欲望が人を前へと進ませる。@BUND/NEON 上海
2010年1月25日 タカラヅカ それでもしつこく『BUND/NEON 上海』の話。
史上最大のだいもん萌え、とゆーてるわりにわたし、だいもんの感想書いてないことに気づきました。
だいもん演じる劉衛強が萌えだ、とゆー話はえんえん書いた気がするけど。
劉はオイシイ2番手役の典型なので、誰がやっても魅力的だとは思います。試しに「この話、劉を主人公にして書き直せばいいんじゃね?」と思って、まぁくんが劉で脳内上演してみたところ、それでも十分たのしかったし。まぁくん、黒い役OKだと思うの。
誰がやってもオイシイだろう、それはたしか。
でも、今現実にある劉衛強役は、だいもんだからこそここまで魅力的なことも、たしか。
わたしがここまでハマるのも、だいもんだからだ。
何度か書いているよーな気がするが、だいもんくんは、マジで実力派だ。
出来る子だということは、最初からわかっている。文化祭からまったり眺めてきた子だもの。
モブしか与えてもらっていない時代から、アピール力がすごくて前方席に坐ったときなんか目線爆撃のすごさにウケてしまうほど、花男らしい花男だった。
歌唱力も芝居力もあることはわかっている。でもそれ以上に、表現欲のある子だと思っていた。
銀橋にも乗せてもらえない花道の上で、どんだけ濃くアピールしていたか。群舞の端っこで暗いライトしかもらえない場所で、どんだけ感情を乗せて踊っていたか。
だいもんはわたし、芝居よりショーの印象が強いの。
だって芝居はやっぱり、どーあがいても役がつかないと限界があるのね、表現に。中央の芝居を邪魔するほどの小芝居はNGだし、そもそも出番もらえないから板の上にいないし。
その点ショーでは、スポットはあたらなくても、見せ場はもらえなくても、群舞にまざっていることはできたから。
花組ショーの危険は、マメとだいもん。うっかり視界に入れてしまうと、目を奪われて贔屓や全体を観られなくなる、という(笑)。
どちらの男も、実に濃く派手に、「表現」することを第一に踊っている。
決められた振付でみんなと同じように踊る、のは基本だけど、その上で「なにを表現したいのか」という明確な意識を、客席に向けて解放している。
強い意志というのは、伝わるんだ。
人間って不思議だけど。言葉とかなくても、「伝えたい」と全霊をあげた叫びは伝わるんだ。
だいもんのダンスは、技術よりなにより、その「表現欲」ゆえに客席にその場面場面の彼の意識をびしばしに発していた。いつも。
強い意志は、華やかさになる。
小柄ゆえ、体格は恵まれているとは言えない。タカラヅカでいうところのキラキラ・オーラを持つわけでもない。それでもモブに沈み込まない光を持つのは、彼の発する意志ゆえだろう。前へ向かってまっすぐに淀みなく迷いなく発せられる意志、何故自分が「ここ」にいるのかを宣言する力。
だいもんの舞台から目が離せなくなるのは、その光に射抜かれるから。
ライトをもらえなくても、いつもいつもびっくりするくらい、「表現」していた。舞台に立つこと、客席へ向けて意志を解放することを、「天職」ってくらいに楽しんでいる様が伝わってきた。
もっと、もっと。彼は「表現」したがっている。あくなき表現欲。小さなカラダがはち切れそうなほど、彼は客席に向かって叫んでいる。もっと「生きたい」と。
そーゆー人だから、彼に表現すべき「役」が付くことを、心待ちにしていた。
お手本のある新公や再演ではなく。
彼のためだけに書き下ろされた、彼だけの役。1回こっきりではなく、まとまった期間板の上に立ち、深化させていける役。
……とまあ、もともとわたしはだいもんを好きで、彼に期待をして観劇したわけなんだけど。
芝居が出来ることは知っている。男役としての立ち居振る舞い、ビジュアル、声、滑舌、全部クリアしていることも知っている。安定した歌唱力と、芝居を歌で表現することに長けていることも知っている。
ただ彼には「役」がない。路線・路線寄りその他群雄割拠状態の花組では、だいもんにまで役は回ってこない。また、彼は超路線ではない。劇団が「売りたい」と思い、「将来トップスターにする」と決めて宣伝している子でもない。だから列の後ろに並んで、順番待ちをするしかない。
出来ることは知っているから、あとは順番が回ってくるのを待っていた。彼がそのあくなき「表現欲」を満たせる「役」を。
知っていたから、驚きはない。
劉として、初日から憑依系演技でぶっ飛ばしているのを観ても、「こんなにできる子だったの?!」という意外性はない。
や、言うならば、期待通り、さもありなん。だいもんなら、そうだろう。
だからこそ、彼への感想は、だいもん、すげー(笑)、になる。
見たかった望海風斗が、そこにある。
彼が彼の表現欲を本能のままに解放する姿。
やり過ぎちゃってかまわない役。
もっと、もっと……と、舞台の隅でエネルギーをもてあましていた彼が、好きなだけ才能を爆発させられる役。
それを、見たかったんだ。
役者が役と舞台を愛し、シンクロしてエネルギーを発散する姿って、快感だよ。
正の波動をあびることで、客席もなにかしら満たされる。
だいもんに入り込み系の芝居をさせると、えらいことになる……わかっていた通り、彼は爆発する。
わかっていた……期待していた、わくわくしていた、待ち望んでいた、その通りに!
