ロシアからいなくなった猫たち。@ロシアン・ブルー
2009年7月31日 タカラヅカ いろいろあってヘコんでおりますが、とりあえず『ロシアン・ブルー』初日の感想。
えー、とりあえず。
ヲヅキが二枚目だった。
コメディなので、すべてのキャラクタがなにかしら愉快なことになっている。
シリアスな人たちも、演出で愉快に歌い踊ったりしている。
そんななかで、ヲヅキひとりが、ドシリアス。
すすすすみません、最後まで疑っていました。いつヲヅキは三枚目になるんだろう、と。
今は二枚目でドシリアスだけど、きっとそのうちお笑いになるんだわ。そーに違いないわ。
そう決めつけて見ていたら。
最後まで二枚目でシリアスだった。
唯一。
他の人たちすべてがコメディなのに、ヲヅキひとりが別世界。
マジで二枚目。マジでシリアス。
「革命が俺を裏切っても、俺は革命を裏切らない」
……だっけ、決め台詞付き。
ぽかーん……。
どどどどうしよう、ヲヅキがかっこいいよおおっ。
あーびっくりしたびっくりした。
そもそも幕開け、踊るロン毛ヲヅキをオペラグラスでロックオンしてぼーっと眺めていたら、気が付いたら、センターに水しぇんがいた。
いいいいつの間に水しぇん現れていたの?! ヲヅキ眺めてたら、見逃してた?
あーびっくりしたびっくりした。
や、ヲヅキさんの出番はすげー少ないです。「あたしヲヅキ見逃した?」と不安になるくらい、出てきません。
でもその不安なくらい少ない出番のヲヅキが、不安になるくらいかっこいいです(笑)。
それにしても、重要な仕事だなあ。
少ない出番で存在感を刻まなくてはならない。軍服とスーツを着こなし、「あれってさっきの人だよね」と観客にわからせるだけの、一定レベル以上の男役芸を必要とする。
モブに混ざってしまってはいけない。主要人物だと、この人をおぼえておかなければならないと、観客に無言で教えなければならない。
こんな役を任せられる男に成長したんだねえ、ヲヅキ……。あのアフロ犬が……。(『スサノオ』新公参照)
さて、大野先生の新作、「スクリューボール・コメディ」第2弾。
わたしは「ゆみたんの役はねー、執事なのおおぉぉ♪」「ゆみたんが水先輩の執事~~ハァハァ」と耳元で騒ぐゆみこファンの一方的な予備知識のみで、ストーリーも舞台設定もナニもわかっていないまま観劇しました。
ええ。時代背景も舞台もなにも知らず。
幕間、ポンポンを持って戻ってきたわたしに隣の席の年輩のご婦人が「それって、持ってないとダメなんでしょうか」と声を掛けて来られたところから、少々お喋りしたんだが。
「さっきのお芝居、ぜんぜんわかんなかったんですけど……」
と、困惑されていたのを見て、「そうですね」と力強く肯いちゃいました(笑)。
その昔魔力を持った人々が、時の権力者に迫害されて逃げていった。アルバート@水とイリーナ@みなこはそれら魔族の血を引く者たち。それぞれアメリカとロシアで、魔力を隠して生きながらえてきた彼らは、1930年代のモスクワでそうとは知らずに再会し、惹かれていく。
が、とりあえずふたりは現社会では敵同士。イリーナはアルパートをアメリカのスパイと疑い、アルバートはアメリカでのステップアップにモスクワでの成功が必要、互いの仕事に互いが障害。それゆえ惹かれている事実も自他共に否定。
ところがふたりに共通の敵が現れたことから共同戦線、アルバートとイリーナも、彼らの仲間たちも一緒になって悪者を倒し、総ハッピーエンドへ。
……ストーリー自体はね、難しいものでもなんでもないの。
なにしろ魔法が出てきてクライマックス解決!な、他愛ない話だから。
すごーく他愛ない、子ども騙しっつーか、「いいのかソレ(目が点)」系のトンデモ話なのよ、ほんとうのところ。
それが。
大野くんのヲタク根性全開で、えらいことになっている。
大野くんソコこだわるところぢゃないから!! 大劇場で、夏休みで、一見さん相手にやることぢゃないから!!
