「戻れない場所」と、紫苑ゆうは言った。

 シメさんの「タカラヅカ好き」は有名だ。
 「タカラヅカを愛しています」と言って、卒業していった人だ。自分ほど愛している者はいない、生まれ変わってもまた宝塚歌劇団に入る、と宣言した人。

 卒業してなお、変わらぬ姿で劇団の裏方……音楽学校の講師を務め、芸能活動をしていないにもかかわらず、お茶会では1000人からのファンを動員するという、伝説の人。

 そのシメさんが、退団後15年を経て、再びタカラヅカの舞台に立った。
 バウホールで上演された、その紫苑ゆうリサイタル『True Love』千秋楽にて。

 最後のMCで、シメさんは言う。
 15年ぶりだというのに、いい意味でなんの感慨もなく、舞台に立った、と。

 タカラヅカの舞台に立つこと。
 それがシメさんのナチュラルであり、デフォルトであり、まったくもって特別のことじゃない。
 15年ぶりなのに、「当たり前」としか感じられなかったと。

 タカラヅカが好き。男役が好き。
 卒業したけれど、心はずっとタカラヅカに残したまま。
 だってここでしか、生きられない。

 涙ながらに語るシメさんを見て、現実というか、生きることっていうのは残酷だなと思った。
 ほんとうにこの人は、ここでしか生きられないんだろう。また、ここで生きることが相応しい人だ。
 「タカラヅカ」というジャンルもシメさんを必要とし、シメさんも「タカラヅカ」を必要としている。
 世界が求め、個人がそれを欲しているなら、ふつうは大団円だ。需要と供給の美しい調和、才能と生き甲斐の一致。
 どんだけ才能があったって、それを活かす気がないならそれまでだし、どんだけ好きでも才能がなければそれまでだ。
 容姿も含めて、すべての点で、「タカラヅカ」と合致した人だ、紫苑ゆうは。

 辞めたくなかった、ずっとずっとタカラヅカにいたかった。
 それが本音。正直な言葉。

 だけど。

 だけど、シメさんは言うんだ。

「タカラヅカは、永久にいられるところじゃない」

 卒業しなければならない。だってそれが、「タカラヅカ」。シメさんが命懸けで愛した世界。

 そこでしか生きられない人が、そこから旅立たなければならない。自分の意志で。
 そこを愛しているからこそ。

 そこは、有限の楽園。いつかは失う。
 「タカラヅカ」を愛している。だからこそ、「タカラヅカ」を去る。それが「タカラヅカ」だから。

 なんという矛盾。
 そこでしか生きられないのに。そこにはもう、いられない。「タカラヅカ」を愛し、「タカラヅカ」でしか生きられないなら、「タカラヅカ」を守るために続けていくために、「タカラヅカ」と別れなければならない。

 「わたしのすべて」と、そう言い切れるほどのモノを自ら封印して、この人は15年生きてきたんだなと。

 そして今、封印を解いて、舞台に立ち。
 15年前とまったく変わらずに舞台を務め、ここが自分の真の居場所だと再確認する。
 実際、現役ジェンヌと遜色ないスターっぷり、男役っぷりで。

 これなら、いつでも戻れるじゃん?
 いつでも男役やれるじゃん。
 OGでヅカの延長みたいな仕事してる人、いっぱいいるし。舞台もいっぱいあるし。

 ふつーに出来るじゃん。
 ……と、シメさん自身も思ったんだろう。
 そーゆーことを口に出して言い、観客も思わず拍手をした。

 シメさん芸能活動開始宣言?! と。

 公演時間わずか1時間半でチケット代8000円の単独リサイタルを、5日間8公演×500席、発売開始から3分で完売させたスターだ。
 芸能活動をはじめても、不思議じゃない。

 そーゆーことなのかと思った。
 このコンサートは、これからはじまる芸能活動の前振り、宣伝の意味もあるのかと。
 うん、一瞬。
 わきあがった拍手は、同じことを考えた人たちのものだろう。

 だけど。

 拍手を、シメさんはあわてて打ち消した。

「でも、やることは絶対ないですけどね」

 しん、と、途中で不自然に切れる拍手。
 盛り上がりかけた客席が、また緊張感に満ちる。シメさんの言葉を、こころを、聞き漏らさないようにと。
 
「『タカラヅカ』は、戻れない場所なんです」

 どれだけ愛しても。
 そこに相応しい才能と実力があっても。
 そこでしか生きられないとまで思っても。

 そこに永遠にいることはできないし、また、二度と戻れない。

 それが、「タカラヅカ」。

「戻れない場所って、すごいですね(笑)」

 シメさんは泣き笑いのように言う。
 ファンもダダ泣き状態だし。

 永遠じゃない、二度と戻れない……そんな世界だとわかっていて愛し、それゆえに苦しむ。
 それでも、愛することをやめられない。

 なんて残酷なんだろう。
 現実って。生きることって。

 そして、なんて、愛しいんだろう。

 シメさんは言う。

「『タカラヅカ』を、愛して下さい」

 永遠じゃなく、そして、二度と戻れない場所。
 ジェンヌたちはそんなところにいる。わたしたちは、そんなところを、そしてそこで刹那の輝きに生きるジェンヌたちを愛している。

 二度と戻れない場所。
 人生の間の、わずかな時間しかいられない場所。
 だから、愛して。大切にして。誇りを持って。

 「『タカラヅカ』を、愛して下さい」……どれほどの想いをもって、シメさんがこの言葉を口にしているか。

 すべてのジェンヌに。ジェンヌを目指す人に。ジェンヌだった人に。
 すべてのタカラヅカファンに。

 
 ヅカファンになって、21年。
 わたしが20年前の小娘でないように、どんだけ祈っても懇願しても時は戻らないように、ジェンヌの時間も止まらない。「タカラヅカ」の時間も止まらない。

 いつか別れがやってくる世界。
 いつか終わりがやってくる世界。

 だからこそ、愛して。
 今、このときを。

 「戻れない場所」と、紫苑ゆうは言った。

 だからこそ、この人は「タカラヅカ」だ。哀しいほど、「タカラヅカ」だ。

 わたしがシメさんのファンであるかどうかではなく、そんな次元をまるっと超えて、わたしが愛するモノを、カタチにしたら、紫苑ゆうになる。

 泣いた。

 
 その同じ日の夜。
 友人からの、しいちゃんトークショーの報告を読んだ。退団後の立樹遥さんが、はじめてファンの前に姿を見せた、わけだ。
 トークショー開始前の会場写真とか、レポしてくれていて、シメさんリサイタルに行く前にどきどきと眺めていたんだよ。

 今後舞台に立つ予定はない、宝塚の男役が好きだったので、女の人として普通の芝居をすることは考えていない……そう言ったと、教えてもらった。

 テレビの前に飾ってある今年の卓上カレンダーでは、しいちゃんが変わらぬ笑顔を見せていた。(で、そこではじめて「あ、月変わったのに、めくるの忘れてた」と気づいた)

 「『タカラヅカ』は、戻れない場所なんです」

 その言葉の重みを、噛みしめる。

 ああもお、なんて愛しいんだろう。
 なにもかも。
 泣けて仕方がない。

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