根源が見える、はずだから。@BUND/NEON 上海
2010年1月9日 タカラヅカ 花組バウホール公演『BUND/NEON 上海』。
初日に駆けつけたのは、まぁくん単独バウ主演おめでとー! ではなくて。いやもちろん、わたしは花担なわけだし、花組っこたちの公演は楽しみにしているし、できれば初日から観てみたいのだけれど。
ほんとのところ、いちばん興味があったのは、新人演出家の、デビュー作ってことだ。
デビュー作には、その作家の個性っつーか、持っている根っこの部分が出ちゃうじゃん?
『BUND/NEON 上海』-深緋(こきあけ)の嘆きの河(コキュートス)なんてタイトルを恥ずかしげもなく付ける新人作家だよ? このタイトルだけで、いいトシしたわたしは「うわっ、恥ずっ!!」と赤面してしまうよーなクオリティだよ?
いったいどんなモノを出してくるのか、興味津々じゃん?
中2病ゆんゆんの、わけわかんないものを出してくるかと、心配したんだ、ほんと(笑)。
オギーの劣化コピーとか、『エヴァ』シンドローム的な痛々しいモノとか。
サイトーくん系だとは、思わなかった(笑)。
サイトーくんよりは、オーソドックスに「タカラヅカ」の枠の中で作ってあるし、らしい雰囲気も出てる。
韓流だの華流だのの流行る前、きれいで明るいシネコン映画館になる前、単館上映の古い小さなビルの地下とかで見たよなあ、中国黒社会モノの映画。当時あたしゃ年間50本以上見ます、な映画スキーでもあったんで、毎週映画館へ通っていたよ。
『BUND/NEON 上海』を観て、「あー、知ってるコレ……」と思ったのは、あのころ見た映画の感じを思い出したから。
中国マフィアもの映画もさあ、ドシリアスなんだけどツッコミどころも満載でなあ。や、わたしがあのへんよく見ていたのは、腐女子だったので男男した世界の映画は大抵チェックしていたのよ。(なんてアホな理由・笑)
男子向け黒社会映画を見て思うのは、「男ってロマンチストだなあ」ってこと。
バコバコ暴力シーンがあって、バコバコ人が死ぬんだけど、結局のところ、主人公の生き方はとてもストイックなの。誰を殺そうが裏切ろうが、全体通してみると、意固地に硬質。そーゆーのが男の萌えなんだろうなあ。と、外側から想像する。
『BUND/NEON 上海』にも、同じ手触りを感じた。
作者は、ロマンチストなんだな、と。
……ロマンチストでないと、ヅカで演出家やろうなんて思わないかもしれないけどな(笑)。
同じマフィアものでも欧米にせず、中国にしたあたりに、サイトー系のクセモノ臭を感じる。
中国の方が、より、ファンタジー(異世界)じゃん?
スーツものの欧米マフィアより、チャイナ服に阿片に煙管ですよ。より異世界感が強く、夢を描きやすい。つか、めちゃくちゃをやりやすい(笑)。
軍服の男装の麗人が鞭で男を拷問したり、白いドレスの少女がふわふわ踊っていたり、悪党が自分の王国建立を夢見て哄笑したり、なんでもアリですよ。
同じよーに「マフィアもの」でも、大野せんせなんか、江戸時代で青天でやっちゃったわけだしね。作家の性格出ますよ(笑)。
なんでもありーののファンタジー色の強い1930年代上海で、「破滅する男の美学」を描きたかったんだろうなと。
や、ストイックさのあるマフィアものでは大抵、主人公は栄光の手前で泥にまみれて死にますから(笑)。生きてしあわせになったら、美学に反するんだろうな。
だから、作者が描きたかったのはクリストファー@まぁくんではなく、劉衛強@だいもんなんだろうなと。
でもここはタカラヅカだから、劉のよーな男を主役には出来ない。つーことで、クリストファーを設置。しかし、クリス単体より、ヒロイン・シンシア@姫花を通して思い入れているような。
劉を中心にして、ふたりのヒロインがいる。
男子モノ定番の「幼なじみ」孫香雪@ゆまと、これまた定番の「聖域・マドンナ」シンシア。
どちらも劉にとっては「守りたいモノ」であったのに、シンシアを殺したことでトラウマを抱え、香雪を守れなかったことで血に狂う。
シンシア殺害の因縁によって、香雪の腕の中で息絶える、つーのが「ヒーロー」劉を描く上での美学、譲れないこだわりだろうさ。
劉に思い入れまくってるのはいいけど、いちおー対外的にはクリスが主人公でまぁくんが主演なんだから、もう少しリビドーを抑えて描いてくれよ、と思う(笑)。
たとえばこだまっちの『天の鼓』は、描いているウチに悪役(帝)に思い入れ過ぎちゃって途中で視点やら主役やらが混同してわけがわかんなくなった例だと思うけど、生田くんの『BUND/NEON 上海』は、最初から悪役(劉)こそを中心に考えて、あとから別の主役(クリス)を付け加えたんだと思ったよ。
おかげで、クリスの薄いこと。劉は生い立ちからなにから全部描かれているのに、クリスは「捜査官です」というだけ。
劉はヅカの主役には向かないので、彼を助演キャラにしたことは正しい。シャアは敵役だからオイシイのであって、視聴者のためにはアムロが必要だ。
いちばんの失敗は、ヒロインを間違えたこと。
ヒロインはシンシアであって、ミシェル@れみじゃない。
物語が壊れているのは、そこを間違っているから。
最初からシンシアをヒロインとしていれば、ミシェルはいなくてイイので、彼女に費やす時間を「物語の中枢」に回せた。
クリスと恋に落ちるならともかく、どーしてミシェルを出す必要があったんだろう?
