明日を信じてひとは生きる。@カサブランカ
2009年11月14日 タカラヅカ 『カサブランカ』初見にて、痛烈に感じたのはまずなんつっても、『凱旋門』と『マラケシュ』なつかしいなあ、だった。
ストーリーつか内容が『凱旋門』とかぶりまくり、視覚情報は『マラケシュ』とかぶりまくりで、自分の中でなつかしさと思い出がせめぎ合って、二重映しに舞台を観た、気がする。
どの作品が先で原作がどうでインスパイアされて、とかいう話ではなく、単純に「タカラヅカ」で上演された先の2作品とテーマ、あるいは国が同じだったために記憶が蘇った、というだけのこと。今回の舞台『カサブランカ』自体にはなんの関係もない、ただわたし個人の問題。
でも観ているのがわたしだから、わたし個人の問題というのは大きく、『カサブランカ』が良い作品であると同時に、過去の愛しい作品たちとのオーバーラップはより切ないものになる。
『カサブランカ』はナチス・ドイツのパリ侵攻前夜に出会い、別れたリック@ゆーひとイルザ@すみ花が、その後フランス領モロッコで再会する物語。
『凱旋門』はそのナチスのパリ侵攻前夜、まさに世界が崩壊するかもしれないときに恋に落ちたラヴィック@トドとジョアン@グンの物語。
『マラケシュ』はそれらより10年以上前、ロシア革命よりあとのパリとモロッコが舞台。フランス領であり砂漠(異文化)の入口であったマラケシュやカサブランカは、パリから「最果ての地」として流れ着くお約束の場所らしい。
物語の時代的には、1920年代『マラケシュ』、1938~1940年『凱旋門』、(1940年ナチスのパリ侵攻)1940~1941年『カサブランカ』という流れですな。
『カサブランカ』と『凱旋門』とのかぶり方は半端なく、ナチスのパリ侵攻が物語のキーとなり主役カップルが別れに至るのだから、そりゃアンタ同じよーな話になるわ、てなもんで。たしか映画ではイルザもジョアンもバーグマンだよな(笑)。
つか、この2組のカップルが別れた日って同じ日なんじゃあ……?
同じパリの街で同じ日に、リックはイルザにすっぽかされて汽車に乗り、ラヴィックはジョアンを安楽死させたんじゃあ? 誤差1日くらい?
リックとサムはビザを持っていたんだろうねえ。簡単にパリを脱出できたんだから。『凱旋門』のパリにいる外国人たちの多くはビザがないため足止めされ、ナチスに収容所送りにされちゃうわけだな。
ちなみに、『NEVER SAY GOODBYE』も同時代を描いた物語だが、作品的にかなりアレだし(なにしろ小池オリジナル・笑)、「ピサと亡命者」というモチーフがないこととわたし自身に思い入れがないため、ここでは割愛。
演出家が同じであるために、演出としてのかぶりは『ネバセイ』にも多く見受けられるけど、それはまた別問題。
わたしは『凱旋門』が好きでねえ。
基本駄作芝居にしか主演しない(なにしろ植爺やらイシダやらのお気に入り)トド様が、トップ時代にめぐりあった唯一の佳作だと思ってますのよ。
ムラで通い倒し、東京にも行き、博多にも行ったさ。あげく二次創作までして、とことん入れ込んでいたさ。
ラヴィック先生もだけど、「死の鳥」マルクス@ナルセが好きでね……。(そして今、ナルセの面影をまっつに重ねている部分がある……のもまた別の話)
ナチスと強制収容所、拷問と脱出、亡命者とビザ、平和や自由への想い。
世界の終わりに愛する人と手を握り合う、はかない恋人たち。
破滅する人、愛を失う人、逃げ切ることのできた人、主役カップルの話だけでなく、動乱の直中にいる人々を描くことで、「時代」そのものを描く。
『凱旋門』のすばらしさは、それだけどーんと大作めいているのに実は1本モノではないということにもあるかも(笑)。
ちゃんとショーと2本立てだったんだよねえ。ショーが短めではあったけど、別に30分とかの荒技でもなく。
『カサブランカ』も十分2本立ての尺に収めることはできたと思うんだがなあ。同じことやってる『凱旋門』ができたんだから。
『カサブランカ』がふつーに2本立てのショーと同時上演の芝居なら、もっと名作だったのに、とは思う。ヅカファンらしい視点で(笑)。
『カサブランカ』冒頭のビザを求めて歌う人々から、わたしのなかの『凱旋門』リンクが反応しまくり。うわー、コレ見たー。なつかしー、と。や、見てないです、別物ですってば(笑)。
もちろんイケコ自身が『凱旋門』を知っているだけに、「同じ演出にするまい」とがんばっている部分はあるんだろうなと思う。
しかし、あとから同じモチーフを演出するのは大変だなあ。
『凱旋門』が文学の香りのする舞台だったのに対し、『カサブランカ』はやはりエンタメなんだなと思う。原作が小説か映画かの違いというより、演出家の持ち味かなと思う。
演出の派手さと、心理面でのうすっぺらさがものすごーくイケコ作品っぽい。
人の心の動きを描く・掘り下げるのはイケコの苦手分野。演出の巧さと派手さで誤魔化しちゃうけど、ほんとのとこ「人間」単体は描けないんだよね、小池せんせ。
でもここはタカラヅカで、2500人収容する大劇場だから、キャラクタの細かい心理を掘り下げるヒマがあったら、どっかんどっかん派手な演出していた方がイイ。
そーゆー意味で、やっぱイケコはすごく「巧い」作家だと思う。
演出は巧くて派手だけど、人間を描けないことと「叫び」が感じられないことで、どんだけ大作風でも内容的に「小さくまとまってしまう」のがイケコの欠点のひとつだと思っているが、今回は原作ゆえにその辺もうまくカバーされているなあ。
2時間の原作を2時間のタカラヅカ舞台にアレンジする。……コレこそが、イケコの正しい使い方ですよ!!
