彼の集大成。@ラスト プレイ
2009年10月12日 タカラヅカ 正塚晴彦は、瀬奈じゅんをどうしたかったのだろう?
『ラスト プレイ』のぐだぐだっぷりは、そこに尽きる気がする。
とりあえず、アリステア@あさこのヒロインっぷりを、愉快だと思う。
最後の最後に天下の瀬奈じゅん様に、魔性の総受キャラをやらせんでも、正塚よ(笑)、と思う。
孤児ですよ。ピアニストですよ。ナイーーヴで傷つきやすくてトラウマ抱えちゃって大変★な美青年ですよ。
出てくる人たち、男女問わず彼に興味モチマス、彼がキニナリマス。
彼はなーんにもしないのに彼の周りだけ、みんなわいわい。
これだけでもなかなか笑える厨設定てんこ盛りなのに。
極めつけは、記憶喪失っすよ?!(笑)
予備知識なく見ているもので、この脈絡のない展開に「ボクのお人形さんプレイ」キターーっ!!と、大ウケしたね(笑)。
昔から「耽美系」と言われるジャンルに、どんだけ厨設定と嗤われようと廃れない確固たるニーズの「お人形さん」モノっつー設定があるのだ。
記憶だの知能だのを失い、無垢な幼児のようになってしまった美しい受を、攻が大切に大切に屋敷に囲う、というシチュエーション。事故で記憶を、とか、あるいはショックなことがあって心がコワレてしまった、とか、理由もとってもアレなんだけど、攻の庇護無しでは生活できない、姿は美しいままの生きている人形状態。
きれーなお洋服を着せ、髪を梳ってやって、「今日もきれいだよ」とか話しかけるんですね!!(笑)
もちろん無私無償の究極のプラトニックから、愛欲の限りを尽くす鬼畜モノまで多種多様よりどりみどり。
きり×あさなのは最初から謡ってあるし、ポスターでもこれでもかと煽っているので、据え膳に食指の動かない真の腐女子としては「ふーん、勝手にやってれば?」と高みの見物気分だったんだが。
アリステアの無意味な記憶喪失ぶりを見て、大ウケしたさ。高みの見物してる場合ぢゃねーよ、なにやってんだマサツカ!(笑)
あさこで「お人形さんプレイ」がしたかったのか。
この記憶喪失にもう少し意味があれば良かったんだが、ほんとに「箇条書きであらすじ書いてます」な無味乾燥などーでもいい調子で「はい、そーゆー順番なんで記憶喪失入りましたー」で、あっちゅー間に「はい、出席印だけもらったからお役御免、記憶戻りましたー」で終了。
うわ、意味ねー。
意味ないのにわざわざ無理矢理挿入してあるもんだから、あさこにお人形さんやらせたかっただけかと。
記憶をなくし、頼りなげな瞳で喋らせたかっただけかと。
おっさん、あさこにナニ求めてんだ(笑)。
や、ナニを求めてもいいが、ソレはあさこファンのニーズに合ってんのか? 最後の作品なんだから、ストーリーがアレなのはともかく、ファンのニーズをいちばんに満たしてやってくれよ。
あさこちゃんのファンは、こーゆーあさこちゃんを見たかったのかな? それならいいんだけど。
アリステアがあまりにも少女マンガのヒロインか、ヲタクコミックの受キャラまんまでびびります(笑)。
ヒロインやらせたかったのはいいけど、とどのつまりナニをさせたいのかわからないあたりが、作品がぐだぐだになった所以かな。
正塚せんせ所詮ノーマルだから、「お人形さんプレイ」を萌えて書いてないんだもの、プレイの真髄がわからないまま「こんなプレイがあるんだ、へー、やってみよー」ってだけで書かれても、足りないわっ(笑)。
娘トップ不在、女と恋愛しなくていい、ならばあさこ萌えだけを突き詰めてくれればいいのに。
マサツカさぁ、ぶっちゃけあさこにそれほど萌えてないっしょ?
