想い出は美しい…のかもしれない。@この恋は雲の涯まで
2009年6月19日 タカラヅカ ドラマ・ヲタクでもあるので、溜め込んだ今期のドラマビデオを消化するのに忙しいっす。
いつものことだが、HDDがあっちゅー間にいっぱいになっちゃって……見なきゃデータ消せないし。
「忙しい」のに、3クエスト連続で時間切れで失敗するし! 時間切れよ? 50分×3、無駄になったのよ?! 結局ひとりでは倒せず、弟とふたりして倒すはめに。……働いたのは弟ひとりで、わたしはキノコ集めばっかしてたんだけど。(未だ絶好調で『モンハン2G』やってます。どんだけへたっぴでもキニシナイ! ちまちまコツコツ努力するのがたのしいのよ!)
その録り溜めた番組の中のひとつ。
植爺作『この恋は雲の涯まで』を、まっつまっつな手作業(いやその、グッズ作りを……笑)しながら2時間半一気見した。
トンギャマ@たかこ、かっこええ!!
えー、92年の再演版なので、トップスターは杜けあき。2番手は一路真輝。
3番手が高嶺ふぶき、4番手あたりが海峡ひろき、轟悠、香寿たつき。娘トップが紫とも。
みゆさんはすでに別格寄りだった。そして前公演に続きトドより下級生のタータンの方が扱いが良く、トドを抜かしたかな?な感じもあった。でもま、そこまでクリアにはせず、どっちつかずな4番手ポジの方々(笑)。いつの時代もそんなこんな。
たかこは番手未満の、しかし「期待の若手」ポジだった。
新公では下級生ながら2~3番手役をし、「そのうち新公主演するだろう」と思われている。
でもそれはあくまでも、新公の話で。
大劇場本公演で、これほどの扱いを受けたのは、このときがはじめてじゃなかろうか。
群舞のセンターで、歌とダンスの場面をまるまるひとつ。
朗々としたソロを披露。
いやあ、瞠目したね、当時も。
ひょろっとした頼りない男の子、でしかなかったたかこちゃんが、まさかの男ぶり。
「あのかっこいい男は誰?!」
周囲のオペラが一斉に上がる、あの感覚。
……遙かな(笑)時間が経った今、こうしてビデオで見ても、やっぱ格好いいわ……。
今でこそわたしは植爺作品が大の苦手だが、ヅカヲタ生活の最初は、ふつーに好きだったのだわ。なにしろ『ベルばら』を機にヅカにハマった、ありがちな人なんだもん。
『この恋は雲の涯まで』も、大好きだった。
毎回だーだー大泣きして観ていた。
そもそもわたしは生来涙もろく、ナニを見てもガーガー泣くことが出来たので、ナニを見ても大抵感動していた。アニメでもマンガでもドラマでもニュースでも、15秒のテレビCMですら泣いてしまう安い人間だ。
植爺の『ベルばら』だって『紫禁城の落日』だって、とにかく泣いていた。
『この恋は…』は、義経@カリンチョが奥州では死なず、大陸に渡ってジンギスカンとなった、とゆー物語。
平泉にて、弁慶@泉つかさと義経影武者@カリンチョ2役が、華々しく死んでいくところで最初に大泣き。
義経のために戦う弁慶の格好良さ、その覚悟の深さと意志の強さ、そして影武者くんのあどけない少年ぶりのいじらしさ。
義経に言い寄って完膚無きまでに振られ、逆ギレして恨みの言葉を叩きつけたチャレンカ@リンゴさんが、それでもそんな義経のために殺人まで犯すところから、妹セトナ@純名の亡骸を抱いて「チャレンカはひとりになってしまった」と慟哭するところまで、泣きっぱなし。
チャレンカは迷惑な女だが、行動に嘘がない。まっすぐに飛び、砕けて、落ちた。そのブレのない生き方が、泣けて仕方なかった。
義経のために、我が身を贄として海神に捧げる静御前@とんちゃん。
死を覚悟した舞の美しさ、命をかけた愛を神に向けて宣言する、凛とした姿。
彼女が美しければ美しいほど、泣けてくる。
2回目からは、奴隷女カン@とんちゃんの啖呵場面も泣けた。
海に身を投げた静は命は助かったものの、奴隷として売られ、男たちのなぐさみものになっていた。
たおやかなお姫様だったのに、今では威勢良く啖呵を切る、頼りがいのある姉御。だけどその胸の奥にある荒涼……。
愛しい夫に再び会いたい、ただそれだけの思いで生き続けてきた……そんな静が、ついに義経と再会した。
奴隷に堕ちた静を目の当たりにし、義経はショックのあまり一度は背を向ける。静もまた、そのまま去ろうとする。
が、義経は静を呼び止める。どんな姿になっていても、愛する人には違いないと。
この、一度は背を向ける、のがツボだった。
いくら仕方なかったとはいえ、武将の妻が娼婦になっていたら、びびるって、男としては。
むしろ、躊躇しない方が嫌だ。「この男、流されてるだけで、現実を理解してないんじゃないの?」って感じで。
現実に傷ついてバックレかけて、でもやっぱり、と思い直すのが、妙にリアル(笑)。一旦手を離そうとするのが、いろんな傷についてきちんと受け止め、それでも愛を選んだ、という気がする。
だから、逃げかけた義経が「静行くな!」と泣きそうな声で叫んだときに、涙腺が決壊する。逃げようとする自身を叱りつけ、ソコに留まる男の方が、最初から逃げない男よりぐっと来たりするんだ。
その幸せの絶頂のあと、「カンは死にました!」で、奈落へどーんと落とされ、さらに泣く。
そうか静、許されても許されなくても、死ぬつもりだったんだああぁぁ、と。その哀しさに胸が締め付けられる。
でもって、「これよりジンギスカンと名乗る」と宣言する義経、「カンとは静の名前!」と絶妙のタイミングでモンゴル娘@みゆ紀タンが解説を入れるのが、「あなたこそチュシンの王!」な盛り上がりで、一気にカタルシスの涙へ!!
