出会うことができなかった、その涙に。@追悼・大浦みずき
2009年11月15日 タカラヅカ 会う人会う人に、「なつめさん、亡くなったって?!」と話しかけられた。
もうとっくにヅカファンをやめた、観劇しなくなって久しい人からも、現役ヅカファンからも。
わたしは、なつめさんを知らない。
わたしにとってのなつめさんは、エッセイ『夢・宝塚』『なつめでごじゃいます!』と、『シベリア超特急』だったりする。
……エッセイはともかく、よりによって『シベ超』って!! いやその、当時わたしはわりと映画スキーで、ネタ駄作として語り継がれている伝説の映画ってだけで興味わいたんだよ。どんだけすごい映画なのかと。ヅカファンが「戦争なんてなかったら良かったのにね、お兄ちゃん」とか「すごっすごっつよっつよっ」とか、「ジョルジュモテモテ」とか言って遊んでいる、あんな感じ? 駄作認定したうえでいじってるってゆーか。それでわざわざ見てみたわけだ、誰が出演しているとか知りもせずに。
そしたらなつめさんが出演していて。
映画はもお、なにがなんだか(笑)なステキな出来だったけど、そこで男装のようなバーテン姿のなつめさんはものすげーかっこ良かった。
ひとめで「タカラヅカの人」だとわかる。美人ではないけれど独特のオーラを持つ、美しい身のこなしの女性。
『シベ超』のトンデモなさ……というか、ファンタジー性を上げるキャストのひとりだったと思う。
わたしがヅカファンになったとき、なつめさんはすでに花組のトップスターで、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』や『ヴェネチアの紋章』『ジャンクション24』などは、わたしも実際に大劇場で観劇した。で、たしか『ベルばら』ではサイン色紙が当たったんだよな、なつめさんの。わたしのヅカファン人生唯一当たったことのある色紙。
舞台を観たことはあっても、その魅力は知らないままだった。なんせいちばんの記憶が『シベ超』なわけだし。
だから訃報を知ったときは、「現役時代を見たことのあるスターさんの訃報」ということで、ショックだった。
まだ若いのに、舞台を、ダンスを、本人もファンも求めているだろうに……と悼みはしたけれど、それだけだった。
ほんとうの意味がわかるのは、後日だった。
いろんな人が、なつめさんの話をする。
ヅカファンじゃない人、大してわたしと親しいわけじゃない人……わたしはヅカファンだと周囲に隠していないため、「ヅカの話なら緑野にしとけ」と思われているみたいで。
もうヅカは観ていない、でもなつめさんのことを誰かと話したい、話さなければやりきれない、という人が、今まであんまり話したことないのに、「ヅカファン」という共通言語を求めてわざわざ話しに来たりする。
誰かと話さずにはいられない、誰かを求めずにはいられない……それほどの、想い。もうヅカファンでもないし、なつめさん自身の舞台も何十年観ていないにしろ。それでも。
リアルな周囲でも哀しみの声が上がり、ヅカファン仲間たちの間、ブログでもmixiでも、友人たちが哀しみを語っている。
わたしは、なつめさんをよく知らない。ナマの舞台は観たけれどその魅力は知らないままだった。だから、そのすばらしさについても、そのころの思い出についても、したり顔で語ることはできない。
ただ。
哀惜を、追悼を、心の言葉で語り続ける人を見て、一緒にべそをかいた。
これほど多くの人の心が動いている。
それほどの人を失ったんだ。その事実が重い。
あとになって、重く重く、悲しく、ひろがった。
なつめさんをよく知らない、と言うと、「もったいないことしたね」と言われる。
うん、ほんとにそうだと思うよ。
だけど、当時のわたしにはその魅力を理解できなかった。
出会いには、時期というものがある。
最初好きじゃなかったり、興味のなかった人をあとから好きになることが多々ある。子どもの頃読んでつまらなかった本が、大人になってから良さがわかったり。その逆もしかり。
すべての人やモノと出会いまくることはできない。
だから今、「好きだ」と思う人やモノと出会えていることを、大切にしたい。
今のわたしだから「好きだ」と思えるものも、あると思う。今より若くても幼くても駄目だった、今、だからこそ、大切だと思うもの。思える、もの。
時期がちがえば、好きになれなかったかもしれない。気づかず、見落としたまま、通り過ぎてしまったかもしれない。
双方の運命が重なり、はじめて出会うことができた。その奇跡に、感謝したい。
なつめさんと出会うことはできなかったけれど、なつめさんを大切に思う人たちと出会えた。
