フランツとルキーニって。@新人公演『エリザベート』
2009年6月10日 タカラヅカ「フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
月組新人公演『エリザベート』観劇後、チェリさんが言った。
「似てないよ」
わたしは即座に否定。
でもってみりおくんの美しさやしずくちゃんの美しさの話になり、たのしくだらだら喋ったあと。
「で、フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
「だから、似てないってば」
チェリさん、わざわざ2回言いましたよこの人、ゆりやくんのことまっつ似だって。
わたしもわざわざ2回否定したけど(笑)。
フランツ@ゆりやくんは、べつにまっつには似ていない、と思う。わたしは少なくとも、一度も思ったことはない。「似てるなんて言われたら嫌だわ」というのではなく、たんに、ほんとーに、心から、一度も思ったことがないので、事実として「似てない」と言うだけで。
顔立ちも、芸風も、得意分野も、まっつにはまったくかすっていない。
だけどなんでチェリさんが「まっつに似てる」と思ったのか、……ちょっと考えれば、わかった。
終始、泣きそうな顔をしているからだ。
困った顔というか。笑っているのか泣いているのかわからない……でも泣き顔寄りがデフォルトというか。
わたしは、今回彼を見ながら堺雅人を思い出していた(笑)。堺さんは笑い顔寄りだけど。
ゆりやくんはパステルカラーのクリーム満載スイーツのよーなイメージ。キラキラした、あまいあまいハンサムな王子様。王子だけど王太子ではなく、王位継承とか政治とかには無縁な、愛されてやさしくやさしく世間知らずに育ったかわいこちゃん。
前回の新公では悪役をがんばっていたけど、ちっとも強く見えなかった。そんな彼が挑戦する大役、フランツ・ヨーゼフ。
あたたかくてやさしくて、そして終始泣き顔のヘタレで、ある意味フランツらしかった、の、かも。
貴族的な雰囲気とやさしさは持って生まれたモノだろうから、あとはそこに強さとかいろんなものを加えていけるといいね。……歌は、がんばれ(笑)。
本役のきりやんフランツの黒さ(笑)に「ソレ、フランツちゃうやん」的ツッコミを入れているもんで、ゆりやくんの「いかにもなフランツぶり」には、かえってウケた。
あー、『エリザベート』から連想するフランツの大雑把なイメージって、こんな感じ、と。特徴を捉えて似顔絵を描きましたってゆーか。それはソレで間違いじゃない。
てゆーか、「まっつに似てる」とか言われたら、これから意識しちゃうぢゃないか(笑)。
新公『エリザベート』の演出というか、短縮場面の処理の仕方って毎回違っているのは何故。毎回刷新しようとしているの?
でも、良くなっているとも思えないんですが……。
たしかに前の月新公『エリザ』の演出はひどかったよ。その失敗を踏まえて、次の雪新公では改編してたじゃん?
なのにまた戻しちゃうのって、なんで……? 雪新公の演出は良くなかったの?
プロローグ全カット、ルキーニ@宇月くんの銀橋の語りから、肖像画1枚出て来てシシィ@しずく登場。詩の朗読。……て、トートは?!
なんかもー、盛り上がらない、肩すかしのまま話が進んでいく。
毎回思うけど、「パパみたいに」を削ってもプロローグやればいいのに。舞台にふたりしかいない場面より、主要人物勢揃い場面作った方が舞台も客席も暖まるのに。出番が多い方が若手たちの成長にもいいだろうに。
空気が冷えたまま難曲「パパみたいに」に突入するのは、なかなか困難なんじゃないかと……。
でも、削ってはいけない絶対の場面なんだね。プロローグや最終答弁を削っても、「パパみたいに」は削ってはいけないんだ。……よくわかんねえ。
植爺の『ベルばら』で、フェルゼンとメルシー伯爵の会話を1場面まるまる、絶対削ってはいけないのと同じ?
雪新公のときの方が良かったなあ、と思うのはプロローグがただ「あった」というだけ、「みなさん出てきただけ」であってもあったということと、ルキーニの、客席登場。
今回も期待してたんだよ? ルキーニがカメラ持って客席から現れ、さんざん客席いじりしたあと、銀橋でピンスポ浴びて1曲フルで歌う、ての。
……なかった。
客席登場も、客席いじりも。
ふつーに下手花道から現れて、銀橋で台本通りの台詞言って、終わった。そのあとひとり「キッチュ」を歌ってはいたけど。
なんで演出変えたの? てゆーか、戻したの?