……いやあ、大好きだったなあ、『この恋…』。
いやその、当時でさえ「恋だ愛だでぎゃーぎゃーわめいて『この恋は雲の涯まで』とか宣言する男うざいな」と思ってはいたんだけどね(笑)。
モンゴル軍相手に「自分の恋がいちばん大事」とか宣言するのはよせ、それはあえて口に出さず、ただ「ジンギスカンと名を改める」「カンとは静の名前!」という流れでいいじゃないか。なにも言わないけど、静の死んだこの地で、その名を名乗って生きていくってのは、つまりはそーゆーことだよな、とわからせるのでいいじゃないかと。
公私混同する指導者のもとで戦争やるのは一兵士として絶対嫌だ、と、感動で泣きながらも冷めたツッコミをしていた、若き日のわたし。
今見ても、やっぱりおもしろいし、好きだと思う。
ツッコミどころと、「ここはこうした方がいいのに」もいろいろある。てゆーか結局のところ義経って、ナニもしてなくね? とか、根本的なトコで大いに突っ込んでしまうが(笑)、それでもこの「派手さ」と「タカラヅカっぽさ」「わかりやすさ」はいいなと思う。
植爺作品は良くも悪くも「タカラヅカ」だよなと思う。
ほんとに。
(でも『ベルばら』は嫌いだ。今の植爺作品も嫌いだ・笑)
いつものことだが、HDDがあっちゅー間にいっぱいになっちゃって……見なきゃデータ消せないし。
「忙しい」のに、3クエスト連続で時間切れで失敗するし! 時間切れよ? 50分×3、無駄になったのよ?! 結局ひとりでは倒せず、弟とふたりして倒すはめに。……働いたのは弟ひとりで、わたしはキノコ集めばっかしてたんだけど。(未だ絶好調で『モンハン2G』やってます。どんだけへたっぴでもキニシナイ! ちまちまコツコツ努力するのがたのしいのよ!)
その録り溜めた番組の中のひとつ。
植爺作『この恋は雲の涯まで』を、まっつまっつな手作業(いやその、グッズ作りを……笑)しながら2時間半一気見した。
トンギャマ@たかこ、かっこええ!!
えー、92年の再演版なので、トップスターは杜けあき。2番手は一路真輝。
3番手が高嶺ふぶき、4番手あたりが海峡ひろき、轟悠、香寿たつき。娘トップが紫とも。
みゆさんはすでに別格寄りだった。そして前公演に続きトドより下級生のタータンの方が扱いが良く、トドを抜かしたかな?な感じもあった。でもま、そこまでクリアにはせず、どっちつかずな4番手ポジの方々(笑)。いつの時代もそんなこんな。
たかこは番手未満の、しかし「期待の若手」ポジだった。
新公では下級生ながら2~3番手役をし、「そのうち新公主演するだろう」と思われている。
でもそれはあくまでも、新公の話で。
大劇場本公演で、これほどの扱いを受けたのは、このときがはじめてじゃなかろうか。
群舞のセンターで、歌とダンスの場面をまるまるひとつ。
朗々としたソロを披露。
いやあ、瞠目したね、当時も。
ひょろっとした頼りない男の子、でしかなかったたかこちゃんが、まさかの男ぶり。
「あのかっこいい男は誰?!」
周囲のオペラが一斉に上がる、あの感覚。
……遙かな(笑)時間が経った今、こうしてビデオで見ても、やっぱ格好いいわ……。
今でこそわたしは植爺作品が大の苦手だが、ヅカヲタ生活の最初は、ふつーに好きだったのだわ。なにしろ『ベルばら』を機にヅカにハマった、ありがちな人なんだもん。
『この恋は雲の涯まで』も、大好きだった。
毎回だーだー大泣きして観ていた。
そもそもわたしは生来涙もろく、ナニを見てもガーガー泣くことが出来たので、ナニを見ても大抵感動していた。アニメでもマンガでもドラマでもニュースでも、15秒のテレビCMですら泣いてしまう安い人間だ。
植爺の『ベルばら』だって『紫禁城の落日』だって、とにかく泣いていた。
『この恋は…』は、義経@カリンチョが奥州では死なず、大陸に渡ってジンギスカンとなった、とゆー物語。
平泉にて、弁慶@泉つかさと義経影武者@カリンチョ2役が、華々しく死んでいくところで最初に大泣き。
