほどの痛みを耐えて生きてきたか、そしてそれを見て育った息子が、同じ痛みを背負って母の分も戦い抜こうとしていることが、泣けるほどよくわかった。
 それだけのバックボーンをにじませて、それでもなお、「愛のために信念も曲げる」と歌うフランツが壮絶だった。

 だが、きりやんフランツに、母の存在はない。彼の人生や考え方に影響を及ぼすことが出来るほど、母は偉大でもないし、また、双方愛し合ったり理解し合ったりしているようには、見えなかった。

 雪のゾフィーとフランツがたったひとつの正解というわけでは、まったくない。ひとつのカタチであったというだけのこと。

 だから単に、ゾフィーのことはまったく無関係に、今回のフランツは彼自身の意志で決断し、行動しているように見える。
 フランツは精神・金銭的に自立していて、とても親と同居している息子には見えない。都会のマンションで一人暮らししているビジネスマンのようだ。仕事も人生も自分の意志と責任だけで終始して良いと思っているような。

 そんな、いい意味でも悪い意味でも「ひとりの男」として信念を曲げて愛を乞う姿に、きゅんとトキメキました(笑)。

 可哀想とか「彼だってつらいのよ」とか、「フランツ」というキャラに寄せられがちな感情が、どーにもきりやんフランツには薄くなる。同情する部分が少ないんだ、なんかこの男、自分勝手な面が感じられて。
 でもそれこそが、萌えです。トキメキです。ええ。

 
 つーことで、さらに続く。

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