あさこはヒロインだから女と恋愛はしなくてイイ……ってだけじゃん、これじゃ。
あさこでナニがしたいか、ナニが見たいか、もっと明確にしてよ。
……まあなぁ、明確に萌えて書いてたら、「時系列にただだらだら並べただけの日記」にはなってないか……書くことナイと出来事箇条書きになるよね、人は。
このアリステアって役は、ほんと困った役だ。
最初にピアニストとして使命感バリバリに登場したとき以外は、ナニもしない、ナニも考えない。
されるがまま、流されるまま。記憶があろうとなかろうと同じ。
そして、コレが重要。
誰のことも、好きじゃない。
友好的だし、好意的だけど。日常のある一定ラインの「好き」はあるんだけど、ほんとのとこ彼は誰ひとりまともに愛してない。
「男同士の友情」ってのを謳い文句にしているけれど、ムーアが愛しているほど、アリステアはムーアを愛してない。
ヘレナ@しずくちゃんとかポーリーン@蘭はなとか、あからさまにアリステアを愛している者たちもいるけれど、とにかくすべてにおいて不等号でしか関係していない。ムーア>アリステア、ヘレナ>アリステア。
愛されるばかりで、愛し返さない、返せない。
アリステアがナニもしないため、物語自体がもったりしている。
これがあさこちゃんの個性なんだろうとは思う。
同じ脚本、同じ演出でも、別の役者が演じれば、アリステアは別人だったろう。「愛」という動詞を持ち味にした人ならば、なまじ恋愛がないからこそ、さらに愛があふれていただろう。
アリステアのなにもしなさは、「余白」だと思うんだ。
たしかに正塚せんせはあさこ単体に萌えてはいないだろうと思う。
だけど、男役・瀬奈じゅんを信頼していると思う。
余白の多い、フリースペースのある役を、最後に与えた。
脚本上ナニもしない男だけど、だからこそ、あとは男役としての基礎力で、18年培ってきた個性でなんとかしろと。
なんとかしろ、と丸投げするのは、つまり、「ナニをしてもイイ」ってことで。
余白をどんな色に染めるのか、あさこちゃん個人に任されているのだと。
正塚せんせはかなり細かく演技指導する人だと思うけど、それをしてなおフリースペースのある役だと思うのね、アリステア。
その結果が吉と出るか否かはまぁ、ファンが判断すればいいのでしょう。退団公演はファンのモノだし。
ただ、最後の最後にあさこちゃん、すげー難しいものを求められているなと思うよ。
それが、マサツカがあさこちゃんにやらせたかったことなのかな。
にしてもおっさん、きりあさで「お人形プレイ」って……!!(笑)←そこか。
『ラスト プレイ』のぐだぐだっぷりは、そこに尽きる気がする。
とりあえず、アリステア@あさこのヒロインっぷりを、愉快だと思う。
最後の最後に天下の瀬奈じゅん様に、魔性の総受キャラをやらせんでも、正塚よ(笑)、と思う。
孤児ですよ。ピアニストですよ。ナイーーヴで傷つきやすくてトラウマ抱えちゃって大変★な美青年ですよ。
出てくる人たち、男女問わず彼に興味モチマス、彼がキニナリマス。
彼はなーんにもしないのに彼の周りだけ、みんなわいわい。
これだけでもなかなか笑える厨設定てんこ盛りなのに。
極めつけは、記憶喪失っすよ?!(笑)
予備知識なく見ているもので、この脈絡のない展開に「ボクのお人形さんプレイ」キターーっ!!と、大ウケしたね(笑)。
昔から「耽美系」と言われるジャンルに、どんだけ厨設定と嗤われようと廃れない確固たるニーズの「お人形さん」モノっつー設定があるのだ。
記憶だの知能だのを失い、無垢な幼児のようになってしまった美しい受を、攻が大切に大切に屋敷に囲う、というシチュエーション。事故で記憶を、とか、あるいはショックなことがあって心がコワレてしまった、とか、理由もとってもアレなんだけど、攻の庇護無しでは生活できない、姿は美しいままの生きている人形状態。
きれーなお洋服を着せ、髪を梳ってやって、「今日もきれいだよ」とか話しかけるんですね!!(笑)
もちろん無私無償の究極のプラトニックから、愛欲の限りを尽くす鬼畜モノまで多種多様よりどりみどり。
きり×あさなのは最初から謡ってあるし、ポスターでもこれでもかと煽っているので、据え膳に食指の動かない真の腐女子としては「ふーん、勝手にやってれば?」と高みの見物気分だったんだが。
アリステアの無意味な記憶喪失ぶりを見て、大ウケしたさ。高みの見物してる場合ぢゃねーよ、なにやってんだマサツカ!(笑)