男と女の関係が恋愛だけだとは思っていない。平行線のまま、それでも共に荒野を行く『銀の狼』は名作だったさ。
しかし、クリスとミシェルには、「追いつめられた、この世で最後の男と女」という関係もない。
たまたま同じ船に乗り合わせただけで、それで人生共にしちゃうのはハリウッド映画以下の説得力だってば。ハリウッド映画でもいちおー、主人公とヒロインは窮地を共に切り抜けることで、吊り橋恋愛するんだから。
クリスとミシェルはそれすらなく、とくに心が通い合うこともないままミシェルがさらわれ、それをクリスが命懸けで助けに行くという……ほんとに「シンシアの姉」というだけの扱い。
『銀の狼』を目指してスベっただけなのかしら。1時間半の大劇作品でも描けた男と女の関係を、バウで2時間掛けてかすりもしなかったと?
ストーリーに無関係なミシェルをヒロインとして成立させるのは難しいから、最初からストーリーの鍵であるシンシアをヒロインにすれば、簡単だったのに。
劉に比べてクリスが薄いのも、劉を主役に出来なかったのもよくわかるけれど、ヒロインの立て間違いは、よくわからない失敗だわ。
生田せんせ、ナニがしたかったんだろう?
初日に駆けつけたのは、まぁくん単独バウ主演おめでとー! ではなくて。いやもちろん、わたしは花担なわけだし、花組っこたちの公演は楽しみにしているし、できれば初日から観てみたいのだけれど。
ほんとのところ、いちばん興味があったのは、新人演出家の、デビュー作ってことだ。
デビュー作には、その作家の個性っつーか、持っている根っこの部分が出ちゃうじゃん?
『BUND/NEON 上海』-深緋(こきあけ)の嘆きの河(コキュートス)なんてタイトルを恥ずかしげもなく付ける新人作家だよ? このタイトルだけで、いいトシしたわたしは「うわっ、恥ずっ!!」と赤面してしまうよーなクオリティだよ?
いったいどんなモノを出してくるのか、興味津々じゃん?
中2病ゆんゆんの、わけわかんないものを出してくるかと、心配したんだ、ほんと(笑)。
オギーの劣化コピーとか、『エヴァ』シンドローム的な痛々しいモノとか。
サイトーくん系だとは、思わなかった(笑)。
サイトーくんよりは、オーソドックスに「タカラヅカ」の枠の中で作ってあるし、らしい雰囲気も出てる。
韓流だの華流だのの流行る前、きれいで明るいシネコン映画館になる前、単館上映の古い小さなビルの地下とかで見たよなあ、中国黒社会モノの映画。当時あたしゃ年間50本以上見ます、な映画スキーでもあったんで、毎週映画館へ通っていたよ。
『BUND/NEON 上海』を観て、「あー、知ってるコレ……」と思ったのは、あのころ見た映画の感じを思い出したから。
中国マフィアもの映画もさあ、ドシリアスなんだけどツッコミどころも満載でなあ。や、わたしがあのへんよく見ていたのは、腐女子だったので男男した世界の映画は大抵チェックしていたのよ。(なんてアホな理由・笑)
男子向け黒社会映画を見て思うのは、「男ってロマンチストだなあ」ってこと。
バコバコ暴力シーンがあって、バコバコ人が死ぬんだけど、結局のところ、主人公の生き方はとてもストイックなの。誰を殺そうが裏切ろうが、全体通してみると、意固地に硬質。そーゆーのが男の萌えなんだろうなあ。と、外側から想像する。
『BUND/NEON 上海』にも、同じ手触りを感じた。
作者は、ロマンチストなんだな、と。
……ロマンチストでないと、ヅカで演出家やろうなんて思わないかもしれないけどな(笑)。
同じマフィアものでも欧米にせず、中国にしたあたりに、サイトー系のクセモノ臭を感じる。
中国の方が、より、ファンタジー(異世界)じゃん?