派手にする分にはいいじゃん。宇月くんならできたと思うし。
このへんは大人の事情かなぁと思う。
つまり、番手の問題。
雪新公では、主役がトートなのは当然だが、2番手役はルキーニだったんだよね。フランツは、3番手。
だからフランツの見せ場を削り、ルキーニを派手な演出にしてあった。
フランツ役は作品を支える脇の職人くんが演じ、ルキーニを路線スターが演じた。
だが今回の月新公は、フランツもルキーニも、ふつーに路線くんが演じている。番手をあからさまに逆転させるわけにもいかない。
2番手はフランツ、3番手がルキーニ。
番手の縛りがあるから、その方がいいとわかっていても、ルキーニばかりいい扱いできない。
……まあ、ルキーニが客席登場する必要はナイんだけどね、ほんとのとこ。飛び道具というか、そこまで下駄履かしたらそりゃ客席の目を一気に集められますよ的、役者の実力へのフォローだったのかもしんないが。
なんにせよ、ルキーニ@宇月くんは、良かった。
聞きやすい台詞、聴きやすい歌声。狂言回しとして過不足ナイ仕事ぶり。
てゆーか歌、うまくなってるよね? もとから歌えたけど、こんなにふつーにきれいに歌えるんだ。
「ルキーニって、やりやすい役なのかな」
と、観劇後にチェリさんが言っていたけれど、たしかにソレはあると思う。
本公演のルキーニを「良くない」という声は、どの公演に限らず耳にするけど、新公のルキーニは大抵「良かった」と言われる。
物語の外側から台詞で解説するルキーニは、ある程度の男役スキルのある子なら、演じやすいんだと思う。外へ向けて発散する役だから、アピールしやすいし。
また、舞台中央で演じられている物語自体が、あくまでも新公レベルのものなので、ひとりチガウ立ち位置にいることで、際立って見えるんだよな。
本公演レベルの物語を相手に、ルキーニを演じるのはそりゃ大変なんだろう。
とゆーことは、さすがに7回目の『エリザベート』で、ナマで新公観るのが4回目になると、気づいてくる。
わたしもずっと、新公ルキーニは絶賛してるし(……て、そうだ、初演雪はチガウか。でもアレはまた別ってことで)。
なんて理屈をこねてみても、でもやっぱり宇月くん良かったってば~~!
前回の新公では「みりおくんの次のスターって誰??」状態だったんだけど、今回で次代は宇月くんに新公主演して欲しくなりました。
来年には彼、新公主演できるかな。キモチ的には、次で主演してほしいんですが。みりおくんには脇へ回ってもらって。
や、みりおくんに限らず、新公は独占連続主演で卒業するのではなく、最後の回は長の期に脇で支えて欲しい派なので。みりおくんには悪役とか老け役とか、新公以外では当分出来そうにない役をやって、芸の幅を広げて欲しいし、若い主演の子にはのびのび演じて欲しいしで。
ダメかな?
月組新人公演『エリザベート』観劇後、チェリさんが言った。
「似てないよ」
わたしは即座に否定。
でもってみりおくんの美しさやしずくちゃんの美しさの話になり、たのしくだらだら喋ったあと。
「で、フランツやった子って、なんかまっつに似てるね」
「だから、似てないってば」
チェリさん、わざわざ2回言いましたよこの人、ゆりやくんのことまっつ似だって。
わたしもわざわざ2回否定したけど(笑)。
フランツ@ゆりやくんは、べつにまっつには似ていない、と思う。わたしは少なくとも、一度も思ったことはない。「似てるなんて言われたら嫌だわ」というのではなく、たんに、ほんとーに、心から、一度も思ったことがないので、事実として「似てない」と言うだけで。
顔立ちも、芸風も、得意分野も、まっつにはまったくかすっていない。
だけどなんでチェリさんが「まっつに似てる」と思ったのか、……ちょっと考えれば、わかった。
終始、泣きそうな顔をしているからだ。
困った顔というか。笑っているのか泣いているのかわからない……でも泣き顔寄りがデフォルトというか。
わたしは、今回彼を見ながら堺雅人を思い出していた(笑)。堺さんは笑い顔寄りだけど。
ゆりやくんはパステルカラーのクリーム満載スイーツのよーなイメージ。キラキラした、あまいあまいハンサムな王子様。王子だけど王太子ではなく、王位継承とか政治とかには無縁な、愛されてやさしくやさしく世間知らずに育ったかわいこちゃん。
前回の新公では悪役をがんばっていたけど、ちっとも強く見えなかった。そんな彼が挑戦する大役、フランツ・ヨーゼフ。
あたたかくてやさしくて、そして終始泣き顔のヘタレで、ある意味フランツらしかった、の、かも。
貴族的な雰囲気とやさしさは持って生まれたモノだろうから、あとはそこに強さとかいろんなものを加えていけるといいね。……歌は、がんばれ(笑)。
本役のきりやんフランツの黒さ(笑)に「ソレ、フランツちゃうやん」的ツッコミを入れているもんで、ゆりやくんの「いかにもなフランツぶり」には、かえってウケた。
あー、『エリザベート』から連想するフランツの大雑把なイメージって、こんな感じ、と。特徴を捉えて似顔絵を描きましたってゆーか。それはソレで間違いじゃない。
てゆーか、「まっつに似てる」とか言われたら、これから意識しちゃうぢゃないか(笑)。
新公『エリザベート』の演出というか、短縮場面の処理の仕方って毎回違っているのは何故。毎回刷新しようとしているの?
