『ベルばら』というのは、伝統芸能なのである。

 なにをもって『ベルばら』とするのか。
 池田理代子氏の原作とは関係ない。『ベルばら』とは、すでに『ベルばら』なのである。

 と、オープニングから感心した、植爺新作『ソルフェリーノの夜明け』初日。

 幕が上がるなり、『ベルサイユのばら』が、はじまった。

 花籠の中で巻き毛にお花をつけた、ロングドレスの少女たちが揺れている。
 本編となんの関係もない華美な男たち、女たちが『ベルばら』な風情で『ベルばら』な揺れるだけのダンスを踊る。みんなで横1列、はいそこで広がって、右向いて左向いて。
 歌うのはこれまた『ベルばら』テイストな主題歌。想像の余地もない直球勝負の歌詞。

 すごい。

 すごいや!! 

 花籠の中から水くん登場、ゆみこだって花籠に入っちゃうぞ。
 花籠は特別、出たり入ったりするのはトップと2番手のみ、花籠の女の子たちは最初から最後まで入ったまま、そこで揺れているのみ。
 ジャララ~ンな音楽で男たちが右、左と向きを変えるのに合わせて、花籠の女の子たちがブーケの向きを変える。なんて斬新な振付ッ!!

 すごい。

 すごいや!!

 『ベルばら』のオープニングとまったく同じ構成、方程式。いったんジャンッとなったあと、シャンシャンをはじめるアレ。(日本語での説明を放棄している)

 植爺は『ベルばら』だから『ベルばら』を作ってるんじゃないんだ。

 彼は、『ベルばら』しか作れないんだ。

 それはもう、伝統芸能の域。
 職人の世界。
「彼が『ベルばら』を作るのではありません、彼が作るものがすなわち『ベルばら』なのです」

 陶芸家**氏の作品がツボだろーと皿だろーと**と銘が入るよーに、植爺が作ったモノにはもれなく『ベルばら』という銘が入る。
 そーゆー域なんだ。

 
 とまあ、最初から爆笑しました。

 植爺ってほんとすごい人ですね。

 『ソルフェリーノの夜明け』は、良くも悪くも演出家・植田紳爾集大成のよーな作品でした。

 ★教えて植田先生ってどんな人?

1.セリと盆の存在を、知りません。
2.カーテン前に役者を1列に並ばせて、順番に喋らせるのが大好き。
3.歌は、お馴染みの主題歌のみ。1つの曲をえんえん使い回し、「何故この人がこの歌?」「この場面とこの歌詞、なんの関係が?」でも無問題、手抜きぢゃなくてエコロジーです。
4.愛を連呼するのは好きだけど、実は愛を描けません。
5.群衆芝居とは、ひとつの内容をその場にいる人たちで一言ずつ同じことを繰り返す芝居のことだと思っています。「1回言えばそれでわかるのに」なんてつっこんじゃいけません、10人いたら10回同じことをひとりずつ言うのです、それが群衆芝居です。
6.テーマはわかりやすく連呼する必要があると思っています。重複、矛盾、ロジックの破綻なんか気にしてはいけません。声の大きい者が、いちばんの正義です。いちばん大きな声でたくさん演説した人が、正しいのです。説教大好き!
7.自分が「正義」だと思っていることのためなら、どんなことをしてもいいと心から信じています。自分の正義が他人にとっての悪とか迷惑とかは、想像の範囲外なので知りません。自分最高!
8.敬われる年長者が大好き。お年寄りは大切に。
9.人情家です。格言好きで、ヒューマニズムの化身です。

10.大衆演劇の「泣かせどころ」「盛り上げ方」を知っている人です。

 切っても切っても植爺。
 植爺らしさ満載。

 でも、ベルナール編を除いた『外伝 ベルサイユのばら』シリーズのような、とんでもないことにはなっていない。
 ツッコミ入れているとキリがないのはたしかだが、作品テーマが恋愛じゃなくて植爺の得意分野だから、なんとかセーフ。

 植爺には、恋愛が描けない。
 本人が色恋にも、女にも興味ないんだと思う。彼の興味は義理人情とか仁徳とか、自分に関係あることにのみ向けられている。
 興味もないし書くこともできない男女の恋愛を、毎回書いているからどーしよーもない失敗作になる。
 彼の中に「恋愛」という概念はナイ。最初からナイため、ナイということすら判別できていない。別のモノを「恋愛」だと思い込んで、そこに積み木をはじめるので、空中分解する。それ、「恋愛」チガウから! チガウのに聞きかじっただけの「恋愛」パーツを置いても意味ナイから!

 しかし今回は、テーマが「赤十字思想誕生150周年」なので、植爺でも理解可能なものだった。
 彼の大好きな人情爆発、ヒューマニズムてんこ盛り、「命」という単語の大安売り。
 
 大声で演説している話のやりとり自体は、植爺らしくわけがわからない。
 無駄な重複と修飾が多すぎる上、応答になっていないため、聞いていると眩暈がする(笑)。なんでこの話に対して、こう返すの? そんな話してない、キャッチボールになってない、みんな自分の話しかしてない、なのになんか会話が進んでいる、キモチワルイ!!……みたいな。いつもの植爺。

 でも、言っていることはさっぱりわからなくても、単語単語がキレイゴトなので、なんかイイコトを言っているよーに聞こえるのだ(笑)。

『人間は争うことしか出来ないのか!歴史はそれを繰り返している。いつになったら争いの愚かさが分かる時が来るのだ!』(公式HPより)てなことを、もっともらしく、キャッチボールになっていないまま、垂れ流しているわけだ。

 会話は成り立っていなくても、演出で盛り上げることは出来る。
 そして植爺は、人情の盛り上げは、得意。

 得意分野が見事にマッチしている。
 結果、『ベルばら』に比べると、すげーまともな作品に。

 良くも悪くも、植爺はすごいなと。
 このベッタベタな盛り上げ方は、才能なんだと思う。
 あの『ベルばら』でしかないオープニングと同じように。

 ダサいと思うし、トホホだと思うよ。
 でも、わかりやすく、派手。わかりやすく、お涙頂戴。
 これは、すごいことだよ。
 
 『外伝 ベルサイユのばら』よりは、通いやすいんじゃないかな、ヅカファン的に。
 歌が1曲しかないけど。セリも盆も微動だにしないけど。

 ゆみこちゃん演じる医者せんせーは、突然空気読まない美しい衣装で現れ、物語の内容とまったく無関係な「彩吹真央・旅立ちの歌」を1曲朗々と歌って旅立っていくけど。(せんせーは残る人で、旅立ちません)
 それもまた、植爺の人情だろう。

 『ベルばら』だけど、『ベルばら』より破壊力は少ないよ。うん。みんな、安心して。

 
 でもわたし、植田せんせに聞いてみたいな。

『ソルフェリーノの夜明け』-アンリー・デュナンの生涯-っていう作品を見たんですけど、アンリー・デュナンって人は、どんな生涯を送った人なんですか?」

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