スーツものの欧米マフィアより、チャイナ服に阿片に煙管ですよ。より異世界感が強く、夢を描きやすい。つか、めちゃくちゃをやりやすい(笑)。
軍服の男装の麗人が鞭で男を拷問したり、白いドレスの少女がふわふわ踊っていたり、悪党が自分の王国建立を夢見て哄笑したり、なんでもアリですよ。
同じよーに「マフィアもの」でも、大野せんせなんか、江戸時代で青天でやっちゃったわけだしね。作家の性格出ますよ(笑)。
なんでもありーののファンタジー色の強い1930年代上海で、「破滅する男の美学」を描きたかったんだろうなと。
や、ストイックさのあるマフィアものでは大抵、主人公は栄光の手前で泥にまみれて死にますから(笑)。生きてしあわせになったら、美学に反するんだろうな。
だから、作者が描きたかったのはクリストファー@まぁくんではなく、劉衛強@だいもんなんだろうなと。
でもここはタカラヅカだから、劉のよーな男を主役には出来ない。つーことで、クリストファーを設置。しかし、クリス単体より、ヒロイン・シンシア@姫花を通して思い入れているような。
劉を中心にして、ふたりのヒロインがいる。
男子モノ定番の「幼なじみ」孫香雪@ゆまと、これまた定番の「聖域・マドンナ」シンシア。
どちらも劉にとっては「守りたいモノ」であったのに、シンシアを殺したことでトラウマを抱え、香雪を守れなかったことで血に狂う。
シンシア殺害の因縁によって、香雪の腕の中で息絶える、つーのが「ヒーロー」劉を描く上での美学、譲れないこだわりだろうさ。
劉に思い入れまくってるのはいいけど、いちおー対外的にはクリスが主人公でまぁくんが主演なんだから、もう少しリビドーを抑えて描いてくれよ、と思う(笑)。
たとえばこだまっちの『天の鼓』は、描いているウチに悪役(帝)に思い入れ過ぎちゃって途中で視点やら主役やらが混同してわけがわかんなくなった例だと思うけど、生田くんの『BUND/NEON 上海』は、最初から悪役(劉)こそを中心に考えて、あとから別の主役(クリス)を付け加えたんだと思ったよ。
おかげで、クリスの薄いこと。劉は生い立ちからなにから全部描かれているのに、クリスは「捜査官です」というだけ。
劉はヅカの主役には向かないので、彼を助演キャラにしたことは正しい。シャアは敵役だからオイシイのであって、視聴者のためにはアムロが必要だ。
いちばんの失敗は、ヒロインを間違えたこと。
ヒロインはシンシアであって、ミシェル@れみじゃない。
物語が壊れているのは、そこを間違っているから。
最初からシンシアをヒロインとしていれば、ミシェルはいなくてイイので、彼女に費やす時間を「物語の中枢」に回せた。
クリスと恋に落ちるならともかく、どーしてミシェルを出す必要があったんだろう?
男と女の関係が恋愛だけだとは思っていない。平行線のまま、それでも共に荒野を行く『銀の狼』は名作だったさ。
しかし、クリスとミシェルには、「追いつめられた、この世で最後の男と女」という関係もない。
たまたま同じ船に乗り合わせただけで、それで人生共にしちゃうのはハリウッド映画以下の説得力だってば。ハリウッド映画でもいちおー、主人公とヒロインは窮地を共に切り抜けることで、吊り橋恋愛するんだから。
クリスとミシェルはそれすらなく、とくに心が通い合うこともないままミシェルがさらわれ、それをクリスが命懸けで助けに行くという……ほんとに「シンシアの姉」というだけの扱い。
『銀の狼』を目指してスベっただけなのかしら。1時間半の大劇作品でも描けた男と女の関係を、バウで2時間掛けてかすりもしなかったと?
ストーリーに無関係なミシェルをヒロインとして成立させるのは難しいから、最初からストーリーの鍵であるシンシアをヒロインにすれば、簡単だったのに。
劉に比べてクリスが薄いのも、劉を主役に出来なかったのもよくわかるけれど、ヒロインの立て間違いは、よくわからない失敗だわ。
生田せんせ、ナニがしたかったんだろう?
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