でも、良くなっているとも思えないんですが……。
たしかに前の月新公『エリザ』の演出はひどかったよ。その失敗を踏まえて、次の雪新公では改編してたじゃん?
なのにまた戻しちゃうのって、なんで……? 雪新公の演出は良くなかったの?
プロローグ全カット、ルキーニ@宇月くんの銀橋の語りから、肖像画1枚出て来てシシィ@しずく登場。詩の朗読。……て、トートは?!
なんかもー、盛り上がらない、肩すかしのまま話が進んでいく。
毎回思うけど、「パパみたいに」を削ってもプロローグやればいいのに。舞台にふたりしかいない場面より、主要人物勢揃い場面作った方が舞台も客席も暖まるのに。出番が多い方が若手たちの成長にもいいだろうに。
空気が冷えたまま難曲「パパみたいに」に突入するのは、なかなか困難なんじゃないかと……。
でも、削ってはいけない絶対の場面なんだね。プロローグや最終答弁を削っても、「パパみたいに」は削ってはいけないんだ。……よくわかんねえ。
植爺の『ベルばら』で、フェルゼンとメルシー伯爵の会話を1場面まるまる、絶対削ってはいけないのと同じ?
雪新公のときの方が良かったなあ、と思うのはプロローグがただ「あった」というだけ、「みなさん出てきただけ」であってもあったということと、ルキーニの、客席登場。
今回も期待してたんだよ? ルキーニがカメラ持って客席から現れ、さんざん客席いじりしたあと、銀橋でピンスポ浴びて1曲フルで歌う、ての。
……なかった。
客席登場も、客席いじりも。
ふつーに下手花道から現れて、銀橋で台本通りの台詞言って、終わった。そのあとひとり「キッチュ」を歌ってはいたけど。
なんで演出変えたの? てゆーか、戻したの?
派手にする分にはいいじゃん。宇月くんならできたと思うし。
このへんは大人の事情かなぁと思う。
つまり、番手の問題。
雪新公では、主役がトートなのは当然だが、2番手役はルキーニだったんだよね。フランツは、3番手。
だからフランツの見せ場を削り、ルキーニを派手な演出にしてあった。
フランツ役は作品を支える脇の職人くんが演じ、ルキーニを路線スターが演じた。
だが今回の月新公は、フランツもルキーニも、ふつーに路線くんが演じている。番手をあからさまに逆転させるわけにもいかない。
2番手はフランツ、3番手がルキーニ。
番手の縛りがあるから、その方がいいとわかっていても、ルキーニばかりいい扱いできない。
……まあ、ルキーニが客席登場する必要はナイんだけどね、ほんとのとこ。飛び道具というか、そこまで下駄履かしたらそりゃ客席の目を一気に集められますよ的、役者の実力へのフォローだったのかもしんないが。
なんにせよ、ルキーニ@宇月くんは、良かった。
聞きやすい台詞、聴きやすい歌声。狂言回しとして過不足ナイ仕事ぶり。
てゆーか歌、うまくなってるよね? もとから歌えたけど、こんなにふつーにきれいに歌えるんだ。
「ルキーニって、やりやすい役なのかな」
と、観劇後にチェリさんが言っていたけれど、たしかにソレはあると思う。
本公演のルキーニを「良くない」という声は、どの公演に限らず耳にするけど、新公のルキーニは大抵「良かった」と言われる。
物語の外側から台詞で解説するルキーニは、ある程度の男役スキルのある子なら、演じやすいんだと思う。外へ向けて発散する役だから、アピールしやすいし。
また、舞台中央で演じられている物語自体が、あくまでも新公レベルのものなので、ひとりチガウ立ち位置にいることで、際立って見えるんだよな。
本公演レベルの物語を相手に、ルキーニを演じるのはそりゃ大変なんだろう。
とゆーことは、さすがに7回目の『エリザベート』で、ナマで新公観るのが4回目になると、気づいてくる。
わたしもずっと、新公ルキーニは絶賛してるし(……て、そうだ、初演雪はチガウか。でもアレはまた別ってことで)。
なんて理屈をこねてみても、でもやっぱり宇月くん良かったってば~~!
前回の新公では「みりおくんの次のスターって誰??」状態だったんだけど、今回で次代は宇月くんに新公主演して欲しくなりました。
来年には彼、新公主演できるかな。キモチ的には、次で主演してほしいんですが。みりおくんには脇へ回ってもらって。
や、みりおくんに限らず、新公は独占連続主演で卒業するのではなく、最後の回は長の期に脇で支えて欲しい派なので。みりおくんには悪役とか老け役とか、新公以外では当分出来そうにない役をやって、芸の幅を広げて欲しいし、若い主演の子にはのびのび演じて欲しいしで。
ダメかな?
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