咲いて散る、光の華。@宝塚観光花火大会
2009年8月8日 タカラヅカ 最後に宝塚観光花火大会を見たのは、いつだったろう。
宝塚の花火大会は、わたしが生まれてはじめてナマで見た、参加した、花火大会だった。
そのころはまだ淀川花火大会はおろか、その前身である水都祭すらなかった、はずだ。
PLの日本一の花火大会は有名でも、北大阪在住の子どもが見に行けるよーなイベントではなかった。
だから緑野ファミリーが参加する花火大会は、宝塚花火大会だった。
花火大会の日は、家族4人で宝塚ホテルに宿泊した。
ファミリーランドで遊んで、花火大会を見て、そのまま宝ホにお泊まり。……片道1時間半の阪急沿線に住んでいながら、なんでわざわざ宝ホに宿泊していたのかは、謎だ。
1家族でツインルームふたつ取って、わたしは弟と同室だった。小学生ふたりで1室。隣の両親の部屋でルームサービスの夜食をいただいてから、寝るためだけに自分たちの部屋に戻る。や、河川敷で花火見ながら屋台の焼きそばだのお好み焼きだのでなし崩しに晩ごはんだから、結局ルームサービス取ることになるのな。
宝ホでは花火大会の日は毎年、ホテル内に露店が出ていて、小判を使って遊ぶことが出来た。「宝塚ホテル」と刻印された黄金の小判が金券代わりで、1000円で5枚購入できるんだったかな。つまり、小判1枚が200円換算。
両親から小判をもらって、露店でゲームをして遊ぶのが毎年の楽しみだった。余った小判は持って帰って、また来年使おう、と。
弟は昔からかわいいもの好きで、特にブタの小物が好きだった。輪投げで小さなかわいいピンクのブタちゃん置物をGETすべく、姉弟そろってがんばったなぁ。……わたしは別にブタはどーでも良かったんだが、姉の面子に懸けて、ゲームで弟に負けるわけにはいかなかったので。
そのときの持って帰った小判、そして戦利品のブタちゃん。たぶん、家のどこかにあるはずだ。
大人になって、マジなヅカファンになるまで、わたしにとって「宝塚」は家族で遊びに行く行楽地であり、「宝塚ホテル」は花火大会のときにお泊まりするところで、小判で露店だ(笑)。
宝塚歌劇は子どものころから母親に連れられて観に行っていたけれど、べつにぜんっぜん、ファンではなかったので。
ファミリーランドの中にある娯楽のひとつでしかなかった。今日は動物園、次に来るときは歌劇、その程度。
ええ。
今のわたしにとって花火大会というと淀川花火大会であり、「えー、今日ムラで花火大会あるの? 人混みがうざいから陽が暮れる前に帰ろう」とか、「その日って宝塚花火大会の日でしょ? 電車混むだろーから観劇は別の日がイイ」とか言って、思いっきり、避けていた。
観劇のついでに花火♪ とか思わない。
今のわたしにとって、「宝塚」は「タカラヅカを観るところ」であって、花火を見るところぢゃないんだもの(笑)。
ついでに「宝塚ホテル」とゆーと、「お茶会」なんだもの(笑)。
花火は、淀川で見るからいい。規模がチガウので、盛大な花火大会を知ったあとでは、ささやかな花火大会を見るガッツがなかった。
だからもお、いったいいつから見ていないんだろう、宝塚の花火大会。
結局、今回も雪組は週1ペースで観劇。
毎週末ごとにムラにいるよーな、いないよーな。や、週末にムラへ行けば、誰か友人がいるので。某ゆみこファンは必ずいるし(笑)。
それでなんか、花火大会も見ることになった。
人生最初に見た花火大会だから、ソレをスタンダードだと思い込んでいた。
宝塚花火大会は、「1発数秒打ち上がると、そのあと何分間スポンサーの宣伝アナウンスが流れる。待ちくたびれたころにまた数秒花火が上がり、そのあと数分間宣伝アナウンスが流れる」という、ものすごいものだった。
これを「スタンダード」だと思い込んでいたので、水都祭をはじめて見たときに感動した。「花火が途切れず次々打ち上げられる! 宣伝アナウンスが流れない!!」と。
宝塚花火大会が特殊で、他の花火大会ではそんなことはありえないのだと、ずーーっとあとになってから知った(笑)。
その印象が強すぎて、宝塚花火大会に興味が薄かったことも、事実。
あののどかな時代はそれが通っても、情報化社会の現代であんな「大人の事情」丸出しの花火大会はやっていられないだろうから、たぶん宝塚花火大会もふつーの花火大会になっているだろう、とは思っていたけれど。
宝塚花火大会って、淀川の10分の1くらいの打ち上げ本数だよねえ?
それって、どんななんだろう?
