で、『第96期宝塚音楽学校文化祭』の感想つれづれ。

 プログラム売り場が変わっていた。
 いつもバウホール下にテーブル出して売っているのに、ソレがない。
 階段上のモギリのあるフロアでのみ販売。や、こちらの売り場は例年あったが、階段下と2箇所だったんだよ。今年から1箇所に?

 プログラムは表紙デザインが変わっていた。何年ごとに変えるとかあるのかな? 前のデザインは2年で終了か。

 中の生徒写真が大きくなっていてびびった(笑)。
 そして思った。……人数、少なっ。
 この期からまた募集人数減ったんだっけ?
 93期までは50名だったのになあ。それが45人に減り、96期ではたった40人。なのにその上、2名の退学者を出しているもんだから、プログラムですでに雰囲気チガウ。
 なんとも先細り感があって、寂しいわ、タカラヅカ。

 で、たった38人なのに、相変わらずわたしには顔がおぼえられない(笑)。記憶力は衰える一方だ。
 とりあえず、例年ほど強烈に印象に残る子はいなかった。

 日舞はいつも目が慣れないうちにはじまり終わるので、個別認識がはじまるのはクラシック、ポピュラー・ヴォーカルになってからだ。

 クラシック・ヴォーカルは男女1名ずつしか出演しない。つまりここに登場する子たちはこの期きっての歌ウマさんなんだろう。
 また、女子は日舞の「清く正しく美しく」独唱という見せ場があるので、こちらも歌ウマさんのハレの場。
 では男子の歌ウマさんはクラシック・ヴォーカルの1名しか見せ場がないのか。

 近年わかってきた。
 ソロで華々しく歌声を披露するのは上記の女子2名、男子1名しか、舞台が用意されていないよーに、プログラムを読むだけだと思える。
 が、そーじゃない。男子の歌ウマ枠がもうひとつある。
 ポピュラー・ヴォーカルの構成、だ。

 出演者全員でヅカソングをメドレーするミニ・コンサート。
 曲数15曲しかないのに、全員が出る。つまり、ソロを歌える人、そうでない人がいる。
 歌がうまい人はソロなんだと思う。ふるわない人たちは、大勢で出てきてワンフレーズのみひとりで声を出し、あとはコーラス。
 一見ただ出演者が羅列されているよーに見えるけど、いちおー「コンサート」形式なので、起承転結がある。
 オープニングがあって中詰めがあってクライマックスがあって、フィナーレがあるの。

 ポピュラー・ヴォーカルで、「クライマックス」に配された人。彼が、もうひとりの歌ウマ男子ポジション。

 歌ウマさんポジは、男女共に2名ずつ枠を作ってあるのね。以前は気づいてなかったわ。
 歌だけに突出しているわけではなく、バランス型ゆえに歌も良いポジションにいる、という場合もあるのだろうけど。

 起承転結がわかってくると、曲目は毎年微妙に違うけれど、結局のところ同じ方程式で構成されているんだなと思える。
 衣装が同じであるように、構成も同じ。……文化祭であって、劇団の公演ではないんだから、んなもんいちいち変えてられないってことか。
 ワンパターンにはワンパターンの良さがある。年に一度の催しなら、毎年同じでも問題ない。ひな形が同じだから、どの位置の子がどうと判断しやすい。

 ポピュラー・ヴォーカルで顔と名前をチェックし、それをさらに次の演劇で認識する。

 演劇は、谷せんせの短編ストレートプレイ『CHRISTMAS EVE』。
 O・ヘンリの『警官と賛美歌』『賢者の贈り物』『最後の一葉』を「12月24日」をキーにミックスしたもの。
 谷せんせってこーゆーの好きなんだね。93期の演劇がやはり谷せんせで『ラ・ボエーム』と『レント』をミックスしたものだったよね。(そして著作権絡みでスカステ放送されなかった)

 1から物語を作るのではなく、既製品をパッチワークするのは、作り手としてはたのしいかな。や、わたしは好きだけどな、そーゆーの。二次創作のノリで。

 O・ヘンリの3つの作品を盛り込んでいるから、主人公も3人。ストーリーも3つあるから、登場人物も多くて文化祭向きだなー。
 しかし、ほんとにただ3つを交代交代に展開させるだけで、クロスオーバーにはなっていない気が……ゲフンゲフン。
 でも良いお話でした。もともとわたし、O・ヘンリは好きなの。短編集をわざわざハードカバーで買ったなあ、昔。
 もう少し作り込んで仕掛けもして、実力のある人たちに演じてもらえたら、良い作品になったかも……って、それじゃ本末転倒か。
 あくまでも文化祭用の、「みんなが主役」「全員に見せ場アリ」な作りの小品でした。はい。

 文化祭の演劇は半分しか出演しない。出演者全員の芝居を見たかったら、文化祭を2回観なければならない。
 わたしは未だに1回しか観たことナイので、いつも出会う確率は2分の1。
 芝居で役が付いているところを見なくちゃ、個別認識に至らないのね。
 演劇のどちらの組に出ているかが運命の分かれ道。や、わたしにとっての。

 最後のダンス・コンサートは無理。わたしにダンスの善し悪しはさーっぱりわからないし、ずっと動いているわけだから顔の区別はつきにくいし。
 
 また、わたしは「タカラヅカ」が好きなのであって、別カンパニーのダンス・ショーには興味がない。
 男役がいて、娘役がいる。それが基本。
 ヴォーカル・コンサートと演劇は、性別未分化なりに一生懸命、男役は男役であろうとし、娘役は娘役という別の性を演じようとしている。
 それが、ダンスになると、その区別や意識が薄れるのね。
 性別に関係なく、とにかく「踊る」ことに集中している。男子も女子も同じ衣装で同じバレエを踊ったりな。
 ヅカじゃなくても、男性ダンサーのいないスクールで、仕方なく男子パートも女子がやっています、みたいな感じに見える。

 なかにはとても「タカラヅカ」な場面もあるんで、そこはいいんだけどなー。
 あ、そーいや途中、引き潮@『Red Hot Sea』に似すぎている場面があってびびった。つか、衣装同じ?! 曲調はまったくチガウのに、何故ああまで同じコンセプト?

 個別認識しよう、と出会いを求めるのは演劇まで。最後のダンスは気を抜いてぼーっと眺めている(笑)。
 そうやってぼーっと楽しんでいても、目に飛び込んでくる子は飛び込んでくる。ハートを掴んで離さなかったりする(笑)。過去の経験から。

 とゆーことで、今年はあまり強烈に印象に残る子はいなかったのだわ。
 芝居で気になった子たちが軒並み、ダンスになるとどこにいるのかわかんなかった……いやその、わたしの記憶力が低すぎるせいもあるんだろうけど。
 顔、おぼえろよわたし。

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