その太陽は、燦々と輝く。@花組千秋楽
2009年10月5日 タカラヅカ 日向燦は、どこへ行くのだろう。
花組『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』『EXCITER!!』千秋楽。
組長が読む退団者からのメッセージで、すでに客席は爆笑に次ぐ爆笑だった。
惜しむらくは、組長が噛み噛みで読んでいたことか。何度もつかえて読み直したり、意味が通じにくかったりした。……アレ、ふつうに読める人(うまくなくていい、ふつーに朗読できる人)が読んだら、さらにおもしろかったと思う。組長下手すぎ。
そしてもちろん、マメ本人の挨拶も、実に愉快だった。
この人を失うことが、心から惜しい。
残念すぎる。
てゆーか辞めてナニすんだよ、もったいないだろその個性、才能。
芸能界以外では宝の持ち腐れ、じゃあここではないどの芸能界へ行くんだ?
芸能界も広いから、どこかマメが才能を遺憾なく発揮できる場所があるのだと信じたい。
またどこかで、めぐりあえることを。
マメの才能を惜しみ、マメ個人を惜しむ。
彼は十分美しい人だ。スタイルが素晴らしいのは言うまでもなく、丸いやさしい顔立ちはふつうにかわいらしいが、これからさらにあか抜けて美しくなる整い方をしている。
マメを好きで、マメにずっとここ……タカラヅカにいて欲しいと思い。
だけどやっぱり、タカラヅカではダメだったのかなあ、とも思う。
今回の公演を通して見て。
わたしはひたすらまっつまっつな人で、いつもまっつ中心の視界しか持っていないんだが、それでもマメのことは極力追うようにしていた。や、んなことせんでも目に入るし彼。
千秋楽は、いつもならまっつ見るとこでも、マメを見ていたりした。
マメは素晴らしい舞台人だと思う。
これからも可能性のある、のびしろのたくさんある人だと思う。
だからそれを発揮しきらないうちに、若くして卒業していくことが残念でならない。別れがさみしくてならない。
それでもなお。
マメのいる場所は、タカラヅカではダメだったのかもなあ、と思った。
この公演通して、そして、楽が近づくとかなり、さらに楽においては、もお。
マメは、「群舞のひとり」というタカラヅカのルールを無視して、自分ひとりで踊っていた。
揃える気はないんだと思う。
主役の後ろのバックダンサーではなく、ただひとり別カンパニーの人のように踊っていた。
タカラヅカは個性を出して踊ってもいいところで、ぴたりとCGのように動きを揃えることだけを求められる場所ではない。
だから個々にカラーはチガウし、個性を大切に踊ってヨシ。
が、マメのダンスはそーゆー域を超えていた。
悪目立ち。
ひとりだけ、チガウ踊りをしている……。
や、振付は同じだけど。でも、同じ振付でも揃える気がなく自分ひとりが気持ちよく踊ると、チガウ踊りになるよ。
マメだから、退団だから、みんなそれでも愛しく眺めていると思うけれど。
無名の生徒が退団でもなくコレをずーーっとやり続けたら、いろいろ弊害があるだろうなと。
楽の日のマメはほんとに、完璧にひとりだけチガウ踊りを踊っていた。群舞なのに。
反対に、どれだけ個性を出したくても、ただ同じ振付で踊るだけでここまでチガウものにならない、目を引かない人もいるだろう。
マメはここまでできてしまう。
本気になればもっともっと、衆目を集めるパフォーマンスができてしまうのだろう。
本人に実力があり、華がある。
彼が自分の持つパワーを、彼の個性にとって正しい方向で発散したら、それは「タカラヅカ」のルールを壊してしまうのかもしれない。
限界だったのかもしれない。
彼は「タカラヅカ」の群舞にいてはならない人だ。
彼が「タカラヅカ」を愛し、「タカラヅカ」に合うように自分を抑え、和を乱さないようにしてようやく群舞のひとりとして踊ることが出来た。……それでも十分個性的に。
彼の本来の姿は、ずっとずっと抑えられ喘いでいたのかもしれない。
彼の持つ、爆発的な力。個性。光。
それは、宝塚歌劇団で発揮できるタイプのものではなかった……のかも、しれない。
だからこそ。
それでも彼がここにいて、ここを愛して、楽しそうに脇役を務めてくれた。