と、思っていたら。
なるほど、予算の少なさは、演出でカバーしていた。
1発花火が上がると、それに合わせて音楽が鳴るの。
音楽に合わせて、1発ずつ、花火が上がる。
淀川では1発ずつなんてまず、ありえない。10数発は続けてっつーか一気に上がる。花火が重なり合って夜空一面を覆う。
宝塚では、そんなもったいないことはしない。花火は重ならないよう、順番に打ち上げ、音楽とアナウンスで「物語」を作る。
おおお。
なるほど、うまいわー。
打ち上げ数が少なくても、予算がなくても、それを誤魔化す……というと言葉は悪いが、そーゆーことにとらわれないで観客を楽しませる方法はあるんだ。
で、やはり「タカラヅカ」を思う。
昔に比べれば、今は娯楽も多様化し、加えて不況で、公演に潤沢な予算はつぎ込めないんだろう。
それでも、要は創意工夫。
ショボく見せない演出をすることは、できるはずだ。
花火を見ながら、浴衣姿のカップルたちの間で、わたしとnanaタンは結局のところ、タカラヅカの話をしていた。
贔屓のこと、公演のこと、人事のこと、「宝塚歌劇」ということについて。
たかが娯楽、たかがタカラヅカ。
だけどわたしたちは、タカラヅカに一喜一憂している。
贔屓が、ジェンヌたちが、幸福であれと願う。
キレイゴトだけでは済まない世界なのかもしれないが、それでも、ひとりひとりが豊かなジェンヌ人生を送り、その姿を見守ること自体が「夢を見る」ということなんだ。舞台の上、物語の上だけが夢なのではなく。
宝塚歌劇団に夢を見るということなんだ。
咲いては消える花火を見ながら。
夢の街で、夢の劇場のある場所で、考えても仕方ないことを、大真面目に語り合った。
無料開放された劇団駐車場で、「こんないい場所が無料なんてすごい」「人も少ないし、なんて快適」と感動しつつ、宝塚花火大会を改めて体験いたしました。
や、大人だからPLも淀川も、どんだけ殺人的に混みまくり、また見やすい場所が有料当然なのも、身を持って知っているので。
宝塚花火大会は、それらに比べると人は少ないし見やすいし、規模が小さくてもストレスのなさを優先したい人にはもってこいですよ。
無料観覧席入口でもらったパンフレットを、大事に持って帰ったのは、家族に見せるためです。
宝塚花火大会に行ったのよ、すごいでしょ、なつかしいでしょ。
「やっぱえんえん宣伝聞かされるの?」
家族の第一声は、全員同じ。みんなほんと、トラウマなのね(笑)。
宝塚の花火大会は、わたしが生まれてはじめてナマで見た、参加した、花火大会だった。
そのころはまだ淀川花火大会はおろか、その前身である水都祭すらなかった、はずだ。
PLの日本一の花火大会は有名でも、北大阪在住の子どもが見に行けるよーなイベントではなかった。
だから緑野ファミリーが参加する花火大会は、宝塚花火大会だった。
花火大会の日は、家族4人で宝塚ホテルに宿泊した。
ファミリーランドで遊んで、花火大会を見て、そのまま宝ホにお泊まり。……片道1時間半の阪急沿線に住んでいながら、なんでわざわざ宝ホに宿泊していたのかは、謎だ。
1家族でツインルームふたつ取って、わたしは弟と同室だった。小学生ふたりで1室。隣の両親の部屋でルームサービスの夜食をいただいてから、寝るためだけに自分たちの部屋に戻る。や、河川敷で花火見ながら屋台の焼きそばだのお好み焼きだのでなし崩しに晩ごはんだから、結局ルームサービス取ることになるのな。
宝ホでは花火大会の日は毎年、ホテル内に露店が出ていて、小判を使って遊ぶことが出来た。「宝塚ホテル」と刻印された黄金の小判が金券代わりで、1000円で5枚購入できるんだったかな。つまり、小判1枚が200円換算。
両親から小判をもらって、露店でゲームをして遊ぶのが毎年の楽しみだった。余った小判は持って帰って、また来年使おう、と。
弟は昔からかわいいもの好きで、特にブタの小物が好きだった。輪投げで小さなかわいいピンクのブタちゃん置物をGETすべく、姉弟そろってがんばったなぁ。……わたしは別にブタはどーでも良かったんだが、姉の面子に懸けて、ゲームで弟に負けるわけにはいかなかったので。
そのときの持って帰った小判、そして戦利品のブタちゃん。たぶん、家のどこかにあるはずだ。
大人になって、マジなヅカファンになるまで、わたしにとって「宝塚」は家族で遊びに行く行楽地であり、「宝塚ホテル」は花火大会のときにお泊まりするところで、小判で露店だ(笑)。
宝塚歌劇は子どものころから母親に連れられて観に行っていたけれど、べつにぜんっぜん、ファンではなかったので。
ファミリーランドの中にある娯楽のひとつでしかなかった。今日は動物園、次に来るときは歌劇、その程度。
