ブラック・ハッピーエンド。@ロシアン・ブルー
2009年8月4日 タカラヅカ 『ロシアン・ブルー』に引っかかるのは、大野くんのうんちく満載な部分と、方向性の見えなさ具合だ。
うんちく垂れるのに必死で本筋がわかりにくくなっているところまではご愛敬だが、そのうんちくゆえにラストがハッピーエンドではなくなっているのは、どうかと思う。
罪のない軽いコメディならば、ラストはわかりやすいハッピーエンドであるべきだ。
そこに至るまでがうんちく垂れ過ぎていて、「罪のない軽いコメディ」と乖離しているが、それでも終わりよければすべてヨシ、最後が大団円なら全部誤魔化せる。
なのに、最後もうんちくうんちくして、大団円にならない。
てゆーかコレ、悲劇エンド?
と、観客に首を傾げさせるのは、まずいんぢゃないの?
魔法によってラスボスを倒したアルバート@水とイリーナ@みなこは、生きる立場の違いから、結局は別れることになる。
この別れ、ラストに、思わずぽかーんとした。
えーっとコレ、悲劇エンド? 今まで「罪のない軽いコメディ」だと思って観ていたけど、実は悲劇モノだったの?
ラストでふたりが別れたからアンハッピーと言っているわけじゃない。
別れたって、その近い未来に幸福が見えていれば、ハッピーエンドだ。
しかし、『ロシアン・ブルー』の場合、幸福は見えているか?
否。
このあとアメリカとソビエトは冷戦に入る。
ふたりがあっけらかーんとラヴラヴできる時代ではない。
政治家と官僚が、「わたしたち、遠距離恋愛なんです」という理由だけで米ソを自由に行き来できる時代ぢゃないぞ、東西冷戦。
実際、わたしたちはその後の歴史を知っている。アルバートが……アルバートのような人が……大統領になってアメリカを、世界を変えることが2009年の現在に至ってもあり得てないことを、知っている。
これはフィクションなのだから、現実と照らし合わせてどうこういうのは間違っている。
史実がどうあれ、この物語世界では、軽く明るくふたりはしあわせになったのよ、とすることはできる。
だがそれは、描き方の問題だ。
同じ題材でも、描き方によって受け取り方は変わる。
最後に主人公カップルが別れるのに、それでもハッピーエンドにするためには、それなりの描き方をしなければならない。
彼らが生きている世界が、「明るく軽く」ゆるい展開で終始しなくてはならない。
きちんと「嘘」を作らないといけないんだ。
魔法使いたちの物語で、いざとなったら魔法でちょちょいと困難を乗り越える、そーゆーゆるいかわいい世界を、きちんと構築しないといけない。
実際、いちばんの危機を魔法で乗り切っているのだから、そーゆー「ファンタジー」要素、「ズル」が罷り通る世界観であるはずなんだ、この物語は。
バカバカしいけどたのしい、「惚れ薬で解決ってアリかよ?!」と突っ込まれる、だけどそれが変じゃない、その解決法が観客にとって「裏切り」にならないだけの「異世界」を構築し、成り立っているはずなんだ。
それなら、たとえ別れ別れになっても、悲劇エンドにはならないはずだ。
国際情勢がどうなろうと、魔法使いの彼らには関係ない、だって魔法でホウキを飛ばすことだってできるんだし、と。
別れていても、あれはハッピーエンドだろう、と。
ふつーならそう思うはずだ。
だが、しかし。
ハッピーエンドとするには、「魔法で解決」と未来に夢を見るには、大野くんのヲタクうんちくが、邪魔をしているんだ。
いちいちリアルに社会情勢、史実を踏襲し、解説し、歴史上の人物をこれみよがしに登場させ、その背景を語り、彼らを使って実は辛辣なテーマを語り、「だってコレ、ファンタジーだもん」という世界観に水を差している。
ここまでいちいちうんちくうんちくしていなければ、主人公たちが「魔法使いだから大丈夫」とラストに無責任な希望を感じられるけど、挿入されまくっている世界情勢が無駄にリアルで小難しくて解説過多だから、リアルと切り離して考えられない。
大野くんがヲタクなのはぜんぜんいいんだが、知識をひけらかすのに夢中で、それが作品のファンタジー観に水を差していることに、気づいているんだろうか。
「罪のない軽いコメディ」で深く考えず楽しめる作品である、というならば、うんちくを控えるべきところでは、控えるべきだった。
このままだと、なまじそれまでが「罪のない軽いコメディ」だと思って観てきた分、ラストの未来のなさに、これって実は、ブラック・コメディだったのか!(白目)となってしまう(笑)。
ついでにいうと、この結果には組のカラーも関係している。
多少大野くんがヲタク全開に作劇しても、「魔法で解決」というアホアホな展開にバカッパワーがあれば、細かいことをぶっ飛ばしてどっかーんと力業でゴールにたどり着くことができる。
スクリューボール・コメディの前作『ヘイズ・コード』でのイメージで、「これくらいなら大丈夫」とか思っちゃったのかな?