いろんなものを表現してくれた。
そのことがうれしく、貴重で、泣けてくるほど愛しい。
ぶっちゃけ悪目立ちしている千秋楽のダンス、明らかにやりすぎなパフォーマンスも苦笑しつつ愛しい。
そっかあ、こーゆーのが全部まるっとマメなんだよなあ。
本人も自分の組でのキャラクタや立ち位置を知り、期待されていることを知っているだろう。
それに応えるべくやっている面もあるのだろう。
マメだから……と、どんな役でも登場するなり演技も役割も無関係に観客に笑われた新人公演。まず演技を見てやれよ、「マメだからおかしい」って先入観で笑うなよ、と腹立たしかったほどに。
彼はきっと、ここではないどこかで、リセットする必要があるんだろう。
彼が本来の才能を、魅力を、素直に生きるために。
それがタカラヅカでなかったことが、残念だ。
タカラヅカだからこそ出会えて、彼を好きになれて、タカラヅカだからこそ彼は去っていく。
なにひとつ間違ってはいないのだろう。
そうだとしても、ただただ寂しい。悲しい。
日向燦は、どこへ行くのだろう。
ここには収まりきらなかった光と華を持つ彼は、これからどこへ向かうんだろう。
わたしがもっともときめいた、あの毒に満ちた耽美キャラとしての彼を、また見せてくれる場であればいいのだけど。
……この公演通して、芝居もショーも耽美とは逆路線ぶっちぎりのいわゆる「マメらしいマメ」だったから、外部でもそうそうあの美しいマメには出会えないのかもなあ。
両方持っている人なのになあ。片方だけに特化した扱いはもったいないよ~~。
彼との別れを惜しみ、未来に期待する。
ああそれでもやっぱ、まだいてほしかったな。この花園に。
でもって組長。
東宝楽では、噛まずに朗読してくれよ。何度も読んでるだろうに自分ひとり笑ってなに言ってるのかわかんないとか勘弁して。
最後のメッセージや挨拶までが、「日向燦」という作品なのだから。
マメが「タカラヅカ」でプロデュースしているキャラクタなんだから。
彼のその意識の高さやサービス精神もが、うれしくてならないから。
最後まで、タカラヅカの日向燦として、爆走して。
花組『外伝 ベルサイユのばら-アンドレ編-』『EXCITER!!』千秋楽。
組長が読む退団者からのメッセージで、すでに客席は爆笑に次ぐ爆笑だった。
惜しむらくは、組長が噛み噛みで読んでいたことか。何度もつかえて読み直したり、意味が通じにくかったりした。……アレ、ふつうに読める人(うまくなくていい、ふつーに朗読できる人)が読んだら、さらにおもしろかったと思う。組長下手すぎ。
そしてもちろん、マメ本人の挨拶も、実に愉快だった。
この人を失うことが、心から惜しい。
残念すぎる。
てゆーか辞めてナニすんだよ、もったいないだろその個性、才能。
芸能界以外では宝の持ち腐れ、じゃあここではないどの芸能界へ行くんだ?
芸能界も広いから、どこかマメが才能を遺憾なく発揮できる場所があるのだと信じたい。
またどこかで、めぐりあえることを。
マメの才能を惜しみ、マメ個人を惜しむ。
彼は十分美しい人だ。スタイルが素晴らしいのは言うまでもなく、丸いやさしい顔立ちはふつうにかわいらしいが、これからさらにあか抜けて美しくなる整い方をしている。
マメを好きで、マメにずっとここ……タカラヅカにいて欲しいと思い。
だけどやっぱり、タカラヅカではダメだったのかなあ、とも思う。
今回の公演を通して見て。
わたしはひたすらまっつまっつな人で、いつもまっつ中心の視界しか持っていないんだが、それでもマメのことは極力追うようにしていた。や、んなことせんでも目に入るし彼。
千秋楽は、いつもならまっつ見るとこでも、マメを見ていたりした。
マメは素晴らしい舞台人だと思う。
これからも可能性のある、のびしろのたくさんある人だと思う。
だからそれを発揮しきらないうちに、若くして卒業していくことが残念でならない。別れがさみしくてならない。
それでもなお。
マメのいる場所は、タカラヅカではダメだったのかもなあ、と思った。
この公演通して、そして、楽が近づくとかなり、さらに楽においては、もお。
マメは、「群舞のひとり」というタカラヅカのルールを無視して、自分ひとりで踊っていた。
