わたしは、まっつという人を知りません。

 まっつでなくても、ジェンヌは誰ひとり知らないけれど。
 それにしても、ご贔屓でありながら、ほんとにまっつという人のことは、わかっていないと思う。
 わたしが見ているのは舞台の上だけで、そこから受ける印象がすべてで。しかも、舞台の印象だってわたし自身の勝手なフィルターが掛かりまくっているわけで。

 まっつ……というか、未涼亜希の「中の人」がどんな人なのかは、まったく想像がつきません。

 
 と、いきなりこんなことを書いているのは。

 
 『宝塚巴里祭2009』の千秋楽の最後の挨拶で、未涼さんは、泣くのでしょうか?

 という疑問があるためです。

 
 公私混同がタカラヅカの魅力ひとつ。
 「がんばっている」ことや「うれしい/さみしい」とかのナマの感情を、「舞台」で見せること、それを愛でることも、ヅカの醍醐味。

 ふつーのプロなら、そんなの見せちゃいけませんけどね。
 パン屋さんが泣きながらパン作っているところを買い物客に見せたら、パンは売れません。んなもん、こわくて買えるか。
 店の経営者が客にお尻を見せて従業員に「ありがとう、私が今日までやってこれたのはみんなのおかげだ」と言っていたら、「そんなもんは閉店後にやれ、営業中にやるな」と思いますよ。

 でも、それらをやっていいのがタカラヅカ。良くも悪くも、タカラヅカ。
 新公・初バウ主演楽では主演の子は感極まって泣きながら、声を詰まらせながら終演後の挨拶をし、退団者のいる千秋楽ではみんな泣いてヨシ、むしろ悲しんでいない方が不自然、てなもんで。

 公演を最後まで務めたら、最後の挨拶ではナマの感情を出していい。つか、出した方が「好感度アップ」な部分が大いにある。

 
 初主演楽は、泣きながら挨拶がデフォでしょ? 昔は知らんが、近年はずっと。
 泣かずに余裕で挨拶キメたのは、マギーぐらい?(大物)

 だから初主演のまっつも、流れから行けば、「泣いて当然」なんですが。

 通常公演でなくディナーショーだし、シャンソンばっかの巴里祭だし、で、そんな感極まる系の挨拶にならないわー、てのはあるかもしんないけど。
 でもケロだってDS楽の挨拶では、大泣きしてハンカチ握りしめて出てきたし。DSだからどう、ってわけでもないだろう。
 ふつーに「主演作品」として、「泣いて挨拶」はアリだと思うが。
 
「……泣かないんじゃない?」
「あー、やっぱそう思う?」

 てな会話を、まっつメイトとしてしまいました。

 まつださん、新公主演の挨拶でも、泣いてなかったっすよね……。
 千秋楽で退団者を見送るときは顔固まったまま、涙だけこぼしてます。でも、自分の新公主演時は泣いてなかった。
 そのまつあすトリオでの座談会でも、「まっつは泣かない子」という話をしているしなあ。

「他人のことでは泣くけど、自分のことでは泣かないイメージ」
 
 ……と、友人と頷き合う。

 
 まっつがどんな人か、未涼さんの中の人がどんな人なのか、まったく知りませんけれど。
 知らないだけに、想像の翼は広が……りもせず、とっとと失速。

「ふつーに淡々と挨拶して終わりそう」
「……カーテンコール少ないよ、それじゃあ」

 でも、大泣きされて客席も号泣して、涙と拍手でカテコが終わらない! てのも、まっつのイメージぢゃない。
 「お客さんイエーイ!」をやってノリノリでパッショネイトでフリーダムなあおり方をする、てのも、まっつのイメージぢゃない。
 つか、そんなことされたらびびる(笑)。

 実際のとこ、どうなんでしょうね?

 
 や、この際、なんでもやってくれていいです。
 大泣きでも、ノリノリでも、あっさり終了でも、なにがあってもついていく!
 泣かれたら一緒に泣くし、「アイシテルヨー!」と叫ばれたら「アイシテルー!」と叫び返す!(どこのオサコンだ)
 あっさり終了したら、「まっつらしいねー」で済ませる!(笑)

 で、どうなんでしょうね?
 全国5万人のまっつファンの意見が聞きたいっす。 

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