戻れない場所。@True Love
2009年11月4日 タカラヅカ 「戻れない場所」と、紫苑ゆうは言った。
シメさんの「タカラヅカ好き」は有名だ。
「タカラヅカを愛しています」と言って、卒業していった人だ。自分ほど愛している者はいない、生まれ変わってもまた宝塚歌劇団に入る、と宣言した人。
卒業してなお、変わらぬ姿で劇団の裏方……音楽学校の講師を務め、芸能活動をしていないにもかかわらず、お茶会では1000人からのファンを動員するという、伝説の人。
そのシメさんが、退団後15年を経て、再びタカラヅカの舞台に立った。
バウホールで上演された、その紫苑ゆうリサイタル『True Love』千秋楽にて。
最後のMCで、シメさんは言う。
15年ぶりだというのに、いい意味でなんの感慨もなく、舞台に立った、と。
タカラヅカの舞台に立つこと。
それがシメさんのナチュラルであり、デフォルトであり、まったくもって特別のことじゃない。
15年ぶりなのに、「当たり前」としか感じられなかったと。
タカラヅカが好き。男役が好き。
卒業したけれど、心はずっとタカラヅカに残したまま。
だってここでしか、生きられない。
涙ながらに語るシメさんを見て、現実というか、生きることっていうのは残酷だなと思った。
ほんとうにこの人は、ここでしか生きられないんだろう。また、ここで生きることが相応しい人だ。
「タカラヅカ」というジャンルもシメさんを必要とし、シメさんも「タカラヅカ」を必要としている。
世界が求め、個人がそれを欲しているなら、ふつうは大団円だ。需要と供給の美しい調和、才能と生き甲斐の一致。
どんだけ才能があったって、それを活かす気がないならそれまでだし、どんだけ好きでも才能がなければそれまでだ。
容姿も含めて、すべての点で、「タカラヅカ」と合致した人だ、紫苑ゆうは。
辞めたくなかった、ずっとずっとタカラヅカにいたかった。
それが本音。正直な言葉。
だけど。
だけど、シメさんは言うんだ。
「タカラヅカは、永久にいられるところじゃない」
卒業しなければならない。だってそれが、「タカラヅカ」。シメさんが命懸けで愛した世界。
そこでしか生きられない人が、そこから旅立たなければならない。自分の意志で。
そこを愛しているからこそ。
そこは、有限の楽園。いつかは失う。
「タカラヅカ」を愛している。だからこそ、「タカラヅカ」を去る。それが「タカラヅカ」だから。
なんという矛盾。
そこでしか生きられないのに。そこにはもう、いられない。「タカラヅカ」を愛し、「タカラヅカ」でしか生きられないなら、「タカラヅカ」を守るために続けていくために、「タカラヅカ」と別れなければならない。
「わたしのすべて」と、そう言い切れるほどのモノを自ら封印して、この人は15年生きてきたんだなと。
そして今、封印を解いて、舞台に立ち。
15年前とまったく変わらずに舞台を務め、ここが自分の真の居場所だと再確認する。
実際、現役ジェンヌと遜色ないスターっぷり、男役っぷりで。
これなら、いつでも戻れるじゃん?
いつでも男役やれるじゃん。
OGでヅカの延長みたいな仕事してる人、いっぱいいるし。舞台もいっぱいあるし。
ふつーに出来るじゃん。
……と、シメさん自身も思ったんだろう。
そーゆーことを口に出して言い、観客も思わず拍手をした。
シメさん芸能活動開始宣言?! と。
公演時間わずか1時間半でチケット代8000円の単独リサイタルを、5日間8公演×500席、発売開始から3分で完売させたスターだ。
芸能活動をはじめても、不思議じゃない。
そーゆーことなのかと思った。
このコンサートは、これからはじまる芸能活動の前振り、宣伝の意味もあるのかと。
うん、一瞬。
わきあがった拍手は、同じことを考えた人たちのものだろう。
だけど。
拍手を、シメさんはあわてて打ち消した。
「でも、やることは絶対ないですけどね」
しん、と、途中で不自然に切れる拍手。
盛り上がりかけた客席が、また緊張感に満ちる。シメさんの言葉を、こころを、聞き漏らさないようにと。
「『タカラヅカ』は、戻れない場所なんです」
どれだけ愛しても。
そこに相応しい才能と実力があっても。
そこでしか生きられないとまで思っても。
そこに永遠にいることはできないし、また、二度と戻れない。
それが、「タカラヅカ」。
「戻れない場所って、すごいですね(笑)」
シメさんは泣き笑いのように言う。
ファンもダダ泣き状態だし。
永遠じゃない、二度と戻れない……そんな世界だとわかっていて愛し、それゆえに苦しむ。
それでも、愛することをやめられない。
なんて残酷なんだろう。
現実って。生きることって。
そして、なんて、愛しいんだろう。
シメさんは言う。
「『タカラヅカ』を、愛して下さい」
永遠じゃなく、そして、二度と戻れない場所。