あさこで「お人形さんプレイ」がしたかったのか。
この記憶喪失にもう少し意味があれば良かったんだが、ほんとに「箇条書きであらすじ書いてます」な無味乾燥などーでもいい調子で「はい、そーゆー順番なんで記憶喪失入りましたー」で、あっちゅー間に「はい、出席印だけもらったからお役御免、記憶戻りましたー」で終了。
うわ、意味ねー。
意味ないのにわざわざ無理矢理挿入してあるもんだから、あさこにお人形さんやらせたかっただけかと。
記憶をなくし、頼りなげな瞳で喋らせたかっただけかと。
おっさん、あさこにナニ求めてんだ(笑)。
や、ナニを求めてもいいが、ソレはあさこファンのニーズに合ってんのか? 最後の作品なんだから、ストーリーがアレなのはともかく、ファンのニーズをいちばんに満たしてやってくれよ。
あさこちゃんのファンは、こーゆーあさこちゃんを見たかったのかな? それならいいんだけど。
アリステアがあまりにも少女マンガのヒロインか、ヲタクコミックの受キャラまんまでびびります(笑)。
ヒロインやらせたかったのはいいけど、とどのつまりナニをさせたいのかわからないあたりが、作品がぐだぐだになった所以かな。
正塚せんせ所詮ノーマルだから、「お人形さんプレイ」を萌えて書いてないんだもの、プレイの真髄がわからないまま「こんなプレイがあるんだ、へー、やってみよー」ってだけで書かれても、足りないわっ(笑)。
娘トップ不在、女と恋愛しなくていい、ならばあさこ萌えだけを突き詰めてくれればいいのに。
マサツカさぁ、ぶっちゃけあさこにそれほど萌えてないっしょ?
あさこはヒロインだから女と恋愛はしなくてイイ……ってだけじゃん、これじゃ。
あさこでナニがしたいか、ナニが見たいか、もっと明確にしてよ。
……まあなぁ、明確に萌えて書いてたら、「時系列にただだらだら並べただけの日記」にはなってないか……書くことナイと出来事箇条書きになるよね、人は。
このアリステアって役は、ほんと困った役だ。
最初にピアニストとして使命感バリバリに登場したとき以外は、ナニもしない、ナニも考えない。
されるがまま、流されるまま。記憶があろうとなかろうと同じ。
そして、コレが重要。
誰のことも、好きじゃない。
友好的だし、好意的だけど。日常のある一定ラインの「好き」はあるんだけど、ほんとのとこ彼は誰ひとりまともに愛してない。
「男同士の友情」ってのを謳い文句にしているけれど、ムーアが愛しているほど、アリステアはムーアを愛してない。
ヘレナ@しずくちゃんとかポーリーン@蘭はなとか、あからさまにアリステアを愛している者たちもいるけれど、とにかくすべてにおいて不等号でしか関係していない。ムーア>アリステア、ヘレナ>アリステア。
愛されるばかりで、愛し返さない、返せない。
アリステアがナニもしないため、物語自体がもったりしている。
これがあさこちゃんの個性なんだろうとは思う。
同じ脚本、同じ演出でも、別の役者が演じれば、アリステアは別人だったろう。「愛」という動詞を持ち味にした人ならば、なまじ恋愛がないからこそ、さらに愛があふれていただろう。
アリステアのなにもしなさは、「余白」だと思うんだ。
たしかに正塚せんせはあさこ単体に萌えてはいないだろうと思う。
だけど、男役・瀬奈じゅんを信頼していると思う。
余白の多い、フリースペースのある役を、最後に与えた。
脚本上ナニもしない男だけど、だからこそ、あとは男役としての基礎力で、18年培ってきた個性でなんとかしろと。
なんとかしろ、と丸投げするのは、つまり、「ナニをしてもイイ」ってことで。
余白をどんな色に染めるのか、あさこちゃん個人に任されているのだと。
正塚せんせはかなり細かく演技指導する人だと思うけど、それをしてなおフリースペースのある役だと思うのね、アリステア。
その結果が吉と出るか否かはまぁ、ファンが判断すればいいのでしょう。退団公演はファンのモノだし。
ただ、最後の最後にあさこちゃん、すげー難しいものを求められているなと思うよ。
それが、マサツカがあさこちゃんにやらせたかったことなのかな。
にしてもおっさん、きりあさで「お人形プレイ」って……!!(笑)←そこか。
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