でもアレは、星組だから。
あのどっかーんな勢いは、星組のカラーだから。
雪組はなんつーかーもー、真面目ですから。
他組が不真面目という意味ではなく、雪組が生真面目で堅実なの。
今回もコメディなのに、すっげー真面目に演じている。
それは、トップスターの水くんのカラーなのかもしれないが、それにしたってまあ、背筋を伸ばして両膝を合わせてかしこまって坐っている、感じのコメディっぷりだ。
はちゃめちゃどっかーん(アニメなきのこ雲)な舞台ではないのよ、雪組だから。
大野くんが思っている以上に、ヲタクなうんちくが物語に影を落としてしまうのよ。
雪組で上演する以上、もっとうんちく度を下げるか、あるいは出来事を派手に「ありえねー!」の連続で盛り上げて、その勢いのままにエンドに持っていった方が「スクリューボール・コメディ」らしかったと思う。
それこそ、最後主人公カップルがホウキに乗って飛んでいくくらいの、アホアホっぷりで。
アホアホ展開にはせず、変におしゃれにまとめてしまったから、しあわせ感が小さい、爽快感のないラストシーンになってるんだよなー。
や、おしゃれですよ。ええ、きれいですよ。
でもその「小さくまとまった」きれいさってのは、今回のラストシーンに必要だったのかな?
別の作品なら、それで良かったんだけど。
『ロシアン・ブルー』はえらく散漫な作品になっている。
大本営発表の解説と、大野くんのやりたいことが、ズレているせいかな? それは確信犯を狙ってスベったのか、無意識でとっちらかってしまった結果なのか、知りたいものだ(笑)。
って、好き勝手言ってるけど、よーするにこの作品好きなの(笑)。
うんちく垂れるのに必死で本筋がわかりにくくなっているところまではご愛敬だが、そのうんちくゆえにラストがハッピーエンドではなくなっているのは、どうかと思う。
罪のない軽いコメディならば、ラストはわかりやすいハッピーエンドであるべきだ。
そこに至るまでがうんちく垂れ過ぎていて、「罪のない軽いコメディ」と乖離しているが、それでも終わりよければすべてヨシ、最後が大団円なら全部誤魔化せる。
なのに、最後もうんちくうんちくして、大団円にならない。
てゆーかコレ、悲劇エンド?
と、観客に首を傾げさせるのは、まずいんぢゃないの?
魔法によってラスボスを倒したアルバート@水とイリーナ@みなこは、生きる立場の違いから、結局は別れることになる。
この別れ、ラストに、思わずぽかーんとした。
えーっとコレ、悲劇エンド? 今まで「罪のない軽いコメディ」だと思って観ていたけど、実は悲劇モノだったの?
ラストでふたりが別れたからアンハッピーと言っているわけじゃない。
別れたって、その近い未来に幸福が見えていれば、ハッピーエンドだ。
しかし、『ロシアン・ブルー』の場合、幸福は見えているか?
