太陽は沈んでなお、熱を残す。@花組東宝千秋楽
2009年11月22日 タカラヅカ 日向燦が、美しい。
えー、マメについては、わたしにとっての出会いから、印象の変化について何度も語ってきました。最初にスカステで見たときにそのまるっこさにびびり、「スカフェって美人がやる仕事じゃないの??」と首を傾げたところからはじまり、舞台でも三枚目一直線であることや、やっぱりまるいフェイスラインとオフのファッションセンスのぶっとび具合や挙動から「外見はアレだが、ハンサムも演じられる人」認識になり。
最近では「マメ? いい男じゃん」と言い切れるよーになってきていたのだが。
花組公演、東宝千秋楽。
袴姿でひまわりのブーケを持ち、挨拶をするまとぶんを見つめるマメのナナメ45度ラインの顔を見ながら、その美しさに、見とれた。
まぎれもない、「タカラヅカの男役」として美しい人が、そこにいた。
マメの最後の挨拶は期待を裏切らない愉快なもので、その頭の良さに舌を巻いたし、実際大いにウケた。
「日向燦を受け入れてくださったみなさま、受け入れざるを得なかったみなさまに感謝を込めて」……うん、ほんとにね、舞台に立つ人、公人であるということは、よくも悪くも観客の立場では受け入れざるを得ないわけで。好きでも嫌いでも、目に入る場所にいるということで。
すべての人に愛される人なんかいない。光があれば影がある。
それらをまるっとのみこんで、シビアな真理をさらっと笑いにして、マメはマメらしく卒業していった。
多くの人が期待するままの「日向燦」を演じて。
わたしは、ジェンヌとは舞台の上だけものだと思っている。
もちろん、芸名でいる以上、オフであってもタカラジェンヌという「別のイキモノ」だと思っているので、彼らの背景まで含めて「虚構」だとわかった上で愛でている。
だから、ジェンヌの真実の顔を想像するのは筋違いだと、自分をセーブしている部分はある。
マメが本当はナニを求め、ナニを考えていたかなんて知らないし、想像が届くとも思っていない。
マメが出てきただけで観客が勝手に期待して笑う、シリアスな芝居であってもそーゆー期待と先入観を客が持ってしまっている現状で、その期待に応え続けることを、彼がどう思っていたのかは知らない。「日向燦」というキャラクタを演じることは本願だったろうし、無理をして作っていたわけでもないだろう、それでもその心の奥に負担がなかったのかとか限界を感じなかったのかとかは、一観客であるわたしが考えすぎることでもないはずだ。
マメがわたしたちに「見せたい」と思っている「日向燦」の姿を、舞台の上の彼を、ただあるがままに受け止める。
それだけだ。
マメは、最後までマメだった。「日向燦」だった。
今までわたしたちが知っていたままの。
アツすぎる舞台、やりすぎなほどの演技とダンス。
シャンシャンに似せたお日さま色のブーケを受け取り、それを軽妙に振りながら歩く姿。
マイクの前で溜息一発、芝居がかった台詞、「余は満足じゃ」。
「地球に生まれて良かったー!」って、地球かよっ?! というツッコミも含めて。
最後まで、きちんと演じ通した。観客を、裏切らなかった。
徹底したエンターティナーだと思う。
もっともっと、マメを見ていたかった。
マメのマメらしいお笑いキャラもいいけれど、本当に見たかったのは、二枚目キャラだ。色悪だ。耽美だ。
毒や狂気、野蛮さを演じられる「役者」だったのに。
今はまだ、お笑い芸人としてのマメしか求められていないし、活躍の場も限られているけれど、このまま学年が上がれば色気のある大人の男の役割が回ってきただろうに。
マメらしさを貫いて去っていくマメの、潔さと徹底ぶりに拍手しながらも、心残りが渦巻く。