揃える気はないんだと思う。
主役の後ろのバックダンサーではなく、ただひとり別カンパニーの人のように踊っていた。
タカラヅカは個性を出して踊ってもいいところで、ぴたりとCGのように動きを揃えることだけを求められる場所ではない。
だから個々にカラーはチガウし、個性を大切に踊ってヨシ。
が、マメのダンスはそーゆー域を超えていた。
悪目立ち。
ひとりだけ、チガウ踊りをしている……。
や、振付は同じだけど。でも、同じ振付でも揃える気がなく自分ひとりが気持ちよく踊ると、チガウ踊りになるよ。
マメだから、退団だから、みんなそれでも愛しく眺めていると思うけれど。
無名の生徒が退団でもなくコレをずーーっとやり続けたら、いろいろ弊害があるだろうなと。
楽の日のマメはほんとに、完璧にひとりだけチガウ踊りを踊っていた。群舞なのに。
反対に、どれだけ個性を出したくても、ただ同じ振付で踊るだけでここまでチガウものにならない、目を引かない人もいるだろう。
マメはここまでできてしまう。
本気になればもっともっと、衆目を集めるパフォーマンスができてしまうのだろう。
本人に実力があり、華がある。
彼が自分の持つパワーを、彼の個性にとって正しい方向で発散したら、それは「タカラヅカ」のルールを壊してしまうのかもしれない。
限界だったのかもしれない。
彼は「タカラヅカ」の群舞にいてはならない人だ。
彼が「タカラヅカ」を愛し、「タカラヅカ」に合うように自分を抑え、和を乱さないようにしてようやく群舞のひとりとして踊ることが出来た。……それでも十分個性的に。
彼の本来の姿は、ずっとずっと抑えられ喘いでいたのかもしれない。
彼の持つ、爆発的な力。個性。光。
それは、宝塚歌劇団で発揮できるタイプのものではなかった……のかも、しれない。
だからこそ。
それでも彼がここにいて、ここを愛して、楽しそうに脇役を務めてくれた。
いろんなものを表現してくれた。
そのことがうれしく、貴重で、泣けてくるほど愛しい。
ぶっちゃけ悪目立ちしている千秋楽のダンス、明らかにやりすぎなパフォーマンスも苦笑しつつ愛しい。
そっかあ、こーゆーのが全部まるっとマメなんだよなあ。
本人も自分の組でのキャラクタや立ち位置を知り、期待されていることを知っているだろう。
それに応えるべくやっている面もあるのだろう。
マメだから……と、どんな役でも登場するなり演技も役割も無関係に観客に笑われた新人公演。まず演技を見てやれよ、「マメだからおかしい」って先入観で笑うなよ、と腹立たしかったほどに。
彼はきっと、ここではないどこかで、リセットする必要があるんだろう。
彼が本来の才能を、魅力を、素直に生きるために。
それがタカラヅカでなかったことが、残念だ。
タカラヅカだからこそ出会えて、彼を好きになれて、タカラヅカだからこそ彼は去っていく。
なにひとつ間違ってはいないのだろう。
そうだとしても、ただただ寂しい。悲しい。
日向燦は、どこへ行くのだろう。
ここには収まりきらなかった光と華を持つ彼は、これからどこへ向かうんだろう。
わたしがもっともときめいた、あの毒に満ちた耽美キャラとしての彼を、また見せてくれる場であればいいのだけど。
……この公演通して、芝居もショーも耽美とは逆路線ぶっちぎりのいわゆる「マメらしいマメ」だったから、外部でもそうそうあの美しいマメには出会えないのかもなあ。
両方持っている人なのになあ。片方だけに特化した扱いはもったいないよ~~。
彼との別れを惜しみ、未来に期待する。
ああそれでもやっぱ、まだいてほしかったな。この花園に。
でもって組長。
東宝楽では、噛まずに朗読してくれよ。何度も読んでるだろうに自分ひとり笑ってなに言ってるのかわかんないとか勘弁して。
最後のメッセージや挨拶までが、「日向燦」という作品なのだから。
マメが「タカラヅカ」でプロデュースしているキャラクタなんだから。
彼のその意識の高さやサービス精神もが、うれしくてならないから。
最後まで、タカラヅカの日向燦として、爆走して。
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