『太王四神記 Ver.II』

 役者の芝居については、善し悪しというよりは、単なる好みの話になる。技術の裏付けがある以上、あとは好みかどうかってだけ。
 そう、これはわたし一個人の好みの問題でしかないんだが。
 
 星組版プルキルを、壮一帆で観たかった。

 すずみんは好きなスターであり、彼への愛情は自分的に大いにあるつもりだ。壮くんのことも大好きだが、すずみんだって大好きだ。好きな人たちを比べてどちらかを落としたいわけでは、まったくない。

 役者への好悪とは別のところ、単純に「作品」として、「役」として、今回は首をひねった。

 すずみんが、任を果たしていない、と。
 

 涼紫央の実力には、昔から信頼を置いている。
 彼を最初に観たのは新公主演のときで「地味だけどうまい」と思った。が、当時のわたしは星組をほとんど観ていないのでそれだけに留まる。
 わたしが星組ファンになったのはワタルくんがトップになってからなので、すずみんを注目するようになったのは、『王家に捧ぐ歌』のサウフェ役だ。
 エチオピアのテロリスト・トリオの中で、台詞は少ないながらも明確なキャラ立てだった。彼の見せる狂気がじつに好みだった。

 以降、彼の「男役」としての美しさを愛でてきた。
 若いやんちゃなころを経て、大人の男として成熟してきた近年の充実した姿に、いつもなんの疑問もなく「すずみんならやってくれる」と安心しきっていた。
 柄違いでは、と思えるような役や立場でも、彼はいつだって期待に違わぬ成果を返してくれてきたんだ。

 しかし……そうか、できないことも、あったんだな……。

 
 すずみんがプルキルだとわかったときから、わくわくしていた。衣装はすずみんらしく新調でさらに豪華になるだろうし(涼さんのお衣装が特別製なのはいつものこと。わかった上で楽しむのが彼の愛で方のひとつ・笑)、カツラやアクセサリーにも凝りまくり、ステキな悪役ぶりを見せてくれるだろうと。

 花組『太王四神記』にあった冒頭の神話からチュシンの夜の場面が、星組『太王四神記 Ver.II』には、なかった。
 組長ナレーションで朝鮮半島の地図がカーテンに映り、時代背景の説明のあと、本舞台にじじいプルキル@すずみん登場、「世界征服ソング」ソロをぶちかます。「悪役自己紹介ソング」かな。

 えーっと、プルキルって2番手役だっけ? と思わせる演出。

 細部に渡って手直しされた『Ver.II』は、ホゲ@テルの比重を微妙に落とし、タムドク@れおんを大いに上げ、プルキルのことも上げてある。
 花組版より扱いの上がっているプルキルは、すずみんへの期待と信頼の表れだろう。路線スターとしてではなく、別格スターとして組と舞台を支える新生星組の3番手格への。

 この演出変更に、強く肯いたさ、「そうよ、すずみんならそれくらいの重責を任せたくなる演出家の気持ちはわかるわ」と。

 が。
 その歌声を聴いて、びっくりした。

 あ、あれ?
 ここは一気に場を掌握する、オープニングのキモになるところよね?
 空気を動かし、2500人の観客の心を舞台に釘付けにするソロよね?

 足りていない。 

 演出に、プルキルという役に、すずみんが届いていない。

 オペラグラスで見れば、凝りまくった姿といつものように活き活きと舞台に立っているすずみんを見ることが出来る。
 しかし、それはすずみん単体で見た場合だ。

 『太王四神記 Ver.II』という繊細さに欠ける分、大掛かりなハッタリ作品では、すずみんのプルキルは作品に、周囲に、埋没していた。

 そういえばすずみんって、ハッタリ系の役者ではなかったな、と今さら思う。

 役者として、演技力を問うならば、すずみんの方が壮くんより上だろう。すずみんで見てみたいと思う繊細な表現を必要とする役を、壮くんで見てみたいとはまず思わない。
 しかし……2500人劇場のセンターでハッタリをカマす、という点に置いては、壮くんに軍配が上がる。

 壮一帆はなー、巨大な馬の生首の上で啖呵切ってサマになるという、役者の中でもめずらしい資質を持つ男だからなー。彼よりハッタリ力が少ないからって、仕方ないことなんだけどさー。

 それとも、番手付きの人と、別格の人の差なんだろうか。

 わたしはすずみんが路線スターで将来トップスタァになってもぜんぜんOKと過去に言っていた人間だが、いつの間にかそーゆーことを思わなくなっていた。
 このブログにも、「すずみんのトップ、アリじゃん」的なことを書いてきたと思うが、それって2005年あたり? 彼の徹底した「タカラヅカ・スタァ」ぶりやヅカへの愛情、こだわり、舞台での自覚を持った存在感などから、「この人の作るものを見てみたい」と思わせた。
 それがいつの間にか、トップどうこうとは思わなくなっていた。それよりも、ただ彼がすばらしい舞台を見せてくれることだけに、きゃーきゃー言うようになっていた。
 それは彼の持ち味が、芸風が、落ち着くところへ落ち着いてきたためだろうか。(そしてわたしの嗜好として、トップ路線様より、そこから微妙に逸れたあたりに強く惹かれる。わたしがますますすずみん好きになったのは、そのへんが関係している……?)

 幕開きに「悪役」として登場し、2500人劇場を一瞬で掌握しひれ伏させるのは、「タカラヅカのトップスター」としての資質を必要とする仕事だ。問答無用ですべての人を惹きつけ、世界の中心が自分であると表現する力。
 それが、すずみんプルキルには欠けていた。
 それは彼が、「真ん中向きではない」ということ、今の立場の表れであるだけなんだろうか。

 プルキルの最初の歌でまず愕然としたが、べつに下手だとかいうんじゃない。
 歌唱力の話じゃない。
 『太王四神記 Ver.II』という作品でこの衣装でこの舞台でこの役で歌う歌声ではなかった……ということだ。

 オペラで彼をガン見すれば、こだわりきったビジュアルと作り込んだ演技の、たしかにステキなプルキルがいるんだが……。
 しかし……。

 オペラをはずして俯瞰したときに、チョ・ジュド@みきちぐに、悪役度とハッタリで負けているというのは……正直、意外すぎた。

 プルキルが弱いと、ただの「人間」だと物語度が下がるなぁ。
 荒唐無稽な部分を彼が担っているのに。

 また、タムドクが良い意味で大味で悩まないタイプなので、それに負けない大味さがプルキルにも求められている。主役に合わせた世界観が展開されるわけだから。
 色鉛筆でスケッチブックに細かい写実的な絵を描くより、ペンキとハケで大胆に塗った、100m先からでもなんの絵かわかる宣伝イラストを描かねばならないんだ。
 

 なにしろ初日だから、まだバランスが取れていないのかもしれない。
 これから先、すずみんプルキルはどんどんカリスマ性を増していくのだろう。
 求められている場を、役を、理解して、変わっていくだろう。すずみんってそーゆー人じゃん。いつだって期待に応える仕事をしてくれる人じゃん。

 と期待して、初日のダメダメっぷりを記しておく。
 次に観に行くのがたのしみだ。

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