ずっとずっと欲しかったモノが、与えられた。
欲しかったのは、わたしだ。
このだいもんを欲していたのは、わたしだ。
彼が走り出すところを、見たかったんだ。
渇望していたんだ。
てとこで、文字数により一旦切る。
史上最大のだいもん萌え、とゆーてるわりにわたし、だいもんの感想書いてないことに気づきました。
だいもん演じる劉衛強が萌えだ、とゆー話はえんえん書いた気がするけど。
劉はオイシイ2番手役の典型なので、誰がやっても魅力的だとは思います。試しに「この話、劉を主人公にして書き直せばいいんじゃね?」と思って、まぁくんが劉で脳内上演してみたところ、それでも十分たのしかったし。まぁくん、黒い役OKだと思うの。
誰がやってもオイシイだろう、それはたしか。
でも、今現実にある劉衛強役は、だいもんだからこそここまで魅力的なことも、たしか。
わたしがここまでハマるのも、だいもんだからだ。
何度か書いているよーな気がするが、だいもんくんは、マジで実力派だ。
出来る子だということは、最初からわかっている。文化祭からまったり眺めてきた子だもの。
モブしか与えてもらっていない時代から、アピール力がすごくて前方席に坐ったときなんか目線爆撃のすごさにウケてしまうほど、花男らしい花男だった。
歌唱力も芝居力もあることはわかっている。でもそれ以上に、表現欲のある子だと思っていた。
銀橋にも乗せてもらえない花道の上で、どんだけ濃くアピールしていたか。群舞の端っこで暗いライトしかもらえない場所で、どんだけ感情を乗せて踊っていたか。
だいもんはわたし、芝居よりショーの印象が強いの。
だって芝居はやっぱり、どーあがいても役がつかないと限界があるのね、表現に。中央の芝居を邪魔するほどの小芝居はNGだし、そもそも出番もらえないから板の上にいないし。
その点ショーでは、スポットはあたらなくても、見せ場はもらえなくても、群舞にまざっていることはできたから。
花組ショーの危険は、マメとだいもん。うっかり視界に入れてしまうと、目を奪われて贔屓や全体を観られなくなる、という(笑)。
どちらの男も、実に濃く派手に、「表現」することを第一に踊っている。
決められた振付でみんなと同じように踊る、のは基本だけど、その上で「なにを表現したいのか」という明確な意識を、客席に向けて解放している。
強い意志というのは、伝わるんだ。
人間って不思議だけど。言葉とかなくても、「伝えたい」と全霊をあげた叫びは伝わるんだ。
だいもんのダンスは、技術よりなにより、その「表現欲」ゆえに客席にその場面場面の彼の意識をびしばしに発していた。いつも。
強い意志は、華やかさになる。
小柄ゆえ、体格は恵まれているとは言えない。タカラヅカでいうところのキラキラ・オーラを持つわけでもない。それでもモブに沈み込まない光を持つのは、彼の発する意志ゆえだろう。前へ向かってまっすぐに淀みなく迷いなく発せられる意志、何故自分が「ここ」にいるのかを宣言する力。
だいもんの舞台から目が離せなくなるのは、その光に射抜かれるから。
ライトをもらえなくても、いつもいつもびっくりするくらい、「表現」していた。舞台に立つこと、客席へ向けて意志を解放することを、「天職」ってくらいに楽しんでいる様が伝わってきた。
もっと、もっと。彼は「表現」したがっている。あくなき表現欲。小さなカラダがはち切れそうなほど、彼は客席に向かって叫んでいる。もっと「生きたい」と。
そーゆー人だから、彼に表現すべき「役」が付くことを、心待ちにしていた。
お手本のある新公や再演ではなく。
彼のためだけに書き下ろされた、彼だけの役。1回こっきりではなく、まとまった期間板の上に立ち、深化させていける役。
……とまあ、もともとわたしはだいもんを好きで、彼に期待をして観劇したわけなんだけど。
芝居が出来ることは知っている。男役としての立ち居振る舞い、ビジュアル、声、滑舌、全部クリアしていることも知っている。安定した歌唱力と、芝居を歌で表現することに長けていることも知っている。
ただ彼には「役」がない。路線・路線寄りその他群雄割拠状態の花組では、だいもんにまで役は回ってこない。また、彼は超路線ではない。劇団が「売りたい」と思い、「将来トップスターにする」と決めて宣伝している子でもない。だから列の後ろに並んで、順番待ちをするしかない。
出来ることは知っているから、あとは順番が回ってくるのを待っていた。彼がそのあくなき「表現欲」を満たせる「役」を。
知っていたから、驚きはない。
劉として、初日から憑依系演技でぶっ飛ばしているのを観ても、「こんなにできる子だったの?!」という意外性はない。
や、言うならば、期待通り、さもありなん。だいもんなら、そうだろう。
だからこそ、彼への感想は、だいもん、すげー(笑)、になる。
見たかった望海風斗が、そこにある。
彼が彼の表現欲を本能のままに解放する姿。
やり過ぎちゃってかまわない役。
もっと、もっと……と、舞台の隅でエネルギーをもてあましていた彼が、好きなだけ才能を爆発させられる役。
それを、見たかったんだ。
役者が役と舞台を愛し、シンクロしてエネルギーを発散する姿って、快感だよ。
正の波動をあびることで、客席もなにかしら満たされる。
だいもんに入り込み系の芝居をさせると、えらいことになる……わかっていた通り、彼は爆発する。
わかっていた……期待していた、わくわくしていた、待ち望んでいた、その通りに!
ずっとずっと欲しかったモノが、与えられた。
欲しかったのは、わたしだ。
このだいもんを欲していたのは、わたしだ。
彼が走り出すところを、見たかったんだ。
渇望していたんだ。
てとこで、文字数により一旦切る。
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