ジェンヌたちはそんなところにいる。わたしたちは、そんなところを、そしてそこで刹那の輝きに生きるジェンヌたちを愛している。
二度と戻れない場所。
人生の間の、わずかな時間しかいられない場所。
だから、愛して。大切にして。誇りを持って。
「『タカラヅカ』を、愛して下さい」……どれほどの想いをもって、シメさんがこの言葉を口にしているか。
すべてのジェンヌに。ジェンヌを目指す人に。ジェンヌだった人に。
すべてのタカラヅカファンに。
ヅカファンになって、21年。
わたしが20年前の小娘でないように、どんだけ祈っても懇願しても時は戻らないように、ジェンヌの時間も止まらない。「タカラヅカ」の時間も止まらない。
いつか別れがやってくる世界。
いつか終わりがやってくる世界。
だからこそ、愛して。
今、このときを。
「戻れない場所」と、紫苑ゆうは言った。
だからこそ、この人は「タカラヅカ」だ。哀しいほど、「タカラヅカ」だ。
わたしがシメさんのファンであるかどうかではなく、そんな次元をまるっと超えて、わたしが愛するモノを、カタチにしたら、紫苑ゆうになる。
泣いた。
その同じ日の夜。
友人からの、しいちゃんトークショーの報告を読んだ。退団後の立樹遥さんが、はじめてファンの前に姿を見せた、わけだ。
トークショー開始前の会場写真とか、レポしてくれていて、シメさんリサイタルに行く前にどきどきと眺めていたんだよ。
今後舞台に立つ予定はない、宝塚の男役が好きだったので、女の人として普通の芝居をすることは考えていない……そう言ったと、教えてもらった。
テレビの前に飾ってある今年の卓上カレンダーでは、しいちゃんが変わらぬ笑顔を見せていた。(で、そこではじめて「あ、月変わったのに、めくるの忘れてた」と気づいた)
「『タカラヅカ』は、戻れない場所なんです」
その言葉の重みを、噛みしめる。
ああもお、なんて愛しいんだろう。
なにもかも。
泣けて仕方がない。
シメさんの「タカラヅカ好き」は有名だ。
「タカラヅカを愛しています」と言って、卒業していった人だ。自分ほど愛している者はいない、生まれ変わってもまた宝塚歌劇団に入る、と宣言した人。
卒業してなお、変わらぬ姿で劇団の裏方……音楽学校の講師を務め、芸能活動をしていないにもかかわらず、お茶会では1000人からのファンを動員するという、伝説の人。
そのシメさんが、退団後15年を経て、再びタカラヅカの舞台に立った。
バウホールで上演された、その紫苑ゆうリサイタル『True Love』千秋楽にて。
最後のMCで、シメさんは言う。
15年ぶりだというのに、いい意味でなんの感慨もなく、舞台に立った、と。
タカラヅカの舞台に立つこと。
それがシメさんのナチュラルであり、デフォルトであり、まったくもって特別のことじゃない。
15年ぶりなのに、「当たり前」としか感じられなかったと。
タカラヅカが好き。男役が好き。
卒業したけれど、心はずっとタカラヅカに残したまま。
だってここでしか、生きられない。
涙ながらに語るシメさんを見て、現実というか、生きることっていうのは残酷だなと思った。
ほんとうにこの人は、ここでしか生きられないんだろう。また、ここで生きることが相応しい人だ。
「タカラヅカ」というジャンルもシメさんを必要とし、シメさんも「タカラヅカ」を必要としている。
世界が求め、個人がそれを欲しているなら、ふつうは大団円だ。需要と供給の美しい調和、才能と生き甲斐の一致。
どんだけ才能があったって、それを活かす気がないならそれまでだし、どんだけ好きでも才能がなければそれまでだ。
容姿も含めて、すべての点で、「タカラヅカ」と合致した人だ、紫苑ゆうは。
辞めたくなかった、ずっとずっとタカラヅカにいたかった。
それが本音。正直な言葉。
だけど。
だけど、シメさんは言うんだ。
「タカラヅカは、永久にいられるところじゃない」
卒業しなければならない。だってそれが、「タカラヅカ」。シメさんが命懸けで愛した世界。
そこでしか生きられない人が、そこから旅立たなければならない。自分の意志で。
そこを愛しているからこそ。
そこは、有限の楽園。いつかは失う。
「タカラヅカ」を愛している。だからこそ、「タカラヅカ」を去る。それが「タカラヅカ」だから。
なんという矛盾。
そこでしか生きられないのに。そこにはもう、いられない。「タカラヅカ」を愛し、「タカラヅカ」でしか生きられないなら、「タカラヅカ」を守るために続けていくために、「タカラヅカ」と別れなければならない。
「わたしのすべて」と、そう言い切れるほどのモノを自ら封印して、この人は15年生きてきたんだなと。
そして今、封印を解いて、舞台に立ち。
15年前とまったく変わらずに舞台を務め、ここが自分の真の居場所だと再確認する。
実際、現役ジェンヌと遜色ないスターっぷり、男役っぷりで。
これなら、いつでも戻れるじゃん?