他の退団者たちもまた、美しい笑顔で去っていった。
入りから出のパレードまで見届けたけれど、みんなみんなきれいだった。
みずみずしくきらきらしていた嶺乃くん、いっぱい振り向いていっぱいお辞儀してくれた笑顔のまいちゃん、潔い挨拶と泣き顔のギャップがかわいいレネくん。
彼らのあとに出てきたマメが、何故か万歳三唱していてほんっとに最後までマメらしくて……だけど袴姿で歩く彼は、とても、美しかった。
会ったばかりのゆみこファンのお嬢さんと一緒にギャラリーしていたんだけど(なんでこう、世の中ゆみこファンばかりなんだ・笑)、「マメきれい」「きれいですよね」とふたりでさんざん口にする(笑)。
哀惜を込めて、それでも清々しく楽しく見送っていたつもりだったんだけど。
最後の最後、車に乗る前にマメは振り返って、沿道を埋めたファンたちに向かって一礼した。
持っていたブーケをシャンシャンに見立てて、パレードの最後のお辞儀のように。
いつもいつも、何十回、へたすりゃ3ケタは見てきたかもしれない、いつものお辞儀をしてみせた。
袴姿で。
沿道で。
車の前で。
最後に。
決壊。
笑って、見送っていたのに。平静に、見つめていたのに。
最後の最後に、ナニをしてくれるんだっ。
いつもの「またね!」の挨拶を、永遠の別れでするなあああっ(泣)。
そのエンターティナーぶりがまた、マメで。
拍手喝采を浴びて去っていくのが、マメで。
その徹底ぶりに、機知の豊かさに舌を巻くと同時に、ヤラレタ、ちくしょお、という気持ちが残るのはなんだ。
楔を刺していくというか、ああもお、アンタのこと一生忘れてやらないからねっ、と言いたくなるような攻撃をくらったというか。
最後の攻撃でぶわっとわたしが泣いていると、一緒にいたお嬢さんも同じように泣いてるし。「アレはないよね」「最後のお辞儀はキた」……マメめ……なんて罪作りなヤツ。
アンタなんか、アンタなんか、ダイスキなんだからねっ。
えー、マメについては、わたしにとっての出会いから、印象の変化について何度も語ってきました。最初にスカステで見たときにそのまるっこさにびびり、「スカフェって美人がやる仕事じゃないの??」と首を傾げたところからはじまり、舞台でも三枚目一直線であることや、やっぱりまるいフェイスラインとオフのファッションセンスのぶっとび具合や挙動から「外見はアレだが、ハンサムも演じられる人」認識になり。
最近では「マメ? いい男じゃん」と言い切れるよーになってきていたのだが。
花組公演、東宝千秋楽。
袴姿でひまわりのブーケを持ち、挨拶をするまとぶんを見つめるマメのナナメ45度ラインの顔を見ながら、その美しさに、見とれた。
まぎれもない、「タカラヅカの男役」として美しい人が、そこにいた。
マメの最後の挨拶は期待を裏切らない愉快なもので、その頭の良さに舌を巻いたし、実際大いにウケた。
「日向燦を受け入れてくださったみなさま、受け入れざるを得なかったみなさまに感謝を込めて」……うん、ほんとにね、舞台に立つ人、公人であるということは、よくも悪くも観客の立場では受け入れざるを得ないわけで。好きでも嫌いでも、目に入る場所にいるということで。
すべての人に愛される人なんかいない。光があれば影がある。
それらをまるっとのみこんで、シビアな真理をさらっと笑いにして、マメはマメらしく卒業していった。
多くの人が期待するままの「日向燦」を演じて。
わたしは、ジェンヌとは舞台の上だけものだと思っている。
もちろん、芸名でいる以上、オフであってもタカラジェンヌという「別のイキモノ」だと思っているので、彼らの背景まで含めて「虚構」だとわかった上で愛でている。
だから、ジェンヌの真実の顔を想像するのは筋違いだと、自分をセーブしている部分はある。