ええ。
今のわたしにとって花火大会というと淀川花火大会であり、「えー、今日ムラで花火大会あるの? 人混みがうざいから陽が暮れる前に帰ろう」とか、「その日って宝塚花火大会の日でしょ? 電車混むだろーから観劇は別の日がイイ」とか言って、思いっきり、避けていた。
観劇のついでに花火♪ とか思わない。
今のわたしにとって、「宝塚」は「タカラヅカを観るところ」であって、花火を見るところぢゃないんだもの(笑)。
ついでに「宝塚ホテル」とゆーと、「お茶会」なんだもの(笑)。
花火は、淀川で見るからいい。規模がチガウので、盛大な花火大会を知ったあとでは、ささやかな花火大会を見るガッツがなかった。
だからもお、いったいいつから見ていないんだろう、宝塚の花火大会。
結局、今回も雪組は週1ペースで観劇。
毎週末ごとにムラにいるよーな、いないよーな。や、週末にムラへ行けば、誰か友人がいるので。某ゆみこファンは必ずいるし(笑)。
それでなんか、花火大会も見ることになった。
人生最初に見た花火大会だから、ソレをスタンダードだと思い込んでいた。
宝塚花火大会は、「1発数秒打ち上がると、そのあと何分間スポンサーの宣伝アナウンスが流れる。待ちくたびれたころにまた数秒花火が上がり、そのあと数分間宣伝アナウンスが流れる」という、ものすごいものだった。
これを「スタンダード」だと思い込んでいたので、水都祭をはじめて見たときに感動した。「花火が途切れず次々打ち上げられる! 宣伝アナウンスが流れない!!」と。
宝塚花火大会が特殊で、他の花火大会ではそんなことはありえないのだと、ずーーっとあとになってから知った(笑)。
その印象が強すぎて、宝塚花火大会に興味が薄かったことも、事実。
あののどかな時代はそれが通っても、情報化社会の現代であんな「大人の事情」丸出しの花火大会はやっていられないだろうから、たぶん宝塚花火大会もふつーの花火大会になっているだろう、とは思っていたけれど。
宝塚花火大会って、淀川の10分の1くらいの打ち上げ本数だよねえ?
それって、どんななんだろう?
と、思っていたら。
なるほど、予算の少なさは、演出でカバーしていた。
1発花火が上がると、それに合わせて音楽が鳴るの。
音楽に合わせて、1発ずつ、花火が上がる。
淀川では1発ずつなんてまず、ありえない。10数発は続けてっつーか一気に上がる。花火が重なり合って夜空一面を覆う。
宝塚では、そんなもったいないことはしない。花火は重ならないよう、順番に打ち上げ、音楽とアナウンスで「物語」を作る。
おおお。
なるほど、うまいわー。
打ち上げ数が少なくても、予算がなくても、それを誤魔化す……というと言葉は悪いが、そーゆーことにとらわれないで観客を楽しませる方法はあるんだ。
で、やはり「タカラヅカ」を思う。
昔に比べれば、今は娯楽も多様化し、加えて不況で、公演に潤沢な予算はつぎ込めないんだろう。
それでも、要は創意工夫。
ショボく見せない演出をすることは、できるはずだ。
花火を見ながら、浴衣姿のカップルたちの間で、わたしとnanaタンは結局のところ、タカラヅカの話をしていた。
贔屓のこと、公演のこと、人事のこと、「宝塚歌劇」ということについて。
たかが娯楽、たかがタカラヅカ。
だけどわたしたちは、タカラヅカに一喜一憂している。
贔屓が、ジェンヌたちが、幸福であれと願う。
キレイゴトだけでは済まない世界なのかもしれないが、それでも、ひとりひとりが豊かなジェンヌ人生を送り、その姿を見守ること自体が「夢を見る」ということなんだ。舞台の上、物語の上だけが夢なのではなく。
宝塚歌劇団に夢を見るということなんだ。
咲いては消える花火を見ながら。
夢の街で、夢の劇場のある場所で、考えても仕方ないことを、大真面目に語り合った。
無料開放された劇団駐車場で、「こんないい場所が無料なんてすごい」「人も少ないし、なんて快適」と感動しつつ、宝塚花火大会を改めて体験いたしました。
や、大人だからPLも淀川も、どんだけ殺人的に混みまくり、また見やすい場所が有料当然なのも、身を持って知っているので。
宝塚花火大会は、それらに比べると人は少ないし見やすいし、規模が小さくてもストレスのなさを優先したい人にはもってこいですよ。
無料観覧席入口でもらったパンフレットを、大事に持って帰ったのは、家族に見せるためです。
宝塚花火大会に行ったのよ、すごいでしょ、なつかしいでしょ。
「やっぱえんえん宣伝聞かされるの?」
家族の第一声は、全員同じ。みんなほんと、トラウマなのね(笑)。
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