最初、紫子@きりやんが男しか見えなくて困った。
 と、書いた。

 それはきりやんの演技であり、演出家の指示でもあると思う。

 だがそこにもうひとつ要因がある。

 きりやんは、娘役体型ではない、ということ。

 小柄=娘役体型、ではない。
 ぶっちゃけ、頭身の問題だ。

 現実の男は身長に関係なく女の子より顔が大きい。男女が並んだとき、たとえ男の方が小柄でも、顔が大きいのは男である場合が多い。そりゃ女の子より小顔の男もいるだろうが、大抵は男の方が大きい。
 それがきりやさんは、ええっと。

 昔、外部劇場の客席その他でナマのきりやんを見かけたことがあるけど、外国の人のようにきれーな、すげー細身で小顔の女性だった。
 だからきりやんの顔が大きいわけじゃないことは、よーっくわかっている。
 あのビスクドールみたいな人の顔が、舞台では大きめに見えてしまうって……タカラジェンヌおそるべし! どんだけものすげースタイル良しさんばっかで成り立っているんだ、あの舞台は。

 遊女屋の女の子たちに囲まれて登場するとき、ひとり頭身が違っていて異質だった。
 顔立ちが美しい人なのはわかっているが、なにしろ舞台なのでまず見えるのは体型。袿姿の紫子は、気の毒なワンピースを着たアナベル@『銀薔薇』くらい、わたしにはバランスが残念に見えた。
 また、白塗りのお化粧も、彫りの深いきりやんには、いまいち合っているとも思えず。

 昔きりやんは女役もやっているが、アデレイドもオスカルも、必要以上にくねくねして「女」であることを主張している役だ。腰の曲線を強調し、内股で歩き、立ち、両膝を揃え脚を流して坐る、そーゆー役。
 男と同じ所作で寸胴命の日本物とはチガウ。

 ビジュアルに、つまずいてしまったんだ、最初。

 頭身が女の子にしては低くて、着ぶくれして胴回りが立派に見える袿姿でなんともごつくて、白塗り化粧が微妙で。ついでに、これは禁句だが、オペラで見ると相手役の風吹@もりえくんと肌の張りや若さがぜんぜん違っていて。ふつーのお化粧なら気にならないのに、白塗りだと実年齢が際立って見えて。

 そんな外見に加え、話し方や所作も男で。

 ……でも物語的に美形のお姫様らしい、って。

 ど、どうしよう。
 オレいちおーきりやさん好きで、きりやさんのためにはるばる名古屋まで来たんだが、こ、これはどうしたらいいんだっ?!

 と、最初はうろたえました。ごめん、きりやん。

 
 が。

 が、だ。

 そんな最初のとまどいは、芝居が進むにつれて吹っ飛ばされていくのですよ、お客さん!

 『紫子』のタイトルロール、紫子@きりやん、かっけー! かわいー!!

 ホモ芝居に見えてとまどった、風吹と紫子の初夜。紫子がどーにも女に見えない、もう少し女だってわからせてくれないと萌えない……ホモが見たいわけぢゃないんだ(笑)、男と男みたいな女の子のラヴが見たいんだ、と困惑した、そのインパクトの強さゆえ、そっから先は大丈夫、耐性ができた。

 物語ゆえに生き方ゆえに、紫子がかわいく見える。男にしか見えない姿も、紫子として物語として問題ではなくなる。同時に、頼りなくて首を傾げた風吹も、どんどん味わい深くなっていく(笑)。

 徐々に女らしくなる、のではなく、紫子はずーっと紫子のままだ。オスカルが突然女々しさ全開でアンドレにしなだれかかる『ベルばら』とは違い、紫子は「少年」という性を持ったまま快走する。

 そう、快走。

 紫子の生涯が苦難に満ちたモノであったとしても、彼女にはいつも心地よい光がある。
 凛とした、明るさ。前向きな清々しさ。

 「男にしか見えない」ことでとまどった。
 が、物語が進むにつれ「男装しているけど女性だとわかる」ようになったから良くなった、ということではない。
 
 紫子は、紫子というイキモノである。
 男だとか女だとか、そんな次元を越えている。
 そんなささやかなことはとは無関係に、彼女はアリなんだ。OKなんだ。

 舞台の上は独立したファンタジー世界。
 わたしたちの住む現実じゃない。
 コミックやアニメがそうであるように、そこにあるがままの世界観が、姿が、客席を魅了していた。

 見た目が美しいのかどうかはわかんないが(笑)、彼女が魅力的であったことは、よーっくわかる。
 この人について行きたい、この人の力になりたい。そう思うだろ、みんな。

 反面、嫉妬の舞は居心地悪かったけどなー。紫子さんアナタ、こっち方面向いてないっす……。
 あの涼やかな光を持つ少年のような紫子さんは、あんなにくどくど嫉妬の舞はしません(笑)。いかにも「初演にあった場面だからカットできなかったんだよ」的なお約束に過ぎない演出に見えてつらかった。んなことに時間割くより、鶴舞姫@まりもちゃんのフォローしようよ、と思ったさ……。

 きりやん自身は闇や毒を演じられる人なので(とゆーか、むしろそっちを全開にするとやりすぎてこわくなる)、今回の「紫子」という役のままではこの場面がキャラにそぐわないんだと思った。
 再演の罠、巨匠作品の罠。キャラに合わせたり芝居に合わせたりして、勝手に変更できないんだなあ。初演のスター様を振付師として特別に呼んだりしてるわけだしなあ。
 紫子をあえてオスカルにはせず、男にしか見えないこととか、視覚部分の変更は巨匠の目を盗むことも可能だと思うけど、場面自体をどうこうは無理なんだろう。と、思ってみたり。

 紫子のビジュアルがいちばん美しかったのは、鎧姿だかんなー。
 やっぱきりやんはこうでなくっちゃ。

 紫子がどんどんかわいく見えて、風吹がどんどん素敵に見えて。
 このふたりが恋人同士だってのが、すげーイイ。
 もっとふたりの場面が見たかったよ。

 
 悲劇に終わるし、最後ガラスの馬車だの「天国でふたりは幸福になりました」だのもないけれど、幸福感を残して終わるのは、紫子@きりやんの持つ力だろう。
 凛とした明るさ、全力で人生を駆け抜けた潔さ。
 やり遂げた感というか、拍手したい存在というか。

 や、ちゃんとふたり助かってハッピーエンドでもいいじゃんね、と思うんだけど、力任せに燃え尽きるのも彼らにはアリかなと思わせてくれるから。

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