いつでも男役やれるじゃん。
OGでヅカの延長みたいな仕事してる人、いっぱいいるし。舞台もいっぱいあるし。
ふつーに出来るじゃん。
……と、シメさん自身も思ったんだろう。
そーゆーことを口に出して言い、観客も思わず拍手をした。
シメさん芸能活動開始宣言?! と。
公演時間わずか1時間半でチケット代8000円の単独リサイタルを、5日間8公演×500席、発売開始から3分で完売させたスターだ。
芸能活動をはじめても、不思議じゃない。
そーゆーことなのかと思った。
このコンサートは、これからはじまる芸能活動の前振り、宣伝の意味もあるのかと。
うん、一瞬。
わきあがった拍手は、同じことを考えた人たちのものだろう。
だけど。
拍手を、シメさんはあわてて打ち消した。
「でも、やることは絶対ないですけどね」
しん、と、途中で不自然に切れる拍手。
盛り上がりかけた客席が、また緊張感に満ちる。シメさんの言葉を、こころを、聞き漏らさないようにと。
「『タカラヅカ』は、戻れない場所なんです」
どれだけ愛しても。
そこに相応しい才能と実力があっても。
そこでしか生きられないとまで思っても。
そこに永遠にいることはできないし、また、二度と戻れない。
それが、「タカラヅカ」。
「戻れない場所って、すごいですね(笑)」
シメさんは泣き笑いのように言う。
ファンもダダ泣き状態だし。
永遠じゃない、二度と戻れない……そんな世界だとわかっていて愛し、それゆえに苦しむ。
それでも、愛することをやめられない。
なんて残酷なんだろう。
現実って。生きることって。
そして、なんて、愛しいんだろう。
シメさんは言う。
「『タカラヅカ』を、愛して下さい」
永遠じゃなく、そして、二度と戻れない場所。
ジェンヌたちはそんなところにいる。わたしたちは、そんなところを、そしてそこで刹那の輝きに生きるジェンヌたちを愛している。
二度と戻れない場所。
人生の間の、わずかな時間しかいられない場所。
だから、愛して。大切にして。誇りを持って。
「『タカラヅカ』を、愛して下さい」……どれほどの想いをもって、シメさんがこの言葉を口にしているか。
すべてのジェンヌに。ジェンヌを目指す人に。ジェンヌだった人に。
すべてのタカラヅカファンに。
ヅカファンになって、21年。
わたしが20年前の小娘でないように、どんだけ祈っても懇願しても時は戻らないように、ジェンヌの時間も止まらない。「タカラヅカ」の時間も止まらない。
いつか別れがやってくる世界。
いつか終わりがやってくる世界。
だからこそ、愛して。
今、このときを。
「戻れない場所」と、紫苑ゆうは言った。
だからこそ、この人は「タカラヅカ」だ。哀しいほど、「タカラヅカ」だ。
わたしがシメさんのファンであるかどうかではなく、そんな次元をまるっと超えて、わたしが愛するモノを、カタチにしたら、紫苑ゆうになる。
泣いた。
その同じ日の夜。
友人からの、しいちゃんトークショーの報告を読んだ。退団後の立樹遥さんが、はじめてファンの前に姿を見せた、わけだ。
トークショー開始前の会場写真とか、レポしてくれていて、シメさんリサイタルに行く前にどきどきと眺めていたんだよ。
今後舞台に立つ予定はない、宝塚の男役が好きだったので、女の人として普通の芝居をすることは考えていない……そう言ったと、教えてもらった。
テレビの前に飾ってある今年の卓上カレンダーでは、しいちゃんが変わらぬ笑顔を見せていた。(で、そこではじめて「あ、月変わったのに、めくるの忘れてた」と気づいた)
「『タカラヅカ』は、戻れない場所なんです」
その言葉の重みを、噛みしめる。
ああもお、なんて愛しいんだろう。
なにもかも。
泣けて仕方がない。
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