否。
このあとアメリカとソビエトは冷戦に入る。
ふたりがあっけらかーんとラヴラヴできる時代ではない。
政治家と官僚が、「わたしたち、遠距離恋愛なんです」という理由だけで米ソを自由に行き来できる時代ぢゃないぞ、東西冷戦。
実際、わたしたちはその後の歴史を知っている。アルバートが……アルバートのような人が……大統領になってアメリカを、世界を変えることが2009年の現在に至ってもあり得てないことを、知っている。
これはフィクションなのだから、現実と照らし合わせてどうこういうのは間違っている。
史実がどうあれ、この物語世界では、軽く明るくふたりはしあわせになったのよ、とすることはできる。
だがそれは、描き方の問題だ。
同じ題材でも、描き方によって受け取り方は変わる。
最後に主人公カップルが別れるのに、それでもハッピーエンドにするためには、それなりの描き方をしなければならない。
彼らが生きている世界が、「明るく軽く」ゆるい展開で終始しなくてはならない。
きちんと「嘘」を作らないといけないんだ。
魔法使いたちの物語で、いざとなったら魔法でちょちょいと困難を乗り越える、そーゆーゆるいかわいい世界を、きちんと構築しないといけない。
実際、いちばんの危機を魔法で乗り切っているのだから、そーゆー「ファンタジー」要素、「ズル」が罷り通る世界観であるはずなんだ、この物語は。
バカバカしいけどたのしい、「惚れ薬で解決ってアリかよ?!」と突っ込まれる、だけどそれが変じゃない、その解決法が観客にとって「裏切り」にならないだけの「異世界」を構築し、成り立っているはずなんだ。
それなら、たとえ別れ別れになっても、悲劇エンドにはならないはずだ。
国際情勢がどうなろうと、魔法使いの彼らには関係ない、だって魔法でホウキを飛ばすことだってできるんだし、と。
別れていても、あれはハッピーエンドだろう、と。
ふつーならそう思うはずだ。
だが、しかし。
ハッピーエンドとするには、「魔法で解決」と未来に夢を見るには、大野くんのヲタクうんちくが、邪魔をしているんだ。
いちいちリアルに社会情勢、史実を踏襲し、解説し、歴史上の人物をこれみよがしに登場させ、その背景を語り、彼らを使って実は辛辣なテーマを語り、「だってコレ、ファンタジーだもん」という世界観に水を差している。
ここまでいちいちうんちくうんちくしていなければ、主人公たちが「魔法使いだから大丈夫」とラストに無責任な希望を感じられるけど、挿入されまくっている世界情勢が無駄にリアルで小難しくて解説過多だから、リアルと切り離して考えられない。
大野くんがヲタクなのはぜんぜんいいんだが、知識をひけらかすのに夢中で、それが作品のファンタジー観に水を差していることに、気づいているんだろうか。
「罪のない軽いコメディ」で深く考えず楽しめる作品である、というならば、うんちくを控えるべきところでは、控えるべきだった。
このままだと、なまじそれまでが「罪のない軽いコメディ」だと思って観てきた分、ラストの未来のなさに、これって実は、ブラック・コメディだったのか!(白目)となってしまう(笑)。
ついでにいうと、この結果には組のカラーも関係している。
多少大野くんがヲタク全開に作劇しても、「魔法で解決」というアホアホな展開にバカッパワーがあれば、細かいことをぶっ飛ばしてどっかーんと力業でゴールにたどり着くことができる。
スクリューボール・コメディの前作『ヘイズ・コード』でのイメージで、「これくらいなら大丈夫」とか思っちゃったのかな?
でもアレは、星組だから。
あのどっかーんな勢いは、星組のカラーだから。
雪組はなんつーかーもー、真面目ですから。
他組が不真面目という意味ではなく、雪組が生真面目で堅実なの。
今回もコメディなのに、すっげー真面目に演じている。
それは、トップスターの水くんのカラーなのかもしれないが、それにしたってまあ、背筋を伸ばして両膝を合わせてかしこまって坐っている、感じのコメディっぷりだ。
はちゃめちゃどっかーん(アニメなきのこ雲)な舞台ではないのよ、雪組だから。
大野くんが思っている以上に、ヲタクなうんちくが物語に影を落としてしまうのよ。
雪組で上演する以上、もっとうんちく度を下げるか、あるいは出来事を派手に「ありえねー!」の連続で盛り上げて、その勢いのままにエンドに持っていった方が「スクリューボール・コメディ」らしかったと思う。
それこそ、最後主人公カップルがホウキに乗って飛んでいくくらいの、アホアホっぷりで。
アホアホ展開にはせず、変におしゃれにまとめてしまったから、しあわせ感が小さい、爽快感のないラストシーンになってるんだよなー。
や、おしゃれですよ。ええ、きれいですよ。
でもその「小さくまとまった」きれいさってのは、今回のラストシーンに必要だったのかな?
別の作品なら、それで良かったんだけど。
『ロシアン・ブルー』はえらく散漫な作品になっている。
大本営発表の解説と、大野くんのやりたいことが、ズレているせいかな? それは確信犯を狙ってスベったのか、無意識でとっちらかってしまった結果なのか、知りたいものだ(笑)。
って、好き勝手言ってるけど、よーするにこの作品好きなの(笑)。
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