彼女たちの純粋な哀しみの言葉に触れて、その早すぎる死を悼む。
もうとっくにヅカファンをやめた、観劇しなくなって久しい人からも、現役ヅカファンからも。
わたしは、なつめさんを知らない。
わたしにとってのなつめさんは、エッセイ『夢・宝塚』『なつめでごじゃいます!』と、『シベリア超特急』だったりする。
……エッセイはともかく、よりによって『シベ超』って!! いやその、当時わたしはわりと映画スキーで、ネタ駄作として語り継がれている伝説の映画ってだけで興味わいたんだよ。どんだけすごい映画なのかと。ヅカファンが「戦争なんてなかったら良かったのにね、お兄ちゃん」とか「すごっすごっつよっつよっ」とか、「ジョルジュモテモテ」とか言って遊んでいる、あんな感じ? 駄作認定したうえでいじってるってゆーか。それでわざわざ見てみたわけだ、誰が出演しているとか知りもせずに。
そしたらなつめさんが出演していて。
映画はもお、なにがなんだか(笑)なステキな出来だったけど、そこで男装のようなバーテン姿のなつめさんはものすげーかっこ良かった。
ひとめで「タカラヅカの人」だとわかる。美人ではないけれど独特のオーラを持つ、美しい身のこなしの女性。
『シベ超』のトンデモなさ……というか、ファンタジー性を上げるキャストのひとりだったと思う。
わたしがヅカファンになったとき、なつめさんはすでに花組のトップスターで、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』や『ヴェネチアの紋章』『ジャンクション24』などは、わたしも実際に大劇場で観劇した。で、たしか『ベルばら』ではサイン色紙が当たったんだよな、なつめさんの。わたしのヅカファン人生唯一当たったことのある色紙。
舞台を観たことはあっても、その魅力は知らないままだった。なんせいちばんの記憶が『シベ超』なわけだし。
だから訃報を知ったときは、「現役時代を見たことのあるスターさんの訃報」ということで、ショックだった。
まだ若いのに、舞台を、ダンスを、本人もファンも求めているだろうに……と悼みはしたけれど、それだけだった。
ほんとうの意味がわかるのは、後日だった。
いろんな人が、なつめさんの話をする。
ヅカファンじゃない人、大してわたしと親しいわけじゃない人……わたしはヅカファンだと周囲に隠していないため、「ヅカの話なら緑野にしとけ」と思われているみたいで。
もうヅカは観ていない、でもなつめさんのことを誰かと話したい、話さなければやりきれない、という人が、今まであんまり話したことないのに、「ヅカファン」という共通言語を求めてわざわざ話しに来たりする。
誰かと話さずにはいられない、誰かを求めずにはいられない……それほどの、想い。もうヅカファンでもないし、なつめさん自身の舞台も何十年観ていないにしろ。それでも。
リアルな周囲でも哀しみの声が上がり、ヅカファン仲間たちの間、ブログでもmixiでも、友人たちが哀しみを語っている。
わたしは、なつめさんをよく知らない。ナマの舞台は観たけれどその魅力は知らないままだった。だから、そのすばらしさについても、そのころの思い出についても、したり顔で語ることはできない。
ただ。
哀惜を、追悼を、心の言葉で語り続ける人を見て、一緒にべそをかいた。
これほど多くの人の心が動いている。
それほどの人を失ったんだ。その事実が重い。
あとになって、重く重く、悲しく、ひろがった。
なつめさんをよく知らない、と言うと、「もったいないことしたね」と言われる。
うん、ほんとにそうだと思うよ。
だけど、当時のわたしにはその魅力を理解できなかった。
出会いには、時期というものがある。
最初好きじゃなかったり、興味のなかった人をあとから好きになることが多々ある。子どもの頃読んでつまらなかった本が、大人になってから良さがわかったり。その逆もしかり。
すべての人やモノと出会いまくることはできない。
だから今、「好きだ」と思う人やモノと出会えていることを、大切にしたい。
今のわたしだから「好きだ」と思えるものも、あると思う。今より若くても幼くても駄目だった、今、だからこそ、大切だと思うもの。思える、もの。
時期がちがえば、好きになれなかったかもしれない。気づかず、見落としたまま、通り過ぎてしまったかもしれない。
双方の運命が重なり、はじめて出会うことができた。その奇跡に、感謝したい。
なつめさんと出会うことはできなかったけれど、なつめさんを大切に思う人たちと出会えた。
彼女たちの純粋な哀しみの言葉に触れて、その早すぎる死を悼む。
コメント