マメが本当はナニを求め、ナニを考えていたかなんて知らないし、想像が届くとも思っていない。
マメが出てきただけで観客が勝手に期待して笑う、シリアスな芝居であってもそーゆー期待と先入観を客が持ってしまっている現状で、その期待に応え続けることを、彼がどう思っていたのかは知らない。「日向燦」というキャラクタを演じることは本願だったろうし、無理をして作っていたわけでもないだろう、それでもその心の奥に負担がなかったのかとか限界を感じなかったのかとかは、一観客であるわたしが考えすぎることでもないはずだ。
マメがわたしたちに「見せたい」と思っている「日向燦」の姿を、舞台の上の彼を、ただあるがままに受け止める。
それだけだ。
マメは、最後までマメだった。「日向燦」だった。
今までわたしたちが知っていたままの。
アツすぎる舞台、やりすぎなほどの演技とダンス。
シャンシャンに似せたお日さま色のブーケを受け取り、それを軽妙に振りながら歩く姿。
マイクの前で溜息一発、芝居がかった台詞、「余は満足じゃ」。
「地球に生まれて良かったー!」って、地球かよっ?! というツッコミも含めて。
最後まで、きちんと演じ通した。観客を、裏切らなかった。
徹底したエンターティナーだと思う。
もっともっと、マメを見ていたかった。
マメのマメらしいお笑いキャラもいいけれど、本当に見たかったのは、二枚目キャラだ。色悪だ。耽美だ。
毒や狂気、野蛮さを演じられる「役者」だったのに。
今はまだ、お笑い芸人としてのマメしか求められていないし、活躍の場も限られているけれど、このまま学年が上がれば色気のある大人の男の役割が回ってきただろうに。
マメらしさを貫いて去っていくマメの、潔さと徹底ぶりに拍手しながらも、心残りが渦巻く。
他の退団者たちもまた、美しい笑顔で去っていった。
入りから出のパレードまで見届けたけれど、みんなみんなきれいだった。
みずみずしくきらきらしていた嶺乃くん、いっぱい振り向いていっぱいお辞儀してくれた笑顔のまいちゃん、潔い挨拶と泣き顔のギャップがかわいいレネくん。
彼らのあとに出てきたマメが、何故か万歳三唱していてほんっとに最後までマメらしくて……だけど袴姿で歩く彼は、とても、美しかった。
会ったばかりのゆみこファンのお嬢さんと一緒にギャラリーしていたんだけど(なんでこう、世の中ゆみこファンばかりなんだ・笑)、「マメきれい」「きれいですよね」とふたりでさんざん口にする(笑)。
哀惜を込めて、それでも清々しく楽しく見送っていたつもりだったんだけど。
最後の最後、車に乗る前にマメは振り返って、沿道を埋めたファンたちに向かって一礼した。
持っていたブーケをシャンシャンに見立てて、パレードの最後のお辞儀のように。
いつもいつも、何十回、へたすりゃ3ケタは見てきたかもしれない、いつものお辞儀をしてみせた。
袴姿で。
沿道で。
車の前で。
最後に。
決壊。
笑って、見送っていたのに。平静に、見つめていたのに。
最後の最後に、ナニをしてくれるんだっ。
いつもの「またね!」の挨拶を、永遠の別れでするなあああっ(泣)。
そのエンターティナーぶりがまた、マメで。
拍手喝采を浴びて去っていくのが、マメで。
その徹底ぶりに、機知の豊かさに舌を巻くと同時に、ヤラレタ、ちくしょお、という気持ちが残るのはなんだ。
楔を刺していくというか、ああもお、アンタのこと一生忘れてやらないからねっ、と言いたくなるような攻撃をくらったというか。
最後の攻撃でぶわっとわたしが泣いていると、一緒にいたお嬢さんも同じように泣いてるし。「アレはないよね」「最後のお辞儀はキた」……マメめ……なんて罪作りなヤツ。
アンタなんか、アンタなんか、ダイスキなんだからねっ。
コメント