24時間の原作を2時間にまとめろとか、無理難題を吹っ掛けてはいけません!!(笑)
内容的に『カサブランカ』と『凱旋門』、視覚的に『マラケシュ』とかぶると書いた。
『凱旋門』の内容と『カサブランカ』がかぶり、『カサブランカ』の舞台であるモロッコが同じであるため視覚的に『マラケシュ』とかぶる。『凱旋門』-『カサブランカ』-『マラケシュ』であり、パリを舞台にした『凱旋門』とモロッコ舞台の『マラケシュ』自体はなんのかぶりもない……けれど、「最果ての地」「心はエデンを求め、肉体は地に囚われる」あたりが、結局のところいろいろとかぶっているのだなとは思う。つか、たんにわたしに響く作品はどこかしら似た叫びを秘めているのでせう。
演出を「うまい」と思うけれど、なにしろイケコ作品らしい薄さは健在で。
とどのつまりはコレ、キャラ萌え作品だよね? 作品単体勝負ではなく。ストーリーものでもテーマでもなく。
それって正しくエンタメだ。
とゆーことで、キャラ語りへ続く~~。
ストーリーつか内容が『凱旋門』とかぶりまくり、視覚情報は『マラケシュ』とかぶりまくりで、自分の中でなつかしさと思い出がせめぎ合って、二重映しに舞台を観た、気がする。
どの作品が先で原作がどうでインスパイアされて、とかいう話ではなく、単純に「タカラヅカ」で上演された先の2作品とテーマ、あるいは国が同じだったために記憶が蘇った、というだけのこと。今回の舞台『カサブランカ』自体にはなんの関係もない、ただわたし個人の問題。
でも観ているのがわたしだから、わたし個人の問題というのは大きく、『カサブランカ』が良い作品であると同時に、過去の愛しい作品たちとのオーバーラップはより切ないものになる。
『カサブランカ』はナチス・ドイツのパリ侵攻前夜に出会い、別れたリック@ゆーひとイルザ@すみ花が、その後フランス領モロッコで再会する物語。
『凱旋門』はそのナチスのパリ侵攻前夜、まさに世界が崩壊するかもしれないときに恋に落ちたラヴィック@トドとジョアン@グンの物語。
『マラケシュ』はそれらより10年以上前、ロシア革命よりあとのパリとモロッコが舞台。フランス領であり砂漠(異文化)の入口であったマラケシュやカサブランカは、パリから「最果ての地」として流れ着くお約束の場所らしい。
物語の時代的には、1920年代『マラケシュ』、1938~1940年『凱旋門』、(1940年ナチスのパリ侵攻)1940~1941年『カサブランカ』という流れですな。
『カサブランカ』と『凱旋門』とのかぶり方は半端なく、ナチスのパリ侵攻が物語のキーとなり主役カップルが別れに至るのだから、そりゃアンタ同じよーな話になるわ、てなもんで。たしか映画ではイルザもジョアンもバーグマンだよな(笑)。
つか、この2組のカップルが別れた日って同じ日なんじゃあ……?
同じパリの街で同じ日に、リックはイルザにすっぽかされて汽車に乗り、ラヴィックはジョアンを安楽死させたんじゃあ? 誤差1日くらい?