いやあ、ウケました。
まずね、1930年代のロシアが政治的に文化的にどーゆー状態だったか、その基礎知識がないと、このシンプルな勧善懲悪モノすら、観客は理解できません。
「どーしてあの人たちが悪役なの?」「なにが障害なの?」「どうして敵対しているの?」ということすら、知識がないとわかんないの(笑)。
舞台にはいつもものすごい数の人間が出たり入ったり歌ったり踊ったりしていて、どこを見てなにを聞けばいいのかもわからないまま、話だけが進んでいく。
またこの「いつもものすごい数の人間」たちが、ただのモブではなく、それぞれ名前もキャラもあって、独自にわいわいやってるのよー。だから「本筋がどれで、背景がどれなのか」わかりにくい。
2500人劇場の座付き作家がすることは、日本人の馴染みのない国の馴染みのない時代の馴染みのない社会の仕組みを背景にした、それゆえに起こる「障害」と「ソレを乗り越える話」ではなく、誰でもわかるシンプルな「障害」と「ソレを乗り越える話」でしょう。
ストーリー自体は他愛ないものなんだから、それが起こる背景も他愛ないものにすればいいんだ。時代や社会を絡めずに、誰もが知っている世界をナンチャッテでいいから借りて(ナンチャッテ中世、ナンチャッテファンタジーとか、いろいろある)、直感的にその背景や役割までもわかる作品にすればいいのに。
その単純な物語を、どれだけオシャレにセンスよく歌とダンスで彩るか、に作家性を懸けて。
なのに大野せんせは、彼特有のこだわりとヲタク全開で、観客置いてけぼり。
「この時代背景とキャラの背景について、知性のない人は理解できなくてヨシ」な作り。……知識ではなく、「知性」なところがイタい。
「理解できない」と言いにくい雰囲気があるの(笑)。
そしてさらにこまったことに、台詞と歌が判別不明の人、多すぎ。
膨大な設定を、もちろん台詞で解説しているんだが、なに言ってんだか聴き取れないんだわー。これは致命的だわー。
芝居が終わったあと「なに言ってんのか、ぜんぜん聴き取れなかった」「音響のせい?」「座席位置のせい?」と、首を傾げながら通路を歩く人たち多数。
やー、もー、えらいことになってるなあ。
大野くん、やっちゃったなあ。
とゆーことで。
『ロシアン・ブルー』大好きですよ、という話。(えっ?!)
「わからなかった」と言う人がいることも、「そうですね」と肯いちゃうくらい、納得できる。そしてなんでそう思う人がいるのか、欠陥もよくわかる。
が。
初見さんにやさしくない、上演する場所を間違えているってだけで、コレ贔屓組だったら絶対たのしーぞー(笑)。
えー、とりあえず。
ヲヅキが二枚目だった。
コメディなので、すべてのキャラクタがなにかしら愉快なことになっている。
シリアスな人たちも、演出で愉快に歌い踊ったりしている。
そんななかで、ヲヅキひとりが、ドシリアス。
すすすすみません、最後まで疑っていました。いつヲヅキは三枚目になるんだろう、と。
今は二枚目でドシリアスだけど、きっとそのうちお笑いになるんだわ。そーに違いないわ。
そう決めつけて見ていたら。
最後まで二枚目でシリアスだった。
唯一。
他の人たちすべてがコメディなのに、ヲヅキひとりが別世界。
マジで二枚目。マジでシリアス。
「革命が俺を裏切っても、俺は革命を裏切らない」
……だっけ、決め台詞付き。
ぽかーん……。
どどどどうしよう、ヲヅキがかっこいいよおおっ。
あーびっくりしたびっくりした。
そもそも幕開け、踊るロン毛ヲヅキをオペラグラスでロックオンしてぼーっと眺めていたら、気が付いたら、センターに水しぇんがいた。
いいいいつの間に水しぇん現れていたの?! ヲヅキ眺めてたら、見逃してた?