義経のために戦う弁慶の格好良さ、その覚悟の深さと意志の強さ、そして影武者くんのあどけない少年ぶりのいじらしさ。
義経に言い寄って完膚無きまでに振られ、逆ギレして恨みの言葉を叩きつけたチャレンカ@リンゴさんが、それでもそんな義経のために殺人まで犯すところから、妹セトナ@純名の亡骸を抱いて「チャレンカはひとりになってしまった」と慟哭するところまで、泣きっぱなし。
チャレンカは迷惑な女だが、行動に嘘がない。まっすぐに飛び、砕けて、落ちた。そのブレのない生き方が、泣けて仕方なかった。
義経のために、我が身を贄として海神に捧げる静御前@とんちゃん。
死を覚悟した舞の美しさ、命をかけた愛を神に向けて宣言する、凛とした姿。
彼女が美しければ美しいほど、泣けてくる。
2回目からは、奴隷女カン@とんちゃんの啖呵場面も泣けた。
海に身を投げた静は命は助かったものの、奴隷として売られ、男たちのなぐさみものになっていた。
たおやかなお姫様だったのに、今では威勢良く啖呵を切る、頼りがいのある姉御。だけどその胸の奥にある荒涼……。
愛しい夫に再び会いたい、ただそれだけの思いで生き続けてきた……そんな静が、ついに義経と再会した。
奴隷に堕ちた静を目の当たりにし、義経はショックのあまり一度は背を向ける。静もまた、そのまま去ろうとする。
が、義経は静を呼び止める。どんな姿になっていても、愛する人には違いないと。
この、一度は背を向ける、のがツボだった。
いくら仕方なかったとはいえ、武将の妻が娼婦になっていたら、びびるって、男としては。
むしろ、躊躇しない方が嫌だ。「この男、流されてるだけで、現実を理解してないんじゃないの?」って感じで。
現実に傷ついてバックレかけて、でもやっぱり、と思い直すのが、妙にリアル(笑)。一旦手を離そうとするのが、いろんな傷についてきちんと受け止め、それでも愛を選んだ、という気がする。
だから、逃げかけた義経が「静行くな!」と泣きそうな声で叫んだときに、涙腺が決壊する。逃げようとする自身を叱りつけ、ソコに留まる男の方が、最初から逃げない男よりぐっと来たりするんだ。
その幸せの絶頂のあと、「カンは死にました!」で、奈落へどーんと落とされ、さらに泣く。
そうか静、許されても許されなくても、死ぬつもりだったんだああぁぁ、と。その哀しさに胸が締め付けられる。
でもって、「これよりジンギスカンと名乗る」と宣言する義経、「カンとは静の名前!」と絶妙のタイミングでモンゴル娘@みゆ紀タンが解説を入れるのが、「あなたこそチュシンの王!」な盛り上がりで、一気にカタルシスの涙へ!!
……いやあ、大好きだったなあ、『この恋…』。
いやその、当時でさえ「恋だ愛だでぎゃーぎゃーわめいて『この恋は雲の涯まで』とか宣言する男うざいな」と思ってはいたんだけどね(笑)。
モンゴル軍相手に「自分の恋がいちばん大事」とか宣言するのはよせ、それはあえて口に出さず、ただ「ジンギスカンと名を改める」「カンとは静の名前!」という流れでいいじゃないか。なにも言わないけど、静の死んだこの地で、その名を名乗って生きていくってのは、つまりはそーゆーことだよな、とわからせるのでいいじゃないかと。
公私混同する指導者のもとで戦争やるのは一兵士として絶対嫌だ、と、感動で泣きながらも冷めたツッコミをしていた、若き日のわたし。
今見ても、やっぱりおもしろいし、好きだと思う。
ツッコミどころと、「ここはこうした方がいいのに」もいろいろある。てゆーか結局のところ義経って、ナニもしてなくね? とか、根本的なトコで大いに突っ込んでしまうが(笑)、それでもこの「派手さ」と「タカラヅカっぽさ」「わかりやすさ」はいいなと思う。
植爺作品は良くも悪くも「タカラヅカ」だよなと思う。
ほんとに。
(でも『ベルばら』は嫌いだ。今の植爺作品も嫌いだ・笑)
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