リックとサムはビザを持っていたんだろうねえ。簡単にパリを脱出できたんだから。『凱旋門』のパリにいる外国人たちの多くはビザがないため足止めされ、ナチスに収容所送りにされちゃうわけだな。
ちなみに、『NEVER SAY GOODBYE』も同時代を描いた物語だが、作品的にかなりアレだし(なにしろ小池オリジナル・笑)、「ピサと亡命者」というモチーフがないこととわたし自身に思い入れがないため、ここでは割愛。
演出家が同じであるために、演出としてのかぶりは『ネバセイ』にも多く見受けられるけど、それはまた別問題。
わたしは『凱旋門』が好きでねえ。
基本駄作芝居にしか主演しない(なにしろ植爺やらイシダやらのお気に入り)トド様が、トップ時代にめぐりあった唯一の佳作だと思ってますのよ。
ムラで通い倒し、東京にも行き、博多にも行ったさ。あげく二次創作までして、とことん入れ込んでいたさ。
ラヴィック先生もだけど、「死の鳥」マルクス@ナルセが好きでね……。(そして今、ナルセの面影をまっつに重ねている部分がある……のもまた別の話)
ナチスと強制収容所、拷問と脱出、亡命者とビザ、平和や自由への想い。
世界の終わりに愛する人と手を握り合う、はかない恋人たち。
破滅する人、愛を失う人、逃げ切ることのできた人、主役カップルの話だけでなく、動乱の直中にいる人々を描くことで、「時代」そのものを描く。
『凱旋門』のすばらしさは、それだけどーんと大作めいているのに実は1本モノではないということにもあるかも(笑)。
ちゃんとショーと2本立てだったんだよねえ。ショーが短めではあったけど、別に30分とかの荒技でもなく。
『カサブランカ』も十分2本立ての尺に収めることはできたと思うんだがなあ。同じことやってる『凱旋門』ができたんだから。
『カサブランカ』がふつーに2本立てのショーと同時上演の芝居なら、もっと名作だったのに、とは思う。ヅカファンらしい視点で(笑)。
『カサブランカ』冒頭のビザを求めて歌う人々から、わたしのなかの『凱旋門』リンクが反応しまくり。うわー、コレ見たー。なつかしー、と。や、見てないです、別物ですってば(笑)。
もちろんイケコ自身が『凱旋門』を知っているだけに、「同じ演出にするまい」とがんばっている部分はあるんだろうなと思う。
しかし、あとから同じモチーフを演出するのは大変だなあ。
『凱旋門』が文学の香りのする舞台だったのに対し、『カサブランカ』はやはりエンタメなんだなと思う。原作が小説か映画かの違いというより、演出家の持ち味かなと思う。
演出の派手さと、心理面でのうすっぺらさがものすごーくイケコ作品っぽい。
人の心の動きを描く・掘り下げるのはイケコの苦手分野。演出の巧さと派手さで誤魔化しちゃうけど、ほんとのとこ「人間」単体は描けないんだよね、小池せんせ。
でもここはタカラヅカで、2500人収容する大劇場だから、キャラクタの細かい心理を掘り下げるヒマがあったら、どっかんどっかん派手な演出していた方がイイ。
そーゆー意味で、やっぱイケコはすごく「巧い」作家だと思う。
演出は巧くて派手だけど、人間を描けないことと「叫び」が感じられないことで、どんだけ大作風でも内容的に「小さくまとまってしまう」のがイケコの欠点のひとつだと思っているが、今回は原作ゆえにその辺もうまくカバーされているなあ。
2時間の原作を2時間のタカラヅカ舞台にアレンジする。……コレこそが、イケコの正しい使い方ですよ!!
24時間の原作を2時間にまとめろとか、無理難題を吹っ掛けてはいけません!!(笑)
内容的に『カサブランカ』と『凱旋門』、視覚的に『マラケシュ』とかぶると書いた。
『凱旋門』の内容と『カサブランカ』がかぶり、『カサブランカ』の舞台であるモロッコが同じであるため視覚的に『マラケシュ』とかぶる。『凱旋門』-『カサブランカ』-『マラケシュ』であり、パリを舞台にした『凱旋門』とモロッコ舞台の『マラケシュ』自体はなんのかぶりもない……けれど、「最果ての地」「心はエデンを求め、肉体は地に囚われる」あたりが、結局のところいろいろとかぶっているのだなとは思う。つか、たんにわたしに響く作品はどこかしら似た叫びを秘めているのでせう。
演出を「うまい」と思うけれど、なにしろイケコ作品らしい薄さは健在で。
とどのつまりはコレ、キャラ萌え作品だよね? 作品単体勝負ではなく。ストーリーものでもテーマでもなく。
それって正しくエンタメだ。
とゆーことで、キャラ語りへ続く~~。
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