あーびっくりしたびっくりした。
や、ヲヅキさんの出番はすげー少ないです。「あたしヲヅキ見逃した?」と不安になるくらい、出てきません。
でもその不安なくらい少ない出番のヲヅキが、不安になるくらいかっこいいです(笑)。
それにしても、重要な仕事だなあ。
少ない出番で存在感を刻まなくてはならない。軍服とスーツを着こなし、「あれってさっきの人だよね」と観客にわからせるだけの、一定レベル以上の男役芸を必要とする。
モブに混ざってしまってはいけない。主要人物だと、この人をおぼえておかなければならないと、観客に無言で教えなければならない。
こんな役を任せられる男に成長したんだねえ、ヲヅキ……。あのアフロ犬が……。(『スサノオ』新公参照)
さて、大野先生の新作、「スクリューボール・コメディ」第2弾。
わたしは「ゆみたんの役はねー、執事なのおおぉぉ♪」「ゆみたんが水先輩の執事~~ハァハァ」と耳元で騒ぐゆみこファンの一方的な予備知識のみで、ストーリーも舞台設定もナニもわかっていないまま観劇しました。
ええ。時代背景も舞台もなにも知らず。
幕間、ポンポンを持って戻ってきたわたしに隣の席の年輩のご婦人が「それって、持ってないとダメなんでしょうか」と声を掛けて来られたところから、少々お喋りしたんだが。
「さっきのお芝居、ぜんぜんわかんなかったんですけど……」
と、困惑されていたのを見て、「そうですね」と力強く肯いちゃいました(笑)。
その昔魔力を持った人々が、時の権力者に迫害されて逃げていった。アルバート@水とイリーナ@みなこはそれら魔族の血を引く者たち。それぞれアメリカとロシアで、魔力を隠して生きながらえてきた彼らは、1930年代のモスクワでそうとは知らずに再会し、惹かれていく。
が、とりあえずふたりは現社会では敵同士。イリーナはアルパートをアメリカのスパイと疑い、アルバートはアメリカでのステップアップにモスクワでの成功が必要、互いの仕事に互いが障害。それゆえ惹かれている事実も自他共に否定。
ところがふたりに共通の敵が現れたことから共同戦線、アルバートとイリーナも、彼らの仲間たちも一緒になって悪者を倒し、総ハッピーエンドへ。
……ストーリー自体はね、難しいものでもなんでもないの。
なにしろ魔法が出てきてクライマックス解決!な、他愛ない話だから。
すごーく他愛ない、子ども騙しっつーか、「いいのかソレ(目が点)」系のトンデモ話なのよ、ほんとうのところ。
それが。
大野くんのヲタク根性全開で、えらいことになっている。
大野くんソコこだわるところぢゃないから!! 大劇場で、夏休みで、一見さん相手にやることぢゃないから!!
いやあ、ウケました。
まずね、1930年代のロシアが政治的に文化的にどーゆー状態だったか、その基礎知識がないと、このシンプルな勧善懲悪モノすら、観客は理解できません。
「どーしてあの人たちが悪役なの?」「なにが障害なの?」「どうして敵対しているの?」ということすら、知識がないとわかんないの(笑)。
舞台にはいつもものすごい数の人間が出たり入ったり歌ったり踊ったりしていて、どこを見てなにを聞けばいいのかもわからないまま、話だけが進んでいく。
またこの「いつもものすごい数の人間」たちが、ただのモブではなく、それぞれ名前もキャラもあって、独自にわいわいやってるのよー。だから「本筋がどれで、背景がどれなのか」わかりにくい。
2500人劇場の座付き作家がすることは、日本人の馴染みのない国の馴染みのない時代の馴染みのない社会の仕組みを背景にした、それゆえに起こる「障害」と「ソレを乗り越える話」ではなく、誰でもわかるシンプルな「障害」と「ソレを乗り越える話」でしょう。
ストーリー自体は他愛ないものなんだから、それが起こる背景も他愛ないものにすればいいんだ。時代や社会を絡めずに、誰もが知っている世界をナンチャッテでいいから借りて(ナンチャッテ中世、ナンチャッテファンタジーとか、いろいろある)、直感的にその背景や役割までもわかる作品にすればいいのに。
その単純な物語を、どれだけオシャレにセンスよく歌とダンスで彩るか、に作家性を懸けて。
なのに大野せんせは、彼特有のこだわりとヲタク全開で、観客置いてけぼり。
「この時代背景とキャラの背景について、知性のない人は理解できなくてヨシ」な作り。……知識ではなく、「知性」なところがイタい。
「理解できない」と言いにくい雰囲気があるの(笑)。
そしてさらにこまったことに、台詞と歌が判別不明の人、多すぎ。
膨大な設定を、もちろん台詞で解説しているんだが、なに言ってんだか聴き取れないんだわー。これは致命的だわー。
芝居が終わったあと「なに言ってんのか、ぜんぜん聴き取れなかった」「音響のせい?」「座席位置のせい?」と、首を傾げながら通路を歩く人たち多数。
やー、もー、えらいことになってるなあ。
大野くん、やっちゃったなあ。
とゆーことで。
『ロシアン・ブルー』大好きですよ、という話。(えっ?!)
「わからなかった」と言う人がいることも、「そうですね」と肯いちゃうくらい、納得できる。そしてなんでそう思う人がいるのか、欠陥もよくわかる。
が。
初見さんにやさしくない、上演する場所を間違えているってだけで、コレ贔屓組だったら絶対たのしーぞー(笑)。
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